バーナム効果
【バーナム効果】
体育館に生徒一同が集められた。今日はこの学校の卒業生でノーベル賞を取った物理学者が講演をしていた。
僕の周りにいる、いやほとんどの生徒が退屈そうにウトウトしているか、近くの友達とじゃれ合っているかだった。ソワソワしながら制服を脱ぎ始める野球部らしき生徒もいた。6限目に体育があるのだろう。時計を見ると5限目の終わり時間が近づいていた。
その人は「最後に」と言ったあと、マイクから手を離して呼吸を整えて息を飲み、再度マイクに手をつけた。
「僕は時間について研究をしています。過去や未来にいける、そんなSFのようなことを現実でできないかをずっと研究しています。ですが現状、その技術や理論は確立されておらず、不可能なものと考えられています」
当たり前のことを当たり前にいうその人の言葉に耳を傾けるものは、ほとんどいない。
「僕が仮に未来から来ていたとして、過去の僕がこの公演にいるとしたら」
いくらかの生徒がその言葉の先の人物へ目を向ける。
「耳がタコになるくらい言われてると思いますが」
どこかで聞いたことのあることを言うのだろうか。
「この瞬間1秒1秒と正面からぶつかってほしい」
左前に座る生徒2人がくすくすと笑っている。人のことをすぐバカにする斜め上の住人たちなのだろう。
「今抱えてる問題、テストの紙だけじゃない」
その2人がバカにしたように
「今はタブレットだし」
「平成かよ」
と笑い合っている。
「勉強、部活、人間関係、恋愛、将来、考えることがたくさんあると思います。その一つ一つに正面から向き合ってほしい。そして、向き合った結果逃げるという選択はいいと思います。ぶつかってたくさん失敗して後悔して、笑ってください」
この人のことは知らないが、きっとそれなりに青春時代を謳歌してきたのだろう。何かを思い出しながら熱量を持って話す姿に、己の過去に酔いしれて懐かしさを僕らに吐き出しているように感じた。少しの後悔を今引きずっているとしても、あの頃があるから今の僕が、みたいな雰囲気を纏っている。
「そして」
言葉を発した瞬間、その空気が一気に体育館サイドの柵のある窓の片方に流れていくように感じた。
「今の自分を未来へ運んでください。あなた方の未来でお待ちしてます」
頭を下げた数秒後に、1人の教師が拍手をし始め、続くように拍手が鳴り響いた。校長が「本日はありがとうございました」と伝えてから、担任たちが教室へ誘導しようと大声を出し始める。そこから生徒たちが談笑を始めて、先ほど制服を脱ぎ始めた生徒はすでに体操着に着替えており、担任に怒られていた。
「お前やりすぎ。あほやん」などと言葉が飛び交い、その生徒は少し顔を赤くして笑って、周りの生徒もバカにして笑っていた。
それを横目に僕も崩れゆく生徒たちの波に飲まれながら、教室へ戻ろうとしていたが、ふと校長室のある廊下の方へ向かった。講演が終わっあと、校長先生が笑顔で頭をペコペコしながら講師の人と一緒に降壇し、体育館を後にしていたからだ。僕は校長室を横目でチラチラと見ながら、近くにある掲示板を興味ある風に装って、眺めていた。校長室から籠った声が微かに廊下に漏れ出ていて、ガラガラという扉の音と共に「今日はありがとうございました」という声が鮮明に鳴り響いた。有名どころのドーナツの箱を片手に、頭をかきながら講師の先生は出て行こうとしていた。講師は扉を閉めると、そのまま昇降口にスリッパの音をかつかつと響かせながら歩いていった。体操着を着て素早くシューズを履き替えている生徒たちは目もくれずに外を目指している。
僕は恐る恐る講師の10歩くらい後ろを歩いて、来客用のスリッパから何十年も履き倒したであろう革靴を手に取った時に、
「あの」
と声をかけていた。
その言葉に周りを見渡して、僕?と言うように目を見開いて首を少し前に傾げた。
「はい」と答えると肩を少し上げて微笑みながら「なんでしょうか」と言った。
「あなたは未来からやってきたんですか?」
地面に革靴を落としたのと同時に講師が素っ頓狂な顔で「え?」と呟いた後、僕の後ろをキョロキョロと見渡した。なぜ後ろを見たのだろうと気になって振り返ったが、特に何もなかった。僕は振り返ってじっと講師の顔を見つめると、目が合って少し驚かれた。
「罰ゲームとかではなさそうだね」
そう答えると、革靴を履いて靴先をトントンとさせ、紺色のジャケットを整えた。
「違うよ」
「そうですか」
