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第七話 コーシー・シュワルツの不等式

『血統族(Dawn)』第三、第九眷属『血蜘蛛の契』所属特殊部隊『リアクト』隊長佐内 一虎は、護送車の後部座席に座っているイレギュラーな『血統族(Dawn)』である澄丈 維沙弥をちらりと見遣った。人間とは思えない程整った顔立ちをしているその少年は、一虎から見ればぼんやりと、車窓から外の景色を眺めていた。長い睫毛が漆黒の雄麗な瞳に陰を作り、それがまた彼の美麗さを上長させていた。とは言え、彼が眺めている外の風景とは、目的地に着くまで特に代わり映えする事はない。何故なら、ここは『砦』専用の地下通路であるからだ。



***



二〇二七年に運転を開始した磁気浮上式リニアモーターカーを小型化した専用車。車両小型化と完全非接触化の採用に大きなメリットがあると言われていた地上一次式が採用されている。これは消費電力やコイルの設置数などの金銭的な問題が挙げられていたが(技術の進歩でそれはかなり緩和されてはいるが)そこは世界に根を張り暗躍している『血統族(Dawn)』である。緊急事態が発生した場合や通常業務である各地への巡回の時に用いられる道路だ。これは天候や一般路での渋滞に左右されない為の陸路の対策である。また、万が一にでも襲撃を受けない為でもある。



***



再び一虎が維沙弥に視線を送る。

そして、少年に動悸した。

少年の瞳に、瞳の光の強さに動悸した。

維沙弥は、真っ直ぐと地下道路の装甲壁を見つめていた。

美し過ぎる漆黒の宝石でとある一点を見つめ、ゆっくり口を開いた。


「……綻びが」


「………?」


(なんて言ったんだ?)



一虎は、ここで維沙弥が言った言葉を聞き取れなかった事を後に後悔する事になる。



>>>



「どうぞ。降りて下さい」


一虎に促され、維沙弥は小型リニアモーターカーから降車した。

そこは、一見すると有り触れた無機質な終点駅(ターミナル)。しかし、両脇の壁と天井が透明で、そのホームの外の景色が、異様だった。

そこは、一言で言うと、水中だった。そして、維沙弥の眼前に拡がる景色は。

――水中都市。

停滞する流麗な水が、空を形成している。

シアンの水底に沈む超巨大建造物群。高層ビルやドーム型の建造物、住宅地のようなものまでが、維沙弥のいる場所から窺えたのだった。

主要と思しき建造物群は、透明な硝子製の渡り廊下のようなものが架かっており、建物と建物を繋いでいる。

一虎は直ぐさま自身のAR網膜で到着の報告と、維沙弥の事情聴取を買ってでた人物を事情聴取室に待機しているよう指示を出した。

そして維沙弥を案内する為彼の方へと向き直る。


「すみません。では、行きましょうか――」


「………」


維沙弥は、光も時間さえも吸収してしまいそうな漆黒の瞳で、普通の人間ならば言葉を失ってしまうような幻想的な美しさと、目視しても存在の信憑性を疑いたくなるような光景の唯あるがままを見詰めていた。


「……こちらにどうぞ」


維沙弥の動揺のなさに、一虎は逆に面食らったが、一瞬の反応の遅れのみでなんとか言葉を口にした。

終点駅(ターミナル)を出ると、広場に出た。そこから空を見上げると、『結界』のようなものが水流にぶつかり藍色の幾何学模様を造り出していた。どうやらこれがこの水中都市全体を覆い、護っているようだ。


一虎の先導で、一見すると周囲の建物と何ら変わらない一つの高層ビルに入って行く。


「………」


しかし、その建物を見て、維沙弥は目を細めた。建物の纏う空気が周りの建物よりも禍々しく異彩を放っている事に刹那の時間で気づいたのだ。


「………」


そんな維沙弥の様子を、一虎が感心したような表情で眺める。


(『砦』に連れて行くと言われたからこの建物が『砦』だと思うのは当たり前だけど、この雰囲気にも気づく、か)


