こだわりの仕事とそれにまつわるモノの話
※いつもとは違う雰囲気に挑戦してみましたが、正直ありきたりな話だと思います。
作中は、
「」→日本語会話
『』→英会話
という事でお願いします。英語ワカラナイ!
「…展覧会、ですか?」
上司の突然の言葉に、私は首を傾げた。
上司である笹島と私は主に美術品の展覧会を開く際に、展示されるに相応しい会場を紹介し、斡旋している。
無論大手の業者などは、人が集まり易く、有名で大きな会場を自社で決めて用意する事が多い。
だから私たちが働く会社も、そう儲かっている訳でもないのだ。
それでも少なからずこだわりを持つ人は、公開する美術品に合うような土地を探す。
人の集まり易さなんて二の次だ。
本当に興味がある人にだけ、その美術品とできるだけ合う土地で、美術品を感じて欲しいという主催者のこだわりがあるのだ。
自分だけで探すのは大変だという彼らは、私たちの会社に依頼してくる。
そして今回も、仕事が舞い込んできた。
「そうだ。何と言う名前だったか……とにかく、昔の西洋の画家だよ」
「名前も憶えてないんですか…」
「仕方ないだろう、日本の絵ならともかく西洋の絵なんて範囲外なんだ。えぇと、依頼人から展示する絵のポストカードとかも貰ったんだけどな…」
日本の絵も言うほど詳しくない上司は、片付けが苦手だ。
だから上司の仕事机はいつも書類や資料が溢れていて汚い。
少しは整理すればいいのに…。
幾つもの書類の山を崩すと、目当てのものが見つかったのか、安堵の表情でそれを私に差し出してきた。
「ほら、これだ」
そう言って差し出されたポストカードの絵は、全体的に青かった。
それが水面か空なのか私には分からないが、青い揺らめきが目に残る。
ぼんやりと描かれている白いものは、月だろうか。
そしてそれを眺める人がいる。
風景画、というよりは抽象的だが、全く分からない訳じゃない。
「印象派の絵ですか?」
「さぁて、知らないな」
「……仮にも美術品の展示場所を紹介する会社の人間なんですから、少しは西洋の絵画について勉強しないんですか?」
「じゃあ聞くが、進藤はその画家を知っているのか?」
「…分かりません」
ニヤニヤと笑う上司にムッとする。
悔しい、が分からないものは分からない。
「依頼人もそう有名な画家ではないと言っていた。知っている人は知っている、知らない人の方が多いってね」
「それでは、普通はそれこそ多くの人に知ってもらうように展示場を探すのでは?」
「依頼人は別にその画家が有名になる事を願っている訳じゃない」
ならば何故展覧会など開くのか?
疑問が顔に出ていたのだろう、上司は笑みを深めた。
「人が集まれば名が知れ渡るかもしれない、展覧会を開く為に投資した金だって戻ってくるかもしれない。だが依頼人にとって大事なのはそこじゃないのさ。こだわりなんだよ」
「…こだわっているのなら、尚更その画家について調べなくちゃならないでしょう?」
「いいんだよ。依頼人にまず確認した、俺と稲葉どっちがいいかってな」
この会社に依頼をする際、依頼人には2パターンの内1つを選んでもらう事になっている。
上司は美術品の製作者について調べない。
ただ展示する美術品をじっくり見て、その印象から合う土地を探す。
上司の同僚である稲葉さんは美術品その物だけじゃなく、製作者について、それが作られた時代や社会背景までじっくり調べて合う土地を探す。
ほとんどの場合、こだわりを持つ依頼人は稲葉さんを選ぶはずなのだが。
「依頼人は俺が良いってよ」
珍しい事もあるものだ。
完全歩合制でもあるウチの会社ではいつも稲葉さんは忙しそうで、上司は暇そうにしている姿をよく見る。
私は上司の直属の部下ではあるが、上司に引っ付いたままでは生きていけないので、稲葉さんの手伝いをする事で給料が出ている状態だ。
本当によくこんな状態で生活していけるな。
「他にも展示する絵はこれだな」
