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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

永遠の夏


 すぐ近くで聞こえる蝉の鳴き声と、カタカタと音が鳴る扇風機からのそよ風。揺れる風鈴の音。あとは冷たい飲み物でもあれば、私が理想とする夏の過ごし方そのもの。

 縁側で寝転んでいる体を伸ばして、目を開けば相変わらずの眩しい太陽が此方を見ている。


「んー、今日は何しようかなぁ?」


 畑のトマトが食べ頃だったし、採ってご近所さんに渡すも良し。もしくは川まで行って水浴と魚釣りでも良し。こんなにも天気がいいのだから、やりたい事は沢山ある。


 この後の予定を考えていると、癖のある足音が聞こえてきた。その方向、家の玄関に顔を向ければ、太陽を浴びた焦茶色の短髪姿の青年が見える。彼は髪色と同じ目を穏やかに細めた。手には釣り竿を持っている。


「川に行ったら鮎がいた。今日の夕飯は鮎の塩焼きにしよう」

「やったー!ご馳走だー!!」


 外履きも忘れて彼の元へ駆け寄れば、背中に背負っていた籠の中身を見せてもらった。中には脂がある立派な鮎が大量だ。こんな美味しそうな鮎があるなら、今日は畑にトマトを採りに行こう。


「畑からトマト採りに行ってくる!ついでにご近所さんにも渡してくるね!」

「気をつけてな、俺はその間に下準備しておく」


 そうと決まれば急いで採りに行かなくては。縁側に投げ置いていた靴を履き、調理場に向かう彼から「持っていけ」と差し出されたのは飲みかけの水筒だ。私は手を軽く振って感謝を伝えてから、私が管理している畑に向かった。


 畑まで続く坂道を進んでいく。それにしても今日は暑い、少し遠くを見れば陽炎が揺らいでいる程だ。収穫のついでに水を与えておこう。



 そのまま足取り軽く進んでいると……遠くに黒い影が見えた。

 陽炎でそう見えるだけ、という訳ではなさそうだ。その影は右へ左へと揺れ動き、やがて姿が消える。否、地面に倒れている。


 慌てて駆け足で影の元へ向かえば、それは影ではなく同じ年頃の少年だった。黒い影と思ったのは彼の全身黒の服装の所為で、ついでに髪も黒い。


「ちょっ、ちょっと大丈夫!?」


 真っ黒な少年の側にしゃがみ様子を見れば、身体中が汗だくになっている。急いで持っていた水筒を開けて、少年の口元へ近づける。


「飲んで!」

「……っ」


 余程喉が乾いていたのだろう。少年は首を鳴らしながら水分を体に入れる。


 この身なりの珍しい少年は誰だろう?もしや近所に家族がいるのだろうか?沢山質問したい事はあるけれど、それよりもこんな日向ではなく日陰に行かねば。

 水筒を飲み干せば多少は楽になったのか、少年は何度か深呼吸をしてから周りを見た。


「……ここは」

「よかった、意識はあるみたいだね」


 私が安堵をするのと反対に、少年は私を見るなり、溢れそうな程に目を大きくさせた。体を引き摺らせながら私から離れる姿……やはり近所の親類だろう、なんとなく似てる顔を知っている気がする。


「えっと……大丈夫?」

「………だ、大丈夫、です」


 汗で濡れた前髪をかき上げて、目線を泳がせながら私へ答えてくれる。……絶対に都会の男だ。この村に敬語で話しかけてくる奴なんていない。

 

「ねぇ、この村には帰省しに来たの?家まで送ろうか?」

「い、いや……えっと、俺はその……この村に、帰省とかじゃなくて……」

「うん?」


 吃りすぎててよく聞こえない。聞き逃さない為に顔を近づければ、今度は逃げる事はなかった。でも頬は林檎みたいに赤い。


「そう!俺は記者なんです!この自然豊かな村の事を記事にしたくて、取材しに来たんです!」

「記者あ?君私と同じ年くらいでしょ?とても社会人には見えないけど」

「えっ?……ああ、正式な記者というよりも、まだ見習いだから……」

「ふーん?」


 こんな辺鄙な村に取材とは、自然以外特に何もないのに。記事に出来る程の内容があるのだろうか?私の怪訝な表情に、少年は畳み掛ける様に話を続けた。


「最近では、自然豊かな田舎暮らしを憧れている人も多いんです!ですので大いに需要はあります!この村は交通手段も限られた辺境の村!そこで暮らす方々の過ごし方を、是非とも記事にしたくて!!」