もしかしたら彼は『リアクト』に配属されるようになるかも知れない。それか、こちらから打診してみるか。一虎は維沙弥を眺めてそう思った。


そして、ビルの中に入り、幾度ものバイオメトリクス認証や入り組んだ内部構造を経て、二人は事情聴取室へと辿り着いた。

室内はここまでの内部構造と同じく、無機質な白で統一されていた。中央に机と、椅子が対面に設置されている。

そして、対面の椅子の片側に、一人の女性が腰掛けていた。

その女性は、二人の入室を認めると、静かに立ち上がり二人と向き合う。

一虎と同じ軍服を着た女性は、首の中点までの後ろ髪と前下がりの肩に接触するかしないかの横の髪をぱっと掻き上げた。少々気の強そうな顔立ちをしている。


「貴方が、中央区第一高等学校に発現した『烏合族(Dusk)』を排除した澄丈 維沙弥君ですね?」


「はい」


維沙弥が間髪容れず返事を返す。


「そうですか。では、こちらの席へどうぞ。佐内大佐はこちらへ」


女性が一虎を一瞥すると、先程まで彼女が座っていた席を視線で示す。


(あくまで進行は俺にやらせる気か…)


自分で事情聴取を買ってでた癖に、と思わないでもないが、どうせ昌隆が到着するまでだと直ぐに諦める。

席に座り、先に座っていた維沙弥と対面する。


「……」


こうやって改めて見てみると、本当に目鼻立ちの整った、否整い過ぎた少年だ。グラフィックで精巧に造り上げられたCGではないかと未だに疑ってしまう。


「……あ、そう言えば紹介が遅れてしまいましたね」


何とか我に返った一虎が、自身の斜め後ろに気をつけの体勢で控えている彼女を指し示す。


「彼女は五条(ごじょう) (りょう)。そして改めましてですが、自分は佐内 一虎と言います。君にはこれから先程の事象について色々と訊かせて貰います」


そこまで言って維沙弥に視線を戻してみると、彼は一虎と涼の右上をすっと見上げると、一虎と視線を合わせた。


「……?」


(今、何をしたんだ?)


「………」


(気にしても仕方ない、かな)


「では、まずは君の名前、年齢、生年月日を言ってくれますか?念の為にね」


「澄丈 維沙弥。十五歳。二一五二年四月一日生まれです」


「はい。では、次に、君の今の所属を」


「中央区第一高等学校一年C組です」


「はい。では、次に、君の家族構成を」


「父、母、自分、妹の四人家族です」


「……はい」


(どれも手元の資料と合致するな。……嘘は吐いていないようだ)


AR網膜のキーボードで訊いた事を打ち込みしながら、一虎は仮想展開させた、サーバから引き抜いて来た維沙弥の個人情報と維沙弥の証言とを照らし合わせていた。

昌隆が切り込んだ質問をしていく為、一虎が今すべき事は、維沙弥が証言に虚偽を織り交ぜて話をするか否かの判断をする事だ。

少しでも質問が切り込んだものになってしまうと、虚偽を含められても分からなくなってしまう為――サーバに記載されている情報を百%信用してはならないから――敢えて直ぐに現実でも情報でも真偽が確認出来る質問を選んでいる。


(……表情からも、彼が嘘を吐いているとは思えない。彼は、序列を弁えている節があるし、ここで安易に嘘は吐かなそうかな…。嘘を見抜いてしまえる大将がこれから来るわけだし…)


と、一虎が維沙弥について思考を巡らせていた時、その思考の中に登場した人物が事情聴取室に入室して来た。


「どうだ。事情聴取は進んでいるか」


玄道 昌隆だ。


一虎は無意識にも近い反射のような速度で音を立てないよう椅子から立ち上がり、昌隆に敬礼をした。背後で涼も同じ動作をしている気配がする。

どうやら現場検証を終えて戻って来たらしい。

彼がここに到着したのは今この瞬間だが、しかし彼のした質問は必要とされない形だけのものだった。何故なら、一虎の打ち込んだ情報はそのままダイレクトに昌隆に送信されていたからだ。そもそも、昌隆が遅れて入室したのも策があっての事だ。


