第二話 ―BLAZE―Ⅰ
二一六七年六月七日日曜日。維沙弥が『砦』に来てから明日で一ヶ月になる今日。一週間程使用不可になっていた訓練場(維沙弥が破壊したため)が使用可能になり、能力テストの結果から新たに組まれた訓練カリキュラムを各員がこなすようになった。
紗羅は今まで通り、仮想敵との訓練。隔週で翔との訓練。
亜貴乃は仮想敵と怜央との訓練を一週間で、五対五の割合でこなしている。
朔も亜貴乃と同じで仮想敵と彩姫との訓練を半々で行っている。
陽翔は基本は仮想敵と戦い、週一のペースで涼と訓練をしている。
そして、維沙弥は毎日一虎と実戦に向けた訓練、演習をしている。
しかし今日陽翔が訓練場にいるのは組まれたカリキュラムをこなしている訳ではない。自主トレーニングである。草原エリアに設定した仮想空間で仮想敵を相手にしながら、陽翔の頭に浮かんでいたのはあの能力テストの日のことだった。
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涼に派手に吹き飛ばされ、軽く脳震盪気味だった陽翔の意識は朦朧としていた。
「………」
朦朧とした意識の中、フラッシュバックしてきたのは『あの日』の光景。
――燃え盛る『炎』と、あの人の顔。
陽翔の目の前にいた涼が、あの人に見えた。
贖罪の気持ちが腹の底からせり上がってきて、気持ち悪くなった。
思わず『あの日』のように『特殊能力』を発動しかけた。
それが、維沙弥と則継が気づいたこと。
彼らは涼の視界をハックし、ウィジェットを確認していた。確認した箇所は『温度』。
あの時陽翔と涼の周囲の温度は跳ね上がっていた。
二人の間に熱風が吹き抜けていたのだ。
『炎』。それを自在に操ることが彼の特殊能力である。しかもただの炎ではない。世に存在する通常の水では掻き消すことの出来ない炎。
「今のは……」
熱風を感じ取り腕を伸ばすのを止めた涼が思わず言葉を漏らす。
「………」
言いあぐね、思わず顔を背けた陽翔の様子を見て、涼はそれが何を意味するかを察した。
「そう…」
「………」
涼は陽翔の特殊能力について深く追求してこようとはしてこなかった。陽翔はてっきり根掘り葉掘り訊かれるものかと身構えていたが、どうやら質問する気はあっても陽翔の錯乱した状態を見て止めたらしい。
トラウマは誰でも触れて欲しくないものだ。
「貴方にとってその『特殊能力』はあまり自慢出来るものではないようね。あたし、貴方がここに来ることになった『出来事』だけは知っているから…深くは訊かないわ」
「ありがとう…ございます」
陽翔は『特殊能力』――主に発現した日のこと――を訊かれずに済み、心底ほっとした。しかし、涼は言葉を続けた。
「でも」
「え?」
「でも、その力が必要になったら、迷いを振り切って行使するのよ」
「それは……」
「だって、そんな力があるのに使わないなんて、損だわ」
「………」
(それは無理だ。だって、俺はこの力の所為で――)
「あたしには大切な人を守る力がない」
「……え?」
突然告げられたその言葉と、弱々しく、どこまでも哀しげなその声音に、陽翔は俯いていた顔を上げた。視界に入った涼の瞳は哀しみで大きく揺れていた。いや、哀しみというより『無力感』と言った方がいいだろうか。『右腕』を強く掴んでいる。
「あたしはあの人が傷つくのをただ見ていることしか出来ない…」
「……そんなに強いのにっすか?」
「この強さなんて何の役にも立ちはしないわ」
陽翔の言葉に自己嫌悪を混ぜ合わせた怒気を含んだ返答が即座に返ってきた。
「………」
「……あ、ごめんなさい。貴方に八つ当たりしても意味なんてないのに…」
「……いえ」
「だから、あたしが言いたいのは、貴方がその能力をどう思っているのかは分からないけれど、その力は大切な人を『守る』ために使いなさい。タイミングを見失わないで」
「……!」
(『守る』……ため)
「……少し長く喋りすぎてしまったかしらね。貴方もこれ以上は戦闘を続けられないでしょうし、これで終わりにしましょう」
「……了解っす」
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涼との能力テストを終えて、陽翔の内にある感情はごちゃ混ぜになっていた。今まで押し殺していた感情が噴き出してしまいそうな感覚が身体を這いずり回り、侵蝕されて気持ち悪い。それを振り払いたいのかなんなのか、陽翔はこの訓練場に足しげく足を運ぶようになった。
(俺の力で誰かを『守る』…?そんな事が、本当に出来るのか…?)
