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裏社会のジョーカー、現代ダンジョンで成り上がる ~世界最大の賭場に人生を賭ける~  作者: パラレル・ゲーマー


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6/15

第6話 まず装備欄を埋めましょう

 配信を終えた神崎隼人は、そのまま『関東探索者統括管理センター』の買取・販売区画へ向かっていた。


 周囲では、大勢の探索者たちが行き交い、無事の帰還を祝い合う声や、逆に不毛な探索を愚痴る声が絶え間なく響いている。

 つい先ほどまで配信者《JOKER》として、画面の向こうから大勢の視線を浴びながら命のやり取りをしていた隼人にとって、ただの神崎隼人として群衆に紛れるこの時間は、張り詰めていた神経をようやく緩められるものだった。


(戦士のクラスは得た。だが、今の手札じゃ、あの六体を捌けない)


 足りないのは、複数の敵を相手にするための新しい手段だ。

 その候補として、まずはLv2で解放された『スキルジェム』を調べる。


 人の波を避けながら、巨大な案内板が示す『販売区画』の矢印に従って歩き出す。


 だが、その途中だった。

 販売区画へのルートの横道に、白地に青い文字で記された清潔な案内表示が隼人の目に留まった。


【探索物資・魔石買取窓口】


 その文字を見た瞬間、隼人はピタリと足を止めた。

 無意識に腰のポーチへ手を伸ばす。指先に、小さく硬い感触が触れた。

 初めて遭遇し、その動きを見切って倒した一体目のゴブリン。あいつが光の粒子となって消えた後に残していった【F級魔石・小】が一つ、そこに入ったままだった。


「……そういや、これがあったな」


 販売区画へ直行し、すぐにでもスキルジェムを物色したいという欲求はあった。

 しかし、隼人は歩く方向を変えた。


(どうせなら、先に換金しておくか)


 それは、今すぐ数百円や数千円の軍資金を増やしたいからではない。

 初めて手に入れたダンジョンのドロップ品が、現実世界の通貨として『実際にいくらで現金化されるのか』を、自分の目で確かめておくためだった。


 ギャンブラーにとって、自分が手にするチップの価値を正確に知らないまま、買い物のテーブルに着くなどという行為は、レートも分からずにポーカーに参加するようなものだ。

 ダンジョンという新たな賭場において、収益の基準となる魔石の価格を知る。

(相場を知らないまま買い物をするのも馬鹿らしいからな)

 隼人にとっては、自然な確認作業だった。


 案内表示に従って進んだ先にある『探索物資・魔石買取窓口』は、ファンタジー作品に出てくるような酒場や薄暗いギルドの買取所といった雰囲気とは無縁の場所だった。

 まるでメガバンクのロビーか、市役所の窓口のように、清潔でシステマチックに管理された空間。

 入り口には発券機が置かれ、奥には透明なアクリル板で仕切られた複数の買取カウンターがずらりと並んでいる。

 壁面の巨大な電光掲示板には、株価のチャートのように『本日の標準買取価格』が等級ごとにリアルタイムで表示されており、カウンターの奥には、持ち込まれた魔石や素材の純度を測るための大掛かりな鑑定機が見えた。

