第16話 メンバー② 優しさは使い放題の消耗品じゃない
合宿2日目の朝。
食堂の片隅で、私はスケジュール帳を開きながら、牛乳を静かに飲んでいた。
「ねぇ、颯真ってさ、なんであんなに人の話にちゃんと相槌うてるの? 人徳? 仏?」
隣のテーブルで、佐伯が“いい意味のつもり”で発言したのは明らかだった。
けれどその視線は、どこか試すようで、甘えているようでもあった。
望月颯真はパンをくわえたまま、苦笑いをひとつ。
「えっと……癖? 聞いてるよって、伝わる方が場がやわらかくなるからさ」
「それって気遣いのプロって感じ〜。私、逆に“そういうの重い”って言われるタイプなんだよね。思ったこと言うだけなのに」
「うん……でも、佐伯さんのそういうストレートなとこ、元気になる人も多いんじゃない?」
曖昧な返し。
颯真のこういうところが、好感度おばけと言われる所だ。
けれど私は知っている。
彼がどれだけ“優しさ”を意識的に選びとっているか。
そして、それが“無限に湧き出る資源”ではないことも。
「佐伯さん♡ 望月くんに“なんでも受け止めてくれる係”押しつけてるように聞こえますぅ♡」
「え? そんなつもりじゃ……。でも、マネもさ、そういうとこあるよね? 無表情で何言ってるかわかんないけど、言い返さない感じっていうか」
私はにこりと笑った。“わかっててやってる”とバレない程度の、無機質な笑顔。
「“言い返さない”と“言わないで済ませる”は別ですよぉ♡」
彼女は無言で席を立った。
颯真はパンの耳をちぎっていた。
「……優しさって、消耗するよね」
ぽつりとつぶやいたその言葉に、私は手帳を閉じた。
「望月さんのその“疲れた顔をしない努力”、いつか誰かが甘えすぎますよ」
「もうしてるよ、たぶん」
「でも、あなたは“黙ってる”って選択をする」
「だって、そういう役回りって、誰かがやんなきゃでしょ?」
彼はそう言って、私にだけ見せる少し乾いた笑顔を浮かべた。
私はその表情に、少しだけ眉を寄せる。
彼の“疲れてるのに気づかせない”スキルは、天性じゃなく、積み重ねの結晶だ。
だからこそ、私は余計なフォローをしない。
ただ、記録しておく。彼の“限界ライン”を、誰よりも正確に。
□
夕方。レッスン後の個別インタビューの時間。
順番に呼び出されていくメンバーの中で、望月の番が終わったあと、佐伯がぽつりと言った。
「颯真ってさ、優しすぎて、逆に裏があるんじゃないかって思うときあるんだよね〜」
霧島が横で馬鹿にしたように笑った。
「逆じゃなくて、“優しさに裏打ちされた表情”しか出さないだけでしょ。お前とは真逆」
「ちょ、どゆこと?」
「お前は“正直に言えば正義”だと思ってるけど、あいつは“黙るのが思いやり”って分かってるタイプ」
「……なんか言い方キツくない?」
「お前のは雑なんだよ。言葉の濃度が」
私は横からひとこと。
「“正直”って、だいたい“雑な自己主張”と紙一重なんですよぉ♡」
「なんか今日2人してキレ味よすぎじゃない?」
「ナイフの角度が合っただけですぅ♡」
□
その夜、望月がタオルを干しながらぼそっと言った。
「黒宮さん、ありがとう。変にフォローしないでくれて」
「優しさを無駄に持ち上げられるの、苦手でしょう」
「うん、そう。“持ち上げ”って、プレッシャーに変わるから」
「あなたはもっと自由に甘えていいと思います。」
「……それを言う黒宮さんが、一番甘えられてなさそうだけどね」
私は小さく笑った。彼も、私と同じで、笑わない“優しさの演技”を使いこなす人間だ。
けれど、それはあまりにも脆くて、壊れやすい。




