敵意
皇太子妃候補に対する触れるだけの頬へのキスと共に囁かれた言葉は冷たさと、無邪気さに溢れ、呆気にとられたローゼスの瞳に映ったその顔は酷薄に微笑んでいた。
その微笑はうすら寒さを感じさせるほどに美しいものだった。
しかし、その瞳は笑っていない。
囁かれた言葉に茫然としていたが挨拶を返さなければ失礼にあたることに気付いた。
今、セオフィルが囁いた言葉など聞こえるはずのない周囲からすれば、聊か厚すぎるほどの好意の言葉に対して、サラスティアからの者が答えないというのは慇懃無礼である。
そのことに気が付いたローゼスは慌てて笑顔を貼り付けた。
普段からあまり笑顔が得意でないうえに、慌てたため頬は強張ったままだ。
「皇太子殿下にお会いできまして、また、かようなお言葉、身に余る光栄でございます」
「こちらこそ」
誰をも納得させる笑顔を振りまく皇子のその笑顔とは裏腹の冷たく蔑む視線にさらされ、ローゼスは再び身体を固くした。
「挨拶はすんだかな?」
その膠着状態を説いたのは、玉座に坐している皇帝だった。
「はい、陛下」
セオフィルが元の席に戻るのを目で追うローゼスの背には冷たい汗が流れていた。
この国で自分が酷く危うい立場にあることは元より承知の上だった。
人質であることも承知していた。
おそらく皇太子には相手にもされないであろうことは、皇太子の肖像画を見たときから思っていたことだ。
絵からも伝わる美しさはいまだ幼さを残しているが、これからより増していくことは明らかであったか
ら自分のような凡庸な、しかも他国の者を相手にするとは思わなかった。
相手にされないのは予想していた。
興味をもたれることもないだろうと思っていた。
しかし、先程の眼はローゼスに対しての明らかな侮蔑と敵意を示していた。
「さて、ローゼス嬢。これで我々の挨拶は終わりにしようと思う。続きは後日の歓迎会で行おう。ああ、ここにはいらっしゃらないが、私の父も晩餐会には出席なさる」
「はい、私などのために歓迎会を開いていただき、ありがたく存じます」
「今日は到着したばかりでお疲れだろう。荷物の整理もあるだろうしゆるりと休むがよろしかろう」
皇帝のこの言葉で謁見の終わりが告げられた。
贈り物も後日渡すこととなり、ローゼスは居住することとなる後宮へ移ることとなった。
退室する時に、今まで一言も発さなかった皇妃の姿が目に入った。
その歳を感じさせない美しさについ、目線を上げるとその薄い水色の瞳と目があった。
あわてて目線を下げ、会釈してから退室したがその視線はずっとローゼスを追いかけ続け謁見の間を出てから思わずため息を漏らしそうになり、慌てて居住まいを正す。
外には侍女らが控えていた。
その中にはアンナの姿もある。
アンナと侍女が膝をつき、頭を下げている。
「顔を上げてください」
ローゼスが声をかけるとアンナと侍女らが顔を上げた。
「
ローゼス様のお世話をさせていただきます、侍女のトスカと申します。なにとぞよろしくお願いいたします」
トスカは無表情に挨拶を述べ、複の裾をつまんだ。
「よろしくお願いしますね」
ローゼスが笑顔で話しかけても、トスカの表情は変わらず無表情のまま。
その様を見てアンナが何事かを言いかけたがローゼスは目でそれを制した。
「では、後宮へご案内いたします」
ローゼスたちが移動し始めると荷物を運ぶもの、護衛するものが付き従った。
異様に兵が多いのは気のせいではないだろう。
ローゼスは自分がこの国に歓迎されていないという気配をひしひしと感じ、頬がこわばるのを感じた。
私生活がごたついていて更新できませんでした。
更新が遅れて申し訳ありません。