大工の棟梁 鷹橋
正直な話、鷹橋が遭遇したモノを一抹も理解できていなかったし、その後、世界中で様々な研究が進み、僅かばかりの事がテレビで何度も公表されたが、やはりほとんど理解はできなかった。
関連書籍や雑誌を手にしたものの、睡眠を促しただけだ。
あの時も今も、鷹橋に理解できたのは、仲間の危機であるということだけである。
20××年、日本上空に突如現れた幾つかの魔法陣。
大工の棟梁である鷹橋は定年近い昔気質の職人ではあるが、そこそこ理解はあり、情に厚いタイプで、腕のいい職人に師匠を聞くと、十人に一人くらいは彼の名を上げる。
少ないか多いかといえば少ないかもしれないが、鷹橋を慕い、独立する大工が少ないのだ。
鷹橋は、そこそこ名の知れた大工だった。
とはいえ、本当にその県の建築業界にはという程度の話ではある。
昔は中卒で大工も珍しくはなく、高卒の鷹橋は当時としては早いというわけではなかった。
もう少し建築業界に入るのが早ければ、日本一の大工になったと、祖父が冗談交じりでカラカラと笑っていたのをよく覚えている。
祖父の欲目と鵜呑みにしてはいなかったが、現役引退間近でも現場で煙たがられない事を考えれば十分に才能はあったのだろう。
逆に父親は酷く厳しかったが、それゆえに鷹橋の腕が育った。
元々、彼には兄がいて棟梁を継ぐ予定だったため、幼少期に巡業の生の相撲の迫力に心を奪われた鷹橋は、子供の頃から相撲取りを目指していた。
そこそこ体格もよく、たいそうな健啖家ではあったが、母親譲りなのか太りにくい体質だったため、不本意ながら、相撲の相撲の技や速度を磨いた。
鷹橋が憧れたのは、ぶちかましのような肉体のぶつかり合いの迫力だ。
一番練習をしたものの、不意打ちでしかきか決まったことがなかったような気がする。
ちびっこ相撲大会から始まり、子供相撲、中学相撲と、子供らしからぬ器用な立ち回りで好成績を収めており、相撲部のある高校に進学が決まっていた。
高校時代に幾つかの大会でも好成績を収めていたが、兄が交通事故で他界し、その時の父の塞ぎようといったらなく、意を決して大工の棟梁を継ぐ決意をした。
その決断を後悔はしていなかったが、時々兄が生きて入ればと思う事も少なくなかった。
元々相撲の体力づくりの一環として、父の職場でアルバイトとして懸命に力仕事をしていたので、古参の大工たちには可愛がられていたこともあって、すぐに馴染んだ。
血筋なのか、努力なのか、多少大工道具には触りなれていたので、覚えは早かった。
密かに死んだ兄が自分に力を貸してくれているのではないか、とも思った。
四十手前で父から棟梁を継ぎ、現在は一人息子も八代目の棟梁を目指して、大工の道を進んでいる事を嬉しく思ったし、無口だった父も大いに喜んでいた。
鷹橋は大工の仕事を誇りに思っていた。
残念ながら孫が三人とも娘だった事で、代々続いた大工の地脈は途切れるかもしれないが、丸くなった鷹橋から言わせれば、三人とも幸せになれればそれでよいと思っている。
一人くらい大工の婿をと、思わなくもないが、無理強いする気はない。
「と、棟梁!アレ!ちょーヤバくないっすか!」
その日も地鎮祭が終え、すでに着工に入っていた時だった。
入って数年の若い職人の良助が空を指さして、絶叫する。
当初は長い金髪な上にかなり軽い調子のモヤシのような若者で高校も出ておらず、ろくに資材も運べないから、すぐ出ていくかと鷹橋は思っていた。
が、意外と『俺、棟梁に認められるのが目標っていうんすかね?ちょーがんばります』と根性を見せた若者だった。
何故だかわからないが、鷹橋を慕っているのだ。
休み返上の仕事もまったく断ることはなく、今までの独身の職人がそうだったように、鷹橋の家で夕食を食べてっては時々、翌日も仕事だと泊まっていくことすらある。
個人主義の多い今時の若者ならば嫌がるかもしれないと思ったが、むしろ鷹橋は喜んでいた。