 フロアには、査定を待つ探索者たちが、番号札を片手に静かに座っている。


 隼人は発券機のボタンを押し、ペラペラの感熱紙を引き抜いた。

 印字された番号は『127』。

 待合席の端に腰を下ろし、周囲の様子を観察しながら待つこと数分。

 無機質な電子音と共に、頭上のモニターに番号が表示された。


『番号、百二十七番のお客様。三番カウンターへどうぞ』


 隼人は立ち上がり、指定された三番カウンターへと向かった。

 アクリル板の向こう側に座っていたのは、センターの指定制服をきっちりと着こなした、二十代前半ほどに見える若い女性職員だった。

 栗色の髪を後ろで綺麗にまとめ、派手さはないが、誰に対しても話しかけやすそうな柔らかな雰囲気を漂わせている。

 だが、手元の端末を操作する所作や、客を迎え入れる姿勢には、この業務を何千回とこなしてきたような手慣れたプロの匂いがあった。


 彼女の胸元のネームプレートには、【水瀬 雫】と刻まれていた。


「いらっしゃいませ。本日は魔石の買取でしょうか?」


 水瀬雫は、マニュアル通りの、しかし機械的すぎない心地よいトーンで声をかけてきた。


「ああ。これを」


 隼人は多くを語らず、ポーチから取り出した【F級魔石・小】を、カウンターの上の小さなトレイにコトリと置いた。

 この段階では、彼が先ほどまで配信で一部の探索者を騒がせていた『JOKER』であることなど、おくびにも出さない。ただの、初ダンジョンから生還したばかりの新人探索者としての対応だ。


 雫もまた、目の前の客が誰であろうと、まずは自分の仕事を正確にこなす。


「お預かりします」


 雫はトレイ上の魔石をピンセットで丁寧につまみ上げると、手元にある小型の鑑定機へとセットした。

 機械が微かなモーター音を鳴らし、青いスキャン光が魔石の表面を行き交う。

 わずか数秒で処理が完了し、雫の側のモニターと、隼人側の小型ディスプレイに同時に査定結果が表示された。


 ====================================

【F級魔石・小】

 品質:標準

 買取価格:1,200円

 ====================================


「標準品質のF級小型魔石ですね。本日の買取価格で千二百円になります。こちらでよろしいですか?」


 隼人は画面の数字を一瞥し、短く頷いた。


「頼む」


「かしこまりました。それでは、探索者登録時に指定された銀行口座へ入金の手続きを行います」


 雫が手元のキーボードを数回叩く。直後、隼人のARコンタクトの通知領域に、無機質な文字がポップアップした。


【買取代金1,200円が入金されました】


 隼人はその通知を一瞬だけ見つめ、小さく息を吐いた。


「……千二百円か」


(F級の、一番弱い雑魚モンスターを一体倒した。その最低クラスのドロップ品なら、まあこんなものか)


 現在抱えている四億という天文学的な借金。昨夜、一晩の仕事で受け取った一千万円という大金。それらとの絶望的な差は、当然頭をよぎる。

 だが、隼人の思考は不思議と澄み切っていた。ここで「たったの千二百円か。いつになったら四億返せるんだ」と絶望するような精神構造はしていない。

「初めて正当に稼いだ金だ!」と過剰に感動するわけでもない。


(四億には程遠いが……最低レートは最低レートだ。これが一番下のテーブルの基本チップってことだ)


 隼人にとって重要なのは、金額の多寡ではなく、『ダンジョンでモンスターを倒し、ドロップ品を持ち帰り、それが公的な機関を通じて確実に現金化される』という、この世界における最も基本的な収益ルートの動作確認が完了したことだった。

