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6 ねがい

 草原の緑が、勢いを増す、初夏の季節になった。

 狼の集落から、ほど近くにある湖のほとりで、エルージュは祈りを捧げていた。

――今年も、魚が捕れますように。

――今年も、きれいな水が汲めますように。

 息を吹き返した森のように、その恵みを分けてくださるようにと、彼女は舞い踊った。

 タン、タン、タン。

太鼓の音が、湖面を渡る。

 くるくると、その身が翻り、音と、舞いが組み合わさる。

 そして彼女は、大地に膝をつき、深く頭を下げて、職務の終わりを迎えた。

 頭を下げ続けるエルージュは、何かを待つようにそこから動かなかった。

と、湖の深いところから、生き物が飛び跳ねる音がした。

「聞いてくださった」

 その音を聞いて、彼女の頭が上がった。

「終わった?」

 エルージュの傍らで、儀式を一部始終見ていたツァガンが、声をかけた。

「ええ」

 彼の声に、エルージュはにこりと微笑みかけた。


 森の中には、一人のシャマンが住んでいた。

定住のための天幕を持たず、その日によってねぐらを変える彼は、いつしか神出鬼没と言われるようになっていた。

 そんなある日。

 シャマンこと、ユーリは今日も術の修行に明け暮れていた。

「ふう、そろそろ一休みするか」

 誰に言うとでもなくユーリは呟くと、そのままふわりと樹上に飛び乗った。

頑丈そうなな枝にその身を預け、うつらうつらしかかった時、彼は、何やら下で話し声がするのに気が付いた。

「……うに、この先……」

 耳を澄まし、会話の内容を注意深く聞いてみる。

「間違いない、この森の先にシャマンはいる。どうやら狼の獣人の村らしい」

 樹下には、二人の人影が見えた。

「だが、相手は獣人だ。すんなり行くと、思うか?」

「抵抗するなら攻め落とせ、そしてシャマンだけ奪うぞ」

 姿からするに、声の主は人間だった。それも山の向こうの、西の世界の者だ。

「急げ、皇帝ツァーリ陛下のためだ」

 その一言に、ユーリの身体が強張る。

 皇帝とは、この世界を分かつ、大山脈の向こうに位置する、西の世界の、苛烈を極める国の主であった。

 そして、かつての彼が、道を誤った原因でもある者だ。

 ユーリは、深く、静かに何かを唱え、樹下の二人組に向けてそれを放った。

細い、クモの糸のような魔法が、彼らを取り囲み、その足を惑わせた。

「報告は、後にしよう」

 視線の遥か下では、二人組がぐるぐると歩きまわっていた。


 翌日、獣人の村を、ユーリは訪れていた。

「失礼いたします」

 天幕の扉を開け、挨拶もそこそこに、ユーリは昨日のことを主に告げた。

「西側の人?でも危険ではないのでしょう?」

「いいえ、抵抗するなら攻める、と言っていました」

 主こと、エルージュは、少し困った顔をして見せた。

「あの国の者は、奪い取るしか頭にありません、大事になる前に殺してしまいましょう」

 ユーリの言葉に、エルージュは戸惑いの表情になった。

「殺すのは、ちょっと……」

「殺さなければ、こちらがやられます、私もあの国の者だから分かるのです」

 同じ国の者だと、言い切った。

 ユーリの故郷は、山の向こうの国だった。

シャマンなど、数えるぐらいしか存在しない国で、彼はシャマンに選ばれ、それを生業として生きていた。

 見世物として扱われていたシャマンを、地位あるべきものとして確立させたのは、ユーリの師匠でもある、春の呪術師ヴィスナーシャマンだった。

 しかし、偏見は根強く、彼はそこかしこで、師匠や弟弟子が嘲笑されているのを見て、そして腹立たしく思っていた。

 そんな中、事件は起きた。

 宮殿クレムリンに召し出された、ユーリと師匠を、皇帝ツァーリは、シャマンの力を見せろと迫ったのだ。

 師匠は頑なに、見世物ではないと断ったのだが、家に残してきた弟弟子ヴァシリーを人質にされ、渋々、シャマンの儀式を行うことにした。

 宮殿内の玉座の間に、太鼓が響き、師匠は祈りの舞いを披露した。

ユーリは、師匠がどんな思いで、それを行っているのか、知る由もなかった。

 だが、師匠が心を乱しているのは、その太鼓の音からも、分かっていた。

太鼓の音が乱れている。腹に響く音の合間に、ザリザリと不快な音が混じりだす。

 師匠の踊りに反応したのは、目の前にいる、皇帝。