――こんな、壊すしか能のない力。
「――……しまっ」
その時、思考に没頭していた所為で気づかなかった仮想敵の接近により致命傷を喰らい、視界の右上に表示されていたバイタルがゼロになり、AR空間が強制的に終了した。
「くっそー。煮え切らねぇなぁ…」
自分が本当は何がしたいのか。それが分からずむしゃくしゃする気持ちを抱え、頭をぐしゃぐしゃと掻き毟った、それと同時に訓練場の貸し出し終了時間がきたことを知らせるウィンドウが現れた。
「もうそんなに経ったのか…」
ウィジェットを確認すると、時刻は十時になっていた。七時から三時間使用していたことになる。
「そういや、俺の前に誰か使ってたよな…。どんだけ早起きなんだよ……ん?」
ウィンドウを見てみると、陽翔の次に訓練場を使用する予約が入っていることが分かった。
「やべ、片して早く出ていかねぇと」
そう言うと、陽翔は慌ただしく訓練場を後にした。
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陽翔が訓練場を後にしてから二時間が経過し、現在時刻は正午。食堂に行った陽翔であったが、一緒に昼食を摂ろうと思っていた維沙弥が来ていないことに気がついた。
「あれ?維沙弥は?」
食堂には維沙弥を除いた全員が集合していたため、陽翔は誰にともなくそう訊いた。
「さあ。私は今日一度も澄丈を見ていませんね」
そう答えたのは朔。陽翔の質問に素早く反応した。
恐ろしく似合う和食の定食を食べていた。
「私も…。存じ上げませんわ」
フォークでパスタをくるくると巻きながら答えたのは紗羅だ。こちらも食べている物がイメージに恐ろしく合っている。
「そうか…」
「わあふぁひみふぁひょー(あたし見たよー)」
そんな間抜けな声を発したのは亜貴乃だった。彼女の周りのテーブルの上には料理がたくさん置かれすぎていて、彼女が何を頬張りながら喋っているのかは判然としない。
「どこで見たんだ?」
「今ので通じたんですか…」
陽翔の言葉に朔が呆れた声を出す。
「亜貴乃さん。きちんと飲み込んでから話して下さいな。お行儀が悪いですわよ?」
「ごふぇん。ごふぇん。……ん、うんっ!訓練場で見たよー」
「……訓練場?」
「うんー。はるくんが入る前と出て行った後に訓練場の近くにいたから、訓練してるんじゃないの〜?」
「なるほど。訓練場の一回の貸し出し時間は最長三時間。加えて続けて借りることは出来ませんでしたよね。では今澄丈が訓練場にいるのだとしたら、十三時までここには来ないのでは」
「そうか…」
(それなら仕方ないか)
陽翔がそう言って席に着き、席中央に仮想投影されているアイコンをタップしてメニューを開いた。注文しようとした時、食堂の自動ドアが開く音が聞こえた。振り返ってみると、そこに立っていたのは維沙弥だった。訓練用に支給された特殊素材のジャージ姿に、コードレスヘッドフォン(このヘッドフォンをして音楽を聴いている姿がよく見られるため、彼は音楽を聴くのか好きなのだろう)を首にかけている。恐らくつい先程まで訓練をしていたはずなのだが、彼には汗をかいた様子が見受けられない。タオルすら持っていなかった。
「よう、維沙弥。訓練場で訓練してたんじゃなかったのか?」
陽翔がそう維沙弥に問うと、維沙弥が回答する前に、もう一つ質問が追加された。
「いさやん何か急ぎの用だったの?」
「は?」
亜貴乃がした質問に、そう声を上げたのは陽翔だった。
なぜ、維沙弥がここに来ただけでそう言えるのだろうか。
そんな陽翔の怪訝な顔つきを察したらしく、亜貴乃は口の中の食べ物を一気に飲み干してから、口を開いた。
「訓練は予約が二時間って可能性もあるから訓練中だったとは一概には言えないけどぉ〜。だって訓練着は原則訓練場で着替えることになってるし、それにこの時間はここに全員集まるって大体決まってるじゃん」
「そ、そうか…」
(コイツは意外なところで鋭いよなぁ)
陽翔がしみじみとそう思っていると、問われていた維沙弥が返事を返した。
