第四話 ―BLAZE―Ⅲ
「………」
陽翔は暗い部屋に、独りでいた。ベッドの上で縮こまり、頭を抱えて込み上げる恐怖と吐き気を必死で抑え込もうとする。
「……ッ」
けれど我慢出来たのも一瞬のことで、強烈な吐き気を催し、急いで手洗いに駆け込む。
「――……うぇ」
もう何度、部屋と手洗いの往復を繰り返しただろうか。胃の中には既に何も入っていないはずだが、それでもこの気持ち悪さは治まることを知らない。
陽翔の意識は知らず知らず、三日前の出来事をフラッシュバックしていく。
「止めてくれ……」
弱々しく呟くが、無意識に勝てる訳もなく、陽翔は三日前の惨劇を鮮明に思い出した。
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「ああああああああああああッッ!!」
それが、閧の声だった。
今まで『リアクト』が抑えていた『烏合族(Dusk)』が、急に方向転換し、維沙弥たちがいる場所へと走り出した。
「なッ……」
暴走した『烏合族(Dusk』三体を相手にしていた涼は、驚愕の声を上げる。
「あの『烏合族(Dusk)』、意志があるの…!?」
『烏合族(Dusk)』とは、人間、及び『血統族(Dawn)』を無差別で捕食する生命体である。自ら意志を持って特定の人物や場所を攻めるケースは極めて稀だ。
「何かを狙っているのかな?」
彩姫が呟く。
「ッ、全員、『烏合族(Dusk)』を追うわよ!この危険度、始末してしまっても構わないわ!」
「了解」
涼の下知を聞き届け、涼と彩姫は走り出す。一方、木の上で構えていた怜央は、スコープを覗き込むと、一心不乱に一直線でゲート出現ポイントへと疾走する『烏合族(Dusk)』に標準を合わせ、引鉄を引く。怜央は、弾丸が『烏合族(Dusk)』の頭頂骨と後頭骨の間にヒットし、下顎骨を貫通したのを確認もせず、超長距離用スナイプ弾丸の威力が肩に伝わって跳ね上がった腕をそのまま身体ごと左に回転させ、木の枝に脚をかけた上下逆さまの体勢になると、撃ち殺した『烏合族(Dusk)』の横を併走していたもう一体の『烏合族(Dusk)』も首を撃ち抜く。撃った衝撃を利用して、今度は木から飛び降り、涼と彩姫を追走しようと脚を踏み出す。
「………?」
そこでふと、怜央は違和感を覚え後ろを振り返った。
「……!」
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『烏合族(Dusk)』の絶叫が聞こえた数瞬後、二発の銃声が続けて響いた。そして、森から七体の『烏合族(Dusk)』が突進してくる。
「――……!」
『烏合族(Dusk)』の後ろからは涼と彩姫が追走しているのが見て取れたが、彼女たちが『烏合族(Dusk)』に追いつくより、『烏合族(Dusk)』が維沙弥たちのいる場所に到達する方が幾分早そうだ。そして、戦場ではその一瞬が命取りとなる。
「全員、武器を召喚!応戦する!」
一瞬で、『リアクト』だけで応戦するのではなく、この場にいる全員で応戦する方が生存確率が高いと判断すると、一虎は直ぐさま命令を下し、自らの武器を召喚する。
翔は元々交戦中だったため既に武器を召喚済みであり、維沙弥も先程『烏合族(Dusk)』を一体始末したまま武器を持っていた。だから一虎は『第十三眷属』に命令を下したようなものなのだが、それに倣ったのは亜貴乃と朔だけだった。
「何をしている!?死ぬぞ!」
翔の怒声を聞いてようやく我に返ったのか、慌てて陽翔と紗羅も武器を生成する。
「敵は暴走している……倒せなくとも、自分の身は自分で守れ!」
翔の叱咤に反射的に構えた二人だったが、そのまま固まってしまう。
何故なら。
――『烏合族(Dusk)』が、人間にしか見えなかったから。
姿形、纏う雰囲気。話に聞いていた理性が飛んだ様子は微塵も窺えず、ただ悲壮に猛り狂った人間にしか見えない。
「……ッ」
自分がこの武器で相手に行う行為は、殺人行為なのだと、否応なしに突きつけられる。
そして、二人の心を抉る出来事がもう一つ、起こった。これは前代未聞のことで、歴戦の『リアクト』でさえ、息を詰まらせる。
先程維沙弥が殺した『烏合族(Dusk)』と同じ病人服を着た女性型の『烏合族(Dusk)』がいの一番に維沙弥たちの場所に到着し、『血統族(Dawn)』を睨む。
そして、『喋った』。
「お、おオお前らガ…ああああ……何度モ何度モ…私の身体ヲ切り刻ンで、抉ッテ…」
「え…?」
『烏合族(Dusk)』が喋ったということにも驚愕だが、それよりも、陽翔は目の前の女型が言った言葉が引っかかった。
(……身体を切り刻む?抉る…?)
