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塩マネージャー vs サバサバ系女子、私が選んだ対抗策は ‘ぶりっ子’ でした  作者: 雨宮 叶月


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第58話 戻る日常

海から戻ってきた翌日、オフィスの窓から差し込む光は、昨日までの海辺の光景とは違う、都会的で乾いたものだった。

 灰色のビルが立ち並ぶ景色を前にしても、私の中にはまだ潮風の匂いが残っているような気がする。


 「はぁ……」

 デスクに突っ伏した佐伯のため息が、朝から三度目。パソコンの画面はまるで進んでいない。


 「佐伯さん、出社してからまだ一行も書いてないですよね」

 私が書類を片手に冷静に声を掛ける。その声色には淡々と事実を確認するような響きがあった。


 「だってさあ、黒宮さん。あんなきれいな海見ちゃったらさ、仕事なんて……」

 佐伯は未練がましく机の上に置いたスマホを取り上げる。画面には昨日撮った写真。夕暮れの砂浜で全員が笑顔を見せているショットだった。

 「ほら、これ。最高じゃない? 私、この瞬間だけで一年くらい頑張れる気がする」


 私はちらりと画面を見たが、特に表情を崩さない。

 「そうですね。いい写真です。でも、その『一年分のやる気』は、今日から使い始めてください」


 佐伯は「うっ」と言葉を詰まらせ、椅子に沈み込む。

 佐伯は余韻に浸りたいのに、私の切り替えは早すぎる。


 「ほんと、切り替えの化身だよね、黒宮さんって」


 「ただの社会人です」

 さらりと返す私は、もう机に視線を戻し、メールの返信を片付けていた。


 昼休み。

 オフィスの片隅にある休憩スペースでは、メンバーの何人かが差し入れのお菓子を広げていた。


 「これ、昨日の帰りに駅で買ったんです。限定らしいですよ」

 成瀬が小袋を配ると、女子たちが小さく歓声を上げる。

 パッケージには波模様と、どこかで見たようなカモメのイラスト。


 「わー、いいなあ。やっぱ海帰りのお土産って特別感ある」

 佐伯はさっそく一口かじり、口いっぱいに広がる甘さに目を細めた。

 「うん、やっぱ旅のあとって食べ物までおいしく感じるんだよね~」


 「佐伯さん、まだ現実に戻ってきてないですね」

 黒宮はコーヒーを片手に立ったまま様子を見ている。


 「えー、黒宮さんだって楽しかったでしょ? ほら、串焼き食べてるときめっちゃ幸せそうだったじゃん」


 「……あれは食事です。仕事とは切り離して考えるべきものです」

 

「いやいやいや! 顔ゆるんでたから! 写真にも残ってるから!」


 佐伯がスマホを見せようとすると、私は「結構です」と手を掴む。自分の写真は見たくない派だ。

 メンバーたちはそのやりとりに笑いながら、お菓子を摘んでいく。




 午後。

 私は進行表の修正に没頭していた。来週には新しいステージの打ち合わせが控えている。

 「この部分は照明のチェックを追加しておいてください」

 淡々と指示を飛ばし、必要な資料を次々と揃えていく姿は、もう完全に仕事モードだった。


 一方の佐伯は、椅子に座ったまま窓の外を眺めている。

 青空に浮かぶ雲の形が、昨日の入道雲と重なるように見えてしまうのだ。

 「はぁ……夏っていいなあ。もう一回くらい海行けないかな」

 「佐伯さん」

 黒宮が手を止めずに呼びかける。

 「現実に戻るよう努力してください」

 「努力中!」

 そう叫びながら、佐伯は渋々キーボードを叩き始めた。


 

 仕事が一区切りつくと、メンバーの一人が笑いながら言った。

 「でも、なんだかんだで良い思い出になりましたね」


 「うん、ほんと。夏って短いけど濃いな」

 

「写真、グループ共有にあげときますね」


 スマホの画面には、朝に撮った最後の集合写真が映し出される。

 笑顔も驚きも入り混じっていて、どの顔も生き生きしていた。


 佐伯はその写真を見て言った。

 「……やっぱ、あれは最高だったな」

 「そうですね」

 私も写真を見て、小さく頷いた。だが、すぐに視線を画面から外す。



 

 やがて夜、それぞれが帰宅の途につき、オフィスは静かになる。


 佐伯は自宅に戻ると、ソファにごろんと転がった。

 スマホを開けば、アルバムには数えきれないほどの写真や動画。

 波打ち際の風景、屋台での食事、バーベキュー、花火。


 「……あーあ。ほんとに終わっちゃったんだな」

 ぽつりと呟く声は、少しだけ寂しさを帯びていた。


 けれど、その寂しさと同じくらいの温かさが胸に残っている。

 夏の海が見せてくれた景色は、きっと日常に戻っても消えない。


 



 一方そのころ、私は自室のデスクでパソコンに向かっていた。

 次の会議に必要な資料を整理しながら、ほんの一瞬だけ画面の端に表示された写真に視線をやる。

 そこには、昼に共有された集合写真が表示されていた。


 私は小さく息を吐き、すぐにまたタイピングを再開した。

 思い出は、立ち止まる理由ではなく、前に進むための支えなのだ。



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