 不正も、イカサマも、理不尽なピンハネもない。ただ純粋な、リスクとリターンの等価交換。


 隼人が静かに納得していると、業務処理を終えた雫が、ふと顔を上げた。

 彼女の視線が、隼人の顔を捉える。

 そして次に、カウンターの上に置かれた隼人の左腕――鈍い黒銀の光を放つ【万象の守り】へと向けられた。

 もう一度、隼人の顔を見る。


 隼人はその視線の動きに気づき、眉をわずかにひそめた。


「……何か?」


「あ、すみません」


 雫は少しだけ慌てたように居住まいを正した。

 業務中の窓口で、客に対してプライベートな質問を投げかけるべきかどうか。プロとしての一線と、個人の好奇心の間で数秒だけ迷うような仕草を見せる。

 しかし、彼女は周囲に他の客が近づいていないことを確認すると、少しだけ声を落として口を開いた。


「もしかして……JOKERさん、ですか?」


 以前の仕事なら、自分の異名を公の場で呼ばれれば即座に警戒しただろう。

 だが、隼人はドローンで自分の顔を堂々と映して配信していたのだ。誰かに顔を覚えられていても何ら不思議はない。


 隼人は過剰に警戒することもなく、少しだけ眉を上げて見せた。


「……もう分かる奴がいるのか」


「分かりますよ」


 雫は、先ほどの事務的な表情を崩し、ふわりと親しげに笑った。


「配信、見てましたから」


 雫は狂信的なファンとして騒ぎ立てているわけではない。ただの視聴者の一人としての、自然なトーンだった。


「最初から全部見ていたわけじゃないんですけどね。休憩中に、同僚が『すごい新人がいる』って教えてくれて」


 雫の視線が、再び隼人の左腕へと落ちる。


「このガントレットを、変質のオーブから作った瞬間のクリップ動画も見ましたよ。あり得ない引きですね」

「もう切り抜かれてるのか」

「あれは切り抜かれますよ」


 雫はくすりと軽い笑いを漏らした。


「さっきの配信も、途中から見てました。あの……ゴブリン・シャーマンのボス部屋のところまで」

「仕事中じゃないのか?」

「ちゃんと休憩時間です」


 そんな軽い掛け合いが、二人の間の初対面の硬さを程よく解していく。


「でも」


 雫は、少しだけ真剣な、探索者をサポートする職員としての目つきに戻った。


「あそこで無理をせず、撤退を選んだのは大正解だったと思いますよ」

「そうか?」

「ええ」

「ボスの火球は、あの時点で俺には通らなかった。だが、前衛にいる六体をまとめて処理する手段がなかった」

「はい。今のJOKERさん、スキルジェムを一個も装備していませんよね?」


 雫の指摘は的確だった。

 ステータス画面を公開している以上、彼がジェムを使用していないことは視聴者にも筒抜けだったはずだ。


「ああ。そのスキルジェムを、これから販売区画に見に行くところだったんだ」


 隼人の言葉に、雫は「ああ、なるほど」と深く頷いた。

 そして、カウンター越しに隼人の現在の格好を、頭の先から足元までぐるりと観察する。

 黒い安物のシャツにジャケット。右手には鞘に収まった【初心者用ロングソード】。左腕には国宝級の【万象の守り】。

 それ以外は、完全に無防備。


 一瞬の沈黙の後、雫が口を開いた。


「……でしたら」

「?」

「ジェムを見る前に、一つだけ私からアドバイスさせてもらってもいいですか?」


 隼人は少しだけ目を細めた。見ず知らずの他人の助言を無条件で受け入れるつもりはないが、専門の施設職員が持つ『基礎知識』に価値があることくらいは分かっている。


「言ってみろ」


「ジェムを見るのも大事ですが、まず、空いている『装備欄』を埋めることをおすすめします」

「装備欄?」


 隼人はARコンタクトを操作し、自分自身のステータス画面の中から『装備』の項目を呼び出した。

 空中に展開されたウィンドウには、現在の彼の装備状況がリスト化されて表示されている。


 ====================================

【装備】


 武器:

【初心者用ロングソード】


 盾:

 未装備


 頭:

 未装備


 胴:

 未装備


 手:

【万象の守り】


 足:

 未装備


 首:

 未装備


 指輪(左):

 未装備


 指輪(右):

 未装備


 ベルト:

