6.海風の知らせ
夕飯はシュリナとナイドンが買い出しに行った。エルザは、ヤーナの冷たくなった指先を温めようと、湯に浸した布で包む。エルザとシュリナは、女性軍人として入隊もしたが、貴族令嬢だ。どんな理由であれ、貴族籍を抜かれるということは、死ねと言っているのに等しい。
「ヤーナ様」
「ありがとう。エルザ」
「私もシュリナもヤーナ様付きの侍女です。どんなことがあっても側にいますよ」
温かいスープと簡単なサンドイッチだったが、ヤーナは何とか一つを食べきった。一週間ほど体を休めてから定住先を探すつもりだったが、あの執事の様子では下手をすれば憲兵を呼ばれかねない。ヤーナが出発のときの荷物は、帝国にも出入りしている商会に預けている。マクガレー公爵家とも取引があるため邪険にはしない。
預かるための手間賃は、公爵家に請求されるが、そこはノーダスが上手く公爵家当主の方に書類が回るように手配するだろう。あの笑顔の下にとんでもない怒りを隠しているのだから。
「ヤーナ様、港町であるペリグレイ領は、どうでしょうか」
「貿易の盛んな領だったと思うのだけど、どうだったかしら」
「その通りでございます」
貿易の盛んな領ということは、人族以外の出入りも多いということだ。定住するならナイドンたちが居ても奇異の目で見られることがない。商談のために長期滞在している他国の者も多い領だった。余所者でも身元が確かなら受け入れてくれる。
「でも、そこまで行く旅費は無いわ」
「問題ございませんよ。帝国より持って来ました物は、王国で高く売れます。旅費の心配はございません」
「ありがとう。分からないから任せても良いかしら」
「はい。お任せください」
いくらヤーナが公爵夫人教育を終えても、番の破棄や貴族籍剥奪の対処方法は学んでいない。ナイドンも番の破棄というのは経験がなく、戸惑っていた。だが、ヤーナが一番困っているのだと、綺麗に感情を隠している。
「ヤーナ様、馬車の移動になりますので、ゆっくりお休みください」
「でも、……」
「私たちもすぐに休みます。ヤーナ様が寝ましたら、すぐです」
照明の強さを小さくして、ヤーナの眠りを誘う。精神的な疲れだけでなく、肉体的な疲れも完全には回復していない。ヤーナは帝国にいるときに、家族の話をしていなかった。家族構成くらいは話したが他は、ほとんど語らなかった。
「……どうして、ヤーナ様ばかり辛い思いをしないといけないんでしょうね」
「辛い思いを見せないからでしょうね」
「見せないから辛い思いをしていないなんて決めつけも甚だしいです」
淑女教育で感情を抑えるように教えられるが、ヤーナは完全に抑えてしまえる。それが当たり前だと思っている者が多い。ローベルトは、ヤーナが傷ついたなど欠片も想像していなかった。
ナイドンの手配のお陰で馬車酔いすることもなく、ペリグレイ領に到着した。海を話には聞いても実物を見たこと無いヤーナは、帽子が飛ばないように押さえながら少し駆け出す。一人で行って迷子になられても困るので、シュリナが後を追いかける。
「すごいわ。きらきらして宝石みたいよ」
「ヤーナ様、おひとりでは迷子になりますよ」
「大丈夫よ。船ってすごく大きいのね」
「先に宿を決めましょう。ゆっくりと街を見て回ってもよろしいと思いますよ」
「そうするわ」
思わずという感じでシュリナはヤーナの手を繋いだ。手を繋いで歩いた記憶の無いヤーナは、不思議そうに見つめてから握り返す。エスコートとして腕を添えたことはあるが、握ることはローベルトともなかった。少し嬉しそうにヤーナは、歩く。
「活気のある街ですね」
「お食事も充実していますよ」
食が細くなってしまったヤーナのために色々な物を用意していた。煮込み料理などは比較的量を食べるが、移動中では手配が難しい。早く定住したいというのが、ナイドンたちの本心だ。
無事、宿も決まりヤーナもゆっくり夜、眠れるようになった。移動となると、どうしても気を張ってしまう。エルザとシュリナは、ヤーナを連れて服を買い足しに行く。帝国式のドレスは、ペリグレイ領でも目立ってしまう。人族のヤーナが着ていれば更にだ。
「このドレスとかどうですか? ライムイエローとか流行りみたいですよ」
「良いわね。こっちの鞄とも合うわ」
「えっと」
「女の子はお洒落して忘れるんですよ」
「うんと、お洒落しましょうね」
持てない分は、宿に直接届けて貰うことにして、ヤーナの全身を着飾る装飾品を買い揃えた。ヤーナは一体いくらかかったのかと計算してしまい顔を青くする。ドレスや持って来た物を売ったところで無一文で王国に来たに等しい。支払いをどうするべきかと悩んでしまった。
「ヤーナ様、お金のこと気にしましたでしょう」
「うん」
「気にしなくても大丈夫ですよ」
請求はマクガレー公爵家が贔屓にしている商会に一括で送られて、そこから公爵家に届く。ヤーナは、婚約破棄されているが、ナイドンが考え直すように言っていたように、公爵夫妻はヤーナが番ではないというローベルトの判断を疑っていた。今でもヤーナを次期公爵夫人として、ローベルトと新しい番のキリア以外は、扱っていた。
「ナイドンさんが何とかしてくれますよ」
「怒られないかしら?」
「ヤーナ様を怒ることってないと思いますよ」
シュリナが言うようにナイドンは、怒ることなく、買い物したことに満足していた。宿の備え付けの衣装箪笥が埋まったのを見て喜んでいた。
衣装箪笥からシュリナは預かっていた宝石箱を取り出す。
「では、こちらをお返しします」
「宝石箱……」
「ご友人からの贈り物ですからね。大切に預からせていただきました」
帝国にいたときにローベルトから何かを贈られたことはなかった。持って来た物を売ったときもヤーナには何一つ思い入れが無いため残した物は、全部実用性重視だ。ヤーナは、蓋を持ち上げて中のカメオを一つ取り出す。
「ねぇ。エルザ、シュリナ。このカメオ、今日買ったライムイエローのドレスに合うと思わない?」
「すごく合いますね」
「明日、着けて行きましょう」
「何処に?」
「大型客船が寄港するそうですよ。見に行きましょう」
久しぶりにゆっくりと湯を使えるとなり、エルザとシュリナは気合いを入れて手入れをする。少し艶を失っていた髪も手入れされたヤーナは、一目で貴族令嬢だと分かる。満足そうな二人を見てヤーナは苦笑した。




