Whitebrave&Blacksmith
振り下ろした金槌は、煌々と赤く燃える鋼の塊を響かせる。
断続的な甲高い音と同じリズムで、炉の中の炎は揺らめき、店内に所狭しと並べられた武具は凄味を帯びて照らされる。指先から、全身へ。赤く熱された鉄塊が、より真っすぐに、より鋭く、より洗練された形へと整えられていくのが、快感にも似た感覚として脳髄まで届いていた。
鍛治は良い。
剣は、良い。
炎と鋼との対話。そこに言葉は、ない。ただ私は金槌を振り、炎は絶妙に温度と色を変えてその意思を伝え、鋼はやがて意味を持った形をなしていく。
私はただの代弁者。
炎と鉄の、見えない心を、不確かな言葉を。
汗を流し、目を凝らし、耳を傾けるだけ。
私が作りたいのは、伝えたいのは、つまりは、そういうものなのだ。
そうして形作られた剣は、何よりも、私の魂を具現化してくれる。
「ふう……よし。一仕事終わり、っと」
ようやく、満足のいく形になった。
まだ熱い鋼の塊、細身の刺突剣の形のそれを眺めながら、一つ頷く。うん、なかなか。口元には思わず、笑みが浮かんだ。
それを、傍らの水瓶に貯めておいた純水に入れた、ちょうどその時——
「鍛冶屋さん、こんにちは!」
明るく、柔らかく、爽やかで、あたたかみのある、耳に心地よい声が店内に響いた。
「あ、お仕事中でしたか? 邪魔だったかな……すみません。でも、お仕事してる鍛冶屋さん、とても格好いいですね。ふふっ、良いものが見れました」
振り返ると、鍛治場の入り口にいたのは、明るく、柔らかく、爽やかで、あたたかみのある、眩しい笑顔を浮かべた金髪碧眼の美青年が——
「……何か用ですか、勇者様」
魔族の陰謀を止めようと、世界に平和をもたらすために旅をしている“光の勇者”が、立っていた。
私は王都の鍛冶屋“黒鉄の緋剣”の店主であり、刀工である。この世界が何かの物語であったならば、いわば“鍛冶屋B”であり、完全なエキストラだろう。平々凡々な、有象無象。
しかし、少なくとも自分の周りはごくごく平和で、人生と魂とありったけの情熱を注げられる“鍛冶”という存在に出会えることができて、私はこのありきたりな日々に満足と幸福を見出していたのだった。
——勇者に、出会うまでは。
今、光の女神の加護を受けた大陸は、魔族により闇の力に侵食されかけている。
膨大な魔力と、人智を超えた超能力を持ち合わせた魔族に対し、人間はあまりにも無力だった。
しかし、大陸が絶望に包まれようとしていた、その時——
救世主が現れたのだ。
それは、幼い頃に女神の神託を受けた、光の魔素を持った青年であり、その稀有な力をもって、少数精鋭の魔族討伐部隊の統率者を任じられた。
そんな彼を、人類の希望の象徴を、人々は敬愛を込めてこう呼んだのだ——
——光の勇者、と。
そしてその勇者がここ——鍛冶屋“黒鉄の緋剣”を訪れるのは数回目になる。ちょっとしたお得意さんだ。大変名誉で、迷惑極まりないことにも。
鍛冶場の入り口付近に立つ勇者を目に止め、思わず顔をしかめそうになるのをぐっと堪える。
「……勇者様、いかがしました? 失礼ながら、ここは剣を打つための、職人のみ出入りの許された神聖な場。当店の剣をお求めであるなら店舗の方にどうぞ」
取って付けたような敬語と、貼り付けたような笑顔でそう言う。“黒鉄の緋剣”は、店舗スペースと鍛治場とが、少しの段差で区切られているだけで空間的には切り離されていない。それでも鍛治場は、鍛治場。勇者だろうと、職人でもない素人に足を踏み入れて欲しくない——
というのは、職人ぶって格好つけただけの言い訳である。実際のところを言ってしまえば、ただ単純に勇者に接近されるのを、それらしい理由を付けて拒んだだけ。
なぜって?
