第六話 第十三眷属
本当は、誰にもバレないように工作する事は可能だった。
否。正確に言うならば、当事者以外にバレないように工作する事は可能だったと言うべきか。
何について工作する事が可能だったのかと言うと、それはつまり、維沙弥が生徒三名の首を刎ねたと言う事実についてだ。
彼の持つAR網膜、彼の持つ『アクセス制限』のないAR網膜ならば、当事者三名以外の生徒達、教師のAR網膜、そして教室の監視カメラの映像にアクセスして、嘘の映像を捏造する事も、容易な事だった。
けれど。彼はそうはしなかった。何も面倒だったと言う訳ではない。寧ろその工作をして己の能力を隠匿していた方が、彼にとっては何倍も何十倍も楽だった。
だからと言って、彼は別に映像を捏造しなかった訳でもないのだが。
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『血統族(Dawn)』には、十二の派閥、眷属が存在する。そして世界に張り巡らされた五芒星の結界の頂点と、五芒星の中央を各二眷属が治めている。神話の時代は十二人の戦士が全員一致団結して『烏合族(Dusk)』と闘っていた様だが、今は同じ土地を統治する眷属とだけ同盟を組む、離れた大地を統治する眷属と同盟を組む、どこにも属さない等、眷属同士の仲が決して良いとは言えなくなっている。一歩道を踏み間違えば、眷属同士で争いが勃発する程険悪な所もある。然し彼等の抗争は未だに発現してはいない。そしてそれが何故なのかと言うと、それを抑えているのは、皮肉にも共通の怨敵である『烏合族(Dusk)』と言わざるを得ない。
まあ、そんな各々の眷属の諸事情が明るみになるのはもう少し後の事だ。ここで重要になってくる事項は。そう。本来ならば、『血統族(Dawn)』は十二血統までしか存在しない。
けれど、殆どの者が知らない『真実の神話』の中には。イレギュラーな十三番目の眷属が存在する、と言う事だ。
そして、その第十三眷属が、『真実の神話』で非常に奇怪な立場にあるという事だ。
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『血統族(Dawn)』第三、第九眷属極東本部『血蜘蛛の契』、通称『砦』の指令室室長、玄道 昌隆は、部下達からはしかめつらしく、威厳のある指揮官だと思われているが、それは彼の仕事のスイッチが入った時の話で、本来の彼はどちらかと言えば直情的な方だった。
直情的で、趣きのある男だ。物の美醜をとやかく言う訳ではないが、気にしないと言う訳でもない、と言った少々の分かりづらさを孕んだ性格の持ち主でもあるのだが。
そして、そんな彼は今、唯々絶句していた。
何に対しての絶句かと言うと、それは目の前にいる少年についてだ。つい数十分前に三体の『烏合族(Dusk)』の首を刎ね飛ばした少年――調べたところによると名は澄丈 維沙弥と言うらしい――と昌隆は今相対している。昌隆は、維沙弥がいる中央区第一高等学校に急行したのだ。目前にすらりと立つ少年は、現実に存在しているのが奇妙な程、整った顔立ちをしていた。仕事柄人間の顔――正確には表情――を良く見る癖がついている昌隆は、無意識に、少年の顔をまんじりともせず見詰めた。
「………」
思わず後方にちらりと一瞥を呉れる。
昌隆の一歩後ろに控えている参謀の九条 則継は、少年の美貌を見て感心(関心)したような素振りを見せていたが、こちらの視線に気付くと、昌隆の惚けた表情を見咎めて途轍もなく愉快なモノを見たと言わんばかりに意地悪くにやりと笑った。恐らく、何そんなにびっくりしてるんだとでも言いたいのだろう。
だが、驚きたくもなる。それ程の美貌なのだ。視線を少年に戻すと、彼はこちらを唯ひたと見据えていた。表情もない為、彼が本当に生きているのかさえ怪しく見えてきた。
