第二話 犯行声明
だって、本当の自分になれた気がしたんだ。
二歳年下の可愛い妹。
美人とか特段可愛いとかではなかったけれど、それでもやっぱり妹は可愛かった。
『お兄ちゃん』『お兄ちゃん』
と何度も俺のことを呼んで、俺は男の子の同級生と遊びたかったのに、俺が遊びに行こうとすると自分もついて行きたい、なんて言った。
勿論俺は駄目だと言うけれど、その度に大声で泣いて地団駄を踏んでいた。
あんまりにも泣き止まないから仕方なく連れて行ってやると言うと妹は無邪気に笑った。
でも小学校三年生の男子の遊びには中々ついて行けなくて。
ARのカードゲームはルールが分からないと言ってむくれ、女の子向けのカードゲームを無理矢理始めようとするから皆が困ったものだ。
それでは逆に男子がついて行けないから、優しい学友達は駆けっこにシフトチェンジしてくれた。
それは妹が転けて大泣きすると言うオチつきだ。
泣き止まない妹を連れて皆より一足先に帰路に着く。
俺はお兄ちゃんだから仕方ないのかも知れないけれど、やっぱり変な疎外感みたいなモノは感じてしまう。
この時ばっかりは妹を少し疎ましくも思った。
話しかけられればつっけんどんな態度をとってしまって、更に妹を泣かせた事もあった。
だけど、家に帰った後、未だに売っているおままごとの玩具で遊んでやると、また無邪気に笑う。
その笑顔を見ていると、なんだか自分が怒っているのが馬鹿らしくなったんだ。
本当に、そうだったんだ。
なのに。
なんで。
俺は、抑え切れない『衝動』に駆られた。
妹は地団駄を踏んで、ただ何時もの様に遊んでくれと駄々をこねていただけなのに。
抑え切れない衝動。
抑え切れない殺意。
何か、なくしてはいけないモノをなくした気がした。
気がついたら、部屋は一面真っ赤になっていた。
口元に感じる違和感。
手で触れると、まだ微かに温かい鉄臭い緋。
目の前で泣いていた、あの可愛い妹がいない。
嗚呼、俺は妹を喰ったのか。
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――……幼い少女を襲った悲劇。家族の中に『烏合族(Dusk)』か……
「………」
維沙弥は、視界の右下に『Sound Only』と表示されたARTVのニュースを、何時も放課後に訪れる河川敷に寝そべりながら聴いていた。
昨今、ほとんどの人間が使わなくなったが、マニアの間では未だ密かに熱烈な人気を持つメディアであるラジオのまがい物の様な感じだ。
別に紙媒体の新聞ではない為、文字数を縮小する意味はないのたが、それは昔からの名残なのか。
ARTVのトップニュースは敬語ではなく新聞の見出し風で読まれる。
聴いているニュースは勿論、今朝しがた峻也から送信されてきた動画と写真の事件についてだ。
維沙弥が確信した通り、やはり『事件』であった。
――……四人家族の一番下の末娘の小学一年生の陽菜ちゃんが、リビングの壁一面に大量の血液だけを残し、行方不明となりました。警察は、家族内に『烏合族』が出現したと見て慎重に捜査を進めています。
しかしながら、現在陽菜ちゃんの父親である近藤 嘉隆さん、三十七歳と、母親の治美さん、三十九歳、そして小学三年生の兄、翔くんが行方不明となっています。
『烏合族(Dusk)』である可能性がありますので、三人を見かけたら警察に通報するか、速やかにその場から逃げて下さい。
なお、警察はこの三名の情報提供に懸賞金をかける事を表明しており、詳細は、十九時からの記者会見で発表されるとの事です……
「……はぁ」
今得られる情報を大方得たと見るや否や、維沙弥はARTVのアプリケーションを終了させた。
彼が溜め息を吐いた理由はただ一つ。
総ての点が繋がり、線になったからだ。
維沙弥の意識は昨日の放課後、河川敷でうたた寝する前の帰路での会話に遡る。
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「はっー!今日も疲れたなぁー!」
微塵も疲れを感じさせない明るい声音で、維沙弥の隣を歩く峻也が伸びをしながらそう言った。
「嬉しそうだな。何かいい事でもあった?」
維沙弥がコードレスヘッドフォンを首にかけながら呆れた様に言葉を返す。
放課後の教室。
人の数は疎らだ。大方、皆部活に行ったのだろう。
帰宅部である維沙弥と峻也はゆっくりと帰りの身支度を済ませていた。
「あ、分かる?やっぱ俺って顔に出やすいのかなー?