当たり前の返答なのに僕は何故か少し目を伏せた。間が空いたので、講師があたふたして僕の方に身を乗り出しながら
「君ドーナツ好き?」と聞いてきた。何故そんなことを聞くのか一瞬分からなかったが、ぼーっと視線を落とした先に、ドーナツの箱があったことで察した。
「あ、いえ大丈夫です」
ドーナツが好きかどうかを聞かれて返す言葉じゃないことをお互いに分かってはいたが、お互いの真意もまた、すれ違うことなく分かっていた。
「そっか。なんでそんなことを聞いたの?」
次はすぐに聞かれたことを理解した。それは、そうだと思う。
「未来人だったらいいなと思って」
「へえ」
講師は興味があるのかないのか分からない相槌をした。
「僕の話を聞いて未来人だったらなって?」
「はい」
「未来人だったらどうしてた?」
僕にも分からない。この人から未来という言葉が出てから、自分の今までの行動に理解を示せてはいない。黙って俯いていると、講師は口角を上げて前のめりに質問の音を高くした。
「じゃあ僕の公演どうだった?」
僕は俯いたままこの人の講演を必死に思い出そうとしたが、正直何を話していたのか既に覚えてはいなかった。
「そっか。じゃあ、、何が響いた?」
僕はパッとこの人の目を凝視してすぐに答えた。
「未来、です」
講師は手を口に当ててふふっと笑った。
「そうなんだ。僕の言葉ってどう思った?」
どんどん前のめりになっていく質問に対して本気で答えなければならないという思いに駆られた。それとともに廊下で騒いでいた生徒が教室に戻っていき、どんどん静まり返っていくのを感じると、6限目の始まりが気になって焦りが出てきた。
「正直、普通だなって」
自分から話しかけておいて、本心に嘘をつくのは違うと思った。講師は特に驚きもせず
「そうだよね」と言った。
「でもなんか、未来人だったらいいなって。意味分かんないと思いますけど。何かが変わるかなって」
「バーナム効果って知ってる?」
急に横文字が出てきたので、少し萎縮して答えるのが遅れた。
「いえ、物理法則とかですか?」
「んーん。心理学なんだけどね」
講師は今日の講演を思い返すように言葉を紡いだ。
「僕が今日言ったこと、たぶんどこかで聞いたことあるものだと思うんだよね」
僕が校長みたいな大人なら「そんなことないですよ」とペコペコしながら言えるだろうが、何も言うことはできなかった。
「バーナム効果。とは全然違うんだけど、他人にとって僕の熱は退屈で、誰にも届かないかもしれない」
じゃあなんでバーナム効果を出したんだろうと思った。それを察したのかは分からないが、講師は僕の顔を見てニヤリと笑うと、甲高く続けた。
「でも、届くかもしれない」
そう言って、僕の胸をツンっと指差した。
「未来人、ってどこから連想されたのか分からないけど」
ふっと力が抜けたように笑う。
「勝手に解釈を拡げてくれるかもしれない、いい方向に捉えてくれるかもしれない。だから、退屈な本気を伝えたいんだ」
僕がその言葉を聞いて困惑した表情を浮かべる度に、子どものような無邪気な笑顔が溢れ出てくる。
「これが本当のバーナム効果なんだよ。しょうーー」
講師がキメ顔を作って何か言い終わる前に、6限始業のチャイムが鳴った。
「タイミング、、ンマそういうことだから、また機会があったら話そうよ。過去の僕」
そう言って、革靴をコツコツと笑わせながら昇降口から去っていった。ここまでの出来事と今の言葉を消化できないままだったが、とりあえず走って教室に戻った。
教室の後ろから扉をガラガラと開けて戻ると、その音に何人か気づいてこちらを向いたが、すぐに黒板の方に目をやった。先生が気だるそうに早く座れーと言いながら、黒板に向き合ってチョークを叩いて文字を書き始めた。僕はすぐ自分の机に座って授業に必要な教科書と資料を出した。
カッカッカッとチョークの音が響き渡る中、先ほどの会話が忘れられなかった。左右をチラチラ見て机の下でスマートフォンを取り出し、バーナム効果と調べた。検索サイトの1番上のAI概要に、バーナム効果とは多くの人に当てはまることを言われているにもかかわらず「これは自分のことを指しているのだ」と感じてしまう心理的効果のこと。と書かれていた。眉間に皺を寄せて、全然違うじゃんと曇った言葉を発しそうになって飲み込んだ。スマホをポケットに入れて1番後ろの席から周りを見渡すと、皆ノートにペンを走らせていた。
その瞬間に何故か、してやられたと思った。