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3  魔法使いの秘密


 秋は深まり、肌を刺す風が時折吹くようになった頃。

 その日、わたしはいつも通り図書館の片隅でパソコンを出した。

 三階の端の、本棚の隙間からほんの少し陽光が差し込む場所。四人掛けの机が数個置かれたスペースの、一番窓際のところ。

 わたしの密かなお気に入りの場所。

 家は落ち着かないし、喫茶店でというのもたまにはいいけれど、やっぱり本に囲まれているとそれだけで幸せだ。

 パソコンを立ち上げつつ、どこにもつなげていないイヤホンを左耳にだけはめる。音楽は流さないけど、自分の中の音が聞こえやすくなる気がするから。

 それから、キャラメルを口に放り込む。甘いものは元気の源だ。

 よーし、と肩と首を回したところで、わたしは声を掛けられた。

「やっぱり、宮原さんが朝比奈(あさひな)姫凪(ひな)なんだね」

「篠、宮、くん…」

 わたしは彼を見て言葉を失った。

 篠宮くんはわたしの隣の椅子の背に腰かけている。

「まさか、そんなわけないでしょ」

 大丈夫、声は震えていない。早鐘を撃つ心臓に気づかれないよう、小さく小さく息を吸って吐く。

「じゃあ何してたの?」

 射抜くような視線に、嘘はつけない、と思った。

「小説書こうとしてたの」

 高い位置にある篠宮くんの顔を見上げて。

「新人賞に応募しようと思って」

「嘘だ」

 わたしはひくっとした。

 ――何で、

「――何でバレたと思う?」

 篠宮くんは、冷たい視線を崩していたずらっ子のような表情になった。

「この前雑誌のインタビュー受けたの覚えてない?」

「……」

「小説を書くときは、学校の図書室が落ち着くって朝比奈姫凪が言ってたんだよね」

「……」

「片耳だけイヤホンして、キャラメル食べるってさ」

「…わたしが、朝比奈姫凪の真似をしてるとは、考えないの?」

 篠宮くんは、あまりにも確信を持ちすぎている気がする。

「まぁ勘だけどね」

 わたしは息を呑みこんだ。

 この人になら言ってもいいかなと何の理由も無しに思った。今知っているのは、家族と親友の美玲だけ。活動に支障が出るから、あんまり関わりのない人には言いたくなかったんだけど。