真意がわからないからだ。
不気味なのだ。
だって私は“鍛冶屋B”であり“エキストラ”である。たったそれだけの存在なのに。そんな私と、まるで物語の主人公のような“勇者”とが並ぶのは、気味が悪いほど不自然過ぎた。
それなのに、勇者は、主人公は、何度も店を訪れてくる。旅の先々の町にも武器屋はある筈で、この王都の鍛冶屋を何度も利用する必要なんて無い筈なのに。それだというのに勇者は、旅の合間に時おり王都にやって来ては、“黒鉄さん緋剣”で武具を買って行く(まぁこの店に来るためだけに王都を訪れているわけではないだろうが)。
もちろん、私の作った武器は、どんな強力な攻撃を弾いても砕けず、どんな強靭な鎧であっても突き破ることができると自負している。だから、私の武器を求められるのは、素直に嬉しいこと、なんだけれど。
正直言って、私は勇者が苦手だった。
あまりにも完璧な笑み。完璧な人柄。完璧な容姿。
物語の主人公であれば当たり前の要素かもしれない。
しかしこうして、実物の彼と対峙してみると……。
それはあまりにも、作り物めいていて。
何はともあれ、いくら世界を救ってくれる勇者様とはいえ、できることなら親しくなりたくなどなかった。
その日も彼は、当たり前だけれど、私の武器を求めに訪れた。強力な威力の発揮できる、重量のある剣が欲しいのだとか。
「あの、ですから、買い物であれば店舗の方に……」
「えっと、でも……いつもの店番くんがいないみたいなんだけど」
「えっ?」
そこで、はたと店舗スペースの方に視線をやる。いつもカウンターの中にいる筈の、店番を任せている少年は、姿を消していた。
「……そういえば、今日は午後から材料の調達に行ってくるとか、言っていたような……?」
しまった。午前中から鍛治作業に没頭していたから、出かけたのに気が付かなかった。
そうか、それで勇者はこっちに声をかけたってことか。……まぁ店番がいようがいなかろうが、私に絡んで来るのは変わらなかったような気もするけど。
「すみません、作業に集中していて、気が付かなかったみたいで」
「いいえ、お気にせずに。でも、不用心ですよ?」
「ええ、これからは気を付けます。まあ、うちの剣なんて大した装飾があしらわれてる訳でもなし、盗もうという変わり者なんていないでしょうけど——」
と。そこまで言った所で。
私は強制的に動きを止められた。
「いいえ、僕は……あなたのような可愛らしい女性が一人店番をしていることを、心配しているんです」
「えっ」
喉が引きつった音を立てる。
言葉の途中で、私の汗に塗れた頬に手を当て、澄み切った瞳で間近に顔を覗き込んできた、勇者。
いや、あの。
近い近い近い近い。
美形の……度が過ぎるほど美形の顔が、触れそうなほど間近に……! 目に毒だ!
「えーとあのその、ゆ、勇者様……ち、近いのですが……」
「ところで、今日はどうしてそんなに堅苦しい喋り方なのですか? いつものように気さくに話して欲しいです。勇者などという肩書きではなく、僕自身の名前を呼んで欲しい。……なんだか距離があるような気がして……」
わざと距離を置いてるんだよっ!
とは、さすがに時の勇者様には叫べなかったので、行動でそれを示そうと、彼から素早く身を引いて物理的な距離を取る。
……危険だ。あの男は、危険だ。敵だ。女の敵だ。人類の脅威だ。
なにせ奴ときたら、さっきの至近距離がパーソナルスペースの範疇である。おまけに、あの耳が腐るようなセリフも、下心などまるでなく、純粋な善意から言っているのだから手に負えない。
彼にとっては、女も男も犬も猫も、関係ないのだ。皆一様に、さっきのように完璧な笑顔と完璧な優しさをもって接するだろう。
恐ろしいまでの博愛主義。
ミスター・天然タラシ(性別種族無差別)。
なんとタチの悪い輩だろうか。
いっそ魔族よりもタチが悪いのではないか。
などと考えていると、いつの間にか物理的に距離を詰められていた。
「えっあの……」
「どうしたんですか?」
「だからっ! さっきから、距離が近過ぎるんだが……!」
「あっ、口調、戻ってくれましたね! 嬉しいです。やっぱり、そっちの方が素敵ですよ」
「素敵とか、そういう問題ではなくてだな……」
あぁダメだ、結局すぐに敬語が抜けてしまった……。元々苦手な敬語を無理して使っていたというのに。今日こそは、嫌に馴れ馴れしい勇者と距離を置こうと思ったのに。
「け、剣が欲しいんだろ、お前は! 客の無駄話に長々と付き合ってやるほど、私は暇じゃないんだ!」
だからさっさと帰ってくれ、頼むから。
言外にそう言うと、彼はちょっと瞬きをした後、「そうですね。それにしても、お仕事が多いのは良いことです」と、ふんわり笑った。……主人公補正、発動。嫌味が通じないド天然ぼけ。私が最も苦手とするキャラクターだ。
いや、どんなに気に食わなかろうと、相手は客だ……そう、勇者である前に、一人の客。あまり乱雑に扱ってはならない。
私は彼の要望に合いそうないくつかの剣を集め、カウンターに並べてみせた。
「こんなもんで、どうだ。どれも自信作ばかりだぞ」
「ふむふむ……やっぱり鍛冶屋さんは凄いですね。一目で、他のお店とは違うってわかりますよ。僕、旅先の色々な街で色々な武器屋さんに行きましたけど……このお店の剣が一番です。一番、真っすぐで、綺麗だ」
「……ふん。そんなの、当たり前だ。剣は打つ人によってまるで違ってくる。硬さも、柔らかさも、色も形も、存在感も、全部」
でも、その中でも、彼は私の作品を選んでくれている……と、うぬぼれてしまっていいのだろうか?
