7.言葉の架け橋
大型客船は、それだけで見る価値があると、大勢の人が集まっていた。船から降りる人たちは、見物客に手を振りながら舷梯を歩く。船で旅行に出られるのは、裕福な庶民だけだ。貴族は、領地を管理する必要があるため長期で離れることを許されない。
「すごいわ」
「大きいです」
「すごいわ」
「ヤーナ様、すごいしか言ってませんよ」
「だって、すごいんだもの」
降りてきた人たちは、予約した宿に泊まり、陸路と海路で別れることになる。ヤーナとエルザは、人混みに押されるようにして路地裏に避難する。
「▽◎§%☆□!」
「困ったな。僕は、帝国語が分からないんだ」
「お母様を探しているようですわ」
「帝国語が分かるの!」
「はい」
同じように路地裏に避難していた少年は、大型客船から降りた旅行客の子どもを見つけていた。親とはぐれたらしいが、大陸共通語を話せないようで帝国語で何かを言っている。ビリワナ王国で帝国語が分かる者は、貴族でもほとんどおらず、子どもも困っていた。
「ハルド!」
「あっ」
子どもを探していた親が運良く路地に入って来てくれて再会できた。安心したのか、子どもはヤーナたちに手を振って連れられる。
「すごいな。あっ、僕はアティカス・ペリグレイ」
「ヤーナと申します」
「ヤーナ嬢は平民? いや、お忍び?」
ヤーナは、他国とは言っても公爵夫人になるための教育を受けていた。それは、意識せずとも高位貴族の振る舞いとなる。アティカスの質問にどう答えるべきか悩んでしまった。
「ヤーナ様、どこか座れるところでお話されてはどうですか?」
「そうね。お時間がありましたらお話させていただきますわ」
「じゃぁ、僕のお気に入りの店に案内するよ」
貴族の子息が利用するには、少し砕けてはいるが高級カフェにアティカスは案内した。ヤーナは、初めて店に入り、少し興奮している。
小振りなケーキとお茶が運ばれてくると、ヤーナは改めて名乗りを上げた。
「先ほどは失礼しました。ヤーナ・ファルコと申します。先日まで帝国におりました」
「帝国って、もしかしてヤーナ嬢は――」
「はい。番として帝国におりましたが、間違いであったとなり、戻って参りました。そのときに男爵家より離籍処分となっていますので、仮平民の身分です。侯爵令息のアティカス様とは、同席――」
「ちょっと待って、離籍処分って。ヤーナ嬢は王国と帝国の友好回復のために行っていたのに、離籍処分は、あり得ない」
アティカスはヤーナが離籍処分となったことに憤りを感じていた。ペリグレイ家は、ファルコ家と同じく外交部に勤めている。そこの次男であるアティカスは、ヤーナのことを知っていた。
ヤーナに対する男爵家の対応に怒ってくれた初めての王国人だった。
「ありがとうございます」
「いや、せっかくのお茶が冷めてしまう。ゆっくりいただこう」
ヤーナはアティカスに聞かれるまま、帝国と王国の違いを話していた。獣人族は鼻が効くため匂いの強い料理が少ないのが大きな違いだ。
「そうだな。これから住むなら西区が良いよ。治安も良いし、居住区も広いから気に入った家があると思う」
「まだ来たばかりだから教えてくれて助かるわ」
アティカスが地図を見ながら候補地をいくつか上げてくれた。一緒に候補地を見て回ろうと約束をして分かれる。侯爵令息のアティカスが同行するなら不動産側もヤーナを下に見ることはない。
ヤーナはエルザと一緒にケーキをお土産に宿に帰る。ナイドンとシュリナに街でのことを話すと、嬉しそうにアティカスとの家探しを同意された。
「侯爵令息の御次男様がいらっしゃるなら滅多なことも起きませんでしょう」
「楽しんで来てくださいね」
「家探しよ。楽しむことはできないでしょ」
「街歩きを楽しんでください。家は急いでませんよ」
ヤーナは男性と外を歩いた経験が無い。さらにアティカスは婚約者でもないため戸惑いが大きかった。候補地の確認はナイドンだけでも良いのだが、ヤーナの気分転換になればと、二人に任せることにする。
一応、後ろからエルザが控えるため完全な二人きりではないから醜聞にはならない。
「ヤーナ嬢」
「ごめんなさい。お待たせしてしまいましたか?」
「僕が早く来てしまったんだ。早く会いたくて」
分かりやすい好意にヤーナは、頬を染める。アティカスは、移動のために自家用馬車を手配していた。エルザも一緒に同席して、窓から見える街並みの説明を受ける。
港近くは観光客向けの店が多いが、居住区辺りは生活に属した店が多い。そんな店の評判も合わせてアティカスは説明する。
「ここは、家族四人で住んでいた家なんだ。商会の支店を移すから引っ越したんだ。最近だから手入れも少なくて済むかな」
「そうね。でも、あの絵は」
「うん。あれはね」
主要な家財が残されているから今日からでも住めるが、玄関に飾られている埋め込み式の絵画はいただけない。商会の創始者の肖像画だからだ。商会関係者にしか意味はなく、何となく見張られている気分になり、居心地の悪さを感じた。
「あれでは、次の買い手はいないね」
「そうね。風景画とかなら良かったかもしれないわ」
アティカスの案内で三件目の家を借りることにした。買い取るとなると時間がかかるため、先に借りる方が手続きの手間が省ける。ナイドンたち三人の私室もあり、庭もそこそこの広さを持っていた。
何より元子爵家の別荘ということだから使用人を置くことを前提とした間取りのため、ヤーナたちにとって都合が良かった。庭師や料理人という新しい使用人を雇う必要があるが、そこはマクガレー公爵家が手配するため問題はない。
「家が整ったらお招きしても良いかしら? お礼もさせて欲しいわ」
「うん。そのときは帝国語も一緒に教えて欲しい。外交官を目指してるんだ。ペリグレイ侯爵家は兄上が継ぐからね」
「わたくしで良ければ教えるわ。手紙を送るわね」
ヤーナは、シュリナと一緒に帝国語の教本を作ろうと、相談する。帝国語を学んでいるときに側に控えていたのはシュリナだ。家庭教師の言っていた注意事項などもヤーナが覚えていないところは補助できる。