他のポストカードに印刷されていたのは木洩れ日が輝く森の絵、微笑む人の絵、郷愁を感じさせる古い街の絵……色々な物がある。
上手いとか下手とか、私はよく分からない。
よく分からないが……。
「進藤、見た感想は?」
「……私も絵には詳しくはありません。ですが、色使いといい…優しい感じがします」
「んじゃ、優しい場所を探しに行くとしよう」
その日から、優しい絵に合うような優しい場所を探す事となった。
「都会は駄目だな、その絵に合うような優しさがない」
「はい。田舎に行きますか?」
「田舎は田舎でも、豊かな自然が残る場所だな」
「緑がある場所ですか?」
「あぁ、人も土地も枯れていない所だ」
「そして、できれば展覧会ができる場所がある所ですね」
「そうだな」
この現代社会の中で、人も土地も枯れていない場所なんてあるだろうか。
地方では過疎化が進み、自然は残っているが廃れてしまっている。
自然が残っているなと思っていても、近くに大型ショッピングセンターなど近代的な物があったら、絵の優しさを損ねるだろう。
土地探しで上手くいくなんてそうそうないが、ご多分に漏れず今回も時間が掛かりそうだった。
「そういえば、土地探しの期限はいつまでなんですか?」
「ない」
「え!?」
「気に入った場所があれば報告してくれってよ」
それはまた随分悠長な…。
展覧会を開く気が本当にあるのかとも思えてくるが、これがもし期限付きだったらもっと焦っていたんだろうなとも思う。
そしたら期限に間に合わせるために、もしかしたら妥協点が出てきてしまうかもしれない。
絵にこだわりを持つ人たちに依頼されたのだ、展示場にもこだわらなければならない。
もし妥協点が出てきてしまえば、それはきっと依頼人に対する侮辱だ。
私が稲葉さんではなく、この上司に付き従っているのはそこに関係している。
稲葉さんは期限に間に合わないと、妥協してしまう事がある。
勿論依頼人にお伺いを立て、依頼人もそれでいいと言ってくれているのだが…。
でも上司は一切妥協しない。
期限に間に合わなければ、依頼を全うできなかったと頭を下げ、依頼料も全額返金する。
要するにタダ働きになるだけじゃなく、無駄働きにもなるのだ。
依頼にあうような土地を探しに行った交通費も自腹、ということになる。
何より依頼人の信頼に応えられなかった悔しさと、展示場を探し出せなかった所為で依頼人の顔に泥を塗った申し訳なさは計り知れない。
例えそれで依頼人が怒鳴り散らしても、上司は頭を下げ続けるのだ。
本当に、何でこんなお金のない状態で生活できているのか不思議でしょうがないが、上司なりのこだわりを、私は凄いと思うのだ。
……そしてどこで知ったのか、そんな上司の人柄に惹かれ、依頼して来る人がいるのも事実だ。
「やっぱ近くに池とか湖とかあったら最高だよなー」
「あの青い絵ですか?」
「おう、昼でも夜でも綺麗な所がいい」
「…ありますかね、そんな所?」
「それを探すのが俺たちの仕事さ」
絵に合う土地を探して各地を飛び回っていたある日、宿泊したホテルで奇妙な物と出くわした。
深夜、ベッドで寝ている私のすぐ脇で何かが光っているような感じがした。
起きようと身体を動かそうとしたら、何故か動かない。
…あ、久々に来たなと思った。
各地を転々とする挙句、美術品なんて物と関わっているのだ。
不思議な事と遭遇する機会も、常人より多い。
身体は動かなくとも、目は開くようだ。
何かに気づかれないように少しだけ目を開けてみれば、確かにベッド脇が白く光っていた。
よくよく見ると、それは人の形をしているらしい。
………これはガチだ。
助けを求めようにも、上司は隣の部屋だ。
それに見られているだけで、これまでの経験から悪いような感じも……しないと思う。
というか、そう思いたい。
きつく目を閉じて、早く朝が来ることを願った。
「幽霊が出たぁ?」
案の定、朝になると白く光る人間は姿を消して、私の身体も動くようになっていた。
次の日早速上司に報告したら、面倒くさそうな顔で頭を掻いた。