「はっ。『確認』しなければならない事は、一通り」


だから、一虎は定型文で返答した。


「結構。では、ここからは私が引き受ける。後ろに控えていてくれるか」


「承りました」


昌隆が座り易いよう椅子を引いた後、涼の左側に気をつけの体勢で控える。


「ふむ。では、澄丈 維沙弥君。早速だが…」


椅子に深々と座り、机に肘をつき、組んだ手で唇を隠したその姿は、周囲を威圧する。しかし、維沙弥には通じていないのか、彼は静謐な雰囲気を持続したまま、昌隆を事もなげに眺めた。


「君は、何時から能力に目覚めていたんだい?」


いっそ優しく聴こえる昌隆の声音。聴いた者は嘘を吐くつもりなど毛頭なくとも、そうと判断されても致し方のない反応(言葉を詰まらせる)をしてしまうのが通例だ。その畏怖からか、多くの者は必要以上に情報を漏洩してくれたりもするのだ。

しかし、維沙弥はまたしても間髪容れずに返答して来た。


「五歳の時です」


「……。そうか、随分早いのだな」


昌隆が一瞬真偽を確かめるように目を細めて維沙弥を見詰めたが、何も得られなかったのか直ぐに返答をした。


「では…君が今日『烏合族(Dusk)』を仕留めた時、いや、仕留めようと動き出した反応速度。あれが如何せん速過ぎる嫌いがあってね。それは何故なのかな?」


「自分は、空気の変化を察知しています」


「空気の変化、かね」


「はい。『烏合族(Dusk)』がその本能を顕にしようとする直前、自分は空気が歪むように感じます。それに付随して、音も湾曲して聞こえます」


「ほう…」


昌隆が関心(関心)したように声を上げる。しかし、ここでの維沙弥の証言は、半分真実で、もう半分は虚偽だった。それを察知出来た者はその場には誰もいなかったが。


そんな事とは露知らず、昌隆は益々維沙弥に興味を持ったようで、こんな事を訊いてきた。


「では最後に、君がここに連れて来られた理由。それは何だと思うかね」


それは、普通の人間ならば首を傾げてしまう質問だった。何故なら、彼は『事情聴取』をする為に維沙弥をここに連れて行くと、学校でそう言っていたからだ。

しかし、それは表向きの理由。確かにこうして事情聴取をしてはいるが、それも目的達成の為の過程に過ぎない。


「『血蜘蛛の契』と言う名がついたのは、世界中にネットワークを張り巡らせていることに由来しているから、と学校では習いますが」


「………」


昌隆は、まんじりともせずに維沙弥を見詰める。一見何の脈絡もないように聴こえるが、これは立派な返答だ。


果たして維沙弥の言葉の続きは。


「しかし、それだけではありませんよね」


疑問系ではなく、断定。


「物理的な意味でも、『血蜘蛛の契』は蜘蛛の巣を張り巡らせている」


「……そう思う根拠は?」


このような訊き方をしている時点でそれが正解だと言っているようなものだが、昌隆はそんな事には意識を持って行く事が出来ないでいた。

何故なら、彼が『気付いている』から。



***



『血蜘蛛の契』は、日本の首都である東京にある本部を基盤として、全国の主要都市ごとに支部を設置している。東京にある本部と言うのは、官邸との複合施設(コンプレックス)の事だ。それを、地下にある小型リニアモーターカーで移動した。情報の隠匿を図るなら、どんなに距離が短くとも地下にある秘匿の移動手段を使用するのは妥当だが、移動時間が一時間弱かかっていた。中央区第一高等学校から官邸まで一時間もかかるはずはない。たとえ陸路を使用したとしても。そしてレールを一見(いちげん)お断りの構造にする必要性もない。それでは隠匿している意味がないからだ。加えて、地下に通用路を設ける事のメリットが空路と同様『直進』出来る事である事を鑑みると、その利点を潰すとも考えられない。詰まり、『血蜘蛛の契』本部が官邸との複合施設(コンプレックス)だと言うのは表向きの情報。ダミーだと考えられる。万が一襲撃されても構わない程度の情報しか、官邸には集約されていないのだ。そこで問題になってくるのは、本部の位置がどこか。AR網膜でのあらゆる探索手段を断ち切る為に、ここにはジャミング効果が発現されている。しかし、先程維沙弥が見た周囲の景色は完全なる水中だった。それがスクリーン映像である可能性は否定出来ないが、恐らく本部は東京にあるはず。その方が情報の伝達、共有がし易い。そして、603km/hのリニアモーターカーが一時間弱で到達出来るエリアはかなり絞られる。それは――。



