第一話 少年の世界は血汐よりも赤く
現在時刻、二一六七年、十二月三十一日、二十三時七分。
残り五十三分で、二一六七年も終わる。
――ギシッ
革張りのリクライニングチェアが軋む音が、その部屋に響いた。
そこは長方形の部屋だった。どこから見るかにもよるが、縦長の長方形の部屋だ。
純白の部屋には窓はない。天井まで届く備え付けの書架が部屋を囲んでいるが、そこに書物は一冊たりともない。
ただ、虚しく空間が拡がっているだけだ。
その部屋の最奥には、執務机があった。年代物のようで、長年使われてきたことにより木の机にはなんとも言い難い味わいが出ていた。その執務机の前にリクライニングチェアがあり、そこには一人の青年が座っていた。まだ少年のあどけなさが顔に残る、優しい顔立ちの青年だった。
青年は、静かに目を瞑っている。彼の意識は遥か昔の懐古に揺蕩っている。
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――少し、昔話をしよう。それは私を形成する根幹の部分。
――二〇五六年、十二月三十一日。年の瀬であるこの日に、私はこの世に生を受けた。後に母に聞いた話によると、陣痛が二十七時間にも及ぶ難産だったそうだ。
私は六人兄弟の末っ子。末っ子だから、というわけではないのだろうが、私は非常に泣き虫でいつも兄や姉にいじめられていた。その仕打ちはとても辛く、耐え難いモノだったが、そんな時、いつも私の味方でいてくれたのが、他ならぬ母だった。
母は美しい人だった。優しい人だった。兄弟全員に分け隔てなく愛情を注ぐ良妻賢母。
しかし、そんな母は私が八歳の時にあっさり亡くなった。それは聡明な母には似つかわしくない不注意が原因であったし、また同時に私の所為であった。
事の発端は、とても些細なこと。
最近はオートメーションに家事をさせる家も多いが、我が家ではオートメーションも、ましてや家政婦など雇わず母が自ら台所に立って腕によりをかけた料理を振る舞っていた。私は母の作る料理がとても好きだったし、何より料理を作る時の母の姿は私が一番好ましく思う母の姿であった。だから必然的に私はいつも母の料理を手伝っていた。料理を作る母の側にいたかったのだ。
その日は、初めて包丁を持たせて貰い、野菜の皮剥きをしていた。
良くあることだ。慣れない包丁を使っていた私は指を滑らせ親指を切ってしまった。しかし、それが命取りだった。
私ではなく、母の。
彼女の行動は恐らく咄嗟の、反射のようなモノだった。
指を切った私は指先に走った鋭い痛みに声を上げた。母は、血止めのつもりだったのか、私の指を口に咥えた。
「――えぅ」
聞いたことのない呻き声だった。
そしてそれが母の声を聞いた最後となった。
私の指を口に咥えたまま、まずは母の口から唾液が混じった赤黒い血が大量に喀血された。私の指から肘までが一気に赤く染まる。
その後すぐに大量の鼻血が流れ出た。
母の異常事態に目を剥いたまま口を開閉させるしか出来ない私を余所に、今度は母の眼球が血走り、血の涙が滂沱として流れる。いや、流れると言うような生温いモノではない。勢い良く噴き出し私の顔面を濡らした。そして耳からも血が流れ、母が白眼を剥いたその瞬間、喉と心臓の中間辺りから、母は爆散した。
眼球の鞏膜と角膜が破れ中身が噴出し、髪の毛、肉塊に大量の血液が一斉に私に飛散した。
思わず私は目と口を閉じた。
その時は何が起こったのか分からなかった。しかし、これは後に分かったことなのだが、どうやら我々『血統族(Dawn)』は自分以外の血液を体内に取り込んではいけないらしい。
私はそのことを知らなかったが、母がそれを知らなかったとは思えない。だが、母はその禁忌を破り、呆気なく死んだ。
その時、私は初めて気が付いた。人間とは、簡単に死ぬものなのだと。永遠に続く幸せは存在しないのだと。