 ではなく、その背後にいる、ものだった。

 師匠は、それを指差し、こう言った。

 この国を操り、支配しているのは、お前だったのか。

 そう言って、師匠は皇帝に飛びかかった。

その瞬間、師匠の身体を近衛兵の剣が貫いた。

 皇帝は、大声で笑った。

 しかし、惨劇を前にしたユーリの目には、皇帝の顔が二重に見えてもいた。

 貴様、見えているな。

皇帝の口の動きと、声が一致しない。二重の顔が、より鮮明になる。

 ずるり。

と、それが皇帝から離れた。

 こいつにも飽きた。次は、おまえだ。

 意識が、なくなった。


「ユーリさん」

 その声に、彼は、はっと我に返る。

「いえ、何でもありません」

 心配気に見つめるエルージュの顔から、ユーリは目を反らした。

「とにかく、あの国の奴等は、全て殺します」

「どうしても?」

「はい」

 エルージュの目が、悲しそうにユーリを見つめる。

「辛かったら、やめてもいいのよ」

 その言葉に、ユーリは頭を振った。

「私は、決めました。何としても守り通します」

 彼はそう言うと、天幕を後にしようとした。

「ユーリさん」

 外へと通じる扉の前で、ふと、呼び止められた。

「頭巾、取った方が似合っているわね」

「……ありがとうございます」

 主に会釈をすると、ユーリは照れ臭そうに笑って、外に出た。


 天幕の外は、陽射しが眩しかった。

ユーリは目を細めると、エルージュの言葉を心の内で反芻していた。

「……頭巾、取って正解だったな」

 そう呟き、住処の森へと向かおうとした時、彼は狩りを終えたツァガンと鉢合わせしていた。

「あれ、オマエ、頭巾、どうした?」

 ユーリは何も答えず、ツァガンと目も合わせようとしなかった。

「頭巾、ない方が、いいぞ。オマエ」

 意外な言葉に、ユーリは呆気に取られる。

ツァガンはそのまま、天幕へと入り、楽しそうな声で狩りの報告をし始めたようだ。

 賑やかな天幕を背に、ユーリは歩き始めた。


 森の中では、昨日の二人組が未だ彷徨っている最中であった。

 手を伸ばし、魔法でもって、彼らの息の根を止める。

そうして動かなくなった彼らを、炎の魔法で焼き尽くした。

 肉の焦げる匂いが、鼻腔を刺激し、思わず眉間にしわが寄る。

皇帝ツァーリ、か」

 忌々し気に、ユーリは呟いた。

 皇帝の背後にいたものは、皇帝を操り、あの国を支配しているのだと、師匠は言い残して、死んだ。

 そしてそれは、ユーリの身体を奪い取り、世界を破滅に追いやろうとして、聖剣の勇者によって倒された。

 操るものがいなくなった後、皇帝はまともになったのかとヴァシリーに聞いてみた。

 答えは否であった。

 ユーリの起こした混乱に乗じて、皇帝は西側諸国へと侵攻を開始していたのだ。

圧政に次ぐ圧政と、苛烈を極める冷徹な皇帝は、性根自体がこうだったのだ。

 その後、西側諸国は連合を組み、地方の反乱も相まって、ユーリの国を元の領土にまで押し返すことに成功した。

 反乱を起こした者たちは、独立を勝ち取れたらしいが、その後を聞かない。

――おそらく、潰されたのだろう。

 ユーリは、そう思っていた。


 その日の夜。

 天幕の中で、エルージュは、ツァガンの身体のサイズを測っていた。

「また、大きくなっているわね」

 そう言って、彼女は替えの服を仕立て直す。

「近頃、どんどん大きくなるのね。これじゃあ服の直しが追いつかないわ」

「そうかな?オイラ、そう、思わない、けど」

 大きな背中に毛皮を羽織り、ツァガンは天幕内の明かりを目で追いかけた。

 ふわふわと飛ぶ明かりは、エルージュの魔法で作ったものだった。

普段は使わないのだが、急ぎの針仕事の時などに、専ら使用するだけである。

「ねえ、エルージュ」

 気づかれないように、エルージュの背後に回ったツァガンが、彼女の耳元で囁く。

「だめよ、針仕事、しているのだから」

「エルージュも、大きくなってる、ところ、ある」

「あら、そう?」

「ここ」

 むんずと、ツァガンの手が、エルージュの胸を掴んだ。

「ちょっと、危ないから!」

「ご、ごめん」

 思わず手を離して、ツァガンはしょんぼりと顔を伏せた。

怒りつつも、エルージュは針仕事の手を休めない。

「それでね、ツァガン、私お願いがあるの」

 手元の服を見つめながら、エルージュが口を開く。