女型が、自分の顔に爪を立て、そのまま皮を抉りだす。
「ッ」
陽翔はとっさに目を逸らすが、視界の端で女型の動きがちらつく。
「痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イ痛イッ!!」
皮膚に爪を食い込ませたまま、女型は哮る。
「そしてお前ラは、利用価値ノなくナッた私たちを殺すンダ…!」
陽翔は、女型の途切れ途切れの言葉を聞いて、おおよそ何を言いたいのか理解した。
『砦』に生け捕りにされた『烏合族(Dusk)』の行く先。それは、非道な人体実験だ。『砦』の『血統族(Dawn)』は『烏合族(Dusk)』を人間と認識していないため、それを非道ではないと公に認めてしまっているのが更に質が悪い。
(生け捕りにされた『烏合族(Dusk)』が実験に回されてるのは知ってた。けど…)
陽翔は目の前で顔面や喉を掻き毟る女型を見て、吐き気を覚える。
(最後は訓練兵に使い捨てとして殺されるなんて……)
そしてその瞬間、今朝の一虎の言葉の意味を理解する。
『実地訓練で使用される「烏合族(Dusk)」は日常生活で出没する「烏合族(Dusk)」より「血統族(Dawn)」に対する敵愾心が強いんだ』
『な、なんでですか?そうなるように誘導してるんすか?』
『いや、違う。んー、陽翔は聞かない方がいいと思うよ』
『え、なんでっすか?』
『なんででもだよ』
(あれは、そういう意味だったのか…!)
確かに、聞かない方が、知らない方が良かった。
『烏合族(Dusk)』が言葉を発するなんて異常事態がなければ、知らずに済んだのに。
知ってしまったら、知らなかった頃には戻れない。
(こんなこと知っちまったら、俺は目の前の『烏合族(Dusk)』を殺せない…!)
「……けっキョく殺さ……レルなら、お前ラを道連れに…すルだけダ……!」
「!」
目の前の女型がそう言った時、後続の『烏合族(Dusk)』と涼と彩姫も維沙弥たちがいる場所へと到着した。
『烏合族(Dusk)』は全員顔を憎しみで充たしている。
あわや全面戦闘になるところで、女型の『烏合族(Dusk)』がふと視線を動かし、ある一点を見つめた。
「あ、……ア…さ……?」
「……?」
それはあまりにも切れ切れで、陽翔には何を言っているのか全く分からなかったが、目の前の『烏合族(Dusk)』が驚愕に目を見開いていることだけは分かった。それは、目の前の女型の後続の『烏合族(Dusk)』も同様だった。
そして、女型は驚愕に見開いた表情を徐々に歓喜に充ち充ちたそれへと変貌させ、最後には大粒の涙を流して懇願してきた。
とても明瞭な、人間そのものの喋り方で。
「私たちを、殺して下さい」
「え……?」
『烏合族(Dusk)』が先程の主張を急に変えたこと、そして明瞭な喋り方で懇願してきたことに、陽翔は言葉を失った。そして、その後の出来事にも、言葉を失った。
――ズパッ
「――……え?」
言葉は失ったが、思わず眼前の出来事に声を発さずにはいられなかった。何故なら、瞬きの瞬間で目の前の女型と、その後続の『烏合族(Dusk)』の総て首が軽快に吹き飛んでいたからだ。
――ごと
地面に落下した髑髏が一斉に鈍い音を立てる。その音が鳴り止んだあと、ゆっくりと総ての『烏合族(Dusk)』の胴体が頽れた。胴体から、一向に血は噴き出さない。よく見てみると、切断された首に焼け焦げたような痕がある。いや、それは氷結し、鬱血しているように見えた。美しい芸術作品が如く、水平な断面が覗く。全くの同時に一連の流れが実行され、整然と並ぶ屍体は奇妙な神秘性を孕む。
「――……!!」