 未装備


 ====================================


「……見事に空いてるな」


 隼人は、ずらりと並んだ『未装備』の文字を見て、思わず苦笑した。

 ARコンタクトや、背後を飛んでいる録画用ドローンは、あくまで探索を補助するデバイス機器であって、戦闘用の装備スロットにはカウントされない。

 純粋な戦闘用装備としてシステムに認識されているのは、剣と左手だけだ。


「かなり、ですね」


 雫もつられて少し笑った後、説明を続ける。


「この世界の装備って、基本的に『持っているだけ』『身につけているだけ』じゃ駄目なんです」

「どういう意味だ?」

「ステータス上の対応する枠にセットされて、システムから装備中だと認識されて、初めて能力が反映されます」


 雫は自分の指を指差した。


「例えば指輪です。物理的には十個つけられますけど、効果が認識されるのは左と右、一個ずつの二枠までです」

「三個目からは?」

「ただの装飾品ですね。アイテム効果は出ません」


 隼人は腕を組み、顎を撫でた。


「なるほど。身体に何個付けられるかじゃない。システム上の枠が上限なのか」

「そういうことです。だから新しい装備を手に入れたら、ステータス画面でちゃんと装備扱いになっているか確認してください」


 雫はそこで、少しだけ笑った。


「こういう初心者向けの案内も、私たちセンター職員の仕事なんです。装備や耐性の基本は研修でも叩き込まれますから」


「もちろん、後々特殊なビルドを組む過程で、意図的に特定の部位を空けておくことはあります。でも、初心者のうちは、基本的には装備できる場所を空けたままにしておく理由はありません」


 装備できる枠を空けたままにしているということは、本来得られるはずのHPや防御、耐性などの補正を、自分から捨てているようなものだった。


「さっきゴブリンに殴られた時も、他の防具があればもう少し余裕がありましたよ」


 雫の言葉に、隼人は先ほど脇腹に受けた鈍い痛みを思い出し、小さく頷いた。


「確かに。だが……それなりに金が掛かるんじゃないか?」


 現在の隼人の手持ち資金は、そこまで潤沢ではない。

 しかし、雫は首を横に振った。


「いえ、入門用ならそこまで高くありません。一部位一万円前後から、ちゃんとしたものが買えますよ」

「一万?」

「はい。一万円くらいの価格帯でも、最大HPが+5から15程度上がって、さらに単属性の耐性が5パーセント前後ついたような初心者向け装備は、普通に売られています」


 隼人は少し驚いた。

(思ったより安いな)


「私たちセンターの職員としては、初心者の方には、まず『火』『冷気』『雷』。この三つの属性耐性を、それぞれ二十五パーセント前後まで持っていくようにおすすめしています」

「二十五?」


 隼人の脳裏に、ゴブリン・シャーマンが放ってきた火球が完全に無効化された瞬間の映像が蘇る。


「はい。F級やE級の下層くらいまでなら、そのくらいの耐性値があれば、低出力の属性攻撃を自動防御でかなり防ぎやすくなるので」


 雫は言葉を濁さず、正確に伝えた。

「もちろん、敵によりますし、二十五あれば何でもかんでも完全に防げるというわけではありませんけど、序盤の目標基準としては一番分かりやすい数字なんです」


(なるほど。さっきの火球無効化も、あの時点での敵の出力に対して、俺の25%という耐性が機能したから弾けたという理屈か)


 隼人が頭の中で情報を整理していると、雫がふと《万象の守り》を見て、呆れたようなため息を漏らした。


「……まあ」

「ん?」

「JOKERさんの場合、その作業はもう終わってますけどね」


 隼人も左腕を見る。

 火属性耐性 +25%。

 冷気属性耐性 +25%。

 雷属性耐性 +25%。


「普通は、複数の装備を使って少しずつ揃えていく数値なんです。JOKERさんは、それを手装備一つで全部達成しています」

 雫は肩をすくめた。

「だから、残りの防具で、これ以上無理に耐性を積む必要はありません。今なら純粋に『最大HP』を優先して選んでいいと思います」


「HPか」

「はい。特に【戦士】を選んだ今の装備状況なら、残りの防具はまず最大HPを意識するのが無難だと思います。少なくとも、初心者のうちは」


 隼人は改めて自分のステータス画面を見る。

 現在HP173。そのうちの100は、【万象の守り】というたった一つの装備によるものだ。


(レベルを一つ上げて基礎ステータスを数ポイント伸ばすより、装備の組み合わせを一つ変える方が、盤面の数字がはるかに大きく動くこともあるのか)


