第六章 ― 白き地獄 53の死と、ひとつの誕生
1.科学が築いた殺戮炉
Z計画が始動したのは、正式決定からわずか三か月後――戦争二年目のことだった。
Z計画・第一級研究区域は、病院とは程遠い場所だった。
それはまるで、巨大な缶詰工場のようだった。
首都ライゼル地下深く、冷え切った長大な通路の両脇には、無数の縦型ガラス培養槽が果てしなく並んでいる。
その一つ一つの中には、新生児、あるいは生後数か月の幼子が収められていた――
「養育支援」あるいは「戦時徴用」という名目で、帝国全土から集められた**“原材料”**である。
赤羽俊博士は、観測用バルコニーに立ち、厚い眼鏡越しにその光景を見下ろしていた。
HVI指数1200、極端に論理性へ偏った彼の瞳に映るそれらは、人間ではない。
ただの変数だった。
「感情だ」
背後で頭を垂れる助手たちに向け、掠れたが威圧的な声で博士は言う。
「帝国が敗北を重ねてきた理由は、兵士から感情を断ち切れなかったからだ。
恐怖は引き金を震わせ、
愛情は操縦桿を躊躇わせ、
慈悲は処刑人の刃を鈍らせる」
博士は金属床に杖を軽く打ちつけた。
「感情が人を弱くするのなら――
感情を持たぬ存在を創ればいい」
手術区画の扉が開く。
第一次選別が始まった。
麻酔は使用されない。
帝国は、神経系が本来持つ“自然な痛覚耐性”を測定する必要があった。
数千の乳児の悲鳴が響き渡る――
だが防音ガラスに吸い込まれ、それは音なき地獄の交響曲となった。
2.移植工程 ― 夢を解体する手術
「完全な生体兵器」を創るには、
通常の人間の肉体では不十分だった。
幼子たちは手術台に載せられる。
頭蓋は穿孔され、感情を司る前頭葉は切除。
代わりに、生体チップ(バイオチップ)が埋め込まれ、情報処理速度を強化される。
脊髄は抜き取られ、液体合金へと置換され、骨格の耐久性を増強。
筋繊維は剥ぎ取られ、人工合成筋へと換装される。
反射速度――0.01秒。
血に染まる白衣。
拒絶反応やショック死により、無数の子供が手術台の上で命を落とした。
小さな遺体は、壊れた玩具のように医療廃棄物焼却炉へと投げ込まれる。
――最初の12,000名。
16か月の手術を経て、生き残ったのはわずか53体。
彼らは、もはや人間ではない。
番号を与えられた実験体だった。
3.53体 ― 創造主による粛清
生存した53体は「安定化段階」へ移行した。
だが、ここからが本当の地獄だった。
1)肉体の死 ― 細胞崩壊
観測室1。
十名の子供が痙攣を起こしている。
皮膚は灰色に変色し、人工細胞が異常増殖し、自然細胞を侵食していく。
実験体番号ZIY-102が、人の声とは思えぬ叫びを上げた。
筋肉が膨張し、皮膚を内側から引き裂き、黒ずんだ血が噴き出す。
合金化された骨格は耐えきれず、内側から砕け散った。
――それは、溶けた。
「失敗。遺伝子不適合」
研究員が淡々と記録する。
「廃棄」
四か月のうちに、41体が激痛の中で自己崩壊した。
肉塊となって崩れ落ちる様を、研究者たちは無表情で見つめていた。
2)精神の死 ― 神経暴走
残ったのは12体。
肉体は耐えた。
だが精神が耐えられなかった。
感情を切除された脳は、空白に耐えきれず錯乱する。
実験体MIY-404は、部屋の隅で静止していた。
次の瞬間、強化ガラスの壁へ頭を叩きつける。
――ガン、ガン、ガン。
頭蓋が砕けても、その顔に苦痛はなかった。
実験体KZU-4B9は凶暴化し、素手で介護士を引き裂き、
その後、無意識のまま自らの指を食いちぎった。
二か月で、10体が発狂。
感情という排出口を失った神経系は、過剰な電気信号で焼き切れた。
「毒を投与。清掃を」
赤羽博士の声には、一片の躊躇もなかった。
残る2体は、廃棄物搬送中に“消失”。
記録は完全に抹消された。
――そして、残ったのは一体だけ。
4.零の誕生
戦争四年目。
Z計画は、ついに成功を迎える。
中央研究室は、死のように静まり返っていた。
金属製の椅子に座るのは、生後およそ十か月の少年。
頭部と脊椎には無数のコードが接続されている。
ARI-00A
彼の周囲には、失敗した“兄弟姉妹”の亡骸が転がり、血臭が充満していた。
だが――
少年は泣かない。
恐れない。
嫌悪しない。
虚空を見つめる黒い瞳。
心拍数は常に60。
一切の変動なし。
赤羽博士が近づき、HVI測定器を少年のこめかみに当てる。
機械は唸り、ランプが走り――突然、停止した。
【ERROR:VALUE NULL】
【HVI:0】
研究員たちがざわめく。
「故障か?」
「ゼロ? 欠陥品では?」
「いや、身体構造は1000超級より完成度が高い!」
赤羽博士は嗤った。
濁った狂気の笑いが、研究室に反響する。
「愚か者ども。これは欠陥ではない」
博士は膝をつき、少年の虚無の瞳を覗き込む。
そこには評価も、感情も、意味もなかった。
黒い鏡。
「測定できないのは、人間的価値が存在しないからだ。
これは“完全な空虚”。
深淵そのものだ」
博士は少年の肩に手を置く。
「ようこそ誕生した――
赤羽アリス」
アリスは、ゆっくりと瞬きをした。
自分がここに在るために、
数千の命が灰となったことを、彼は知らない。
帝国の残虐な研究の結晶。
天使の姿をした怪物。
――すべての数の世界に存在する、
完全なる零。