濡れたような漆黒の髪に、髪と同じ色の鋭い光を湛えた瞳。目にかかる程の長さの前髪から覗く左の瞳の下に、泣きボクロがあるのが見えた。見ていて心地良い透き通る白磁の肌。そして細すぎない、体幹のしっかりした、鍛えている事が窺えるスラリとした長身……と言うどこぞの漫画の完璧なヒーローのような人間をこの目で実際に見る事になろうとは。そもそも、そんな人間が本当に存在しているとは。
昌隆の後ろに控えている則継も、世間一般の常識に照らし合わせればかなりの『イケメン』の部類に属する。柔らかい髪質と、それを上長させる優しい茶色の髪色に、どこかの国の血が混ざっているのか、周囲の目を惹く宝石のような緑色の瞳をしている。それに加えてこの男、なんでもそつなくこなしてしまうのだ。本気を出せばどんな分野でも頂上を狙える能力を持ちながら、それでも彼が本気を出した事は一度もなかったが。本人は、いつもつまらなさそうに日々を過ごしていた。それがどうして自分の部下になったのかは、皆目検討もつかない。則継ならば、直ぐにでも昌隆の地位など抜いて、更なる高見を望めるだろうに。しかし、彼が昌隆の上官になる事はなかった。寧ろ彼は昌隆の部下である事を心底楽しんでいるようにさえ見える。それが昌隆には益々理解出来ない事なのだが。
それはさて置き。
「……君が、『烏合族(Dusk)』一体と『形象崩壊』前の人間の首を刎ねた……澄丈 維沙弥くんで間違いないかな?」
このまま少年の顔を凝視したまま黙り続ける訳にもいくまいと思い、昌隆は分かり切った事を取り敢えず確認する事にした。
今まで沈黙を守っていた少年が口を開く。その所作が、唯口を開けると言うその所作が、どこかの映画のワンシーンを思わせる。
「間違いありません」
とても端的な答えが返ってきた。
「………」
昌隆はてっきり、この少年は自分に向かって敬語は使わないのではないかと勝手に思っていたのだが、どうやらそう言う訳でもないらしい。
それどころか、序列の違いをきちんと意識している節がある。
「……これから君に、色々と訊かなければならない事がある。我々について来てもらわなければならないが、構わないかな?」
こんな相手の同意を求めるような言い方をしてはいるが、勿論拒否権などない。
これは社交辞令と共に、相手の挙動を見る為の言わば布石だ。
しかし、目の前の少年の反応は、
「構いません」
とても淡白だった。
「……そうか。では、早速だが『砦』に来てもらおう」
昌隆は少年の反応の薄さにどこか気味の悪さを感じながら、それでもそう言った。
「我々は現場検証をしてから『砦』に向かう。君は我々の部隊と共に『砦』に先に向かっていてくれ」
そう言うと、昌隆は『リアクト』の中の誰かを招集しようと後ろを振り向いた。が、振り向いただけで彼が誰かを招集する事はなかった。
則継が、既に『リアクト』のリーダー、佐内 一虎を呼び寄せ後ろに控えさせていた。
「………」
任務中だと言うのに、昌隆は思わず苦笑しそうになった。
ここまで気が回ると、逆に嘆息したくなる。
「……この者に、君の護送を任せる」
「『血統族(Dawn)』特殊部隊隊長、佐内 一虎であります」
黒がベースの、紅いラインが入っている軍服を着た一虎が無駄のない動きで昌隆に敬礼をする。
「では、参りましょうか」
部下の面倒見が良いと評判の一虎が、人当たりの良い笑みを浮かべてそう言った。
「宜しくお願いします」
維沙弥が律儀に頭を下げる。
一虎は一瞬面食らったような顔をしていたが、直ぐににこりと微笑むと、もう一度昌隆に敬礼し、則継にも更に敬礼すると、維沙弥を引き連れて教室から出て行った。
どうやら彼は維沙弥の事が気に入ったようだ。
「………」