言葉の端々から想像するに恵まれた幼少期を過ごしてはいなかったようで、三世代同居し、自然と大工職人の集まる鷹橋家を好み、頑固な職人たちとは別に不器用さを持っている。
二年も経過してみれば、身体つきは一回り大きくなっている。
なまっちろい肌も、すでに日にやけ浅黒い。
長い金髪は、もうすぐ定年のブンさんに孫用のバリカンで剃られたためだが短髪で、時間がなかなか取れないので、髪を染めに行く暇がないらしく黒いままだ。
へらへらと軽い調子は相変わらずだが、容姿ならば、もはや別人であり、昔の知り合いとあっても、すぐには認識されないと笑っていた。
指された空を見上げ、たしかに驚きはしたが、すぐに鷹橋の興味はなくなった。
どうせ、どこかの企業の広告で、なにか飛ばしてるんだろう。
異質ではあったが、危機感を煽るほどではなかった。
「うるせぇ、良助!仕事してから騒げ!」
と、同じように騒ぐ職人たちを一喝し、仕事へと戻らせた。
この時の鷹橋の言動は褒められたものではないが、その時点で危機があったかといわれればないわけで、たとえ何か理解できても、誰になんの手出しもできなかっただろう。
実は上空に魔法陣が現れた住人達の七割程度が、暫し空を見上げていたが、危険が無いとわかると大抵の人間は仕事と向き合っていた。
大工たちも若い良助を抜かせば、十分もしない内に仕事に集中しだした。
本気で世界が終わると信じて家に帰って閉じこもったり、魔法陣の下から退避しようとした者は人工の一割にも満たなかったのである。
この時点で市内に幾つかのよそ見運転等で事故が起きたり、学生たちが授業そっちのけで写メを取るなどの騒ぎが起き、当然インターネットや携帯で情報が一気に拡散し、周囲の町から確認にやってくる者までいたという始末だ。
日常に戻った住人同様に、鷹橋が後悔したのは30分後のことだった。
空の魔法陣が光り出し、この時ばかりは鷹橋も空を見上げ、目のいい職人の一人が何かが幾つも落ちてきているという言葉に、ようやく危険を察知し眉根を寄せた。
化物が落ちてきているという危機ではなく、鷹橋が大工だったためだ。
たとえば三階建ての建物からうっかり鉄鎚を落とし、それが一階にいた人間に当たったのなら、どれほどの怪我になるかを知っている。
ましてやどれほどの高さにあるかわからない場所から落ちてきたもの。
それは間違いなく、強力な凶器と化す。
だが職人の話では、結構な数はあるが、こちらにはさほど落ちてきてないように見えるという言葉を信じたが、念のため全員に落下が止まるまでは空から目を離すなと指示した。
全員で見ていれば、多少は近くの落下先の検討はつくはずだ。
幸いな事に、ほとんどは近隣に落ちてくることはなかったが、現場の向いの自然公園の中に一匹だけ落ちてきた。
何かが木々をなぎ倒し、轟音を響かせ、地面に衝突した。
人々の悲鳴が響き、もくもくと土煙が立ち上がり、なんにも見えやしない。
「ど、どうする、鷹さんよ」
目を白黒させて、狼狽える鉄っちゃんの声に、茫然としていた鷹橋も正気に戻り、ひとつ頷いた。
すぐに鷹橋は思考を巡らす。
どうせ周囲の騒動で仕事は進むまいし、警察もやってくるだろう。
予定通りに資材が現場に届かなかった時だって、天候の関係でまったく仕事が進まなかった日だって、いつだって鷹橋は、棟梁として最善と思しき道を選んできた。
「鉄っちゃん、とりあえず警察に連絡だ」
「お、おう!」
慌ててポケットから、鉄っちゃんが携帯電話を探る。
もしかしたら誰かが電話しているかもしれないが、電話をかけていないというよりは断然いいだろう。
「吾郷、バンからビニールシート出して、汚れねぇように、残りの資材に被せとてくれ」
「うす」
「吾郷さん、俺手伝うっス」
「おう、頼む」
年近い職人の吾郷の動きに合わせて、良助が後を追いかける。
ロープで現場保存をさせるために良助を動かそうかと思ったが、矛先は最年長のブンさんへ。
「後は……ブンさん、わりぃが警察が現場検証とかするかもしんねぇし、危ないやもしれんから周囲にロープで通行止めを手伝ってくれ。良助、砂埃が収まったら、現場のしゃめぇとかで写真とっとけ」