「明日から、しばらく森に行かないでほしいの」

「なんで?」

「ユーリさんの、ご用があるのよ」

 エルージュがそう言うということは、シャマンがらみの用なのだろう。

ツァガンはそれ以上追及しなかった。


 それから何日かが経った。

 ツァガンとエルージュは、湖畔にて、魚釣りをしていた。

持参した魚籠に、魚が一杯入り、そろそろ帰ろうかとした頃、ツァガンがある提案を持ちかけた。

「エルージュ、オイラ、空飛んでみたい」

 その言葉に、エルージュは驚いた。

空を飛ぶ魔法など、ないからである。

「そんな魔法、ないわ」

「魔法じゃなくて、いい」

 ツァガンは、エルージュの翼を指差した。

「エルージュ、飛べるでしょ?」

「うーん、でも、いけるかしら……」

「やってみようよ、やらなきゃわかんないし」

「期待しないでね」

 微笑むエルージュの身体を、ツァガンはしっかりと抱きしめた。

彼が掴まったのを確認したエルージュは、背中の翼を大きく羽ばたかせる。

 ふわり、と足が宙に浮いた。

「わ、足が」

「しっかり掴まっていて」

 翼が、さらに強く羽ばたく。

ゆっくりとだが、二人の身体が浮かび始めた。

「やだ、ツァガンの身体、重いじゃないの」

「そんなこと、言われても……。エルージュ、頑張って」

「んもう!」

 エルージュが、半ば怒り気味に羽ばたくと、二人はあっという間に上空高く、その身を浮かべていた。

「わあ、すごい!エルージュには、こう見えていたんだ!」

 きょろきょろと辺りを見回し、ツァガンは大喜びの顔を見せた。

「ちょっと、動かないで、危ないから」

 動き回るツァガンを、エルージュは諫めた。

と、その時、森から火柱が上がるのを、二人は目撃した。

「なに、あれ」

「ユーリさん、かしら」

 呆気に取られていると、続いて、爆発音が響き渡る。

森のそこかしこで、鳥たちが逃げ惑っていた。

「アイツ、何やってんだ?」

 ツァガンの言葉に、エルージュは何も答えなかった。

「エルージュ、下に、降ろして」

「え、ええ」

 二人は地上に降りると、何があったのか話し始めた。

「アイツ、森で何してる?エルージュ、森に行くな、言うし」

「それは……」

 エルージュは、言いづらそうに目を伏せた。

そんな彼女を、ツァガンはさらに問い詰める。

「森、生き返ったばかり。また、燃やされたら、オイラたち、困るよ」

「あの、ね」

 エルージュは、静かに語った。

あの森で、ユーリが一人、山向こうの国の者と戦っていること。

彼の意志は強く、全て殺す、と決めていたことを、淡々と話した。

「でも、オイラ、心配、見てくる」

「だめよ、ツァガンまで巻き込まれるわ」

「ちょっとぐらい、平気、だから」

「では、せめてツァガンにお守りを」

 そう言うと、エルージュはツァガンに口づけをした。

「エ、エルージュ」

「災いをはね返すお守り、あなたにしかできないお守りよ」

「ありがとう、行ってくる」

 森に向かって走りだすツァガンを、エルージュはただ、見送っていた。

 次第に小さくなる彼の姿に、彼女はもう一度、背中の翼を羽ばたかせる。

「……重くなったのは、私?」

 頬に手をあて、エルージュは焦りの表情をしていた。


 森の中で、炎がユーリの周囲を巡る。

「そんなものを、持ち出してくるとは……」

 肩で大きく息をし、彼は再度炎の魔法を奴らに放つ。

そこへ、小さな陶器が投げ込まれ、陶器は炎に反応して炸裂した。

「おい、どんどん持ってこい!東方の呪術師ヴォストーチヌイシャマンを仕留める好機だぞ!」

「くそ、相性が悪い……」

 陶器の破片を全身に浴びたユーリの身体を、鮮血が流れ落ちる。

流れた血は、目を塞ぎ、彼の視界と判断能力をジワジワと奪っていく。

 霞む目に、四方から何かが投げ込まれるのを見た。

 まばゆい閃光と、白煙が巻き上がった。

ユーリは覚悟をし、目を閉じ、膝をついた。

 だがその時、ユーリの脇を、何かが駆け抜ける。

絡みつく白煙をものともせず、それは瞬く間にその向こうの奴らを打ちのめしていた。

「やい、おまえら!この森から、出て行け!」

 森の中から風が吹き抜け、白煙が消えゆく中、一人の獣人が戦うのが見えた。

「あいつ……」

 飛び交う矢や、爆発を意に介さず、獣人は次々と奴らを倒していた。

よく見ると、爆発の破片は、全て相手に跳ね返っているようだった。