 なんと、都会では随分と贅沢な憧れを持つものだ。……確かにこの暮らしは不便もあるが、それでも不満を感じた事はない。忙しない生活をしている都会人とは異なるだろう。

 そこから長々と、この村の良い所を話し続けた少年だったが、最後には顔を引き攣らせながら首を傾げる。


「……あの、ちなみにここって、宿泊施設とかは……?」

「あると思う?」


 少年は再び周りを見て、途方もなく続く畑と山々を見て……ガックリと肩を落とした。どうやらこの少年は野宿決定らしい。何処かで鴉が「あほー」と鳴いている。


「いや、絶対そうだろうと思って、野宿の準備もしてるけど……こんな暑いと思わないだろ」

「この地域は山々に囲まれているから、風が通りにくいんだよ。都会じゃあ夏でも涼しいかもしれないけど」


 確かに都会人にとっては、田舎の方が涼しいと勘違いするかもしれない。しかし野宿の準備までしているとは恐れ入った。見習い記者でも記者魂はあるらしい。頭脳は低いのかもしれないが。

 こう垂れる少年へため息を吐いて、立ち上がる。


「おにーさん、鮎の塩焼きとトマト好き?」

「え?……あっ、えっと……トマトはあまり……」


 腹立たしいが素直だ。悪い奴ではないと確信した。

 私は彼へ手を差し出す。


「野宿なんてしたら野生動物に襲われるよ。うちおいでよ」


 少年は顔を勢いよく上げた。もう瞳には絶望はなく、夏の太陽を浴びてキラキラと輝いて見える。その輝きに見惚れていると、少年は唾を飛ばしながら叫んだ。



「トマト!大好きです!!」

「もう遅い!!」









 少年の名は(アキラ)。同じ年頃かと思ったが少し上だった。なので少年ではなく青年だ。水分を飲んですっかり元気になった晶を連れ、私は予定通り畑へトマトを収穫しに行った。都会生まれの晶は畑仕事などした事が無い様で、足がもつれながらも手伝ってくれた。次第に慣れてきたのか、私への敬語もなくなっていた。


「私が持っている袋は、近所の井瀬木(イセギ)さんのお裾分け。晶が持っているのは今日の夕飯でで出すよ」

「井瀬木、さん?」

「そ。井瀬木さん忙しいから、玄関の取っ手に掛けて置くの」

「へぇ……」


 井瀬木さんは元々はこの村の出身ではないが、趣味の狩猟をのびのびと出来るこの環境を気に入って移住してきた。この田舎では野獣の畑被害が多い、井瀬木さんの様に狩猟が出来る人は貴重だ。

 今日も家の明かりが無いので、何処かに頼まれて狩猟へ行っているのだろう。その証拠に、いつも野菜のお裾分けを掛けている取っ手には、冷やす為の大きな氷と、新鮮な鹿肉の入った袋があった。

 袋を取り、代わりにトマトの入った袋を掛けておく。


「もぉ井瀬木さんってば、二人暮らしなのに量が多すぎるよ」

「二人?君以外にも家には誰かいるの?」

「うん、今家で夕飯作ってるだろうから、後で会えるよ」


 その返答に晶は頬を掻き、気まずそうに目線を伏せた。


「えっと、俺を泊めるのは、その同居人は許してくれるかな?」

「任せて、私がどうにかする」

「そう……それならいいけど」

「それよりも!晶は鹿肉食べた事ある!?無いなら明日の朝ご飯で出すよー!」


 鹿肉の入った袋を持ちながら、私は足取り軽く家路を進んでいく。晶はそんな私に何か思う事でもあるのか、苦笑いしながらも後ろを付いて行く。



 素人の晶と畑仕事をしたので、普段より大分時間がかかってしまった。家に付けばもう夕刻で、家の煙突からは釜戸の煙が見えた。砂利の音で気付いたのだろう、玄関の戸が内側から開かれる。