「確かに俺は三時間予約してて、訓練の途中だった。けどここに招集命令が来たから来たんだ」
「招集命令?」
身に覚えのないことだったため、陽翔は思わず聞き返した。周りを見回すと、全員首が傾げている。
「ああ、食堂にいた人には招集命令は届いてないはずだよ。権限によっては、誰がどこにいるかマップで表示出来るみたいだし」
「……そんな機能があったのですか」
維沙弥がさらりと言ったことに反応したのは、意外にも朔だった。何かを思考している。仮に今のプライバシーも何もない情報が本当だとしても、彼女ほど品行方正ならば、どこにいるかバレても問題なさそうなものだが。
「………」
朔が唇に手を当て、更に思考に耽ようとしたその時、またしても自動ドアが開く音がした。見ればそこに立っていたのは一虎だった。
「やあ、こんにちは。大体の人は今食事中だったと思うけど…。ついさっき行われたブリーフィングで、伝達事項があったから皆を招集させてもらったよ」
「はあ……」
「あれ、陽翔。なんでちゃんとした場所じゃなくてこの食堂に招集させたか分かってないみたいだね?」
「そうっすね…。なんでわざわざここなんすか?」
「わざわざここにしたんじゃなくて、わざとここにしたんだよ」
「?」
「だって口で直接伝達するべき重要事項だよ?直ぐに伝達するには、形式ばった場所じゃなくて全員が既に集まっている場所の方が効率的だろ?」
「あ、なるほど」
「そういうこと。維沙弥に招集命令を出すだけでいいならこっちの方が早いんだよ」
陽翔がようやく話を聞く体勢に入ったのを認めて、一虎が伝達事項を告げた。
「明日、『ゲート』を使い『砦』外で実地訓練を実施します」
「実地…訓練?」
「そう。我々が所持している『烏合族(Dusk)』を外のフィールドに放ち、殲滅するという実地訓練です」
一虎はそう言うと、明日の集合時間や注意事項を述べた。
「明日は〇五〇〇までに『砦』中央広場に集合時間。注意事項は、死なないように」
「………」
「訓練は俺たちが終始見てはいるけど、気をつけるに越したことはない。あと、君たちの中には気分が悪くなる者が絶対に出ると思う。そうしたら即刻申し出るように。では、以上、解散!……と言っても皆はこれからお昼か。俺もお腹空いたしこれで失礼するよ」
つらつらと必要事項を述べると、一虎はさっさと食堂を後にした。
「………」
一瞬の静寂の後、陽翔が口を開いた。
「いきなりなんだな。……実地訓練、か」
「いつ頃終わるのかなー。あんまりお腹空く時間じゃないといいんだけどー」
「お前の問題はそこかよ」
陽翔と亜貴乃がいつものように無駄口を言い合っていると、パスタを食べ終えたらしい紗羅がこう言った。
「それにしても……佐内大佐が仰った『気分が悪くなる』というのはどういうことなのでしょう?」
「あ〜、それな。俺も気になってたわ。どういう意味なんだろうな?」
「確かにね〜」
紗羅の疑問に陽翔と亜貴乃が同調したが、維沙弥と朔は、何も言わなかった。否。言えなかったと言うべきだろうか。
二人共、一虎の言わんとするところを理解していた。
朔が黙り込んだのは、その意味するところが自分にとって当てはまることだったから。
そして、維沙弥が黙り込んだのは、自分を除いた全員が当てはまるであろう一虎の言葉の意味を、ここで露見させるのは早計と判断したためだった。
維沙弥と朔は普段からあまり言葉を発するタイプではないため、この時二人が喋らなかったのは、黙り込んだのではなく、ただ単に語ることがないからなのだと、その時の三人は思っていた。
しかし、一虎の言葉の意味を、三人は痛感することになる。
特に大きなダメージを被ったのは、亜貴乃でも紗羅でもなく、陽翔であった。
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翌日、六月八日月曜日。時刻は四時五十分。
集合時間の十分前に到着した陽翔は、集合場所に先に到着後していた維沙弥と一虎が何か言葉を交わしているのを目撃した。