「うわ、退け、退けーっ!」

 誰かが合図を送ると、奴らは一斉に引き揚げる。

 森には、香ばしい煙の臭いが残されていた。

「オマエ、大丈夫か?」

 ユーリを助けたのは、ツァガンであった。

「エルージュのところ、戻ろう、ほら」

 彼はユーリに手を差し伸べると、一緒に戻ろうと促す。

「いらん、一人で歩ける」

 ツァガンの手から、目を背け、ユーリは立ち上がろうとして、思わずよろけていた。

「無理、するな」

「……すまない」

 ツァガンに肩を貸してもらい、ユーリは歩きだす。

歩く道すがら、彼は先ほどの事を聞いてみた。

「お前、アレを跳ね返していたな」

「うん、エルージュが、オイラにかけてくれた、お守りの力。オイラにしかできない、言ってた」

「……愛されているな」

「当たり前だ」

 二人は森の外へと向かって、歩き続けた。


 天幕の中で、エルージュは二人を出迎えていた。

「エルージュ、コイツ、手当てしてくれ」

 ツァガンは、血まみれのユーリをエルージュに任せ、外へと水を汲みに行った。

「エルージュ様、すみません。全て始末することは、できませんでした」

「無理はしなくていいのです、まずはあなたのケガを治さないと」

 血で汚れた衣服を取り去り、エルージュの手が、優しくユーリの傷を癒す。

肉に食いこむ破片が次々と体外へ押し出され、弾けた皮膚がみるみるうちに融合していく。

 あっという間に傷はなくなり、彼の身体は元通りになった。

「一体、何があったのですか?あなたほどの者がこうなるなんて」

「火薬です」

 それは、西側のものが持ち、東のものが持たないものだった。

火薬は、魔法に取って代わる、新しい技術でもあった。

 これによって、人々の技術はさらに発展し、戦いの様相も変貌しうる可能性をも秘めていた。

「あれは、私の魔法では防げません、もっと修行を積まなければ……」

 ユーリの言葉を、エルージュは黙って聞いていた。

「エルージュ、水、汲んできた」

 ツァガンの持つ水で衣服を洗い、かまどの火でそれらを浄めると、三人は車座になって話し合った。

「あいつら、また来る。どうする、エルージュ」

「どうしましょう、なぜ、シャマンが必要なのか、聞いてみましょうか」

「それはだめだ、奴らは小狡こずるい、エルージュ様は姿を見せない方がいい」

 ユーリの言葉に、エルージュは困った顔をして見せた。

「でも、彼らはシャマンの力が必要なのでしょう?」

「だが、私はそう言われて酷い目にあった。話など聞く必要はありません」

 その時、ツァガンが意を決したように話しだす。

「じゃあ、オイラが聞くよ」

 ツァガンの目は、力強く前を見据えていた。

「オイラが、話聞く、それでだめなら、あいつら倒す」


 それから数日後。

 ユーリを助けたその場所に、ツァガンは一人で、仁王立ちしていた。

その彼を見守るように、樹上にはエルージュが、彼をいつでも援護できるように、倒木の影にはユーリが、その身を隠していた。

 しばらくすると、遠くから、複数の足音が木立に響いて三人の耳に聞こえてきた。

 ツァガンは耳を動かし、足音のみで人数を把握し、万が一に備えて警戒した。

「あっ、お前この間の」

 姿を現した西側の者は、武装した恰好でツァガンと相対した。

「おまえら、どこへ行く」

 彼ら一人一人を見定め、ツァガンは声を発した。

「狼の村に用があるなら、オイラに話を通せ」

 あまりの気迫に押されたのか、西側の者の隊長格らしき人物が、前に進み出てきた。

彼は戦う意志がないことを示すように、兜を取り、ツァガンに礼をしてみせた。

「お前は、獣人の村の関係者と見える。ならば、ぜひとも伝えてもらいたいことがある」

 この者からは、血の臭いはすれど、火薬の臭いはほとんどしない。

おそらく、本当に交渉のためだけに、ここまでやって来たのだろうと、ツァガンは少しだけ、警戒を緩めた。

「我らは、獣人の村にいるという、シャマンを求めている」

 そして彼は語りはじめた。

 シャマンを必要とするのは、皇帝陛下の御為なのだと。

陛下は病に倒れ、国内の聖職者を集めて、祈祷を上げ続けている。

だが、病は一向に良くならず、むしろ、死へと進んでいるようだった。

苛烈な皇帝でも、皇帝は皇帝である。病が治せるならば、なんとしても治してもらいたい。

