第4章 トリニティ条約:灰燼(かいじん)の上の平和
1.生存者たちの会合
ベイシン13の悲劇から半年。ようやく最初の平和が訪れた。 だがそれは、歓喜などではない。ただの疲弊であり、死のような静寂だった。
アスターの地下深くにある中立バンカーで、八大国首脳会談が開かれた。 冷たい金属製のテーブルを挟み、八人の国家元首が対峙する。社交辞令など一切ない。 彼らの顔に張り付いているのは、最終報告書がもたらした恐怖だけだ。HVI1500の崩壊が残した証――巨大なガラスのクレーターへの恐怖である。
ソラリアの代表――白金の髪に、不眠で隈のできた目をした女性が口を開いた。その声の震えは、弱さからではない。怒りからだ。
「止まらなければ、子供たちに未来はないわ。私たちは軍神を創り出し、その軍神に食い殺されようとしているのよ」
対するレイゼル帝国の最高司令官。銅像のように冷徹な表情だ。帝国がイメージ戦略で敗北していることは理解している。だが、もはや勝利に意味などなかった。
「帝国は限界を証明した。調印は必須だ。だが、いかなる合意も各国の効率性と実力を損なうものであってはならない」
恐怖こそが、人類最後の調停者となった。 災害の重圧の下、『トリニティ条約(三聖条約)』が締結されたのである。
2.絶望的な合意
条約の条項は、恒久平和をもたらすためのものではない。即座の破滅を食い止めるためだけのものだ。
【能力制限】 軍事活動におけるHVI1000以上の『天才』の使用を完全禁止する。該当者は保護・隔離され、国際政治への干渉を禁じられる。
【軍縮】 HVIに基づく軍事研究開発予算の70%を削減。各国は軍事ではなく、外交または経済による平和の模索を義務付けられる。
【中立地帯】 両陣営の架け橋として、『再建評議会』監視下の非武装国際領域を設置する。
そして、条約の心臓部とも言える最も重要な条項――。
『クロスマーク国立学園(通称:十字国学園)』の設立である。 新世代の天才(HVI400以上)は全員ここへ通わなければならない。この学園は相互監視のメカニズムであり、各国が自国の未来を人質として差し出す、強制的な中立の地である。
3.十字国学園:死の淵での誓い
学園は、最も忌まわしい場所に建設された。ベイシン13である。
それは偶然の選択ではない。二人のHVI1500の死が穿った巨大なガラスのクレーター、その真上にキャンパスは築かれた。生徒たちの足元にあるのは、結晶化した恐怖そのものだ。
新入生が校門をくぐるたび、彼らは冷たい白い光を反射するガラスの地面を踏みしめることになる。「失敗の代償は完全な破滅である」という戒めとして。
学園内では、両陣営の誓約が具体化されている。
【同盟の公約】 人間性の保証。生徒は感情育成、創造性、共感思考のプログラムに参加する。高HVI保持者が(帝国のように)無感情化していると発覚した場合、平和への脅威とみなされる。
【帝国の公約】 効率と公平性の保証。学園は絶対的なHVI階級システム(A、B、C、D、F)に基づいて運営される。勝者は報われ、敗者は罰せられる。例外はない。これにより、各国は自国の生徒の実力を隠蔽できない。
学園は縮小された戦場となった。 暴力は熾烈な競争へ、そして八大国による不可視の監視へと置き換えられた。「天才たちが戦場ではなく盤上で戦えば、戦争は防げる」。世界はそう賭けたのだ。
4.『ゼロ』を持つ者
薄氷の平和の下、世界は一時的な安定を得た。 人々の目は、人類の運命を握る新しい天才たちが集う『十字国学園』へと向けられていた。
だが、その絶望的な合意の裏で、帝国が最初からルールを破っていたことを誰も知らない。
レイゼル帝国は、ベイシン13におけるカインの惨敗に固執し、極秘計画『プロジェクトZ』を継続していたのだ。 HVI1500の天才など、もう造らない。彼らが造り出したのは、無価値な存在。測定不可能な個体だ。
トリニティ条約締結後、帝国のとある「人工物」が生徒名簿に加えられた。
そのHVI数値は、常識では説明がつかないものだった。『0』。
名は、アカバネ・アリス。 彼はただの生徒としてではなく、参加するシステムそのものを崩壊させるために設計された『ジョーカー』として、十字国学園に足を踏み入れる最初の人間となる。