 レベルだけを上げれば強くなるわけではない。

 何を装備し、限られた枠をどう使うか。それだけでも数字は大きく変わる。

 隼人は、その意味を少しずつ理解し始めていた。


「それと、スキルジェムを買うつもりなら、もう一つ」

 雫が声をかける。

「Lv2になったなら、ジェムスロットが解放されていますよね?」

「ああ」


 隼人はステータスのタブを切り替え、【スキルジェム】の項目を表示させた。


 ====================================

【スキルジェム】


 スロット1:空


 ====================================


「買ったスキルジェムは、ここにセットしてください」

「さっきの装備と同じか」

「はい。ジェムも、持っているだけでは使えません。ここにセットされて初めてスキルとして使えます」

「なるほど」


「あと……」

 雫は少し考える素振りを見せた後、言った。

「パッシブポイントは使いました?」


「いや」

 隼人はステータスを確認する。


【未使用パッシブスキルポイント:1】


「一ポイントあるな」

「Lv2になった時にもらった分ですね。パッシブは装備とは少し違いますけど、ポイントを持っているだけでは何も起きません。方針が決まったら使った方がいいですよ」

「パッシブ……」


 隼人は言われるがまま、ARのメニューから『パッシブツリー』の項目を開いた。

 その瞬間。

 隼人の視界全体に、無数の点と線が複雑に絡み合う巨大なツリーが展開された。


 中心にあるスタート地点から放射状に広がるノードの数々。

 近場にあるものだけでも、最大HP増加、筋力アップ、攻撃速度上昇、剣ダメージ増加など、様々な選択肢が存在している。そして視線を遠くへ移せば、画面に収まりきらないほどのノードの海が広がっていた。


「…………」


 隼人はしばらくの間、その巨大なツリーを無言で見つめ続けた。


「なんだこれ」


 心底呆れたような声に、雫はくすりと笑った。


「最初は皆そうなります」

「一ポイントずつ、どの方向へ伸ばすか決めていくわけか」

「はい。だから、最初から何となく取るより、自分がどんなスキルジェムを使うのか、どんな装備を身につけるのか。それらと合わせて考えた方がいいです」


 隼人はツリーの画面を閉じ、情報を整理した。

 空いている装備枠の確保。HPの増強。スキルジェムのセット。そして、パッシブ1ptの割り振り。

 やるべきことは、かなり明確になった。


「分かった。なら、これから販売区画を見てくる」


 隼人がカウンターを離れようとした時だった。


「行ってもいいですけど……」

 雫が、少しだけ歯切れ悪く呼び止めた。

「何だ?」

「一度、ネットで調べてからの方がいいと思います」


「ネット?」

「はい。探索者向けの情報サイト、かなり充実してるんですよ」


 雫は具体的に説明を始めた。

「スキルジェムや装備の相場、初心者向けのビルド例、パッシブツリーの取得例。ダンジョンやボスの攻略情報まで、先輩探索者たちの検証記事がかなり出ています」


 隼人は足を止めた。


「販売区画へ行けば、店員さんも相談には乗ってくれます。でも、何も知らずに行くと、目についたものを基準に考えることになりますから。同じくらいの性能の装備でも、店によって値段が全然違いますし、中古品もあります」

