5.麻雀中の不思議な体験
松平慶民から松平忠直の名誉回復を託された菊池寛だったが、忙しさにかまけて執筆には至らずにいた。ある時、麻雀に興じているときに不思議な感覚に陥る。そして松平忠直に会うことになる。
菊池のギャンブル好きは世間でも有名になっていた。特に文芸春秋社を立ち上げてからというもの小説を書く作家活動の時間が減ってきたとともに麻雀、将棋の時間は増えていった。翌年の1929年には日本麻雀連盟会長に就任するほどである。
麻雀が日本で流行し始めるのが1925年ごろである。中国で発明された麻雀が日本に導入され、大阪や東京に麻雀荘ができ始めたのが1925年。1928年ごろ各種大会が開催されるようになり、その普及に一役買ったのが文芸春秋社だった。大会の開催と参加者を募集するお知らせを掲載したり、麻雀のルールを掲載したりした。その会社の社長が会長になったわけだが、その社長が無類の麻雀好きだったわけである。 「麻雀讃」と題する以下のような書状がある。
「とにかく勝つ人は強い人である、多く勝つ人は結局上手な人、強い人と云はなければならないだらう。しかし、一局一局の勝負となると、強い人必ず勝つとは云へない。定牌を覚えたばかりの素人に負けるかも知れない。そこが麻雀の面白みであらう。しかし、勝敗の数は別として、その一手一手について最善なる打牌を行う人は結局名手と云はなければならない、公算を基礎とし、最もプロバビリティの多い道を撰んで定牌に達し得る人は名手上手と云へよう、しかしさうした公算に九分まで、準據ししかも最後の一部に於て運気を洞算し、公算を無視し、大役を成就するところは麻雀道の玄妙が存在してゐるのかも知れない。最善の技術には、努力次第で誰でも達し得る。それ以上の勝敗は、その人の性格、心術、覚悟、度胸に依ることが多いだらう。あらゆるゲーム、スポーツ、がさうであるが如く、麻雀、も技術より出で、究極するところは、人格全体の競技になると思ふ。そこに、麻雀道が単なるゲームに非る天地が開けると思ふ。」
という内容である。仲間内で麻雀をしていると菊池は負けが込んでくると無口になった。そんなとき対戦相手は
「くちきかんが始まった」
と影口をたたいたそうだ。
1935年(昭和10年)文芸春秋社で芥川賞と直木賞を制定して第1回の表彰式をした。その日の夕方、文芸関係者でお祝いの後、会社近くの麻雀荘で麻雀を始めた。相手は作家仲間の久米正雄、文芸春秋社専務の鈴木氏亨、大阪の雑誌編集者の木津川計 当時は麻雀が日本にまだもたらされたばかりで、文芸春秋で特集されてルールなどが浸透し、東京と大阪を中心に爆発的な流行を見せていた第1次麻雀ブームの時代である。立ち親は久米氏、先制パンチは西家の木津川氏がダマ天で満貫を南家の菊池から上がり、2局は菊池が親、菊池が親リーチをかけるも久米氏が追いかけリーチをかけて菊池が放銃、5200点、菊池連続放銃で「くちきかん」状態に入った。3局は木津川氏が親、鈴木氏がダマ天でピンフイーペーコードラ2で7700点を菊池が放銃、ますます菊池は「くちきかん」状態になり口をへの字に曲げて不機嫌さを表していた。第4局は鈴木氏が親、菊池の起死回生の3巡目リーチだったが、南家の久米氏が終盤に追いかけリーチ、リーチ1発で菊池が久米の当たり牌をつまんでしまい放銃。しかし当時はまだ一発ルールはなかった。リーチタンヤオドラ1で3900点、ここまで菊池の4連続放銃でツキのなさはあきらかだった。リーチを掛ければ追いかけられて放銃、普通に打っていてもダマ天で放銃、当たり牌が菊池に集中している状況だった。南荘に入る前に菊池はツキを変えるためにタバコに火をつけ、店の店主にコーヒーを4人分注文して全員にふるまった。南荘1局、久米の親だったが菊池は聴牌したがあせらずダマ天で小さく上がる作戦に出た。親の久米からピンフタンヤオ2000点のあがり。
「焼け石に水じゃないの」
と久米氏が言うと菊池は
「悪い流れを断ち切るにはまず小さい上がりを続けることだよ。」
と言って親を引っ張ってきた。南荘2局、菊池の親番、配牌は絶好のピンフタンヤオ系の軽快な手であった。3色をつけたい、ドラをつけたい。いろいろ考えそうになる手だがここも軽快に上がりを優先してピンフタンヤオドラ1で5800点を鈴木専務からあがった。
「いよいよツキが回ってきたぞ。」
と菊池が意気込んだ。配牌にドラの「中」が2枚、親満が狙える手だ。3巡目、その「中」が暗刻になりイーシャンテン。7巡目にローキュー万で聴牌。10巡目に木津川氏が9万を放銃。菊池は満面の笑みを浮かべた。ここからの菊池はまさに独壇場、親で8連荘、あっという間にトップに躍り出た。
絶好調の状態と言うのはまるで未来が見えるような爽快な状態になるもので、スポーツ選手がゾーンに入るというが、まさに今の菊池がその状態だった。面子選びの段階でも選んだ方にズバリとあたり、相手がリーチをかけると危険牌が手にとるように読めていた。そんなとき、昨日の松平慶民の話を思い出した。松平忠直は奇行に走ったときどんな心境だったのか。単に若き大名としての孤独感から精神的におかしくなってしまったのかとふと思い出した。すると時が止まったかのような不思議な感覚が菊池を襲った。麻雀をしながら眠ってしまったわけではなく、淡々と牌を自摸っては捨てている。そして的確な捨て方で次に来る牌がわかっているかの如く、上がり続けた。しかし頭の中では忠直の顔が浮かんでいた。