「随分遅かったじゃないか、何して………誰だ?」


 私へ普段通りの穏やかな表情をして見せたのに、後ろの晶を見て驚き、そして眉間に皺を寄せた。物凄い警戒している。


「ただいま!この人は晶だよ、さっき倒れてる所を助けたの。野宿するって言うから、うちの客間で泊まってもらおうと思って」

「ど、どうも……」

「……こんな田舎に、何しにきたんだ?」

「新聞記者見習いなんだって、最近の都会じゃあ田舎の生活が憧れらしくて、取材しに来たみたい」


 事情を説明すれば、晶の足先から頭のてっぺんまでじっと観察している。もしかしたら、こんな辺鄙な田舎に来るなど怪しいと思っているのか?確かにそうではあるが……別に怪しくても、うちを含め、この村に富豪などいりゃしない。金を出せと言われても畑の野菜か山菜しかやれないのだ。それに晶は悪い奴じゃない。そんな奴が野宿するって言うんだから、見て見ぬ振りは出来ないだろう。


 私は同居人の元へ一歩近づき、わざとらしく目を潤ませてみせた。


「今追い出したら、ご近所さんに「あの家は人の心がない」とか言われちゃうかもよ?都会の人に美味しいご馳走を食べさせてあげようよ?」

「……けど、流石に見ず知らずの人間を家に入れるのは……」

「お願い!お願いお願いお願い!!おーねーがーいー!!!」

「……………はぁ」


 私の必死のお願いに、最後には疲れた様にため息を吐く。次には家へ戻り、背中を向けたまま声を発した。



「今日だけだ」


 その言葉に拳を空高く向ける、満面を笑みを晶へ向けた。


「さぁさぁ入って晶!今日は採れたての鮎の塩焼きだよ!」

「……お、お邪魔します」


 家の玄関に目を向け、そして遠慮しながら歩みを進める晶の手を掴み、家の中へ引っ張る。晶は「ちょ!靴脱いでないんだけど!」と煩く騒ぎながらも、結局手は離さなかった。






 夕食には鮎の塩焼き、採れたてのトマト、そして先日漬けておいた茄子の漬物と味噌汁、炊き立ての米だ。トマトを口に入れるのを渋る晶だったが、固く目を瞑って一口食べる。……すると、目を見開いて興奮げに次々と食べ始めたものだから、育てた私はちょっと嬉しかった。


 同居人は晶への警戒心を捨て切れていない様で、やや眉間に皺は寄せたままだ。でも晶の茶碗から米がなくなると、出せと言わんばかりに手を差し出す。遠慮する晶に痺れを切らして、無理矢理茶碗を奪い大盛りに米をもっていた。なんやかんや、沢山食べてくれて嬉しいんだと思う。多分。


 夕飯を食べ終われば風呂だが、流石に世話をされっぱなしなのが気になったのだろう。晶は何か手伝いたいと言うので、風呂を沸かすので火を付けてほしいと頼むと「風呂に火……?」と不思議そうにしていた。それでもなんとかやっていたが。



 風呂も入り終わり、寝巻きに着替え縁側へ向かえば、同居人が先に私の定位置に座っていた。彼が見ているのは縁側の外、もっと先の場所だ。何かを考えているのか、握っている団扇は役割を果たせていない。

 私はそばに座り、握った団扇を取り上げた。私の存在に漸く気付いたのか、此方へ驚き顔を向けた。


「間抜け顔!仰いであげるよ」


 そう笑えば団扇を動かし、短い髪はそよ風で揺れる。こんな事で機嫌が良くなったのか、彼は嬉しそうに笑った。


「疲れるだろ?扇風機付けて、こっちにおいで」


 その提案には頷いて、縁側に置きっぱなしにしていた扇風機の電源を付ける。手招きされた隣へ腰掛ければ、ここじゃないと腕を引っ張られる。求められていた場所は彼の腕の中だった。背中から腕を回される。暑い、特に背中。


「ねぇ、暑いんだけど」

「俺も暑い」


 じゃあ何でくっつくの?と言うのは野暮だろうか?

 私の反応がない事をいい事に、彼は頭をグリグリと肩に擦り付ける。短い髪がチリチリと肌に刺さって痛い。


「痛い痛い……ねぇ晶は?」

「確認したい事があるって、外出た」

「はぁ!?こんな夜遅くに!?危ないじゃん何で止めなかったの!」


 夜は野生動物が村を彷徨くのだ。畑仕事で根を上げていた晶が、獣に出会い何か出来るとは思えない。急いで彼の元へ向かおうとしたが、見越した様に腕の力が強くなった。


「いいだろ別に、あいつ男なんだから大丈夫だよ。……それよりも、何であいつ連れてきたんだよ」

「だーかーらー!野宿させる訳にはいかないって、さっき言ったじゃん!」

「そう意味じゃなくて………はぁ、もういい……」

「何なのもう!」


 珍しく弱音を吐く同居人は、か細い声で耳元に囁いた。



「……、…………」

「何か言った?」



 余りにも弱々しい声なので、耳元で囁かれてもカナカナゼミの所為で聞こえない。もう一度聞こうと、離れようと暴れていた体を止めた。後ろを振り向くが、その前にふわりと体の拘束が解ける。