「いつもの事じゃねぇか」
そう、この仕事柄いつもの事と言えばいつもの事だ。
だがしかし、それを上司に言われたくない。
この上司ときたら、全然見えない感じない種類の人間なのだ。
私だってこの仕事につく前は、そして今でも敏感な方ではないと思う。
それでもこうやって時折不思議な現象に巻き込まれる。
上司といえば全くそれが見えないし、自身に害があっても何も感じないのだ。
以前、上司と同じ部屋で泊まった事があったが、深夜に何か呻き声が聞こえるなと思ったら、隣のベッドで眠っている上司に何かが馬乗りになって首を絞めているのを見た。
上司は普通にいびきを掻いて眠っていたが。
呻き声は上司ではなく、何かの声だったらしい。
入社してそれほど経ってない頃であったし、そういう現象にも耐性が付いていなかった私はあっさり気絶し……翌日首に赤い跡を付けた上司が、それを一切気にせずいつも通りに起きたのを見て慄いた。
上司は馬乗りになられた事も、首を絞められた事も覚えていなかった。
首に残った跡を見ても、そんな物が出たのか~なんて笑っていたくらいだ。
なんて羨ましい体質と性格なんだと、羨んだ事もあった。
害がなければまだいい、害があるのがとても怖い。
「見られてただけなんだろ、気にすんな」
「はぁ…」
ところが次の日も、次の次の日も、幽霊らしき白く光る人間は姿を現した。
一体何なんだ…。
思わずため息を吐いた所で、声が出る事に気づいた。
そして幽霊も私が声を出した事に気づいたのだろう、視線を感じて引きかけたが、身体は全く動かなかった。
……目は開けられる、声も出るのに身体は動かないとか正直勘弁してほしい。
私は意を決して、ベッド脇に立つ幽霊に声を掛けた。
「…アンタ、一体私に何か用でもあるの?」
幽霊からの答えはない。
そもそも幽霊からまともな答えが返ってくるわけないか…。
もう一度溜息を吐いて、ただ立っているだけの幽霊を観察してみた。
白く光る人間、目も鼻も口の形も分かる。
手もあるし、足もしっかりある。
その顔立ちからして外国人のようにも見える。
外国人に知り合いなんていないんだけどなぁ。
そして何よりおかしいのは、幽霊が来ているのは何と軍服だった。
全身が真っ白なのに、着ているのは軍服とかおかしな幽霊だ。
『………――』
幽霊からの反応もないし、もう寝ようとしていた私の耳が音を拾った。
それは紛れもなく言葉だった。
言葉は言葉でも英語だった為に、言われた言葉を理解するまで随分時間を要したが。
この幽霊…英語圏の人間だったのか。
英語はあまり得意じゃないんだけどなと思いながら、私は拙い英語で何とか会話を試みた。
『あのー、今なんて?』
『………相応しい場所は、見つからないのか』
相応しい場所? 何の?
見つからないという事は、探しているという事。
…今探しているのは、依頼人の展示場だ!
『アンタ、もしかして絵の関係者!?』
どうりで行く先々で私の前に現れるはずだわ!
あの絵の関係者なら、この依頼を全うしない限り文字通り憑いて来るだろう。
これはますます依頼を完遂しなければならなくなった。
『それで、アンタは絵とどういう関係…っ』
問い詰めようとした次の瞬間には白い光は既になく、身体の拘束もなくなっていた。
勢いよく起き上がり、部屋中を見回してもどこにも白い光は見当たらない。
「逃げられた!」
相手は幽霊、憑かれているのだから逃げるも何もない事に気づかない、眠気で頭が死んだ私だった。
窓から差し込む朝日が、いやに目に沁みた。
「眠い~、肩が痛い~」
翌日、久々に会社に戻り今まで調査した場所の情報をパソコンで整理していると、眠気と肩こりが酷くなった。
眠気は勿論、昨夜の幽霊の所為だ。
昨夜の話を聞いた上司は、楽しそうに笑っていた。
「進藤がデスクワークで音をあげるなんて珍しい。肩こりも幽霊の所為じゃないか? 憑いてんだろ?」
本当に幽霊の所為なら、マッサージしてもあんまり効果ないだろう。
