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1,雑誌「文芸春秋」を創刊する菊池寛

菊池寛は芥川龍之介や川端康成などの人気作家の力を借りて新しい文芸雑誌を創刊することを思いつく。自分たちが若い時にお世話になった投稿雑誌をこの当時の若手文芸作家たちの活躍の場を準備しようとしたのだ。こうして文芸春秋は創刊された。

 1922年、35歳の菊池寛は小石川区林町に住居を構えていた。その日は芥川と久米が家に来て、夕食を共にしていた。小石川の菊池の家は大きくはないが、こぎれいな家で菊池が原稿料で購入した中古物件である。日本家屋の玄関を上がると台所兼居間があり、奥に菊池の書斎がある。2階には寝室があり、客間も整備されている。香川の武家の出の包子夫人は菊池が作家として駆け出しのころ、収入が不安定だったので実家の資産を目当てに結婚した裕福な家庭の子女である。その包子が近所の肉屋で奮発した牛肉で作ったすき焼きをみんなでつつきながら最近の文学界について論じていた。

居間の中央に七輪を置き、その上に鉄なべを置いてぐつぐつ音を立てながら牛肉と野菜を煮込んでいた。最初に箸を突っ込んだのは家主の菊池だった。まだ少し赤い牛肉の薄切りを躊躇なく箸でつかむと小皿に乗せ一気に頬張った。満足そうな笑顔で、砂糖と醤油で味付けした牛肉に満たされながら、まだこんなごちそうを食べられなかった学生時代の貧しさを思い出した。

「僕たちは大学生のころに同人として参加していた『新思潮』があったから、作品の発表には恵まれていたね。たくさん書いたな。」

と菊池がしみじみと言うと、こちらも遠慮もせずに肉に箸を伸ばして芥川が

「あのころは貧しかったね。京都にいた菊池君が東京の大学生雑誌に投稿するのは大変だったんじゃないかい。期日までに郵送しなくてはいけなかったんだろ。それにしても君は書くのが早いよね。」

菊池の文才は内容もさることながらその速さは群を抜いていた。短編ならば一晩で書き上げることは珍しくなかった。

「そうでもないさ。そんなに長い文章を書いたわけじゃないからね。今考えると学生時代に『新思潮』のおかげで文章を書く訓練を徹底的にさせてもらったね。」

という菊池に久米は肉を食べる箸を一旦置いて、包子夫人が注いでくれたお酒をグイっと飲みほして

「あれから7年ほど経ったけど、大学生の文芸雑誌が衰退してしまったね。大手の『中央公論』や『新潮』は学生が投稿するには敷居が高いし。もう少し安くて大衆的な雑誌を作って、学生たちが論文を発表できるような場を提供することは大切だと思わないかい。」

この言葉に一番食いついたのは家主の菊池だった。菊池はこの3人の中でも人気作家として最も裕福な暮らしをしていて資金的にも余裕があった。芥川も人気作家だったが家族の問題で揉めたりして必要な経費が多かった。菊池はかねてより事業を起こすことにも興味があり、投資して大きな利益を上げてみたいという秘かな野心も描いていた。生来のギャンブル好きから経済活動にも手を出そうとしていた。

「文芸雑誌のおかげで今の私たちがある。若手を育成することも私たちの使命だ。新しい雑誌を作ろう。芥川君、久米君、協力してくれるかい。」

菊池の頭の中には2人が協力して文章を投稿してくれれば、大きな利益が上がるかもしれないということも浮かんでいた。特に芥川は学生時代に既に「羅生門」や「鼻」を発表し、夏目漱石から高い評価を受けていて、それなりの人気作家になっていた。だから菊池は彼らの名前を大々的に利用して、若手を育成するという大きな目標に向けてみんなの気持ちを一つに結集して新しいものを作ろうとしていたのだ。

「もちろんだよ。出来ることは協力するよ。」

と久米が賛同すると芥川は

「僕たちはさほどお金はないから他の面で協力するよ。何なりと言ってくれ。」

と協力を申し出た。計算高い菊池は芥川には創刊号巻頭の小説を書かせ、久米や川端にも小説を投稿させ、巻末には自分の編集後記を載せるところまでイメージは湧いてきていた。

「ところで、雑誌のタイトルはどうするの。」

3杯目のお酒を飲みながら芥川が聞いてきた。

「そうだね、今、僕が『新潮』の中で担当している文芸批評のコーナーが文芸春秋っていうんだけどそのタイトルでどうだろうね。」

「新潮社が許してくれたらいいけどね。向こうにとってもこれからはライバルになるんだからね。」

と久米がくぎを刺すと

「ライバルにはならないさ。向こうは一流の作家たちの高い原稿料の文芸を掲載する高級文芸誌だから値段だって1円もするんだ。こっちは無名の若手の安い原稿料の作品を掲載する3流誌だよ。紙は質を落とすし、値段だって10銭がいいところだ。高級な文学に興味のある読者層ではなく一般大衆をターゲットにするのさ。」

と雑誌のコンセプトを簡単にまとめてしまった。菊池寛が私財を投じて1923年1月に創刊号が発行されるが、用意した3000部は瞬く間に売り切れた。菊池の読みは当たった。発行編集兼印刷人は菊池寛、発売元は春陽堂、定価は10銭で破格の安さだった。巻頭を飾った連載小説は芥川龍之介の『侏儒の言葉』だった。ほかに投稿した作家は今東光、川端康成、直木三十二などで菊池の人脈が生かされた人気作家たちが並んだ。ぎっしりと文字が詰まった4段組みは現在まで続く伝統の編集方針だが、この雑誌は一般大衆に受け入れられた。後に春陽堂から独立して、1926年、菊池が文芸春秋社を創設して実業家として大活躍することとなる。作家としての文学界への貢献から雑誌編集者、実業家として文学界に貢献していくこととなった。



作家としてだけでなく実業家として成功した菊池寛。様々な分野で活躍することになる。はたして菊池はどんな活動を続けるのか。乞うご期待。皆様の感想、ご意見をお待ちしています。

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