その時から私の世界は一変した。それは、感覚的な意味でも、そして視覚的な意味でも。
感覚的な意味とは勿論、私の世界観が一変したと言うこと。
そして視覚的な意味とは、その日から私の目には『赤』しか映らなくなった、と言うこと。これは怒りで目の前が真っ赤になったなどと言うようなことではない。本当に、目が色を赤でしか捉えられなくなってしまったのだ。私の瞳に映る世界は赤の濃淡でしかない。赤の濃淡ならば黒も見えていると言えるのかも知れないが、それはせいぜい赤黒い色に見える程度だ。
何故そうなってしまったのかは、分からない。いや、科学的な原因が分からないと言うだけで、私には原因が分かっていた。母が爆散した時に降り掛かってきた母の血肉の色がこびりついているのだ。まるで、母が忘れないでと言っているように。それとも、私が忘れたくないと思っているだけなのかも知れないが。
母が死んでから野辺の送りをするまでの一連の記憶は断片的にしか憶えていない。
だが、はっきりと憶えていることがある。
それは、最早人間の形を成していない母を火葬する際のこと。兄弟達は泣き叫び、父と祖父が沈痛な面持ちでそれを見送っていたが、私だけ、晴れ晴れとした表情を浮かべていたと言うことだ。勿論母が死んでしまったことは耐え難き心の痛みを伴った。
しかし、母は自らの命を懸けて私に教えてくれたのだ。
私が目標とすべきことを。
母が私に教えてくれた目標。
それは『どんな手を使ってでも生きる』と言うことだ。
これは何を犠牲にしても生き残ると言う意味ではない。
『死なない人間になる』と言う意味だ。
今思えば、幼い私は意図せず自然の摂理に、大きく言えば『神』に逆らおうとしていたのだ。滑稽極まりないが、私の目標は今も相変わらず『死なない人間になる』ことだ。その目標がどれだけ愚かで滑稽なのか。私はそれを知っているが、知っていることとそれを諦めることは違う。
…話が脱線してしまった。私の懐古に話を戻すと、その母の葬儀自体は粛々と行われた。しかし家族の私に対する態度は一変していた。皆、昔は私が泣き虫で非力だと思っていたから私を虐めていた。私が母を殺したと知った時、彼らの私に対する扱い、感情は憎悪へと変貌した。それも無理からぬことだ。何故なら母が家族を愛していたように、家族も母を愛していたからだ。
だが、彼らの私に対する感情は、またすぐに変質することとなる。
それは先程から語っている葬儀の場面でのこと。哀しみと絶望の絶頂にあった彼らは、その総てを私にぶちまけようとした。私は母の死の責任は自分にあると思っていたため、別にその負の感情をぶつけられても良かった。だが、彼らはそれをしなかった。否、出来なかった、と言うべきか。何故なら彼らは感情をぶちまける寸前に、私の顔を、表情を見てしまったからだ。
私の表情は、先述の通り確かに晴れ晴れとしていた。しかし同時に、私以外の総てのモノを憎む、憎悪を滲ませた表情もしていたのだ。その憎しみは目の前が(今度は感覚的に)真っ赤に染まる程の激情だった。
母が死んだ事実を憎み、母が死んだ世界を憎み、私が死にゆく事実を憎み、私が死にゆく世界が憎い。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
憎い世界で、私は生きていたい。
そんなある種狂気に充ちた表情を見て、家族は私を畏れるようになった。
当時『血統族(Dawn)』の総帥であった祖父でさえも。
ああ、そう言えばまだ名乗っていなかった。
私の名前は『九条』興助。
遠距離攻撃の『一条家』、『第三使徒』の能力、『アリア』に酷似した護りの『三条家』、武闘派の『五条家』、中距離攻撃と突出した科学技術を誇る『七条家』、そして総ての『裏条家』を統率する、我が『九条家』。
私は『血蜘蛛の契』が守る『純血』の『血統族(Dawn)』の一人である。