陽翔は訳の分からない気持ち悪さに襲われ、思わず口元を押さえつける。ゆっくりと振り返ってみると、やはり平然とした顔で。やはり何かを斬った後の構えを解く維沙弥の姿が、目に入った。
「維沙弥……お前……」
「………」
維沙弥は陽翔には一瞥もくれず、つと虚空を眺めた。
その時、その場にいた『血統族(Dawn)』に怜央から通信が入った。
《全員、構えろ!》
「……怜央?」
怪訝そうに顔を顰めたのは、彩姫だった。いつもの怜央と様子が違うと気づいたからだ。
その緊迫感を感じ取り、亜貴乃、朔、一虎、涼は既に構えている。
その直後。
――『何もない虚空』から、『突然』血塗れの怜央が現れた。
「なっ……怜央!」
怜央の状態を見て翔が叫ぶ。片腕を押さえ苦痛に顔を歪めた怜央だったが、真っ直ぐに『虚空』を睨みながらも翔に応えた。
「やられたのは腕だけだ。それよりも、構えろ!」
怜央が睥睨する『虚空』から、先程の怜央のように『突然』夥しい量の『烏合族(Dusk)』が出現した。
「!!」
「術式で一時的に足止めしたが、『突然』破られたんだ」
一虎たちのいる場所へ到着した怜央は、周囲に視線を配りながらもそう言った。
「ビーコン反応はなかったぞ…?」
翔の疑問に、一虎が答える。
「恐らく、この場には強力なジャミングが発生している。翔の通信が俺に上手く届かなかったようにな。そして、今目の前で蠢いている『烏合族(Dusk)』の大群が『突然』現れたこの現象……」
そこで一虎は一度黙り込み、怜央と彩姫を一瞥すると、呟くように言葉を紡いだ。
「『十年前のあの日』と同じだ……」
「!!?」
その言葉を聞いた途端、『リアクト』の面々の表情が強ばる。
一虎はこちらの様子を窺うように呻く『烏合族(Dusk)』を睨み、『左腕』を強く掴みながら思考する。
(この量はまだ『十年前のあの日』よりはマシだけど……実戦経験のない『第十三眷属』を抱えて戦闘をするのは苦しいな…)
「……彩姫」
「なんですか?大佐」
「悪いけど、彩姫は『能力』を使って闘えない『第十三眷属』の『守護』に専念してくれ」
「……了解」
一虎からの命令を受け、彩姫は『第十三眷属』を見回す。
(陽翔くんと紗羅ちゃんは恐らく闘えない…。あとの三人は――)
「陽翔くん、紗羅ちゃんこっちに来て。貴方たちを『守護』するわ」
「あ、あとの三人はどうするんすか?」
陽翔が既に精神的に疲労困憊した様子で訊いてくる。
「……途中脱落があるとすれば、朔ちゃんだけね」
そう言うと、彩姫はその場に座った。
「……え?」
突然の行動に陽翔と紗羅は驚く。
「ああ、そうだよね。慣れてないよね。でも大丈夫。これは集中力を高めているだけだから」
「……?」
陽翔と紗羅には最初何を言っているのか分からなかったが、周りを見渡してみると、いつの間にか透明な黒いシールドが展開されていた。
「い、いつの間に……」
「でも、ごめんね」
二人が彩姫の技術に驚いていると、彩姫が突然謝ってきた。
「何がですの?」
「君たちは多分戦闘の生々しさに慣れてない。でも、慣れてもらうために、私の『対象』から外すね」
「『対象』…?」
一瞬、シールドの外へ追いやられたのかと思ったが、辺りを見る分に、二人はシールドの中央付近にいる。彩姫が言った言葉の意味とはなんなのか問いかけようとしたその時、陽翔にとっては唐突に、戦闘が開始された。
それは、まさに地獄絵図だった。
数人の『血統族(Dawn)』目がけて一斉に襲いかかる大量の『烏合族(Dusk)』。
しかし、明らかに『第十三眷属』に向かう『烏合族(Dusk)』の比率が高い。それも、作為的な気配を感じる。
「危ないッ!」