私自身が優しくされるのは、薄気味悪いだけだけど……私の剣が褒められるのは、悪い気はしない。だって剣とは、私の魂と同義のようなものなのだから。容姿より言葉より、もっと純粋な、“私”という存在そのものなのだから。
「わ……笑った……」
「え? 今何か言ったか?」
「あっ、いや、な、何でもありません……!」
勇者がさっき何か呟いたような気がしたが……気のせいだったのだろうか。まあ、いいか。勇者の独り言など些事でしかない。それよりほのかに奴の顔が赤いような気もするが……鍛冶台の炎のせいだろうか。勇者が風邪なんて、そんな馬鹿な話ある訳ないだろうし。
「それで? どの剣にする? 要望に応えられないのであれば、良かったら今から新しく打つが……」
「あ……そういえば、貴女がさっき打っていたものは?」
「ん、ああ、あれか。あれは、良いものだぞ。まだ制作途中だが……断言しよう。私史上、五本の指に入る名作になるだろう」
「そ、そんなに、ですか……!」
「……ただ、今回のお前の要望には答えられそうにないが。大きさや重さを求めるのならば、無難に大剣を勧める。さっき打っていたのは刺突剣だ」
「うーん……そう、ですよね……。気になったんですが残念です。今回は諦めましょう」
それからしばらく、カウンターに並ぶ剣を、右に左にと眺め回し——ようやく彼は口を開き、こう言った。
「——じゃあ、これにします」
「む、良いものに目をつけたな」
勇者が手に取ったのは、ファルシオン——鉈を巨大化させたような剣——だった。大きさは、並べた大剣の中では小さめだけれど、他の剣とは違い“突く”より“断ち切る”能力に秀でている。だからだろうか、重さの割りに振りやすいという特徴もある。その特徴を最も活かせるよう、刃の形状と全体のバランスにはこだわり抜いて打ったものだ。
「それにしても、ファルシオンを選ぶとは、なかなか物騒だな」
「そうですか?」
「何か丈夫な魔物でも相手にしているのか?」
「ええ、まあ……ちょっと。西の方の砂漠で、大きいやつがいまして」
「ご苦労様だな、勇者様」
わざわざ新しく武器を調達する、ということは、どこかの魔物相手に行き詰まった、ということなのだろう。
そんなことを考えると、いつも、鍛冶屋とは因果な仕事だ、そんなことを思わずにはいられない。
魔物を倒すため。
人を殺すため。
誰かを傷つけるため。
刃物の用途など、私の生み出すものの用途など、それしかないのだから。
「……買ってくれてありがとう、とか、言ってもいいものか、わからないな……」
「どうしてですか?」
会計作業しつつ、ぼそりと漏らすと。勇者は目ざとくそれを聞き取っていたようで、エメラルドみたいに透明感のある瞳で聞き返してきた。
「だって……剣なんて、争いの手段でしかないじゃないか。ああいや、お前の戦闘行為をどうこう言ってる訳じゃないぞ。いつも私達皆のために頑張ってくれていることは知っている。痛いほど、理解しているつもりだ。でも……」
思わず、視線を落とすと。偶然、勇者の綺麗な白くて細い手が目に入り……そこに深々と刻まれた切り傷を見付け、顔をしかめる。
「……剣なんてなければ、お前だって戦わずに……こんな傷を負わずに済んだのかもしれない。剣さえ、なければ……誰かが傷付けられることだって、減っているのかもしれないのに……」
「鍛冶屋さん……」
今日もどこかで、私の打った剣は、魔物を殺しているのだろう。人を傷付けているのだろう。
あえて考えないようにしてきたことだけれど……こうして、実際に私の剣を使って魔物と戦い、傷付いている人を、目の前にすると——
「……なんて、な。私らしくもないことを言ってしまった。すまない、忘れてくれ」
いけない、こんなことをいちいち考えていては、鍛冶屋なんて務まらない。
それに、この馴れ馴れしい勇者を前に弱気な部分を見せるなんて……。
と、自らを叱責していると。不意に、勇者がふっと目を細めたので、首を傾げる。
「何だ? 何かおかしいことでもあったか?」
「いえ……さっき、打つ人によって剣は変わると言ってましたけど……」
「ああ、まあ」
