8.王国の微笑
新しい使用人の手配も完了し、一ヶ月ほど長逗留していた宿を引き払う算段がついた。荒れていた庭の手入れが終わってからアティカスを招くことにして、住み始めたことを手紙で知らせる。
帝国語の教本を作るという目標は、落ち込みがちだったヤーナに笑顔をもたらした。アティカスを呼んでも失礼でない程度に整ったときに、王家より手紙が届く。
「王家から?」
「はい。ヤーナ様が家を購入されたことを知ってこちらに手紙を送ったのでしょう」
ヤーナたちは知らなかったが、ファルコ男爵家にも手紙が届いていた。だが、帝国に行く前からヤーナに関心がなく、手紙が届いても放置されることが多い。ヤーナの手元に届くことは稀で、存在を知ったときには予定の日付が過ぎている。男爵家に有益な繋がりを持っていないヤーナを気にかける労力を嫌った。
そんな評判を聞いて王家はヤーナのことを杜撰な人物だと評価している。何の配慮もなくヤーナを呼びつけていた。
「わたくしが番の任を終えたことを祝うパーティーを開くそうよ」
「パーティーでごさいますか? 任、とは」
「番で無くなったことを合理的に説明するための理由よ」
番は、破棄されることの無い繋がりだと言われている。それが破棄されたのだから何か理由をつけなければ貴族たちから反発を受ける。十二歳の令嬢を一人で送ったことは当時は、大きな批判を受けた。
「参加、されるのですか?」
「参加しないという選択肢は無いようよ。王家から迎えが来るそうだから」
ヤーナは手紙をナイドンに渡す。格式張った挨拶文は飛ばして、重要な本題だけを読む。そこには、国がわざわざ時間をかけて準備し、パーティーを開くのだから有り難く参加しろと書かれていた。
「ここには、ヤーナ様が貴族の振る舞いに欠けるため、用意のための人材を送ると書かれていますが、どう言った意味でしょうか」
「わたくしが十歳のときのことです。王国では成人前に王家主催の練習会が開かれるのですが、わたくしは参加できなかったんです」
「できなかった? 体調でも崩されたのでしょうか?」
「いいえ。両親がわたくしへの手紙を渡すのを忘れていたのです。気づいたときには終わっていて、王家から理由を聞かれて、マナーができていないと答えたのが原因でしょう」
マナーができていない娘なら社交界に出す必要はない。ヤーナにかける費用を上二人の娘に使えば、上位貴族との繋がりが持てる。社交界に出られない年齢の娘に金を使うのは無駄だと、判断した結果だ。
「いくらなんでもそれは、問題と言うものです。帝国公爵家の次期夫人となられるだけの教養を身に付けられたヤーナ様に不敬と言うものです」
「わたくしは、男爵家を勘当された身よ。それに、その時は見よう見真似のマナーだったもの」
「いいえ。ヤーナ様の母国には申し訳ありませんが、王国が帝国を侮っていると、このナイドンは判断します。日取りまで時間はありませんが、売られた喧嘩を言い値で買う算段をつけましょう」
「売られた喧嘩って……ふふふ」
「これを使うときが来たようです」
ナイドンはヤーナに宝石箱を差し出した。中には、一介の男爵令嬢が身に付けるには不相応な装飾品が納められている。ミアナは、番では無くなったヤーナが王国で、どんな扱いを受けるか正確に理解していた。
王国では、番を神格化していた。運命の相手、赤い糸の恋人、別れることのない神に祝福された二人、そんな美化された関係なのに、番では無いということはありえない。だから、騙していたのだと理由付ける。
「これは、グルベンキアン公爵家を意味する鷲のブローチです。ヤーナ様が公爵家の後ろ楯を持っている証です」
「ミアナ、様は、分かっていらしたのね」
「どうぞ、ご友人を呼ぶように敬称を外して差し上げてください。その方が喜ばれます」
「でも、身分が違いすぎるわ」
本人からお願いされたからヤーナは、一週間限定で敬称を外した。話題にするのなら敬称を付けていないと不敬として、誰かに告げ口されてしまう。ナイドンも分かっているはずなのに柔和な笑みで勧めてくる。
「それに、ヤーナ様が敬称無しで呼ぶ方がよもや公爵夫人だとは誰も思わないものですよ」
「……分かったわ」
「ドレスも全てお任せください」
いつ調べたのか王国の流行りとヤーナの体形に合うドレスを三日で用意してきた。微調整はエルザとシュリナがおこない、あとは当日を待つばかりまで準備を進める。生地も王国の公爵家が仕立てるものを惜し気もなく使っていた。
「驚いたわ」
「時間があれば、一点ものを仕立てたいところです。時間が無いので、既製を用意したことが悔やまれます」
付き添い役がいないため、ヤーナはエルザを連れて王家の馬車に乗る。評判を知っていた御者は、ヤーナが馬車に乗るときに介助しようとはしなかった。ただ、一目でも見ていれば、その美しさに手のひらを返していたはずだ。
「ヤーナ様」
「大丈夫よ」
パーティーの主役であるから入場は最後になる。どうせ控え室で待たされるのに、早くに迎えに来られた。これは、ヤーナが時間通りに準備できていなくても間に合うようにという思惑がある。
エルザが側にいるから暇を持て余すことはなかったが、廊下から城の侍女たちがヤーナを嘲笑う声が聞こえてくる。
「番だって、偽ってた女がここにいるんだって!」
「やだぁ」
「国王陛下もお優しいわ。社交界に顔も出したことが無い令嬢のためにパーティーを開くんだから」
「たかが男爵令嬢がいい気なものよね」
エルザは何か言いたげだったが、ヤーナが王国では男爵令嬢で、もうすぐ貴族籍を失うのは事実だ。それに、一人ずつ相手にするより王族の前でヤーナが公爵家を後ろ楯に持っていることを知らしめる方が早い。
「時間です」
「扉を叩くのをお忘れですよ」
「侍女風情が口を出すな。下民が」
「申し遅れました。わたくし、ガルバネラ侯爵家が娘、エルザと言います」
案内係はヤーナのいる控え室の扉を叩かずに開けた。マナー違反だが、ヤーナが抗議することはないと高を括っての所業だ。だが、この部屋には帝国貴族令嬢がいた。
「っ」
「扉を叩くのをお忘れですよ?」
エルザは笑って同じ言葉をもう一度、告げる。案内係は、外に出て扉を四回、叩いた。簡単に返事をするつもりの無いエルザは、ヤーナのドレスや髪を整えてから扉を開ける。待たせたつもりの無いエルザは、怒りを顕にしている案内係を笑顔で見返す。




