道化師の泣いた日
ある町にいつも笑顔の道化師がいました。
道化師はいつも、町の中央にある噴水の前でいくつものパフォーマンスを繰り広げます。
パントマイムに手品、バルーンアートに曲芸、彼のパフォーマンスはどれもが素晴らしく、子供から大人まで、誰もがみな夢中でした。
彼のパフォーマンスを観るとみんなが元気をもらい、笑顔になりました。
道化師はそれを観るのが好きでした。
ある日も、道化師はいつもの場所でパフォーマンスをしていました。その日はあいにくの雨で、観客の一人もいません。
せっかくの化粧も雨のせいでドロドロに。
それはちょっとしたホラーのようでしたが、口元だけは笑顔のままでした。
そんな姿を、小さな傘と大きな傘が静かに見守っていました。
またある日は雪の日でした。
道化師は、この寒い中訪れてくれたお客さんが、少しでも温かくなるようにと、一杯のココアを配って、火を使ったマジックをしていました。
しかし、あまりの寒さのせいでしょう。
手先がくるってしまい、火が道化師の服に燃え移ってしまいました。
慌てて噴水の水の中に飛び込みます。
火は無事消えましたが、道化師の服はボロボロになってしまい、下着姿となってしまいました。
結局、一番寒い思いをしたのは道化師でした。
それでも、その口元は笑顔のままで、お客さんもこれもパフォーマンスの一貫だと思ったのか大笑いしていました。それを見た道化師は笑っていました。
その日も道化師はいつものようにパフォーマンスをします。
その日は陽炎浮かぶ炎天下の中でした。
今日は水芸を披露し、お客さん達は納涼感を味わっています。
雪の日のような失敗はしませんでしたが、やはり一番暑い思いをしているのは道化師のようで、流れる汗は滝のようでした。
それでも道化師は笑っています。
お客さんが楽しそうにしていたからです。
今日も道化師はいつもの場所でパフォーマンスをします。
ですがその日は、お客さんが一人もいませんでした。
暑くもなく、寒くもなく、雨でもなければ、雪でもない。
至って普通な日でした。
それでも道化師はパフォーマンスをやめません。
いつも通り、全力で行います。もちろん、笑顔を絶やすことなく。
次の日も、道化師はパフォーマンスを行います。
その日もお客さんはいませんでした。
その次の日も、次の次の日も、次の次の次の日も、お客さんはいっこうに訪れませんでした。
それでも道化師は手を抜かずに、一生懸命パフォーマンスを行います。もちろん、笑顔は絶やしませんでした。
それからもお客さんは殆ど訪れず、たまに訪れても、暴言を吐かれるばかりでした。
それでも、道化師はいつもの場所で常に笑顔でパフォーマンスを続けました。
ある日、一人の男の子が尋ねました。
「なんでいつも笑顔なの。」
道化師は答えませんでした。
道化師は喋ってはいけないからです。
ですが、パントマイムは得意でした。
道化師はパントマイムを精一杯、男の子に伝わるように演じます。
しかし、男の子には伝わらなかったのでしょう。
「なんで誰も居ないのに頑張るの。
つらくないの。
苦しくはないの。」
男の子は続けて尋ねました。
道化師はやっぱり答えず、パントマイムで伝わるように演じます。
ですが、やはり伝わらなかったのでしょう。
男の子は諦めて帰ってしまいました。
道化師はその日、ひさしぶりに悲しくなりました。
その口元は笑顔のままでした。
それからもお客さんが訪れることはなく、ただ、ただ、時間だけが過ぎていくばかりでした。
そんな中でも、道化師は手を抜かず、笑顔で一生懸命パフォーマンスをしていました。
それは、ある雨の日でした。
道化師はいつもの場所でいつも通り、笑顔でパフォーマンスをしています。
以前のように化粧がドロドロにならないよう、今回は防水仕様の化粧をしていました。
もちろん、お客はいません。
いつもの場所には道化師だけが居ました。
今日はもう帰ろう、そう思った道化師は荷物をまとめて帰ろうとします。
その後ろに、大きな傘をさした女性が立っていました。
「いつまで続けるつもり。」
女性はきつめに訪ねます。
道化師は答えません。
口元もいつもどおり笑顔です。