昌隆は二人が教室から出て行くのを見送ると、早速現場検証に取りかかろうとした。
しかし、後ろに控えている則継の顔が視界に入ると、作業する手をぴたりと止めた。
「則継?」
則継は、険しい表情で二人が出て行った教室の扉を睨んでいた。彼のその表情に思わず気持ちが素に戻り、一人の友人として声をかけてしまったが、則継からは返答が返って来なかった。
「則継」
昌隆は、則継の表情に何か言い知れぬある種の気持ち悪さを感じ、――俗に言う『嫌な予感』と言うやつだ――則継の名を呼んだ。すると、則継は険しい思案顔のまま昌隆に一瞥も呉れぬまま返事をしてきた。
「……何?昌隆……――」
転瞬、何時も飄々としていてにやにや笑いが張り付いている則継が『しまった』と言う表情を見せた。彼は何時ものらりくらりとしていて捉えどころのない性格をしているが、しかし公私混同をしない、線引きのきちんとした男だ。だが、今はその線引き――ここでは上官である昌隆への敬称と敬語を忘れた事――すら忘れてしまう程の事を彼が抱えている事になる。
「………」
則継がやや気まずげな面持ちで何を言うかを言いあぐねていた。普段から隙のない則継のミスは大変珍しい為――と言っても敬称と敬語を忘れる程度の事だったが――何時もの昌隆ならここぞとばかりに則継を弄り倒しただろうが、今はそんな気も起きない。それに。
「気にしなくていい。そもそも俺は仕事中にお前に敬称と敬語を使われるのを未だに気持ち悪がっているんだぞ」
昌隆は本音を口にした。ずっと彼が思っていた事だ。いくら仕事上自分が上官だとは言え、則継の線引きはいささかシビア過ぎる。それこそ本当に気持ち悪い程に。ここまで私情を交えずに仕事が出来るのは、恐らく則継ぐらいではないのかとさえ思わされる。
「……あは」
しかし則継には昌隆の言葉が本音だったとは伝わらず、どうやら唯のフォローだと思ったらしい。少し皮肉げな笑みを浮かべるに留めた。
(本音だったんだがな)
「……少し、奇妙だと思ってね」
「…?」
ここで昌隆は、二重の意味で首を捻った。
一つは、言葉の意味そのもの。何が奇妙だったのだろうと純粋にそう思った。
そしてもう一つは、則継がそのままタメ口で語り出した事についてだ。しかし、その点については直ぐに合点がいった。則継は今自分が考えている事に確証を持てないでいるのだ。確証を持てない事を公的に話す事をよしとしない。どこまでも線引きがシビアな彼らしい行動と言えた。
だから昌隆もあえてそこには触れず、促すように則継の顔を見つめた。
「………」
昌隆の無言の意図を汲み取ったのか、則継は苦笑すると、こう言葉を続けた。
「可笑しいんだ。空白なんだよ。三十秒間」
「……は?」
則継の言葉が足らなさ過ぎて、昌隆は思わず怪訝な声を上げてしまった。
「ああ。すまない。これじゃ分かりにくいよな…。でも、俺もこの感覚をなんて言ったらいいのか、相応しい言葉を見つけられないんだよ」
「……なんとか読解する。どんな感覚だったんだ?」
「………」
昌隆のこの言葉を聴いた途端、今まで苦笑を浮かべていた則継の顔がすっと無表情になった。冷静に物事を分析している時に見せる、集中力を極限まで高めている時の顔だ。なまじ顔立ちが整っているだけに、それは同性の昌隆から見ても『カッコイイ』と思わざるを得ないモノだった。
――こう言う所に女性は惹かれるのかも知れないな。
などと場違いな事をぼんやりと考えてしまった。
そんなことを昌隆が考えているなどとは露程も思っていない則継は、真剣な表情のまま、ゆっくりと自身が感じた感覚を言語化し始めた。
「……なんて言うかさ、気持ち悪かったんだよね。あの、維沙弥って子が三体の『烏合族(Dusk)』の首を刎ね飛ばした後の三十秒間が、さ」
「気持ち悪い?」
