第1章:数の世界の異端者
第1章 数の世界の異端者
1. 平等が終わりを迎えた日
三十年前。
八大強国の空は、まだ同じ青色をしていた。
後の歴史書が懐かしさを込めて語る「曖昧期」。
あの頃、ソラリアに生まれようが、レイゼルに生まれようが、子供たちは皆同じだった。
泣き、笑い、画家や技師、医者になるという夢を無邪気に抱く。
人の価値とは、生まれた瞬間に与えられるものではなく、生涯を通して成し遂げたもので決まるはずだった。
ソラリア、アステル、ヴェルニス、ユデリア、レイゼル、ドミニオン、ノクトルニア、アヴァロス──
八つの大国はひとつの円卓を囲んでいた。
彼らは浮上列車の設計図を共有し、新型ウイルスのワクチンを共同研究し、
果ては国境防衛のための合同演習すら行っていた。
レイゼルとソラリアの国境付近のカフェは、国籍を問わず人で賑わっていた。
特別な通行証など必要なく、ただ微笑み合えばよかった。
人々は平和を常数だと信じ、進歩は協力によってもたらされると疑わなかった。
だが──彼らは間違っていた。
平和は常数ではない。
嵐が訪れる前の、儚い静寂に過ぎなかったのだ。
その嵐は、銃声でも爆発でもなく、
一枚の科学報告書から始まった。
2. 人類に下された審判の日
"Chỉ số giá trị con người (HVI)"。
八カ国すべての大広場に立つ巨大スクリーンが一斉に点灯し、
国際科学評議会の会見が流れた。
新しいアルゴリズム、
新しい人間評価システム──
遺伝子構造、神経密度、脳活性能力を基盤に「先天的価値」を数値化する仕組み。
スコアは10から1000以上。
初め、人々はただ興味本位だった。
医療センターには「自分はいくらなのか知りたい」という群衆が押し寄せ、
親たちは新生児を抱えて測定器に乗せ、我が子が“隠れた天才”であることを祈った。
しかし──興味はすぐに恐怖へと変わった。
ソラリア首都のある家庭で、笑い声が凍りついた。
長男:HVI 650──天才候補。
次男:HVI 42──一般労働者。
その夜から、父親の視線は二人の子供に対して明確に変わった。
一方には家計の全てが投じられ、
もう一方は使い古しのおもちゃさえ与えられなくなった。
差別は食卓に、教室に、職場に滲み込んだ。
人はもう「何の仕事をしているの?」とは聞かない。
代わりにこう尋ねた。
「君の数値はいくつ?」
求人広告には「HVI 200以上限定」。
高級住宅街には「HVI 500+専用区域」。
HVIは"参考データ"から、
3. 理性と感情、その亀裂
人が数字化されると、国もまた数字に染まっていった。
八大国の結束は瓦解し、世界は二つの極端な思想へと分裂した。
● 西側:連合(Liên minh)
ソラリア、アステル、ヴェルニス、ユデリア
──彼らは〈光の宣言〉を掲げた。
「天才とは感情の昇華の産物。
愛、芸術、心の震えこそ脳の可能性を最大化する。
我々は“愛情”で天才を育てる。 」
一見、美しい理想。
しかし現実は別の地獄だった。
連合では、子供たちは“幸福”を強要された。
人工的な喜びを作る薬物、終わらない芸術訓練、
24時間の創造行為。
高数値の子供ほど期待に押し潰され、
自由という名の檻で心を削られていった。
● 東側:帝国(Đế chế)
レイゼル、ドミニオン、ノクトルニア、アヴァロス
──こちらは〈鋼鉄の宣言〉で応じた。
「感情は進化のゴミ。
それは迷い、恐怖、混乱を生む。
国家は絶対理性と最大効率で運営されるべきだ。 」
国境は閉ざされ、
灰色の巨壁が空を遮り、
内部からは色彩が消えた。
涙は“水分と塩分の無駄”。
笑顔は“筋肉の浪費”。
三歳で親から引き離され、
最適化のための訓練施設へ送られた。
4. 死の静寂に包まれた二年間
HVI発表からわずか二年で、世界地図は完全に塗り替えられた。
国際列車は止まり、
首脳同士のホットラインは切断され、
検問所が毒キノコのように増え、
元は同盟軍だった兵士たちが、
今は鉄条網越しに銃口を向け合う。
だが、本当の戦争の主戦場は国境ではなかった。
地下深くの研究施設だ。
“天才”はもはや人類の宝ではない。
国家資源だった。
人権連盟のリークは、血の匂いがする数字を突きつけた。
帝国では、
「神経最適化プログラム」の開始から半年で一万二千人が消失。
夜に黒いトラックが迎えに来て、二度と戻らなかった。
噂では、帝国は脳から“感情領域”を切除し、
人を生体計算機にする実験をしていると囁かれた。
連合も同じく深手を負っていた。
十八歳未満の天才候補の自殺率は三七%に跳ね上がった。
“完璧な絵が描けない”と飛び降り、
“壮大な交響曲が書けない”と薬を飲み過ぎて倒れる。
世界は息を潜めた。
火薬の匂いと消毒液の臭いが、
同じ風に混ざり合っていた。
平和は死んだ。
そしてその亡骸の上に、
“数字の支配する時代”が幕を開けた