しかし、目だけはちがいます。
その目はまるで、誰かの帰りを待っているようにも見えました。
「そんなことをしても、あなたじゃあの人の変わりは務まらないわ。
時間の無駄よ。」
子供に叱るように、言い聞かせるように言います。
道化師は、そんなことはない、と、パントマイムで伝えます。
喋ることはしませんでした。
女性はその姿をみて、声を荒げて言いました。
「あの人はもう帰ってこないの。
あなたもわかってるでしよ。
戦争が終わってもう何年も便りがないのよ。」
女性の目からは、涙がながれていました。
道化師はパントマイムを止めます。
その口元は笑顔のままでした。
「お願い、もうやめて。
これ以上あなたが続けても、あなたが傷つくだけなの。
私はそれを見ていられない。
どれだけ続けても、もうあの人は戻らないのよ」
女性はさしていた傘を落とし、その場にくずれおちてしまいました。
その顔は、涙でぐしゃぐしゃでした。
道化師は、女性のそばによると、落ちていた傘を拾って女性を中に入れます。
その口元はやはり笑顔でした。
「わかってくれたのね」
女性はぐしゃぐしゃになった顔に笑顔を浮かべます。
道化師は首をしずかに、横にふりました。
「なんで」
女性は口に手を当てさらに泣いてしまいました。
道化師はその後、女性を自宅まで送りました。
女性は家の扉の前で、入らないの、と道化師に聞きます。
道化師はまあ首を横に振りました。
それを見た女性は、悲しい顔をしながらも、そう、と、言って家に入りました。
道化師は自分の家に向かって、傘もささずに歩きます。
口元は笑顔でした。しかし、雨のせいで、道化師の表情はわかりませんでした。
それからまたしばらくたちました。 道化師は今日もいつもの場所でパフォーマンスをしています。
その日は、とても晴れていました。
噴水の前の広場には人が行き交っています。
今日はお祭りでした。
隣町から遠い町の人まで、多くの人がこの町に訪れていました。
今日はめでたい日です。戦争が終わった日なのですから。
多くの人が、その喜びを分かち合っています。
そんな日だからか、道化師の前にはひさしぶりに多くのお客さんが居ました。
しかし、ひさしぶり過ぎたのでしょう。
道化師は緊張してしまって失敗が目立っていました。
どうしよう、道化師は慌ててしまいます。
やはり自分には無理なのか。
そう思ったとき、フードを深く被ったお客さんが道化師に歩み寄りました。
お客さんは道化師の道具入れの中から、風船を取り出します。
一気に膨らませ、あっという間に風船のお花を作りました。
それを近くで座って見ていた女の子にあげると、今度は剣を作って近くの男の子にあげました。
それからもそのお客さんは次々とパフォーマンスをしていきます。
時におどけてみたり、時に失敗してしまったり、その姿はとても楽しそうで、他のお客さんも大笑いでした。
この人は誰だろう。
みんながそう思ったのか、その場には、ワクワクに満ちた空気が流れています。
それを感じ取ったお客さんは、深めに被ったフードを外しました。
フードの下の顔、それはこの町の人なら誰でも知ってる顔でした。
何故ならその顔は、いつも口元に笑顔を浮かべ、いつも一生懸命パフォーマンスをする道化師と一緒の顔だったからです。
他のお客さんは不思議そうな、しかし、それはそれで楽しかったのでしょう。
笑顔と拍手を送っていました。
道化師はというと、笑顔で笑いながら、その目からは涙が流れていました。
その次の日から噴水の前には二人の道化師がパフォーマンスをするようになりました。
一人はいつも笑顔を浮かべ楽しそうです。
一人もいつも笑顔を浮かべています。
だけど、少しだけ違います。もう一人は目元に涙の模様がありました。
それは見る人によっては、嬉しそうであり、楽しそうであり、悲しそうでもありました。
そんな二人は、今日もいつもの場所でパフォーマンスをしています。
お客さんはいつも大勢、その中には大きな傘をさしていた女性もいました。
絶えない笑い声、なりやまない拍手、たまにある怒鳴り声、それらが全て楽しそうです。
道化師はその日、また笑い、また泣きました。