思わず鸚鵡返しする昌隆。しかしその反応は会話の速度を加速させたようで、則継は黙って頷くと、静かに続きを語り出した。
「ねえ昌隆。現代はさ、MRとかがかなり世間に浸透してるよね」
「ん?ああ、そうだな」
則継の質問の意図が分からず、曖昧な返事になってしまったが、則継はどうやらきちんとした回答ではなく考えを整理する為の間隙としての相槌が欲しかったようで、昌隆の反応を特に意に介した様子もなく、更に話を展開させた。
「だから、それに比例するようにCGの技術も飛躍的に向上した。『本物らしすぎて逆に偽物に見える』CG技術がさ」
「………」
昌隆が完全に当惑してしまったのを見咎めて、則継はふっと息を吐き出すと、昌隆をしっかりと見据え、こう結論づけた。
「あの子が三体の『烏合族(Dusk)』の首を刎ねた後の三十秒間。監視カメラに映る総ての人間の呼吸、瞬き、表情の差異が、『本物らしすぎて逆に偽物に見えた』んだよ」
「………!」
「更に言うと、その三十秒間の後。あの子以外の全員が、ほんの一瞬だけ不思議そうな顔をしたんだ。まるで、『今まで見えていたものと世界が違って見えた』かのようにね」
「…………」
則継の口から語られた話は、昌隆を絶句させるには十分すぎる話題だった。何故なら、それは絶対不可侵の他人のAR網膜にアクセスし、ハッキングして、偽りの、捏造された映像を観せたと言う事にほかならないからだ。しかも、一瞬にして大型のデータバンクにアクセスし、ハッキングしたという証拠を残していない――昌隆が掌握しているデータにはそのような記録は残っていない。残っていたら接続した瞬間に把握している――と言うことでもある。そんな事を、そんな広範囲に渡って実行できるなど、可能なのか?しかもそれが先程の齢十五の少年に出来ると言うのか――?……いや、則継も別にあの少年が実行したとは一言も言っていない。そう昌隆は思ったのだが、彼のささやかな動揺の回復は、彼の次の言葉で更なる揺れを齎す事となった。
「……恐らく、あの子がハッキングしたんだろう。自分のAR網膜を駆使して、直接」
「!」
「一瞬であそこにいた全員のAR網膜と監視カメラをハッキングして、どうやって造ったのか皆目検討もつかないけど、あの状況と全く同じ映像を流した。そして、それを三十秒間も継続させてみせた。……いや、違うな。きっと、もっと長時間偽の映像を流す事も出来たんだ。だけど、自分の目的を果たして、接続を切った…。根拠はないし、その目的がなんなのかも分からない。仮定に仮定を重ね過ぎているだけなのかも知れない。でも、そんな風に…感じたんだ」
「………」
「でも、もっと分からないのは…」
そこで不意に、則継が言葉を切る。
「則継?」
「ああ、いや…。ここまで憶測でモノを語っていいものかと思ってね」
「語る分には何も減らない。それに俺はお前の意見を聴きたい」
「………」
今度は則継が絶句した。今日は珍しい彼の表情を良く見るな、と昌隆は思った。何故彼が絶句しているのかは、分からぬまま。
「……ふっ」
「?」
すると、先程まで惚けた顔をしていた則継が、突然破顔した。
「そうか。これは、俺の『意見』なのか。……全くもう。ほんと、昌隆には適わないなぁ」
「??」
「ああいや。なんでもない。……それで、俺が思ったことだけど」
「ああ」
「……やっぱり、可笑しいと思うんだよね」
「……だから何がだ?」
「あの子は多分、国が管理している監視カメラにもアクセスしてハッキング出来た、凄腕のハッカーだ」
「……それはさっき聞いたぞ?」
「だからさ。だったらなんで、って思うじゃないか」
「……?まだるっこしい言い方はよせ」
「なんとも思わないの?鈍いなぁ。……だから、さ」
――どうして彼は、自分がイレギュラーであるとバレる映像を、捏造しなかったんだろうね。