72話 傲慢な、願い
ボクはミーシャが泣き止むのを待っていたけれど、ミーシャには殆ど何もしなかった。最初の方は大丈夫だと声を掛けていたけれど、それをずっと続けるのはなかなか難しいものだ。
なので、どちらかというとこの位置から近寄ってくる魔物を魔法で倒したり追っ払ったりする方に専念していた。予想外のことではあったけれど遠くの見えない敵を倒す練習になった。
方法は、気配察知で敵を捕捉しそのなかで敵意のある魔物かどうか判断し魔法で倒す、その繰り返しだ。
最近、気配察知はずっとしているのでレベルも上がり制度が上がっていたし、魔法の制御も弱いものなら見なくても簡単にできるようになった。だから、これくらいなら楽々⋯⋯ではないけれど可能だ。
とはいってもそれは弱い魔法に限るから相応の弱い魔物⋯⋯ゴブリンなんかにしか効果がないし、そもそもの話気配察知では木は感知しにくいから気を抜くとそこそこの確率で木に誤爆してしまうんだけどね。
まぁ、落ち着かせるために魔物を見えないように倒す機会なんてそんなにないだろうからいいけど。
ていうか、こんなに長くなるんだったら宿まで戻った方が良かったかもしれない。⋯⋯いや、こんな状況で人の多い町なんかに行かせるのも問題か。
「もう大丈夫かい?」
ミーシャも大分落ち着いてきたようなので声を掛ける。
「⋯⋯」
ミーシャは声こそ出さなかったが、こちらを見上げた。その目は潤み、一つの感情が帯びているように見えた。
『怯え』、まさしくそれだった。
それは、何に対してのものだろうか。先程の男達か、長時間ボクに時間を使わせたことの罰なのか、それとも⋯⋯。
そこから少しして小さな口から綺麗で、けれど儚く壊れそうな音が紡ぎだされる。
「ご主人様⋯⋯ご主人様は、どう⋯⋯して⋯⋯私に罰を⋯⋯与えない⋯⋯のですか⋯⋯?」
彼女は、ゆっくり、ゆっくりながらも確実に紡いでいく。
「私は⋯⋯奴隷です。奴隷⋯⋯は、ご主人様の⋯⋯命令を聞き、失敗すれば⋯⋯罰が与えられます」
一言一言、感情がこもった音で紡いでいく。
「けれど、あなたは⋯⋯罰を⋯⋯与えません。私は⋯⋯とても幸せです。美味しいご飯も⋯⋯眠る時間も⋯⋯本も⋯⋯与えて⋯⋯下さって」
その音は幸せそうで⋯⋯苦しそうだった。
「けれど⋯⋯怖い。あなたは、他の⋯⋯ご主人様⋯⋯とは⋯⋯違います。だから⋯⋯、この後⋯⋯どう⋯⋯されるの⋯⋯か分かり⋯⋯ません」
「罰は⋯⋯与えられ⋯⋯ない⋯⋯けれど、いつ⋯⋯見限られて⋯⋯捨てられるのか⋯⋯分からない。捨てられるのは⋯⋯、罰よりも怖い。けれど⋯⋯幸せも、欲しい」
「奴隷は⋯⋯逃げられません。首輪も⋯⋯取れないけれど、何より私たちには⋯⋯支えがない。逃げても⋯⋯また捕まって奴隷にされるか⋯⋯野垂れ死ぬか⋯⋯殺されるか⋯⋯私みたいな女性なら、盗賊やゴブリンの慰みものにされるのか⋯⋯。身を守る手段のない私たちは、そうなる。それは、捨てられるのも一緒」
「私は⋯⋯、羨ましかった。幸せな人たちが⋯⋯、身を守れる人達が⋯⋯、羨ましかった。私には⋯⋯ないものを⋯⋯たくさん⋯⋯持っている人⋯⋯たちが⋯⋯」
「今の私は、幸せ⋯⋯。奴隷で⋯⋯ある私が、こんな⋯⋯幸せを受けるのは⋯⋯本来身に余る⋯⋯はずなのに⋯⋯私はまだ、羨んで、欲して⋯⋯いる。こんな幸せをずっとずっと⋯⋯」
「だから⋯⋯お願いです。私を⋯⋯捨てないで⋯⋯くだ⋯⋯さい。幸せに⋯⋯なりたい。このままの⋯⋯生活を続け⋯⋯たい。何も⋯⋯何も、私には⋯⋯支払うものは⋯⋯ないけれ⋯⋯どお願い⋯⋯します、お願いします⋯⋯!」
それは、分かっていたはずだけれど。
知っていたはずだけれど。
日本という、恵まれた環境にいた記憶の多いボクには。
どこか、遠くの。
現実味のない。
ものだった。
彼女の望みは、傲慢である。奴隷である彼女にボクは幸せにさせる必要はない。続ける義務もない。対かがれば別だが、ボクは彼女から対価を貰ってはいない。対価もなしに利益を求めるのはおかしい。そして、それは彼女自身も分かっているのだろう。
けれど、それは『傲慢』の一言で済ませられるものだろうか。
日本の子供たちのほとんどは何もしなくても一定以上の生活や幸せを保障されている。なのに、彼らは子供の時も大人になっても、年老いても、権利を求め続ける。けれど、彼らはそれに見合う対価を払っているのだろうか。そもそも、どれくらいの権利を得るためにどれくらいの対価が必要なのか。
それと比べて彼女の願いは、求める権利はどれだけささやかなものだろうか。この世界に住む多くの人間より彼女達、奴隷は権利が保障されていない。幸せになれる可能性が低い。
本当に、彼女の願いは傲慢だろうか。悪いのはこんな理不尽がまかり通るこの世界ではないだろうか。
ボクの復讐の相手もこの理不尽な世界であるべきではなかろうか。
答えは、出ない。ボクにはまだ、分からない。
わかったのは、ボクの行動が彼女に不安を与えていたという事実と、ボクの目論見は成功している⋯⋯その事実だけであった。