安眠を妨害するだけじゃなく、肩こりとか地味に痛いのだ。しかも辛い。
本当に勘弁してほしい。
机に突っ伏した私の目に、例の青いポストカードが目に入る。
今回展示される絵の中で、私はこの青い絵が1番好きだった。
優しい色使いのはずなのに、どこか物寂しい。
こんな感傷的になるのは、青という寒色の所為だろうか。
それとも私に変な幽霊が憑いている所為だろうか。
今一度ポストカードに目を通していると、1枚のポストカードに目が釘付けになった。
………どうして気づかなかったんだろう。
そのポストカードに描かれた絵はたった1人の人物だ。
不揃いの白髪に、頬は痩せこけ肌は病的にまで白い。いや、土気色と言ってもいいだろう。
それなのに眼光だけは鋭い。
ポストカードの隅には、絵の題名が書かれている。
即ち、自画像と。
私の前に現れた幽霊が老いて不健康そうにしたのなら、こんな顔立ちになるのだろうなと思わせる絵だった。
「やっぱりN県にもう一度行ってみようと思うんだが」
「でもそこって依頼人が一度調査した所ですよね?」
「俺たちと依頼人は別の人間だ。つまり観点も別って事だ、俺はこの目で確かめないと気が済まない」
上司はこうと言い出したら譲らない。
基本的に頑固なのだ。
そして私も止められないと分かっているから、無駄なやり取りをせず溜息一つで了承してみせる。
「それで、いつから行きます?」
「今これからだ」
上司の無茶ぶりも、いつもの事だ。
仕方なく情報の整理を諦めて、必要最低限の物を手に私と上司は目的地へと飛んだ。
大きな山と美しい湖が幾つもあるN県は、観光地としても有名である。
「いいんですか? ここ、空気も美味しいし山も湖もありますけど、人が多すぎますよ?」
「別に観光名所の近くを探さなくてもいいだろう」
「つまり?」
「人が少ない方へと進んでみる」
何とも行き当たりばったりな。
だがそれが仕事でもある。
私と上司は、地元の人に優良な物件がないかどうか聞き込みをしながら探す。
観光名所とは離れている。
街とは少し離れててもいい。
静かな所。
木々が豊かな所。
できれば湖が近くにあるとなお良い。
地道に地道に情報を集め、ついに私たちはそれを見つけた。
「これはいい。当たりかもしれないぞ、進藤」
「だといいのですが」
観光名所とも人里とも離れた、古びた西洋風の一軒家。
外壁には蔓が伸び放題だし、庭も荒れ放題。
大きいテラスの窓も汚れて曇ってしまっている。
「これ、夜中には入りたくない場所ですね」
「幽霊屋敷みたいでか? 今の進藤には丁度いい場所かもな」
嫌味のつもりだろうか。
「…この家の所有者は?」
「もう連絡した。そろそろ合流できるはずなんだが…」
上司が時計で時間を確認し、辺りを見回していると近くでタクシーが止まったのが見えた。
タクシーから降りてきたのは、品の良さそうなお婆さんだった。
彼女は家の前で立ち尽くす私たちを見ると、にっこり笑ってくれた。
「あらあら、お待たせしてしまって申し訳ありませんでした。笹島さんですか?」
「はい、笹島は私です。こちらは部下の進藤です。急にお呼び立てする事になってしまい、申し訳ありません。貴方がこの家の所有者でいらっしゃる…」
「御子柴と申します」
御子柴さんは旦那様を亡くされて、現在は娘夫婦と共に街に住んでいるらしい。
私と上司が見つけた家は、昔は御子柴さんが家族と共に住んでいた家だったが、今では満足に手入れする事もできず荒れ放題になってしまったらしい。
「それでも家の中は定期的に掃除していたのですがね。この歳になると、庭にまで手を出すのが辛くなってしまって…」
「失礼ですが、業者とかにはお頼みしなかったのですか?」
「そうね。そうしていれば楽なのでしょうけど、なるべく私の手で綺麗にしたかったの。…でも結果はご覧の通りよ、年寄りが我が儘なんて言うもんじゃないわね」
御子柴さんは寂しそうに笑いながらも、家の鍵を開けてくれた。
「さあどうぞ」
「失礼します」
家の中は、思ったより綺麗だった。