 後ろを振り向けば、そこには同居人はいなかった。







 結局晶は帰ってこない。本当は探しに行きたいが、それをすると同居人が煩い。……明日の朝、日が昇ったら探しに行こう。そう決心して眠りについた。


 そこから暫くして、すぐ側で足音が聞こえる。同居人が厠へ行こうとしているのだろうか?私の部屋は厠からは遠いのに、随分と近くで響く足音だ。

 不審に思い起き上がれば、部屋の襖に人影が見えた。驚き叫ぶ声より先に、襖が静かに、それでも早く開かれた。人影は晶だった。


「夜中に起こしてごめん。でも、こうでもしなきゃ気づかれると思って」

「晶!いきなりどうし」


 口を塞がれた。晶の手は汗で濡れていて、ぬるりと唇にはりつく。


「静かに。……今すぐ一緒に来てほしい」


 こんな夜中に?明日では駄目なのか?そう伝えたくとも、塞がれた口からは籠る声しか出ない。……けれど、何故か晶は正しいと思ってしまう。その所為で、晶に強く引っ張られる手を振り解けなかった。




 家を出て、畑を抜けて。それでも晶は手を離さない。ポケットから何やら光る板を出して、その板へ舌打ちをしている。


「クソっ!圏外なのは想定していたけど、まさか時間まで歪んでるなんて」

「ケン、ガ?」


 意味の分からない言葉を繰り返せば、晶は一瞬だけ私へ振り返る。それでも歩みは止まらない。


「……俺、君に嘘付いた。本当は記者じゃないし、この場所にも取材の為に来たんじゃない。……「君」を助けに来たんだ」

「私……?」


 頭が混乱する私へ、晶は光る板を見せた。……その板には、精巧な絵が描かれていた。くすんだ色で描かれた、複数の人物の絵。優しそうな笑みを浮かべる、晶とそっくりな顔の青年。その青年の右手は、座る少女の肩に置かれていた。




 ……座る少女、それは私だった。




「小さい頃から、ずっとジィちゃんは君の話をしていたんだ。「怪奇の花嫁になった妹」……七十年前、ジィちゃんは家族と田舎の村に住んでいた。その村では「ある存在」を祀っていて、その存在のお陰でやせ細った土でも作物が育った。……でも突然、作物は一切育たなくなったんだ」


 板から光を消した晶は、息つく暇もなく話を続けた。


「村人達は「ある存在」へ助けを求めた。すると奴はこう言った。「×××家の娘を差し出せ」と」


 ×××家、聞いた事がある。

 ……嗚呼そうだ、どうして忘れていたんだろう。私の住んでいる家の表札に、その名があったじゃないか。


 ここまで歩いていた晶は、ある家の前で歩みを止めた。その家の戸にはトマトの入った袋が掛けられていた。どうやら、まだ井瀬木さんは帰ってきていないらしい。

 晶は袋を地面に置いて、勢いよく玄関の扉を開く。そのまま土足でどんどんと家の中へ進んで行った。


「ちょっ!……あれ?」


 慌てて晶を止めようとしたが、家の中を見て驚いた。外とは違い、家の中は随分と埃が積もっていたのだ。まるで長年誰も住んでいなかった様な、とても人が住める状況ではない。それに悪臭が酷すぎる、思わず掴まれていない手で鼻を隠した。晶は気にせずに進んでいく。


「ここに住んでる井瀬木さんって、いつから住んでるの?最近いつ顔を見た?」

「……えっ、と……」

「分からない?」


 その通りだ、何故か分からない。進めばどんどんと悪臭は強くなり、だんだんと眩暈がしてくる。



 晶はある部屋の前で立ち止まれば、襖を力強く開けた。

 一気に強くなる悪臭に顔を手で覆う。……だがその手の隙間から見えたものは、信じられないものだった。


「……嘘」


 その部屋には、床を覆い尽くす程の袋が乱暴に置かれていた。袋の中には、今まで私が井瀬木さんに贈った野菜が入っている。長い年月をかけて腐った野菜達には、蛆やハエが湧いていた。


 その腐った野菜の真ん中に、石の様なものが見えた。それが人の頭の一部だと分かった時、叫ぶ声は止められなかった。晶は静かにその様子を見ている。


「別の部屋に、あの死体の荷物が置かれていたよ。……二年程前に行方不明になった人だ。荷物の中には日記もあって、その日付は一年後に止まっていた」

「……そんな」


 あり得ない、あれは井瀬木さんではない筈だ。

 であればいつも置かれていた肉は、一体誰が置くというのだ?