実は今日は"定例会"の日なんだ!」
維沙弥の動きがぴたりと止まる。
目線が何もない左上の虚空へと動いた所を見ると、ARで日付けを確認しているのか。
「ああ、もうそんな日か」
維沙弥は何か合点がいった様で、納得した様に呟いた。
「そ!月に一度の"定例会"!
毎月、月の最終日の俺の楽しみだ!」
「そうか。今月は沢山報告する事がありそうだな」
維沙弥が、誰の目から見てもうきうきしている峻也に、彼が今一番言って欲しいであろう言葉を投げかける。
案の定、峻也は瞳をぱあっと輝かせた。
「そうなんだよー!流石維沙弥!良く解っていらっしゃる!
今月は高校の入学式があったしな!それに…」
「それに?なんだ」
あまり言葉を切る事のない峻也がわざわざ言葉を切った事を少し訝しみながら、維沙弥は先を促した。
「………」
「おい?」
何故か俯いて黙り込んでしまった峻也を怪訝と困惑の混じった声音を維沙弥が発する。
それが功を奏したのかなんなのか。
峻也はバッと顔を上げると、清々しい様な、少し照れた様な表情でこう言った。
「またお前と同じクラスになれたしな!」
「………」
予想していなかった峻也の真っ直ぐな発言に、維沙弥は絶句してしまった。目線が若干泳いでいるのはARを見ているからではない。
「かー!なんか恥ッずいなぁー!」
しかし峻也は維沙弥のそんな一瞬の動揺に気づかなかったのか、自分の発言に照れていた。
「……俺はお前のそう言う所が凄いと思うよ」
「え?何が?」
維沙弥が正直な感想をぼそりと洩らすと、峻也は目を瞬かせて聞き返してきた。どうやら本当に無自覚らしい。
「分からないならそれでいいよ」
「えー、なんだよぉー。気になんじゃんか」
「はいはい。気にしなーい気にしなーい」
「ケチだなぁー」
他愛なくも温かい気持になる友人との会話に、維沙弥は暫しの間、その身を揺蕩わせていた。
だが、そんな和やかな空気は、峻也の発した一言で瓦解した。
別に、険悪な雰囲気になった訳ではないのだ。
ただ、感情が消え失せただけで。
「なあ、維沙弥」
「何?改まって」
「お前は今も、俺と初めて会った時みたいな反応をするか?」
「する」
突拍子のない、唐突に投げかけられた、意図の掴めない発言。
しかし、維沙弥は的確にその意図を汲み、打てば響く早さで返答を返した。
「そっか」
「ああ」
どこか儚げに微笑んだ峻也に、維沙弥は感情が消え失せた混じり気のない、ある種の美しさを感じさせる瞳を向けた。
「大丈夫」
「え?」
今度は、維沙弥が突然言葉を発した。
峻也が緩く驚く。
「ちゃんと、全部解ってるよ」
「………」
一見、到底成立しているとは思えない会話。
この言葉の意味が解ったのは、峻也のみだった。
驚きに眦を裂けんばかりに見開いた峻也。しかし表情は直ぐに喜色に充ちた。
ニカッと快活に笑ってこう言った。
「流石」
>>>
維沙弥と途中まで一緒に帰り、別れて一人で歩く事暫し。
峻也は目的地に辿り着いていた。
今頃恐らく、何時もの場所で維沙弥はうつらうつらしているのだろう。
そんな『親友』の姿がパッと頭に思い浮かび、峻也は失笑しつつも苦笑した。
――そんな姿を直ぐに思い浮かべられる程、仲良くなってしまったのか。
そう思った。
峻也は考える事を放棄するかの様に、一往復緩く頭を振った。
そして、目の前の光景に視線を戻す。
峻也が楽しみだと言っていた"定例会"が行われる場所へと。
***
AR網膜がもたらした副産物は、何も視力低下の根絶だけではない。(副産物と言って良いかどうかは、専門家の意見によって異なるが)
AR網膜が急速に普及した事により、多くの媒体がその姿を消した。
紙媒体の書籍然り、CD、DVD、ブルーレイディスク然り、携帯用通信機器並びに固定用通信機器然り。
今まで細分化、とまでは言えないが、機器のそれぞれがそれぞれの姿形をなし、銘々の役割を果たしていた頃とは比べ物にならないくらい、世の中から物理的な媒体は消滅した。
媒体が消滅した事により、媒体を製造する工場や保管していた倉庫が必要なくなった。
近年土地不足に悩んでいた政府はこれを大いに活用し、工場や倉庫をリノベーションして住宅にしたり、更地にしてまた新たな建物を建てたりした。
通信を主として経営していた会社は、早い段階からAR網膜に目をつけ、システムを移行した会社は生き残ったが、最後まで媒体を手放さなかった会社のほとんどは倒産してしまった。工場や倉庫で働いていた者が全員例外なく解雇を余儀なくされたのだ。