御子柴さんの言葉通り、家の中は頑張って掃除していたのだろう。
「ここにあるのは、みんな思い出の物ばかりなの。家の維持が大変だから、一時は全て売ってしまおうかとも考えたけれど、やっぱり駄目ね……どうしたって捨てられなかった。だから娘夫婦には最後の我が儘を聞いてもらったのよ。私が死ぬまで、どうかこの家はこのままにって」
「…そうでしたか。思い入れのあるご自宅に突然お邪魔してしまって、本当にもうしわけありませんでした」
「止して下さいな、私はこうやって再びお客様をこの家にお迎えできて嬉しいのです。……と言っても、お茶も出せなくてこちらこそ申し訳ありませんわ」
「いえ、そのお気持ちだけで充分です」
大きなリビングには、テラスに続く大きなガラス窓がある。
これが外から見た曇ったテラスの窓だろう。
……これは磨けば何とかなるかもしれない。
2階にも案内されたが、書斎も含めた部屋が4つ。
その内1つは寝室で、そこの窓からは湖も見えた。
「綺麗な眺めですね…」
「えぇ、そうでしょう! 主人もここから見る景色が好きでしてね、そう言って頂けると主人も喜びますわ」
本当に嬉しそうに笑う御子柴さんに、私と上司はこれから無理なお願いをする。
それはもしかしたら、御子柴さんの大切な物を踏みにじってしまう物となってしまうかもしれないのが、胸に痛んだ。
「御子柴さん、貴方にお願いがあります」
「はい、何でしょう?」
上司と私はそこから、美術展覧会を開く為にこの家を貸してくれないかどうか頼み込んだ。
この家は優しい雰囲気に包まれている。
まさしく、あの絵と似ているような雰囲気を。
現在はあくまで候補である事、依頼人に確認を取り次第正式な交渉をさせて頂く事、それでもできればここに決めたい事、ポストカードに印刷された絵を見せて熱心に口説き落とした。
「お話は分かりました。私としては構わないのですが、一応娘夫婦にも説明しなければなりません。庭の掃除とかもしなくてはならないでしょう? そこは正式な交渉の際に、一緒にお話ししましょう」
私と上司の話を真剣に最後まで聞いてくれた御子柴さんは、そう言ってくれた。
まずは第一関門突破といった所か、心の底からホッとした。
上司はすぐさま依頼人に連絡を取った。
「ここがいい、ここしか考えられない!」
上司の白熱した声に、何故だか笑みが零れた。
結局依頼人が現地に到着するには、早くても明日になるとの事。
今日はとりあえず解散して、私と上司は街のビジネスホテルで一泊する事となった。
そして今夜もまた、幽霊は現れた。
『アンタ、あの絵を描いた人だったのね』
相変わらず金縛り状態だが、会話する分には問題ない。
『あの家は気に入ってくれた? 私たちはあの家にアンタの絵が合うと思ったんだけど』
『……あぁ、良い家だった。あの雰囲気は、私の昔のアトリエに少し似ている』
『そうでしょう!? 特に2階の寝室、窓から湖が見える部屋にあの青い絵を飾りたいわ! リビングには森の絵が合うかも!』
想像したらわくわくしてきた!
本来レイアウトなどは依頼人が考える事だ。
それでもレイアウトはどうしようかと1人妄想していたら、幽霊が小さく息を吐いた。
ん、あれ? もしかして今笑った?
『可笑しな奴らだ。何度も何度も会社に私の絵を展示する企画を上げては、幾度となく中止となりそうになった。それでも私の絵を飾ろうとする者と、私の絵に合うような場所を探す者までいるとは…日本とは不思議なものだ』
幽霊の話からして、依頼人もこの依頼をする前から相当苦労したらしい。
何度も中止になりかけて、それでも許可が出たのはもはや奇跡じゃないだろうか。
そしてその絵を飾るに相応しい場所が見つかった事も。
『日本だけじゃないわ、こだわりを持つ人はとことんこだわるの。ただそれだけよ』
『……そうか』
『そうよ。日本にだって、こだわりを妥協してしまう人とか、集客を目的に考える展覧会だってあるんだから!』
『そうか』