「写メっス、棟梁!」
「うるせぇ!いいからとっとけ!」
てきぱきと地面にメガネ釘を刺して、ブンさんと左右に広がる様にロープを通していく。
そんな中で、低い獣の唸り声―――――途端に、強烈な犬に似た咆哮が響いた。
町中で聞くような犬の鳴き声よりも遥かに大きい。
そして、強い敵意に満ちていた。
「ひ、ひぇええええ!!」
収まりかけた砂煙の中から、飛び出した影はブンさんの横に出現―――――全身血塗れで足を引き摺っているそれは、馬ほどはありそうな角の生えた犬だった。
あまりの異常な大きさと狂犬のような凶悪さに、ブンさんが固まる。
悲鳴と相俟って、徐々に背後に下がるせいか、犬の視線は逆にブンさんに釘付けとなり、耳が痛むほどの強烈な咆哮を上げた。
マズイと思った時には、犬に鷹橋は走り出していた。
巨大な犬はダッシュの直前に犬がするように、姿勢を低くして、唸る。
「ちょ!棟梁!なんか、ヤバいっすよ!その犬!」
うるせぇ!―――――良助の声に対して、鷹橋は内心吐き捨てた。
ブンさんは、今年で退職の先輩職人だ。
仕事は早いというのに、仕上がりの丁重さは職人の中でも最高クラスで、今は年もあって、少しばかり仕事は遅くなったが丁重さは変わらないどころか、極まっている。
殆ど年齢は変わらないものの中学卒業と共に大工入りした先輩職人で、相撲で食っていこうとした時は応援に駆け付けてくれたこともあり、死んだ兄と同じように慕っていた。
面倒見も良く、性格も温厚で、数年遅く大工入りした時も鷹橋の修練に遅くまで付き合ってくれた。
仕事仲間と言ってしまえばそれまでかも知れないが、鷹橋には第二の兄なのだ。
定年後は、可愛い孫のために庭にジャングルジムでも作ってやろうかと設計図をひいてるらしく、こないだ家に来て飲んだ時に笑っていた。
見せてもらったが、趣味とは思えぬ見事なモノだった。
ほとんど無意識だったが、ブンさんから犬を遠ざけるという思いだけがあったのを覚えている。
「犬が、怖くてっ」
犬に到達する寸前、鷹橋は加速を殺さず腰を低く落とした。
たん、と握られた拳は軽快な音を上げて、地面を叩く――――――仕切り、だ。
鷹橋の身体は覚えている。
若い頃に何百、何千、何万と繰り返した修練を。
「大工ができるか、馬鹿野郎っ!!」
若い頃に一番、打ち込んだ技。
犬が飛び上がった寸前。
ブンさんに飛びかかられるよりも先に、鷹橋の渾身のぶちかましが炸裂した。
鷹橋には、馬ほどの犬が浮き上がったのがスローモーションに見えた。
異能発生者:鷹橋 次郎 Case:JP1-004
異能脅威ランク:F-【20××年5月7日改定版ランク】
異能全容:戦闘技能の上昇(相撲技限定?)
異能経緯
第一波に手負いの魔物の角狼と戦闘。
相撲技のぶちかましにて、吹っ飛んだ角狼が折れた樹木に
刺さり、戦闘に勝利。
以後、調査により第二波後に数度に及ぶスカウト失敗。
備考欄
【20××年8月7日追記】
SFD日本支部の職員A67にてのスカウト失敗。
【20××年6月9日追記】
第七波にて、魔物を突っ張りの猛打により2体殲滅報告有。
近隣の監視カメラの映像より、突っ張りは一秒に5.6発放たれ、1撃で
コンクリートに亀裂。
【20××年8月16日追記】
SFD日本支部の職員D43にてのスカウト失敗。
【20××年12月28日追記】
第九波にて、魔物が地面を凍らせたが、四股を踏み粉砕。
近隣の監視カメラの映像により、氷の厚さ、四センチと推測される。
以後、一時的に周囲の魔物の異能が使用不可に?
SFD戦闘部隊【アイリス】到着まで、6体殲滅報告有。
【20××年8月16日追記】
SFD日本支部の職員D43にてのスカウト失敗。
【20××年10月14日追記】
SFD日本支部の人材発掘部隊【コスモス】職員C36にてのスカウト失敗。
【20××年11月1日追記】
SFD日本支部の人材発掘部隊【コスモス】職員C36にてのスカウト失敗。