それにより失業者数が急激に増加し、AR網膜に早々に着手していた企業がどんどん成長していく中、数が膨れ上がった失業者達のデモ行進や、経済成長の若干の下降(若干で済んだ大きな要因は、やはりAR網膜の普及であると言える)の一連を『メディア・ショック』と言う。
だが、そんな経済状況を変革させたAR網膜普及により確保された土地の一番多かった活用法は、皮肉にも"墓地"だった。
人の『死』に対する意識が『烏合族(Dusk)』の出現で高まったのかは、分からない。
所詮『烏合族(Dusk)』に喰われた人間は、喰われる際に飛び散った血液しか残さない為、墓を造っても遺骨を埋葬する事は出来ないのだが。
ただ、広い公園だと思うと、大体は"墓地"。と言うくらいには、この世界には"墓地"が溢れている。
***
そして、峻也の目の前にも。
広大な敷地面積を誇る"墓地"が、あった。
「……ふぅー」
特別な清掃が施されている訳でも、ましてや街中の公園の様な立地にあるこの"墓地"だが、それでもやはり清澄な空気が流れている感じがする。
そう思った峻也は、静寂に包まれた霊園の空気を思い切り吸い込み、肺をその空気で充たした。
「……よしっ」
小さなかけ声と共に、峻也は霊園の奥の方に設置されたお墓参り用の道具一式が揃った水道へと歩き出した。
峻也はこの霊園に、月に一度、月末に訪れる。
『藤野家之墓』と墓石に刻まれた墓と墓の周りは、先月大掃除と称して入念に手入れをしたお陰で、今回は墓石を軽く清める程度で良いと告げていた。
手桶に水を汲み、柄杓で掬って墓石にかけ、洗い浄める。
次に、持ってきた線香を、わざわざこの為だけに買った蝋燭にライターで点火し、線香に火を灯して墓前に供える。
花、水、菓子類を供え、総ての工程を経ると、峻也はしゃがみ込み、墓にゆっくり話しかけ始めた。
"定例会"が始まったのだ。
「今日は、話したい事が沢山あるんだ。まずは――」
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ふらり、ふらりと。
俺は、行くあてもなく、自宅近くを彷徨っていた。
さっきまで、俺は人間ではなかった。
自我を喪い、ただ己の欲を充たす事だけしか頭にない、本能に従うしか出来ないナニカに、俺はなっていた。
その時の事を思い出そうとすると、鈍い疼痛に襲われる。
ぼんやりとしていて、あまりはっきりとした事は憶えていない。
だが、これだけははっきりと俺の脳に、いや、本能に刻み込まれていた。
人間を、妹を喰った時。
喩え様のない、快感を味わっていたと言う事を。
何度も、何度でも貪りたくなる様な、抗えない快楽。
あれは、なんだったのだろうか。
そう頭の中で考えつつ、それでもやはり、一つの回答が、俺の中にはあった。
あれは、あれこそが、本当の俺。
そんな事を考えていたからだろうか。
気づけば俺は、自宅の玄関の前に立っていた。
だが、そこには先客が二人いた。
俺と、妹の父親と母親。
中の惨状に錯乱しながら飛び出してきた所に、運悪く、もしくは運良く俺は遭遇してしまったらしい。
動きを止めた父さんと母さんは、一瞬安堵の表情を浮かべたが、直ぐに俺が血まみれである事を認識し、俺が『何者』なのかを悟った。
青ざめた、恐怖に怯える顔だった。
俺が憶えている二人の姿は、ここまでだ。
その後また意識や理性が、人間が戻ってきた時には、俺は全身に血を浴びていた。
どこを捜しても、二人は見つからなかった。
嗚呼、俺は家族を全員喰ったのか。
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昨日の出来事を思い出していた維沙弥は、ふと現実世界に意識が戻った時、ARTVが『速報』のテロップを出している事に気づき、アプリケーションをタップし、起動させた。
――……先程、陽菜ちゃんの自宅近くの雑木林で、近藤 嘉隆さんと妻治美さんのDNAと一致する血液のみが発見されました。警察は、『烏合族(Dusk)』を小学三年生の翔くんとほぼ断定し、その行方を追っています。
尚、十九時に行われる予定だった記者会見ですが、緊急記者会見と言う事で、この後直ぐに開かれると言う事です。
ARTVは、このまま緊急記者会見を生放送する予定です……
「………」
緊急記者会見と言う名の懸賞金発表を聴く事はせず、維沙弥はアプリケーションを終了させた。
立ち上がり、昨日と同様にショルダーバッグからコードレスヘッドフォンを取り出し、装着し、何時もの曲を再生させると、維沙弥は河川敷を後にした。
夕陽に向かって、彼は歩いた。