***



「ここは、東京から南南東に500kmの地点にあると推定出来ます」


表情を変えず、涼やかな声で、維沙弥はそう断言した。


「ここが本部なのでしょう。水中都市を建設出来たのは、テクノロジーではなく、初代『血統族(Dawn)』の第三使徒の特殊能力である『結界』が未だに衰えず作用しているお陰かと思われます」


「………」


昌隆は、文字通り絶句していた。ここまで暴かれるとは、思ってもみなかったのだ。けれど、維沙弥の指摘はこれだけでは終わらなかった。


「そして、わざわざ外観を見せたのは、機密の隠匿の口封じと称して『血統族(Dawn)』の海外流出を防ぐ為かと」


羈束(きそく)の常套手段ですね。維沙弥は無感動に昌隆を眺めやった。


「……ふ」


と、昌隆が笑みをこぼした。それは、彼が合格している事を指していた。



>>>



――同時刻。


暗闇に沈む、無機質な白に覆い尽くされた広い部屋。その部屋には何も置かれていない。ただ白が佇むその部屋は、一種の恐怖すら喚起する。そんな部屋に、一人の青年が一点を凝視したまま思案に耽っていた。


「んー、やっぱり可笑しい…」


明るい茶髪にエメラルドグリーンの瞳の容姿端麗なその人物は、釈然としないと言う顔つきで、何もない空間を高速で叩く。それは、この世界では見慣れた光景。AR網膜に搭載されたキーボードで、文字やら数式やらを打ち込んでいる姿だ。しかしながら、彼のその行為は、この部屋に限ってはとても珍しいものだった。何故なら、この部屋に付けるべき名称は、『Analysis Room』詰まりは解析室だからだ。

何故解析室ではその行為が特異なのかと言うと、理由はとても単純明快だ。解析課程、結果の意思疎通を図る為だ。よって、この大部屋には何もない。全面にAR網膜の高精度解析アプリを投影するのだ。しかし、今この部屋にいる青年の解析課程は、他者からは視えない。個人の解析アプリを使っているのではないかと思う方もいるかも知れないが、それは有り得ない。何故なら、この部屋では強制的に情報公開コードが発令し、他の解析アプリはロックが掛かってしまうからだ。そもそも、一般人のAR網膜に搭載されている程度の解析アプリで解析出来るような案件など、ここでは取り扱っていない。

ならば、何故彼は解析する事が出来ているのか。この理由もまた単純明快だ。彼がそれを赦されているからだ。しかも、解析者共通の解析アプリではなく、更に高精度の解析アプリが、彼のAR網膜には搭載されている。誰もアクセス出来ない解析アプリが。

それを駆使しても尚、今彼は悩んでいる。


「……合わない」


解析アプリの機能の一つであるスキャン機能で、彼は、三体の『烏合族(Dusk)』が始末された(くだん)の教室をスキャンした。

意図は、『烏合族(Dusk)』とその飛散物の一致を計る為。

しかし、何度解析してみても、一向に一致しない。どうしても、斬られた首と胴体が接合しないのだ。そこを流れていたであろう血液も、どこにも存在していない。


「……素粒子まで分解する能力か?いやでも……」


ブツブツと呟きながら、彼は周囲の素粒子の計算を始める。

高精度になった解析アプリでは、昔は巨大な専用装置でしか観測出来なかった素粒子の観測も可能となっている。


「……え」


そして、辿り着く。

一つの事実に。


「これ……。まさか、これってつまり――」


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