 晶は暫くすれば再び腕を強く引っ張り、家から出て再び夜道を進む。


「×××家の娘……ジィちゃんの妹は、家族から無理矢理離された。そして「ある存在」の願い通り、妹は生贄として差し出された。ジィちゃんは俺にあの写真をずっと片身離さず持っていた。そして俺にあの時の後悔を教えてくれたよ。「あの時、無理矢理にでも連れ戻せばよかった」って。……君を助けてやりたかった、って」

「……その、晶のおじいちゃんの名前は……」


 私の問いに、晶は自分の祖父の名前を教えてくれた。

 そうして、私は全てを思い出したのだ。……あの日から続く、途方もない夏を。捻じ曲げられた私を。


 歩き続けると、やがて村の入り口であるトンネルが見えた。晶は安心した様にため息を吐いて、そして私へ笑顔を向ける。


「このトンネルを抜ければ、この土地に縛られているあいつは来れない。……帰ろうばあちゃん、ジィちゃんが待ってる」


 兄と同じ、くしゃりとした笑顔だ。私は頷いて、トンネルの中へ足を一歩、また一歩と進めていく。



 だが、誰かが後ろから髪を引っ張った。





「頼む……行かないでくれ」



 その声はか細く、嗚咽を孕んだ声だった。……後ろを見てはならない、そう本能が警告している。再び声が聞こえた。


「あの人間の事は、言えばお前が悲しむかと思ったんだ。お前が拾ってきた人間だったから……でもあいつが悪いんだ、お前を村から出そうとするから……だから」


 そう、井瀬木さんは偶然この村に迷い込んだのだ。最初こそ獣が多く出るこの場所を気に入っていたが、次第に異常さに気づいていった。この永遠に終わらない夏を。


「今更現世に戻って、一体お前に、何があるんだ?……っ、寂しいなら、人間を攫って来ればいい!お前が望むなら、何人だって攫って来る!!た、他人が嫌なら……俺と、子供を作ろう!本当はずっと欲しかったけど、でも……何が出来るか、分からないから……」


 まるで糸を手繰る様に、私の髪を引っ張り手元へ連れていく。


「嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ。お前と離れたくない、お、お前の居ない此処は、寂しいんだ……!」


 悲痛な声に、私を求める声に後ろを振り向きそうになった。……けれど、晶は強く私を引っ張る。その所為で掴まれていた手は離れ、私達は駆け足でトンネルを進んでいった。



 遠くから、泣き叫ぶ声が聞こえる。その声は獣の様だった。



 ……トンネルを抜けると、秋を知らせる鈴虫の声が聞こえた。





 現世に戻った私は、晶に連れられて兄の眠る墓へやってきた。兄の名が彫られた箇所を見た時に、やっと涙を出す事が出来た。

 私の体はあの場所で止まっていた。何年、何十年そこに居たのかは覚えていない。けれど、私はあの場所でずっと夏を、私が生贄となった季節を繰り返していた。


 私がいた時よりも大分未来の現世は刺激的だった。鉄の乗り物に多くの人々が乗り、板に描かれた絵が動き出す。服装だって晶みたいな珍しい服を着ていた。私も着物からその服へ着替えさせられた時に、その快適さに随分驚いたものだ。


 今は誰も住んでいない、弟の家に住まわせてもらっている。毎日の様に晶が来て世話をしてくれるので苦労はしていないが、いささか面倒をかけすぎて不安だ。私も何処かで働かねばならないだろう。……でも、何処で?



 ……これで、本当に良かったのだろうか?

 私は、あの人を一人にして良かったのだろうか?