『それにしたってアンタ、どうして日本にまで化けて出てきたの?』
『一度は来てみたかったんだ、日本に。桜という花があるんだろう? それが見たくて、でも結局来られなかった』
『…そうなの。御子柴さんに後で桜が植えられてないかどうかも聞いておくわ』
『感謝する。あの家で私の絵が飾られて、多くの人じゃなくてもいい、私の絵を見てくれるのなら、そして桜が見られるのならばもう未練はない』
そう言って、幽霊はまた笑ったようだった。
その笑顔が、彼の描いた絵と同様優しくて…どこか物寂しくて、気づけば私は口を開いていた。
『ねぇ、聞きたい事があるんだけど』
『何だ?』
『どうして軍服なんて着てるの? アンタ、画家じゃないの?』
そう訊ねると、幽霊の笑みは自嘲的なものに変わった。
『画家だった。だが戦争が始まれば、画家であろうが召集される。……やがて戦争も終わり、私は再び画家として戻ったが、それ以前に描いていたはずの絵が描けなくなっていた』
『怪我でもしたの?』
『違う、幸いな事に大きな怪我もせずに戻ってこれた。だがしかし、以前に描けていたはずの木洩れ日の森の絵も、微笑む人の顔も描けなかった。私が絵を描こうとすれば、キャンパスは赤く、黒く、陰湿で醜悪な物へと変わってしまった。戦争の体験が私の絵を変えたのだ!』
……ああ、そういう事か。
『私はそれが許せなかった、たまらなかった! だから戦争を体験した後の私が描いた絵は少ない。ノスタルジアとブルーだけだ』
ノスタルジアは確か、あの古い街の絵の題名だ。
ブルーはあの青い絵の。
…そうか、他の作品とは少し違う感じがしたのはその所為か。
優しいのに優しいだけじゃない、物寂しい感じは彼の嘆きだったのかもしれない。
『…でも私、あの2つの絵は好きよ。特にあの青いのは』
綺麗だったのもあるけれど。
『優しい感じがしたわ』
そう伝えれば、幽霊の顔が歪んだ。
彼はその後長い間沈黙を保っていたけれど、朝日が昇る直前に彼は小さな声でありがとうと言った。
私が言葉を返そうとした時には、朝日の光と共に幽霊は消えていた。
……さすがに私も最近幽霊の所為で睡眠不足でヤバかったので、依頼人との集合が午後である事を良い事に、私はその後存分に眠ったのだった。
午前中を充分寝て過ごした後、依頼人と合流した私と上司は、御子柴さんの家へと案内した。
依頼人も一目見て御子柴さんの家を気に入ったようで、それから御子柴さんの家族と一緒に本格的な交渉へと移って行った。
「…上手くいくといいですね」
熱心に説明する依頼人と、それを真剣に聞く御子柴さんとその娘夫婦。
私と先輩の仕事は、美術品に相応しい場所を紹介し、斡旋する事。
交渉の手助けはするが、メインは依頼人と展示場所有者だ。
だからこそ私と上司は一歩離れた場所で、交渉を見守っている。
「上手くいかせるだろうよ」
「え?」
「依頼人の今回の依頼に対するこだわりは並みじゃない。これは依頼人からさっき聞いた事だが、実はこの依頼期限付きだったらしい」
「え!?」
思わず大きな声を出してしまい、メインメンバーの視線が一気に集まる。
素早く誤魔化しながら謝り、彼らの邪魔にならないよう私は小さな声で話を続けた。
「どういうことですか?」
「依頼人は俺たちに期限なしと言いながら、実は会社の方で会場を探すのは今月いっぱいまでと期限付きで通達されていたらしい」
今月いっぱいまで…という事は本当は明後日までだったという事だ!
…そうだ、幽霊も言ってたじゃないか。
何度も何度も会社で企画を上げて、奇跡的に通ったと。
金持ちのこだわり道楽ならまだしも、会社の企画であるならば期限があって当たり前だ。
「依頼人はどうしてそんな事を…?」
「俺たちを期限なんていう無粋な物で縛りたくなかったらしい。妥協もして欲しくなかったと」
「…もし私たちが間に合わなかったら?」
「また企画が流れていたそうだ」
よ、良かったぁああああ!!!
期限内に見つけられてよかった、企画が流れなくて良かった!