「鍛冶屋さんがそういう風に考えることができるから、でしょうね。そういう風に、とても優しい人だから……だから、ここの剣はどれも綺麗で……あったかい、気がします」
「……鋼は冷たいものだろう」
私のつっけんどんな返しに、勇者は笑みを深めると、首を振って言葉を続けた。
「……僕は勇者だけど、こんなことを言えばもしかしたら勇者失格なのかもしれないけど……いつだって、誰かを傷付けたくありません。たとえ、相手が魔物だとしても。でもね……あなたの剣を握ると勇気が湧いてくるんですよ。相手が、血肉の通った、僕らと同じ生き物なんだってこと、あなたの剣は、ちゃんと伝えてくれるんだ。それはたぶん……あなたが優しくて、あなたの剣が真っすぐであったかいから。だから……僕は、勇者でいられるんです。勇者でいることが、怖くなくなるんです。……命の重みを忘れずにいられる。——僕は、そんなあなたの剣が、冷たくて残酷な刃物だとは思いません。剣“なんて”、とか、どうかそんなこと言わないで下さい。あなたの剣でたくさんの命が救われているんですよ」
——それは。
その、肯定の言葉は。
ひどく、ひどく、
泣き出したくなるほどに——
「っ……! い、意味がわからんっ!」
熱を帯びて行く目元をごまかすように、私が叫んでも、彼は——勇者は、優しいままだ。優しいまま、柔らかいまま、笑って。私が突き出したファルシオンを、大切そうに、包み込むように握った。
「ありがとうございます、鍛冶屋さん。きっと、鍛冶屋さんのおかげで、僕はこれからも頑張れます」
「し、知るか! 私は関係無いだろう……っ。と、とにかく! 目当てのものが手に入ったなら帰ってくれ! 手強い魔物を倒しに行くんだろう!?」
と、私が声を荒げると、彼は「はい! 応援ありがとうございます!」と心底嬉しそうにはにかんだ。いや、応援した訳じゃないんだが……。今は、この赤い目を見られたくない一心だ。
こんな顔、見せられるか。
認められるか。
——勇者に肯定されて、嬉しかった、なんて。
「い、いやいやいや! 違う! う、嬉しかった訳じゃない……! 断じて違うっ! 私は何を考えているんだ……!? あ、あいつは馬鹿みたいな博愛主義者なんだから……! 誰にでも同じことを言うんだから……!! 騙されるな、私!!」
「……? 鍛冶屋さん、どうしたんですか? いきなり勢い良く首を振られて……」
「な、何でもないっ! というか、お前は用が済んだなら早く行けってば! こっちを見るな!」
「そ、そうですか……? 何もないならいいのですが……」
どうしてだろう。目元だけじゃなく、頬まで熱い。……鍛冶台の炎のせいだ。きっと。そう、自分に思い込ませることにする。
やはり、この男は……勇者は、苦手だ。もうこいつにペースを乱されたくない。
——あなたの剣が真っすぐであったかいから。
——だから……僕は、勇者でいられる。
——あなたの剣でたくさんの命が救われているんですよ。
胸に、残った、勇者の言葉。
真摯な、エメラルドの瞳。
「……ちょっと待て、勇者」
「え?」
「——ありがとう、な」
その言葉は、自分でも驚くほどすんなりと、口から出た。
すると、振り返った彼は、まばたきの後、眩しい笑みを浮かべてみせる。
……頬がさらに赤くなったような気がするけど、きっと気のせい。気のせい、だけど……その顔を見られたくなくて、私は勇者の背中を、思い切り鍛冶屋の外に押し出してやった。
「わっ」
「とっとと世界を救ってこい!」
彼は、少し驚いたように目を開き——そして、それまでの柔らかいものとは違う、真剣味を帯びた表情で、深く頷いた。そして返事の代わりに、鈍く輝く私の剣を軽く掲げて見せたのだった。
フラグが未回収で散りばめられたままなのは、もともと長編を予定していたからです……この短編は、その第一話になる予定でしたが、挫折。
そんな訳で、その内に長編として続きを書くかも。
やっぱり短編は起承転結が難しいですね……!
特に、結の部分!
オチが良くわからないのは恒例ですね……。
あと!ボキャ貧が!あらわに!
おそまつさまでした!!