あの国を、ここまでの強国にした皇帝を、今、失う訳にはいかないのだと、彼は涙ながらに語った。

『話は聞かせてもらいました』

 突如、森の中に、エルージュの澄んだ声が響き渡る。

『私は、狼のシャマン。ですが、あの村を離れる訳にはいかないのです』

「そうだ、おまえらが用あるなら、そっちがこの村に、来い」

 ツァガンは、彼女の声に同調するように脅しをかけた。

「陛下は、もう表に出せる状態ではない、国内に残ったシャマンは一人だけだ。頼む、願いを聞いてくれ」

 その言葉に、ツァガンの顔が険しくなる。

あの国にいるシャマンとは、おそらく共に戦った仲間の、ヴァシリーを指すものと思われた。

 彼らはそのヴァシリーを召しあげて、苛烈な皇帝のために祈らせようとしているのだ。

 そして、治った暁には、口封じのために殺すのだろう。

 それは避けねばならない事態だった。

『では、私の代わりに、彼を遣わしましょう』

 エルージュの声に導かれて、ユーリがその身を現した。

「お、お前、キタイ・ゴロドの……」

 西側の者たちがざわつく。

『この者に、私の力を託します。あなたたちは過去を水に流して、この者を受け入れなさい』

「だが、こいつは、国に、陛下に危害を加えた者、許すわけには……」

『それでは、この話はなかったことにします』

 ツァガンとユーリが彼らに背を向けた時、隊長格らしき者が、膝をついた。

「待ってくれ、受ける。ソイツを受け入れるから、助けてくれ!」

『では、交渉成立ですね』

 二人が振り向くと、その背後に何かの気配が立ち込めた。

「ユーリさん、よく聞いて」

 気配の主は、エルージュだった。

彼は微動だにせず、彼女の声を聞いていた。

「あなたの持つ羽根は、私の力に繋がっています。私は羽根を通じて病を治しますので、用が済んだら、すぐ帰ってきなさい」

 ユーリの胸には、一枚の羽根飾りがぶら下がっている。

 あの後も回収しないということは、エルージュはユーリを信頼している証なのだろう。

とツァガンは思っていた。

「もし、身の危険を感じたら、その羽根に念じなさい。すぐに私のところまで移動できますから」

 エルージュの声に、ユーリは不思議そうな目で、羽根を見つめていた。

「おい、オマエ」

 そんな彼を、ツァガンが声をかけた。

「皇帝とやらを治したら、もうこっちの世界に関わるな、と約束してこい」

 その言葉に、ユーリは黙って頷いていた。

「では、行って参ります」

 そう言い残し、ユーリは彼らと共に旅立っていった。

残されたツァガンとエルージュは、彼らの姿が見えなくなるまで、静かに見送っていた。

 ふと、ツァガンが口を開く。

「エルージュ、村を離れられないって、ウソ、だよね?」

「ええ、嘘よ。どうしてそう思うの?」

 ツァガンは、傍らに佇むエルージュを見た。

「だって、いつものエルージュなら、優しいから、自分で行こうとする」

「ちょっとね、長旅はしたくないなって思ったの」

 そう言って、エルージュはそっと腹を撫でた。

「エルージュ?」

 彼女の謎の仕草に、ツァガンは思わず疑問の声を上げた。

「分からないけど、ちょっと気になるの。ほんのちょっと……ね」

 寄り添うエルージュの肩を抱き、ツァガンは心配そうに彼女を見やった。


 さらに何日かが過ぎた、ある日。

 外で洗濯物を干しているエルージュの前に、ユーリが突然姿を現した。

「おかえりなさい、ユーリさん」

 ユーリは黙って膝をつき、彼女に頭を垂れた。

「ただいま、戻りました」

「首尾は、どうでしたか?」

「はい、皇帝の病は治り、例の約束も上手く取りつけました」

「そう、よくやってくれました」

 風に吹かれて、ユーリの髪飾りがゆらゆらと揺れた。

「久しぶりの故郷はどうでしたか?」

 その問いに、ユーリは力のない声で答えた。

「やはり、私の居場所は、ここにしかないと悟りました」

「……お疲れさまでした、ゆっくり休んでちょうだい」

「はい」

 ユーリは、顔を伏せたまま、森へと戻って行く。

 その後ろ姿を、エルージュは悲し気な目で見つめていた。

「ツァガンたちは、こんなに素直なのに、西の人間は身勝手ね」

 そう、エルージュはため息をつく。

 彼女の腹には、新しき命が芽生えつつあった。

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