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9 したく

 幾日も続いた吹雪が止んだ、ある日。

 森の中を、一人の女が歩いていた。

大きなお腹を庇うように、一歩、一歩、その場所へと足を進め、ついには辿り着く。

 森を蘇らせた、彼の場所は、祈りの柱がある。

そこで彼女は、シャマンの太鼓を叩いた。

「森の精霊セオンよ」

 音と共に、それに呼びかける。

深く、静かに、彼の者だけに聞こえる声で、彼女はうたう。


 ターン、ターン、ターン。


聞こえているか 森のセオンよ

 気づいているか 森のセオンよ

 我は教えを乞いに来た

 我は道を問いに来た


我が果実は 男のもの

 我が男は 狼のもの

 熟した果実は いずこに落とそう

 熟す果実は 時を待つ


情け深き セオンよ

 慈悲深き セオンよ

 我はここにいる 白鳥のはら 狼の果実

 聞こえているか 森のセオンよ……


ターン、ターン、ターン。


 静寂が、森を包む。

彼女の目の前の柱には、いつの間にかフクロウが止まっていた。

『呼んだか、狼のシャマンよ』

 フクロウはくるくると首を動かした。

「お頼みしたい、ことがあります」

 彼女――エルージュは膝をつき、深く頭を下げた。

「私に、森でお産をすることを、お許しください」

 彼女は頭を上げ、フクロウを見据えた。

「この腹には、狼の子が宿っています。森の庇護の元、私は狼を産みましょう」

 フクロウの目が妖し気に光る。

『ならば、初子を森に寄越すか』

「それはできぬ相談、代わりに胞衣(胎盤)を捧げましょう」

『だめだ、初物は自然に捧げるが基本、胞衣如きでは、代わりにもならん』

「胞衣はシャマンの資格の証、シャマンに必要なもの。我が胞衣は大地を作りし、テングリの力」

『初子を出せ、それが条件だ』

 フクロウはそれだけ言い残し、森の奥へと飛んで行った。

「初子……、供犠……」

 茫然とした顔で、エルージュは天を仰ぎ見る。

針のような樹木の葉に、白い雪が積もっている。

その向こうには、抜けるような青空がある。

 かつて住みし、テングリの彼方が。

 時を忘れて、青空を見る。

その時、腹の中から、衝撃が走った。

どんどんと、子が腹を蹴る力強い動きだ。

その衝撃に、エルージュは我に返った。

「この子を……」

 そのまま、エルージュは、天幕へと戻る。

目に決意の炎を宿しながら。


 その頃、ユーリは森にいた。

久しぶりの晴天の中で、彼の目は青空を見つめる。

 木々の間を、何かが飛んだ。

それ目がけて、彼は炎の矢を放った。

 鋭い鳴き声を立てて、それが落ちてきた。

「カモか」

 息絶えたそれを掴み、ユーリは手早く解体し始めた。

 血を抜き、身と内臓に分ける。

内臓の一部を切り取り、魔法で起こした火にくべる。

 獣人が普段からしている仕草を、彼は何の疑問も抱かずに行っていた。

 獲物の一部は、自然に捧げる。

 次も、獲物が捕れるように。

 次も、獲物が食べられるように。

 この地で暮らすため、それは、必要なことであった。

「砂肝は、石がな……」

 内臓を切り、中身を雪の上に出す。

ころころと小石が落ちる中、そこに小石ではないものが混じっているのに気が付いた。

 灰色の小石の中に、金色の石がある。

鈍く光るそれは、ちょうど手のひらに載るぐらいの大きさだ。

「これは、金か?」

 鳥類は小石を食べ、それを体内に置いて、消化の助けとする。

おそらくこのカモは、砂金を小石と一緒に食べ、それを砂肝に留めておくうちに、砂金同士がくっついて、一つのナゲットにまで成長したものと見られる。

 だが、ここまで巨大なのは、ユーリも初めて見るものだった。

「この大きさ、一財産築けそうだな」

 彼は黄金のナゲットを懐に仕舞うと、解体を続けた。


 同じ頃、ツァガンは森の中を駆けていた。

 もうすぐ産まれてくる、我が子と、妻のため、彼はテンに狙いを絞って、狩りに励んでいた。

「うーん、もう少し、毛皮欲しいな」

 腰にいくつものテンをぶら下げて、雪の森を疾走する。

リズムよく、吐きだされる息は、白く、綿雲のように身体に纏わりつく。

「エルージュ、喜んで、くれるかな」

 樹木を駆け上る、テンを捕まえつつ、彼は呟いた。


 天幕の中で、エルージュは一人、作業をしていた。

フェルトの生地に、一針、一針、丁寧に刺繍をしていく。

 刺繍の文様は、森の動物だった。

狼やトナカイ、鹿にテン、鷲やフクロウの模様を細かく、かつ単純化された図柄で縫っていく。

 一心不乱に、恐ろしいまでの念を込めて、彼女は刺繍をする。

――これは、森の動物のもの。

――これは、供犠となるべきもの。

 過酷な地では、森は贄を必要とする。

 その年、初めて取れた獲物。

 その年、初めて汲んだ水。

たとえそれがどんなに貴重なものであっても、供犠は捧げねばならない、それが掟だからだ。

 これはどんな権力者でも、行わなければいけない、血と肉を森は要求する。

 それ故、人は供犠を行う。

自然の恵みを、途絶えさせないため。

――ならば、せめて立派に送ろう。

――贄となる、それを。

 時間が、刻一刻と迫っていた。


 その日の夜。

「ねえ、ツァガン、尻尾の毛、一つくれる?」

 寝しなのひととき、エルージュは寝床に腰かけ、微笑みながら、そう言った。

「いいよ」

 黄金色の尻尾を手繰り寄せ、彼は尻尾の毛を一本、エルージュに渡した。

「ありがとう」

 渡された毛を大事そうに、何かで包む。

ツァガンはそれが気になって、思わず声をかけた。

「エルージュ、それ、なに?」

「これ?これは、お守り」

「お守り?」

「そうよ、私、もうすぐお産でしょう。その時に、あなたに力を分けて欲しいって願うためのものよ」

 そう言って、彼女は布に包まれた、それを、ツァガンに差し出した。

「ねえ、息を吹きかけて。そうすれば、もっと力が強くなるの」

「うん」

 ふう、と、ツァガンの息が、それにかかる。

それは、一瞬だけ、ほんのりと光ると、また元の状態に戻った。

「これで、安心できるわ、ありがとう」

 エルージュは、お守りを胸に抱き、ツァガンの寝床へと身体を滑り込ませた。

「ツァガン」

「なに?」

「私、森で産むつもり、だから」

 彼は驚いたような顔をし、次いで心配気な表情を見せた。

「どうして」

「あなたに、見せたくないの」

「な……」

 問いかけようとした時、ツァガンの口が、エルージュの唇によって塞がれる。

まるで、それ以上は言うな、とばかりに。

「愛してるわ、ツァガン」

「……うん」

 二人の言葉が絡み合い、息がお互いの身体にかかる。

外では、満月に近い月が、雪化粧をした天幕を照らしている。

 果実の時は満ちようとしていた。

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