「――……だと思うんだ。だから……」
「はい。承りました」
まだ二人の距離まで遠かったため、陽翔は二人が何を話しているのか、断片的にしか聞き取れなかった。聞き取れた部分だけで判断するならば、一虎が維沙弥に何かを頼んでいるようであった。
私的なことかも知れないため、それがなんなのか、詳しく訊くことははばかられた。
「おはようございまっす」
だから陽翔は集合場所に到着した際、挨拶するだけに留めた。
「あ、おはよう、陽翔。十分前だね」
「おはようございます。佐倉」
「おはようございますわ。陽翔さん」
「おはよう」
各々から挨拶が返ってきたところで、はたと気づく。
「あれ、亜貴乃は?」
「………」
全員が綺麗に黙り込む。
「あちゃー。アイツまた寝坊してんの?こうゆう軍事的なやつはさすがに遅れたらマズイだろ……」
「私と結城は努力はしました。いえ、尽力しました。後はもう『人事を尽くして天命を待つ』のみです」
「うーん。そうは言ってもなぁ」
「まあ、このまま亜貴乃が遅れたら…可愛く言えば、反省文ものかな」
「『可愛く言えば』は余計っすよ一虎さん…。怖さ増大しただけっす」
「あはは。ごめんごめん」
四人がそんなダイアローグを展開している間に、維沙弥がAR網膜で何か動作をした。その約三分後、亜貴乃が猛烈なスピードで駆けてきた。
「うわぁぁぁぁぁっ!遅刻するー!!」
高速で駆けてきた少女はブレーキ痕が残りそうな程急停止すると、息も絶え絶え一虎を見上げた。
「ま、間に合いましたっか?」
変なところに促音が入っている。陽翔は思わず吹き出しそうになった。
一虎が左上のウィジェットを確認する。
「あと四十秒で遅刻だったね。亜貴乃、維沙弥にちゃんとお礼言いなよ?」
「は、はぁ〜い…。いさやん起こしてくれてありがとう〜!お陰で遅刻しないで済みました」
「どういたしまして。良かったね、間に合って」
「五月八日の朝といい、今日といい……澄丈、一体どうやってこのロングスリーパーを起こしているのですか?」
「ロングスリーパーってなんかカッコイイ響きだねぇ!」
「有賀は黙ってて下さい」
「ええ〜」
「簡単だよ。食べ物の話をすれば直ぐに起きてくれるよ」
維沙弥はそう言った。そう言えば、一ヶ月前のあの時も食べ物の話をしていたなと陽翔は思い出す。
「あたし食べるの大好きだからね!お腹空いて起きちゃうみたい!」
「どういう原理ですか、それは…」
朔が呆れた声で力なく項垂れる。
「それにしても、亜貴乃さんを起こすには食べ物の話をするだけでいいだなんて…。今までの私たちの努力が虚しいですわね」
朔と紗羅が疲れた表情を見せ、その二人の反応に亜貴乃が首を傾げる。
話が一段落したのを見計らって一虎が手を叩いた。
「はい、じゃあ話も落ち着いたみたいだし、そろそろ実地訓練の場所に向かうよ」
「そういや他の『リアクト』のメンバーはどうしたんすか?」
ふと疑問に思った陽翔が一虎にそう訊ねる。すると一虎はさらりと爆弾発言をした。
「ああ、これから君たちに相手をしてもらう『烏合族(Dusk)』を抑え込んでもらってるんだよ」
「え」
「実地訓練で使用される『烏合族(Dusk)』は日常生活で出没する『烏合族(Dusk)』より『血統族(Dawn)』に対する敵愾心が強いんだ」
「な、なんでですか?そうなるように誘導してるんすか?」
「いや、違う。んー、陽翔は聞かない方がいいと思うよ」
「え、なんでっすか?」
「なんででもだよ」
陽翔はまだ食い下がろうとしたが、一虎はこの件に関しては取りつく島がない雰囲気を纏わせていた。そのため、陽翔はもやもやとした感情を抱いたまま、それ以上の言及は止めた。周りを見てみると、陽翔と同じように首を傾げているのは紗羅だけだった。維沙弥と朔、それに亜貴乃は一虎が言わんとしていることが分かったらしい。
「?」
陽翔はこの時、四人の反応の意味が分からなかった。しかし、それは実地訓練で判明する。
――さあ、地獄の時間の始まりだ。