ラノベの思いつき話
●男性排除系はアリかナシか
ISのように男性を完全に排除するか、もしくは不自然なレベルでハーレムを構築するラノベが多いが、その読者は男性を不要とみているのか、あるいは女性キャラが好きなだけなのか。
人によっては違いはあるが、ギャルゲーに比べると男性を描いていないというよりは意図的に排除している物が殆どだ。十年前は必ず親友キャラが居たはずだが、今ではハーレム構成が殆どになっている。
別にハーレムが駄目というわけじゃないが、ストーリー構築の上ではむしろ女性だけだとバランスが悪くなりがちである。主人公があまり一人の人間として機能していない、殆ど受動的な性格であることもありストーリーは基本的に受け身状態のままである。
トラックにひき殺されて異世界に行ったり突然女の子の裸を見てしまうにしてもほぼ受け身である。自分から行動しないことが前提のストーリーはかなり前からあるが、男性が一人でも多く存在してしまえばその主人公の影は薄くなりかねない。
何が言いたいかというと、受動的過ぎる主人公は一人でも男が多く存在するとそれだけでその男が障害になってしまうからだ。
受動的な人間は自分から動く外交的な人間には対処できない。男と女の関係ならともかく、同性同士の関係になると受動的な人間はどうしても遅れがちになる。
ストーリーから男性を排除する形の作品が多いのは、それはハーレムを創りたいという下心よりも他の男性を排除しないと敗北しやすいほど受動的だからだ。
徹底的に受動的で性格が無個性的な人間だったり、あるいは消極的で全く行動しない事を選びたがるタイプのキャラクターを際立たせるにはチート能力を持たせる以外活躍させようがないのだ。
それはその人間や周囲が悪いというよりも、それだけ受動的な人間が扱い辛い存在であり、本当はストーリー構築の上ではかなり邪魔なタイプでもある。自分から動かないのだからできるだけ周囲が彼に問題をふっかけ続ける必要があるからだ。
ある意味自分が世界の中心であり、ある意味では最弱である主人公が主人公であり続けるには周囲が全員女性であり、そして男性が必要以上に増えると彼に問題をきたしてしまう。チート能力を持つハーレム主人公の天敵はある意味、自分より性格がよく行動的な人間かもしれない。
●どこまで強い主人公にしたらいいか。
ある意味、創作をする上では主人公のパワーバランスは無視できない事だ。
基本的に強ければいいというわけでもないが、男女関係なくパワーバランスの調整は難しい行為だ。
魔法科高校の劣等生やSAOでは基本的に強すぎる所をネタにされるが、魔法少女リリカルなのはやまどマギのような女主人公になると批判が甘くなる。
女主人公の場合、むしろ強くていいという受け入れが強い。なのは辺りになると全体的に強すぎて面白みに欠ける時があったり、あるいは子供VS子供でも容赦が無さすぎる時があるため、パワーバランスが無視されやすいのは女主人公に多い。
パワーバランスの調整も設定考察より難しい。SAOのアインクラッド編でずっとベッドの上だったが、主人公が妹と剣道の練習をするあたりはかなり回復のスピードが速すぎるんじゃないかと思う。
ただSAOみたいに基本的にはVRの中での戦いが中心になると細かいところはむしろ簡単に無視しやすい。
ゲームの世界ではなく、現実世界で戦っている所を見ると時々顔面に攻撃が着弾したらどうなるのかと思ってしまう。
実際はかなり危険な行為をしているわけなので、パワーバランスとか細かい所を見ると攻撃の仕方によっては簡単に相手を設定とか関係無しに即死させられるんじゃないかと思ってしまう。
ストーリー構築の関係上、主人公の防御値が実際の設定より高いみたいなネタもあるが、その設定とかセオリーを無視して残酷な方法で相手を即死させる方法も無いわけではない。
上条ちゃんもビリビリの攻撃を受ける時があるわけだが、個人的には直接殴った方が、あるいは至近距離でレールガンを撃った方が確実にダメージを与えられるんじゃないか。
あるいは、人道とか色々な面を無視した攻撃をしないのは敵方が本当はある程度道徳性を持っている存在であるのかもしれない。
漫画の話になると、るろうに剣心では時々どう考えてもその殺し方は無いだろと言いたくなるような方法で相手を殺害している時がある。
この場合、外道を虐殺することによる一種のストレス発散になるが、このタイプの殺し方は基本的には今は少数派になったと思う。
事故死レベルの悲惨な状態になった女性キャラなら最近のロボットアニメではあったが、それもある程度は予測できるタイプの内容だ。その後、基本的には主要キャラが似た死亡をすることはない。
不自然なレベルでモブキャラが死にやすい作風になると、モブになにか恨みでもあるのかと思われるほど死ぬこともあるが、それはパワーバランスとは無関係な話だ。
登場人物が確実に死ぬ方法を取るのと、チート能力で敵を倒すのとは少々ベクトルが違うが、敵や味方が確実に倒されるタイプの攻撃方法は割といい加減に考えていることも多いだろう。
ある意味、創作の中の戦闘はある程度いいかげんな設定を盛り込んでこんな危険な事があってもとりあえず死なない的な状態にしておいたほうがいいだろう。
●作品によっては悪く言われるキャラクターが居ても別作品ではむしろ普通のキャラになる理論。
エロマンガ先生では、さぎりは基本的には引きこもりである。その引きこもりを登校させようとしてある程度手を尽くして委員長タイプの女の子がさぎりを登校させようとする。
しかし、そのやり方が悪かったため主人公に怒られるわけだが、彼女は基本的には不登校少女を登校させようとしていただけだ。
この作品内だと、基本的にめぐみは視聴者から悪目立ちしているようだ。
しかし、それも作品の性質がオタクよりだったからであり、めぐみは基本的に無害なタイプの人種だ。
で、全く無関係の作品の中にめぐみを投入すると話が変わってくる。
これはエロマンガ先生を視聴し終わったあとに終物語を再視聴した後に起きた疑問でもある。
正直、老倉育と目が黒い子の性格の悪さは流石といっていい。正直友達が居ないタイプというのはこういった、言動と性格が他人に害を与えるタイプであり、平和な世界で生きているめぐみはまず会いたくもないだろう。
クビシメロマンチストでは性格がよさそうな子が居るが、そのヒロインも最終的な末路は悲惨である。めぐみがその場に居合わせた場合、彼女を不登校にさせるには十分なPTSDを抱えさせられる。
同じ外交的、あるいは人と会話できるタイプの人間であっても何故か有害になる人間。言葉が何故かすぐに凶器になっていたり、あるいは言葉の使い方次第で簡単に憂鬱になってしまうタイプを好きな人は皆無だろう。
ある意味、エロマンガ先生や俺妹に出てくるタイプのキャラクターは物語シリーズや戯言シリーズに出てくるタイプの人間は天敵である。言葉で無双する事ができるタイプの人間はどの世界でもかなり強いが。
扇みたいな子と友達になるくらいなら、めぐみの方が何倍もマシであるわけであり、恒常的なトラウマを受け付けられるくらいなら中学生の生意気な悪口など大したことも無いのだ。