 わたしはふふっと笑った。

「バレちゃったね」

「やっぱり」

 篠宮くんは息をついた。

「可能性は70%だったんだよね」

 カマをかけられていたらしい。

「いつからわたしが朝比奈姫凪だって気づいてた?」

 うーん、と彼はわざとらしく首を傾げてみせた。

「疑ったのは、最初に喋ったときかな」

「ぐっ」

 わたしに嘘はつけないと言うことか。

「ちょっと挙動不審だったし。すごい目が泳いでた」

 なかなか可愛かったけどね、とつぶやいた声はわたしには聞こえていなかった。

「でも、普通の人はわかんないと思うよ」

「篠宮くんは普通の人じゃないわけ?」

「そうだねぇ」

 篠宮くんは身を乗り出した。わたしは仰け反る。

 彼は、とっておきの秘密を教えるようにひっそりと言った。

「宮原さんが朝比奈姫凪だったらいいな、って思ってた…それがほかの人と違ったのかな」

「…」

「初めて見たときに、似てる、って思ったんだ」

「似てる?」

 わたしは首を傾げる。話が読めない。

 そ、と篠宮くんは首肯した。

「数少ないメディアの露出で何となくできてた、俺の中の朝比奈姫凪にすごい被ったんだ」

 篠宮くんは挙げる。

 わたしがブログや雑誌、あとがきなどて述べたことを。

 顔は出したことないのに、彼はわたしと朝比奈姫凪が同一であるという可能性を疑った。

 わたしは息を吐き出した。

「お手上げ。やっぱりばらしたの失敗じゃなかったよ」

 やったね、と篠宮くんは笑みを浮かべた。


「今書いてるのは、新作?」

「うん」

「ジャンルは?」

 朝比奈姫凪は、特定のジャンルの本だけを書かない。高校生が主人公の、恋愛、ミステリー、ファンタジー、なんでもござれ。

「それは秘密」

 わたしは唇に人差し指を当てた。

「一介の読者にそんなネタバレはしないから。どっかに流されても困るし」

「それもそうだね」

 篠宮くんはあっさり引き下がった。わたしがそう言うのは予想していたに違いない。

「でも俺、朝比奈姫凪の正体はばらさないからね」

 割と真剣な声音で言う。

「わかってるよ」

 パソコンの画面を睨んだまま、わたしは返事をする。

「信用してるから言ったんじゃない。信用してなかったら、意地でも違うって言い続けた」

 言いながら、不思議な気持ちになる。いつからわたしは、こいつに気を許しているんだ。

「良かった」

 今篠宮くんは満面の笑みを浮かべているだろう。わたしは画面から目を逸らさない。その笑みを見てしまったら、何だか負けてしまうような気がした。



「俺、恋愛小説ってあんまり好きじゃないんだ」

 あれから、わたしが朝比奈姫凪である事実を隠す理由も無くなったわたしは、篠宮くんの目の前でパソコンを出していた。場所は、わたしだけの秘密の席だったはずの所。篠宮くんはひょっこり顔を出しては、「やっぱりここかぁ」なんて言いながらわたしの領域を侵してくる。「そういえばいままで、今日宮原さんに会わなかったなぁってときは、ここに隠れてたんだね」と、わたしの細かい秘密を知って喜んでいる。場所を変えないわたしもわたしだけど。

「何で恋愛小説好きじゃないの?」

 わたしはキーボードに指を滑らせる。篠宮くんは画面を覗き込んできたりしないから安心だ。

「だって、ただひたすら甘いだけでさ、なんか有りきたりな感じがしちゃうんだよね」

 そう言う彼の手元には、ヘミングウェイの『老人と海』。

 恋愛小説も書く身として、わたしは少し切なくなる。

「でも朝比奈姫凪の恋愛は違うかなぁって、思ってるんだ」

 キーボードを叩いていた指が止まった。

「設定は有りきたりなのに、読んでいるうちにどんどん普通じゃなくなっていくんだ。世界のここにしか、この恋はないんだろうなって思う。すごい特別感と非日常な雰囲気が。ただのラブストーリーじゃないよね。上辺で感動とかじゃなくて、身体の奥まで刺さってくる」

 篠宮くんは饒舌だった。わたしは、彼に視線を向ける。体全体が心臓になったみたいに、どくんどくんと動く。

「それに、すっごく綺麗じゃん。だから、好き」

 その言葉は、わたしの深い所を刺激した。


<んーなんていうか、世界が綺麗すぎるっていうか>

 誠也はいつだったか、そう言った。篠宮くんと同じ捉え方をしたのに、違う感じ方をしていた。

 何気ない一言は、わたしの胸を小さく深く抉った。

 わたしが小説家になりたかったのは、わたしがわたしではなくなりたかったから。

 本の世界に浸かっているときだけ、わたしは宮原陽那ではなくなり、別の何かになっていた。

 わたしにとって小説は、一種の魔法だった。

 わたしは魔法使いになって、誰かにわたしと同じ気持ちを感じてほしかった。

 もしも学校や職場で居心地が悪くても。好きな人が振り向いてくれなくても。代わり映えのしない日常に飽き飽きしていたとしても。

 わたしの書いた小説を読んで、ほんのひとときでも現実から離れ、架空の世界で非日常を楽しんでほしかった。

 幸せになれたり、スリリングな展開にドキドキしたり、切ない気持ちになったり。

 だけどやっぱり、読後感は爽やかに。

 それに小説の中で世界は、どんなに泥臭くても血生臭くても綺麗であってほしい。現実にもこんな綺麗な面があるかもしれないんだよと、一握りの希望をくれるような。

『朝比奈姫凪の小説は、私たち読者を非日常に連れていってくれる。それは、舞台が現代日本だったとしても、主人公が最初から最後まで普通の高校生だったとしてもだ。』

『こんなにドロドロした世界を描いているのに、この世界は綺麗だ。血まみれ泥まみれの頬を滑る一筋の涙が、こんなにも美しい。』

 作家の大先輩である先生が、わたしの本の解説でこう書いて下さった。

 それは、わたしが目指していたものだった。

 わたしは、魔法使いになれる。


「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい」

 意図せず、そんな言葉が口から零れ出た。

 心の底からの思いだった。わたしをこんなにも真っ直ぐに評価してくれて、すごく嬉しい。

 思わず口角が上がる。

 批判されても、こうやってわたしの創る物語を好きだと言ってくれる人がいるから、わたしは魔法使いでいられる。

 篠宮くんは、わたしの顔を穴が開くほどじいっと見つめた後、

「宮原さん、なんか素直なんだけど。それはそれで可愛いけど、どうしちゃったの?」

 と失礼なことをほざいた。いつもの篠宮くんだったけど、わたしは今日、ちょっと寛大だった。

「馬鹿言わないで。わたしはいつも、可愛いでしょ?」

 小悪魔的に笑う。篠宮くんはぽかんとしたあと、盛大に笑い始めた。

「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないっ」

「いや、だって」

 口元を手で押さえているが、目が細くなっている。

「に、似合いすぎて。昼ドラの悪役みたいだった!」

 わたしは唇を尖らせる。

 ひーひー言いながら、篠宮くんはしばらく笑い続けた。


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