「例えまた企画が流れようとも、何度でも企画を立ち上げてみせると依頼人は笑っていたがな」
……とても熱意のある人なんだ。
その熱意が、会社も動かして奇跡をもぎ取った。
でも熱意だけじゃなくこだわりもあったから、こんないい場所も見つけられたのだ。
「…すごいですね」
「あぁ、ガッツのある人だ」
その後交渉は順調に進み、春には展覧会が無事に御子柴さんの家で開かれる事となった。
御子柴さんができるなら自分で手入れをしたいという庭は、雑草を刈るなど必要最低限は業者に頼み、綺麗になった庭に御子柴さんとその家族が自分の手で花を植えていた。
無論それには依頼人も、私も上司も参加させてもらった。
「…あ、そういえば御子柴さん、お伺いしたい事があるのですが?」
「何でしょう?」
「この庭に桜の木ってあります?」
「ありますよ、ほら…あそこです」
御子柴さんが指し示した先に、1本の木があった。
「私は桜が好きでね、主人が庭に1本植えて下さったんです」
桜は桜でも、枝は垂れている事から枝垂れ桜だろう。
オーソドックスな桜とは言い難いが、桜には変わりない。
展覧会が開かれる春には、枝垂れ桜も咲いている事だろう。
そうしたら、あの幽霊が見たがっていた桜も見られる。
「春になったら、きっと綺麗なんでしょうね!」
「えぇ、綺麗に咲くはずですよ」
桜の花が咲く日が、待ち遠しくなった。
時は過ぎ―――。
実は幽霊にお礼を言われたあの日以降、私は幽霊とは会っていなかった。
依頼人が熱意とこだわりをもって作り上げた展覧会は、お客は都心で行う有名展の客数には遠く及ばないが、それでも幽霊の描いた絵を知る人たちはとても満足して頂けたようだ。
幽霊が生前見たがっていた桜も、鮮やかに咲き誇った。
今はもうだいぶ枯れ落ち、次の季節に向けて準備を整えているのだろう。
…今になって思う。
赤と黒を陰湿で醜悪と称した幽霊は、戦争を体験した自身の変化を受け入れられなかったのだ。
古い街を描いては過去を懐かしみ、赤と黒とは対照的な青と白の絵を描いた。
青い絵に描かれた人影は、もしかしたら過去の色を羨む幽霊自身だったのかもしれないと。
そして私と上司は、展覧会が撤収する最終日に立ち会っていた。
「御子柴さん、今回は思い出の多い家を貸して頂き、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、滅多にない経験をさせてもらいました。それに美しい絵も知る事ができてとても楽しかったです。ありがとうございました」
御子柴さんとも、これで本当にお別れだ。
あの絵と雰囲気が似ているこの家とも…。
私は最後に桜に近寄り、ゆっくりと目を閉じた。
…あの幽霊は、満足できただろうか。
『…ありがとう…』
その時ふと耳元に感じた、小さなお礼の言葉。
忘れもしない、あの時と同じ声だ。
思わず目を開けて辺りを見回しても、幽霊の姿なんてどこにもいない。
当たり前だ、今は日も昇っているし、姿なんて見えないだろう。
もしかしたら成仏して見えないのかもしれないし。
「…どういたしまして…」
でも私は、あの時伝えられなかった言葉を小さく返した。
そうせずには、いられなかったのだ。
今回の出来事で、深く傷ついていた幽霊の傷が少しでも癒える事を願って…。
「進藤、帰るぞー!」
「はい、今行きます!」
私は上司の元へと駆け寄った。
※おまけ
「お前、あの展覧会のポストカード買ったんだって?」
「気に入りましたから」
「そうか。次も気にいるといいな?」
上司の意地悪い笑みと言葉に、私は固まった。
何か不吉な言葉を聞いた気がする。
「………え、次?」
「おう、また依頼が入ったぞ」
「えーーー!? ちょ、休暇は!?」
「ない。このまま行くぞ、今度の依頼は何と和物らしいぞ?」
「何ですかそのアバウトさは? 和物の何です?」
「それをこれから見に行くのさ」
「~~~!!??」
今日も私の受難は続く。
≪簡易キャラ紹介≫
・私
苗字:進藤。主人公。上司に振り回される下僕部下その1、今の職場に就職してから不思議な目に遭う確率が高くなった。今まで幽霊なんか見なかったのに!?
・上司
苗字:笹島。物事を決めるのは直感派な癖して霊感ゼロ。首を絞められても痕が残っていようとも痛くも痒くもない。羨ましいほど図太い神経。暇人。どうやって生活しているのか謎な人。
・稲葉さん
上司の同僚。実はライバル…だと思っているのは稲葉さんだけ。稲葉さんは綿密に調べ上げるタイプ。調べすぎて許容範囲を超えてしまい、妥協してしまう事もしばしば。
・依頼人
ガッツの人。企画が何度流れようとリベンジするぜ。本当は期限付きなのに期限なしと偽って依頼してきた男前。でも実は女性だったりする。
・御子柴さん
優しいお婆さん。お家をありがとうございます。
・幽霊
実は今回の依頼に関係のある幽霊。軍服着てるけど、ぶっちゃけ絵を描いた画家本人。たぶん生まれはヨーロッパのどこか。時代設定も深く決めてないのでたぶんそこらで生まれて、そこらで死んだ人。生前鬱々としながら日本に行きたくて幽霊になってた。ヨーロッパに出張していた依頼人に憑いて日本上陸。展覧会も開かれたし、桜も見れたし満足満足。成仏した…か?
※ここまで読んで下さり、ありがとうございました!