9.見棄てられた令嬢
黙って案内を受けるヤーナだったが、案内係はヒールを履いたヤーナを気遣うことなく進んで行く。離されては困ると、急ごうとしたヤーナだったが、エルザが優しく止める。
「急ぐ必要はありませんよ」
「でも」
「今日の主役はヤーナ様です。遅れたところで誰も何も言いませんよ」
「ふふ、さっきはありがとう」
「当然です。主を蔑ろにされて怒らない使用人はいません」
小声で話せば聞こえないくらいに離れたが、エルザは焦ることをしない。案内係の姿が角を二つ曲がったところで完全に見えなくなった。パーティー会場の喧騒は聞こえているから音のするほうに進めば迷うことはない。
「陛下も入場していらっしゃいます。貴女が最後です」
「当然でございます。今宵のパーティーの主役はヤーナ様です」
エルザは、ヤーナを蔑ろにした者の顔を忘れていない。そもそも獣人族は顔だけでなく匂いでも人を識別する。香水をつけられると難しいが、匂いのあるものを禁止されている使用人ならば難しいことではない。
「ヤーナ・ファルコ、入場」
敬称も無しで、とりあえず扉を開けてやったぞと言わんばかりの態度だった。ヤーナは五年間の淑女教育のお陰で表情を出さないという技を身に付けている。本当なら微笑みのひとつ浮かべるべきなのだろうが、そこまでする気力は無い。
「見て、良くパーティーに出席できたわね」
「あれが娘だとしたら恥ずかしくて家から出せないわ」
「国を騙した悪女ですもの」
「男爵がお可哀想だわ」
そこかしこでわざと聞こえるように囁きあう。ヤーナは無視をしているが、傷付かないわけじゃない。五年前も今もヤーナの意思は何一つ鑑みられていない。十代の少女を貶すことに娯楽を見つけている大人たちがおかしい。
「……前へ」
階段を数段、上がった台座に国王は立つと、会話を中断させられた苛立ちを隠すことなくヤーナを呼び寄せる。名目がヤーナが番の任を終えたことに対する祝いであるから、言葉を与えないわけにはいかなかった。
「ヤーナ・ファルコ。此度の任、ご苦労だった。皆も労いを」
国王は直答を許さずに、ただ儀礼的な言葉を述べた。十代の少女に対するには余りにも雑な扱いで、それを周りの貴族も嘲笑いながら適当な拍手で応える。お辞儀をしたまま言葉を受けたヤーナは、拍手が鳴り止んでから体を起こした。
「さがっ…………」
「陛下?」
下がるように命じる前にヤーナの胸のブローチに気付いた。国王の後ろに控えていた宰相が国王の異変に気づく。王国内では最高権力者であっても帝国の高位貴族には強く出られない。問題を起こせば、損害を受けるのは王国だ。
「その、ブローチは」
「陛下? どうされました?」
「宰相。ヤーナのブローチの意匠を確認しろ」
なぜ国王が険しい顔をしているのか分からない宰相は、ヤーナのブローチを近くで確認する。一目でブローチが帝国のグルベンキアン公爵家のものだと理解した。鷲の目のところに赤と緑の宝石が使われている。これは、初代公爵夫妻のそれぞれの瞳の色だとされている。
「グルベンキアン公爵家の紋章を象ったブローチです。陛下」
「……そのブローチをどこで手に入れた」
「…………」
「なぜ、答えない。そうか。答えられないのか。衛兵、こやつを――」
「お待ちください。陛下」
高位貴族なら緊急性がある問いに許可を得る前に答えることができる。だが、ヤーナは男爵令嬢だ。下位貴族のため他の高位貴族の仲介が必要となる。普段、下位貴族と直接会話をすることがないため、国王は答えられないことは、疚しいことを抱えていると判断した。