「……蝉の鳴き声が、懐かしい」



 


 やっぱり心配だ。私は晶にお願いして、再びあの村へ戻る許可を得ようとした。



 晶は晶の母親、弟の娘に呼ばれている。墓参りも終わったので彼の元へ向かえば、姿を見る前に話し声が聞こえた。





「晶、まだ落とせないの?あの女を連れて来てもう一ヶ月もたつじゃない」

「うるせぇな、こっちだって毎日必死に媚び売ってるんだよ。なのに化け物ババァ、俺が話しかけてるのに全然見向きもしねぇんだよ!」

「いい加減にしてよ!生贄だがなんだか知らないけど、あの子気味が悪いのよ。……はぁ、妹を生贄に差し出して、得たお金で成功したのに。まさか死ぬ間際に「遺産を全部妹に譲る」なんて遺言を残すなんて……父さんは妹の死亡届を出していない。父さんが死んだあとに、遺産欲しさに証拠もなしに妹の死亡届を出す事が出来ない。生贄になったあの廃村で、証拠として適当な骨でも見つかればと思って、井瀬木を向かわせたら……行方不明になるんだもの」

「井瀬木が白骨化してたのはウケたわ!逃すの失敗して、化け物に殺されてやがった!」

「まさかアンタが勝手にあの村に行って、しかもあの子を連れ戻して来るとは思わなかったわよ。……早く適当に言いくるめて、遺産譲渡にサインを貰ってよ……」

「あーダメダメ、あのババァちょっと見た目が可愛いから、上手く落としてサイン貰って、ついでに体適当に遊んでやろうとしてたけど……もう無理だわ。イライラする。どうせ戸籍はあっても存在がバケモンみてぇなもんだし、適当に脅すか殴るかしてサイン書かせるわ」

「最初からそうすればよかったじゃない!ほら、さっさとあの子の元へ行って!今すぐサイン貰って、あとは適当に追い出しなさい!!」

「わーってるって、ああもう、ウルセェ母親だなぁ……………ん?」










 嗚咽が溢れる、涙が溢れる。

 足が勝手に動いて、彼らから一刻も早く離れようと足が動く。



 漸く覚えた街を走り、走り。

 そうして辿り着いたのは駅だ。改札にいた駅員を掴み、兄が私の為に残していた財布から、まだ見慣れない札を差し出した。







 どうして帰ってこれたのか、何故一度しか通らなかった道を、明確にこの場所を覚えていたのか分からない。……けれど、私は再びあのトンネルの前にいた。


 立ち入り禁止と書かれた、古びた看板がトンネル前に置かれていた。トンネルの側には小さな祠があるけれど、時代に取り残された其れは朽ちていた。


 奥が闇しか見えないトンネルを見つめていると、近くの林が揺れる。出てきたのは野生の鹿だ。獣は此方を見据えて、滑らかに口を動かした。



「おかえりなさい」


 それを皮切りに、茂みから、林から、次々と声が聞こえる。



「お帰り」

「おかえりなさい!」

「よく戻ってきたねぇ」

「戻ってくるって、わかってたよ」

「助けて」

「早くトンネルへお入り」

「ああ無事でよかった……本当に」



 獣達(村人達)の声は、私がトンネルを抜けるまで続いた。歩くにつれて寒さで、白くなった息が消え、懐かしい蝉の鳴き声が聞こえる。



 獣しかいない家々を進んで、田んぼ道を進んで。……崩れた家を通り過ぎて。


 そうして見えたのは、竈の煙が見える、私の家。



 

 戸が開いた。中の闇から、人間の手がゆっくりと、家の中に手招きする。



「お帰り」


 優しい声が、私を求める声が聞こえた。



 私はその手に触れて、震える口で声を出す。




「……ただいま」










私……夏が大好きな娘。とても元気で見た目相応。これからもずっと娘のまま。


同居人……「私」とずっと一緒にいたくて、脅して奪った。夏が好きな「私」の為に、永遠に夏を繰り返させている。後もう少しで皆呪い殺してやろうと思ってたら戻ってきた。めちゃくちゃ嬉しい。でもあの男殺す。


晶……曰く付きの村から帰ってしばらく、体がどんどん腐っていき、トマトみたいになって、やがて蛆が出て死んだ。祠の整備をしないからそうなるんだぞ。


晶の母……強かに生きる。


「私」の兄……ずっと後悔はしていた。けどずっとあの廃墟となった村には近づけなかった。


井瀬木さん……借金まみれのところ、晶の母にそそのかされて村に突撃。永遠の夏を繰り返しているのに普通の娘に同情する。毎日毎日獣が襲ってくるので、猟銃はいつも持っていた。結局は失敗して殺される。


獣達……好奇心旺盛な人間達の末路。


もはや短編と呼んでいいのかわからないほどに長くなってしまいました。でも1ページだから!セーフ!という気持ちで投稿しますごめんなさい許して下さい。

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