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2.5  有希

「誠也くん」

 日直として、2人教室に残っていたときのことだった。

 日誌を書いていた有希が呼びかけると、黒板を消していた誠也は「ん?」と振り返った。

 その顔を斜めに夕陽が照らしていて、有希はそれを綺麗だなぁと思う。

「ねぇ、陽那のこと好き?」

「…なんでそんなこと聞くんだ?当たり前だろ」

 そう言って誠也は苦笑する。

 この返答は予想通りだった。

 だけど、次の問いで動揺することも予想していた。

「でも誠也くん、ちょっと不満なんでしょ?」

 誠也はぶるりと震えた。予想では目が揺らぐぐらいだったので、思った以上の揺さぶりをかけることができたみたいだ。

「何言ってんの?」

 必死で平静を装う様子が微笑ましい。

「だってそうでしょ、もう3年も付き合ってるのに、キスどころか手もろくに繋ごうとしないんだもん」

 彼が友人に愚痴っているところを偶然耳にした。陽那、全然俺に触れようとしてこない。恋人っていうより、友達の延長線上にいるみたいなんだ。俺はほんとは、もうちょっと…。

 陽那が、今ののんびりした空気を気に入っているのも知っていた。誠也の何がいいか?うーんとね、一緒にいると落ち着くんだよ、ふふ。

「西田、お前、言っていいことと悪いことがあるだろ」

 誠也の声には少し憤りが混ざっていた。

 ふん、と有希は鼻を鳴らす。あたしの気持ちも知らないで。

 でも知っているわけもない。ずっと、巧妙に隠してきたんだから。

 陽那と誠也くんが付き合い始めたときの鈍い痛みを、あたしはまだ覚えてる。

「あぁ、ごめんね。軽い気持ちで言っちゃっただけだから」

 有希はわざと煽るように言う。こんなことをして誠也に振り向いてもらえるとは思っていなかった。だけど、もう――見てられなかった。

 陽那を心の底から好きだった誠也のことは好きだった。でも、陽那に不満があると知った時からそれは薄れていった。

 有希と陽那は、親友とは呼べないにしてもそれなりに仲が良く、有希は陽那のことが大好きだった。

 誠也の心が揺らいでいることに気づきもせず、純粋に誠也を好いていた陽那が。

 だから、もう――そんな陽那を見ていられなかった。

 日直が被る日。アクションを起こそうと決めていた。

 それで、自分の立場が悪くなるとしても。

「お前…なぁっ」

 黒板消しを置いて誠也が近づいてきた。がたりと音を立てて、有希は立ち上がる。

「陽那のこと、馬鹿にすんな」

 誠也の顔が有希の30㎝前くらいのところにあった。

「勝手に推測して、俺たちのことあれこれ言うんじゃねーよ」

 この期に及んで、有希の心がずきんと痛む。お似合いだった、ふたりが。

 ――いいや、あたしが壊してあげる。

 声を荒げることはしなくても最大限の怒気を放ってくる誠也のネクタイを、掴んで引き寄せた。バランスを崩した誠也が倒れかかってくる。有希は身を引きつつ、その顔の――唇の落下点を見ていた。


「――っ」



 次の日からの学校の様子は、おおむね思った通りだった。

 有希に話しかけてくるのは、特別仲の良い女子数人。遠巻きにちらちらと見てくる人が多かった。

 だけど、予定外にも現場・・を見てしまった陽那の様子に変わりが見られなくて、有希は動揺した。

 瀬川美玲からメッセージを受け取ったのは、それから一週間が経った日のことだった。



 どんな罵詈雑言を浴びるかと覚悟して、待ち合わせ場所の空き教室に行ったのに、開口一番、美玲は実に淡々と有希に問い掛けた。

「有希、誠也くんのこと好きだったの?」

 有希は少しも動揺せず、「かつてはね」と素っ気なく答える。

「じゃあなんでああいうことしたわけ?」

 行儀悪く教卓の上で脚を組み、美玲は有希を見据える。

「なんとなくわかんない?勢いだって。あたしも誠也くんもなんか変だったの。あれから何の音沙汰もないよ」

 息継ぎもせず言い切って美玲を見やると、長い脚を見せつけつつ美玲ははて、と首を傾げた。

「誠也くんはそんな軽い男じゃないと思うんだけど」

 何言ってるんだ。目移り…というか、陽那から目を逸らしかけていたのに。――あんな奴。

「陽那が馬鹿だから…というより、わたしはちょっと人の心の機微に敏感なのよ。だから、」

 すっと有希の背筋が冷たくなった。何を言われるか、想像がついた。――ついてしまった。

「やめ、」

「あんたが誠也くんをずっと追いかけてたこともわたしは知ってたわ」

「っ!」

思わず後ずさり、足が乱雑に配置されている机に当たって痛む。それでも、有希は美玲から離れたくて仕方がなかった。

「嘘言わないでっ」

「嘘じゃないでしょ?」

 美玲の双眸は変わらず怜悧な光を宿していた。

「陽那から誠也くんを奪い取りたかったんでしょ?」

 有希は美玲から目を離せない。

 ふわりと美玲が教卓から降りる。

「一言でいいから、謝って。…陽那に、誠也くんに」

 美玲の上履きと床が擦れる音が耳の奥で響く。

 体の表面は冷たいのに、内部が熱く燃えたぎっていた。

 ――あたしは。

 まだ、誠也が好きだったのか。

 誠也に愛されている陽那に、嫉妬していたのか。

 誠也は本当に、陽那から目を離しかけていた?

 何が何だかわからなくなっていた。

 ただひとつ、分かっていたのは、有希自身が間違っていたということだった。



「ん?」

 わたしは受信したメールの送り主を見て首を傾げる。

 本文はたった一言。

『ごめんね、陽那』



 声を荒げることはしなくても最大限の怒気を放ってくる誠也のネクタイを、掴んで引き寄せた。バランスを崩した誠也が倒れかかってくる。有希は身を引きつつ、その顔の――唇の落下点を見ていた。

「――っ」

 唇が押し付けられていた。

 幸せだった。 

 その数秒後、突然温もりが唇から離れた。

 何か言おうと開いた口から、言葉は出てこない。

 一目散に陽那を追いかける誠也の姿を見て、有希はもう悟っていた。

 ――あたしじゃ、ダメなんだ。

 ――いや、でも。

 自分を正当化しようとして、少しでも惨めにならないようにして、結局全部美玲に砕かれた。

 あのあと、息を切らして戻ってきた誠也は怒りも露わに有希を怒鳴った。

「お前のせいだっっ!!」

 こんなにも激昂している誠也を見るのは初めてだった。

 怒鳴られたことに呆然としつつも、有希は小さな声で呟いた。


「――ごめん」


 全部壊したいと願ったのは自分だったのに。



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