ヤーナを衛兵に捕らえさせようとした国王を止めた男性が集団の中から出て来た。ブローチを見て、何かを耐える表情をして、止めた理由を話し出す。
「答えられないのは、令嬢が男爵家だからでしょう。下位貴族は王族に直答できません」
「あぁ。ファルコは男爵家だったな」
「はい。グルベンキアン公爵家の夫人は、私の妹です。おそらく同じ人族の番として友好を深めたのだと思われます」
「そうか。下がってよい」
「はっ」
ヤーナを捕らえる話は有耶無耶になったが、王国としてヤーナの後ろ楯を公爵家だとは公言しなかった。もし、公式に認めてしまえばヤーナに報奨を与えなくてはならない。しかもヤーナが番だったのは未成年のときのため、男爵家に褒美を渡すことになる。
下位貴族を陞爵させるのは、高位貴族との軋轢を生むため避けたかった。だから、ヤーナの詐欺師だという噂を否定していない。
「ありがとうございます。閣下」
「ジリタニス侯爵家当主のサブルだ。何かあれば力を貸そう。甥も――アティカスも気にしていた」
「アティカス様が」
「良かったら知らせてやってくれ。さ、ここは空気が悪い。義理を果たしたのだから帰りなさい」
ジリタニス侯爵家は、王家も強く出られない家だ。他の家も面と向かって抗議はできない。
ヤーナを嘲笑していた者たちは非公式であってもグルベンキアン公爵家の後ろ楯がある。それを公爵夫人の生家の当主が認めたことに罰の悪さを感じて、無かったことにしようと談笑したり、食事をしたりと忙しい。
「ヤーナ様、帰りましょう」
「えぇ」
会場を出ると、ヤーナたちを置いて行った案内係が揉み手をして待っていた。ヤーナが侮っていい存在でないことを知ったのだ。分かりやすい手のひら返しだが、ここまで分かりやすいと清々しくも感じる。
王城の客間に案内をしようと歩き出すが、簡単について行くつもりはない。ヤーナたちは何も言わずに馬車乗り場に向かう。帰りだけ貴族用の貸し馬車を使う者がいるため、常に待機していた。そのうちのひとつに乗り、ペリグレイ領に帰る。
「ヤーナ様、お疲れ様です。到着は明け方になりますからお休みください」
「ありがとう。エルザも休んでね」
気を張り詰めていたヤーナは、馬車の揺れに身を任せると眠りに落ちた。エルザは到着してもヤーナを起こさずに抱き上げて降ろす。帰りを待っていたシュリナがヤーナの身支度を引き受けて、交代する。
「ずいぶん眠ってしまったわ」
「お疲れだったのでしょう。お帰りなさいませ」
「ただいま」
ヤーナが城に泊まることなく帰ったことは、不問にされた。下手に抗議をして公爵家の不評を買いたくないという思惑が働いた。
ようやく落ち着いたヤーナは、アティカスを招いてお茶会をすることにした。快く受けてくれたアティカスは、ヤーナが伯父であるジリタニス侯爵に会ったと話すと、嬉しそうにする。
「僕が外交官を目指すのは、伯父上が影響してるんだ」
「そうだったのね」
「両親は、他国との交流に保守的だから」
貿易が国を栄えさせることは理解しているが、他国の者を定住させることには否定的だ。自国主義者であるため、ここ数年は他国の者に定住許可がほとんど下りていない。ヤーナが住めたのは、元々王国貴族だったからだ。
「だから、帝国語を学ぶのも大変なんだ。だから教えてくれるのは、すごく嬉しいよ」
「先生になれるかは分からないけど、色々作ってみたの」
「すごいよ。全部、ヤーナが書いたんだろ?」
「私だけじゃないけど、帝国語の難しいところは分かるから、まとめてみたの」
周りが止めないと、いつまでも勉強してそうな二人は、ゆっくりと絆を作る。たまに外に出て、領内を歩いたりと、ヤーナはアティカスに心を許していた。