陽翔は『第十三眷属』のメンバーが殺されるのではと、全身に駆け巡った不安を吐き出すようにとっさに叫んだのも束の間。美しき『緋』の鞘に、同じ色で脈動する日本刀を納めた維沙弥が抜刀の構えを取るのが目に入った。
「……」
抜刀する寸前のモーションを見せたかと思えば、維沙弥の姿は陽翔の視界から消え失せた。そして、『第十三眷属』に向かってきていた『烏合族(Dusk)』の大群の後ろにその姿を見せる。
陽翔が維沙弥のいる位置に気づいたのとほぼ同時に、今まで猪突猛進、一心不乱に駆けてきた『烏合族(Dusk)』総ての身体から激しい血飛沫が乱舞する。一瞬で数回袈裟斬りと逆袈裟斬りを実行したようで、顔面が斜めに斬れた『烏合族(Dusk)』の吹き飛んだ頭の方から脳が飛び散り、胴体を斬られた『烏合族(Dusk)』の内臓が追従していた後ろの『烏合族(Dusk)』に派手に降りかかったりしている。
「――ッ!!」
一切の迷いのない演舞のような動きで、残酷に刹那で殺戮を完了させた維沙弥に、遅ればせながら『烏合族(Dusk)』の死を告げる血の雨が降り注ぐ。
維沙弥は前髪を掻き上げたようだが、背中を見せているため彼の表情は窺えない。
すると、維沙弥の死角を突くように、数十体の『烏合族(Dusk)』が忍び寄る。亜貴乃も朔も『リアクト』も自身にまとわりつく『烏合族(Dusk)』を対処していてそれに気づかない。
「維沙弥!!」
距離的に届かないと分かっていても、陽翔はそう叫んだ。
その声が届いたのか、はたまた最初から死角に『烏合族(Dusk)』がいたことに気づいていたのか、維沙弥は後ろを振り向かないままに、日本刀を握っていない方の腕を先頭の『烏合族(Dusk)』の顔面に叩きつけた。
その衝撃で『烏合族(Dusk)』の胴体が、彩姫のシールド、つまりは陽翔の目の前まで吹き飛んできた。シールドと衝突した際、シールドが大きく振動したことと、吹き飛んだ『烏合族(Dusk)』の首が捻じ切れていたことから、衝撃の強さが窺え、陽翔は心の底から震撼した。
(こんなの、桁違いだ…)
目の前で繰り返される殺戮に込み上げる吐き気をなんとか堪えながら、陽翔は前を向いた。すると、こちらに向かってくる数十体の『烏合族(Dusk)』を見咎める。何故だかこちらには気づいていないようだが、とにかく数十体の『烏合族(Dusk)』がこちらに突進してくる。
「――……ッ!!」
陽翔も紗羅も眼前の現実に追いつけず、また完全に恐怖が勝り身体が硬直して動かない。彩姫のシールドに守護されているため安全ではあるのだろうが、それでもやはり更なる恐怖に見舞われる。
すると、疾風のように到来した維沙弥が大きく跳躍し、身体を回転させ、その余力で強烈な斬撃を繰り出し、五、六体を一息に冥府へと叩き落とした。風圧なのかなんなのか、維沙弥の斬撃に耐え切れなかった地面が大きく抉り取られ、宙を駆け、それが弾丸が如く周囲の『烏合族(Dusk)』を一蹴する。
しかしそれを逃れた一体の『烏合族(Dusk)』がシールドの目の前に迫る。
「!!」
思わず目を瞑った陽翔だったが、異様な音が耳に飛び込み、薄らと瞼を上げる。
「あ、ああ……」
目の前は、真っ赤だった。維沙弥の剣戟により身体を真っ二つに切り裂かれた『烏合族(Dusk)』の血液がシールドの曲線に沿って流れている。
陽翔が聞きつけた異様な音は、骨や肉が断ち切れる音だったのだ。
「……うっ」
鉄臭い臭いが鼻腔を充たし、忘れられない刻印を陽翔に刻みつける。
目の前の赤越しに、恐らくその赤と同じくらい返り血に塗れた維沙弥が『緋』の日本刀に絡みつく『赤』を振り払い、伏せていた瞳を上げて、陽翔を真っ直ぐに見据えた。
「――……ッ」
目の前の少年は、浮き世離れしていて、ただただ美しかった。