 雫は真剣な眼差しで言う。

「何より、自分がメインで使いたい『スキルジェム』を決めてから、それを活かすための装備やパッシブを考えた方が無駄が少ないです」


 自分がどう戦いたいか。その根幹となる『技(ジェム)』を決め、それを支えるための装備とパッシブを構築する。それがビルド思考の入り口だ。


「JOKERさん」

 雫は、少しだけ声のトーンを落として言った。

「さっき、ボス戦をやめて撤退したのは、情報と自分の手札が足りなかったからですよね?」

「ああ」

「買い物も、それと同じだと思います」


 雫は微笑んで言った。

「何が必要か分からない状態で、お金を使う必要はないですよ」


 これが、彼女からの最大の助言だった。

 JOKERがダンジョンの中で下した「期待値の低い賭けからは降りる」という判断。それを、水瀬雫は「買い物」という行為にそのまま当てはめてみせたのだ。


 隼人は一瞬、無言になった。

 そして。


「……確かにな」


 隼人の口元から、自然な笑みがこぼれた。

 親切だからというだけではない。

 その助言が、自分の考え方と同じ理屈で組み立てられている。

 だからこそ、隼人はその言葉を信用できた。


「なるほど。ありがとう。助かった」

 隼人は素直に礼を言った。


 雫は大袈裟に喜ぶこともなく、「いえ。これも仕事ですから」と短く返した。

 そして、最後に少しだけファンとしての顔を見せる。


「次の配信、楽しみにしてます」

「次はボスを倒せるようにしてくる」

「無理はしないでくださいね」

「無理するくらいなら、今日倒してる」

「……確かに」


 雫が軽く笑うのを聞きながら、隼人は今度こそ買取カウンターを後にした。


 センターの広い通路を歩き、販売区画の大きな入り口の前までやってくる。

 ガラス張りの店頭ディスプレイには、剣、鎧、指輪、回復用のフラスコ、そして色鮮やかなスキルジェムらしき商品が並べられていた。


 少し前の自分なら、このままふらりと店の中へ入り、適当なジェムと装備を買い込んでいただろう。


 しかし、隼人は入り口の前で立ち止まった。

 脳裏に、先ほどの雫の言葉が蘇る。

『何が必要か分からない状態で、お金を使う必要はない』


 隼人は販売区画の中を一度だけ見つめると。

 店の中へは入らず、踵を返してセンターの出口へと向かった。


 先ほどボス部屋で撤退した時と、同じ判断だった。

 ダンジョンでも、買い物でも。

 情報不足のままでは、チップは張らない。


 センターの外へ出た瞬間、夕方から夜へ差しかかろうとする新宿の街の風が吹き抜けた。

 そこで初めて、張り詰めていた疲労がまとめて押し寄せてきた。


 昨夜から、まだ一日も経っていない。

 それなのに、ずいぶん遠くまで来た気がした。


「……ふう」


 隼人は大きく息を吐き出し、強張った首を軽く回した。


「とりあえず、家に帰るか」


 夜。

 西新宿の古びた賃貸アパートの自室。


 昨夜、この部屋で見た入金額は一千万円だった。

 今日、ダンジョンから持ち帰った金は、たったの1,200円。


 金額だけなら、比べるまでもない。

 だが、こちらは誰かに用意された卓で得た金ではない。

 自分で選んで潜り、自分で引き際を決め、自分で持ち帰った金だった。


(千二百円)


 隼人は少しだけ笑った。


(まあ、最初はこんなもんか)


 着替えを済ませ、簡単に水分を取ると、隼人は部屋の隅にある古いPCの前に座った。

 椅子に深く腰掛け、モニターの電源を入れる。

 ブラウザを立ち上げ、検索エンジンを開く。


 キーボードに手を置き、単語を一つずつ入力していく。


『戦士 Lv2 初心者 スキルジェム』


 エンターキーを叩くと、検索候補が大量に表示された。

 さらに別タブを開く。


『戦士 序盤 パッシブツリー』


 別タブ。


『F級 初心者装備 相場』


 そして。

 一瞬だけ指を止め、最後の検索窓に打ち込んだ。


『ゴブリン・シャーマン ソロ攻略』


 隼人が画面を見る。

 攻略記事。検証動画。ビルド紹介。装備相場。スキル一覧。広大なパッシブツリー。

 今まで全く知らなかった、底なしに深く広い世界が、モニターの向こう側に大量に並んでいた。


 隼人はマウスへ手を置き、静かに呟いた。


「……なるほど」


 これから始まる果てしない思考のゲームに、ギャンブラーの血が騒ぐ。

 口元が、楽しげに少しだけ上がった。


「まず、テーブルのルールからだな」

最後までお付き合いいただき感謝します。


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