41.立場の鎧
ヤーナが覚悟を決めた頃に、帝国ではローベルトが何とか出国しようと皇帝に直訴していた。だが、ローベルトがタルルダ王国王族を三人、暗殺するために国王を欺き、帝国と王国の関係を破綻させようとした反逆者であるというのが、ビリワナ王国を除いた諸外国の見方だ。その疑惑を払拭するために外交官たちが飛び回っている。そのためザービスの出国禁止命令が一時的に解除されたのだ。わざわざ私的な手紙を届けるために忙しくしている外交官の時間を奪うわけにいかない。それは、番のためなら許されるという前例を作り、話を聞き付けたローベルトが喜ぶ内容となった。
「どうしてですか!」
「どうしても無い。いくら番のためだと言っても出国させるわけにいかない。お前の行動でタルルダ王国国王が退位することになったのだぞ。それとも番のために退位できたと喜べとでも言うのか!」
「それは、ヤーナが男と馴れ馴れしく……」
「馴れ馴れしい? 婚約者のいない令嬢が家人の目がある中で庭で交流することが馴れ馴れしい? しかもタルルダ王国では、王女殿下を男だと勘違いして斬りかかったというではありませんか。ヤーナ嬢──今はタルルダ王国王族──である方は、きちんと節度を持っていたと」
バルドワは息子を叱責するが、ローベルトには伝わらない。シンディアも貴族として在り方にヤーナの落ち度が何一つ無いことを強調する。バルドワとシンディアは政略結婚で互いに理解して夫婦として過ごしてきた。番の衝動というのは知っているが、ここまで話が通じないことに辟易している。
「皇帝陛下は、タルルダ王国から処遇の申し出がない限り、謹慎だと命じた」
「番のためだと言っているじゃないですか!」
「その法が通用するのは、帝国内だけだ。お前は、ビリワナ王国は、まあ、捨て置いて、タルルダ王国では通用しない。あくまで帝国貴族だ! 好き勝手動いて何故、許されると思った!」
帝国内という線引きが甘かったローベルトは、他国でも帝国貴族という身分から何かあっても適応されるのは帝国の法だという考えがあった。実際に国際問題になったときは、問題が起きた国ではなく、問題を起こした者の所属する法で処罰される。しかし、国際問題になるほどのことで処罰の重さに差があることはほとんどない。
「ローベルト、謹慎というのは部屋に居れば良いというものではない。自分が犯した罪をしっかりと考えるための時間だ」
「マクガレー公爵家を潰したいのですか? それならそうと言ってちょうだい。貴方を除籍処分にしますから」
「そんなことをしたらヤーナと結婚できないじゃないですか!」
「除籍処分になるようなことをしておいて、まだ言うか! 事は除籍処分で済む段階ではないわ」
ローベルトは除籍処分になり、貴族籍を失い平民になった後のことを想像できていない。貴族子息だから生かされているだけだ。勝手にタルルダ王国に行かれては困るとして部屋の前と庭には騎士と使用人が配置された。バルドワもビリワナ王国なら問題ないとしてもタルルダ王国で騒ぎを起こしたことは怒っていた。
「…………タルルダ王国王族が帝国に訪問される。その場に、お前も呼ばれた。陛下からは、くれぐれも大人しくしていろと厳命されている」
バルドワはローベルトを連れて行くことを反対したが、皇帝から命令されれば拒否することはできない。体調が悪いや傷が悪化したと理由をつけて家から出さないでおこうと考えたが、近衛騎士が迎えに来るということで誤魔化すことができないため諦めた。
「父上、何も聞いていませんが、ヤーナはいるのですよね?」
「来ていたらどうするつもりだ? 陛下からは問題を起こすなと厳命されている。それとも全て言われないと分からないのか?」
謹慎の間に考えたのは、王族に斬りかかったことは問題だったと認識しているが怪我ひとつ負わせていない未遂なのだから大事にしているタルルダ王国の寛容の無さに呆れていた。小国は些細なことで騒ぐ教養が無い国だとも思っている。まだ安直に捉えているローベルトに対してバルドワは一族のために見限ることにした。
「来たか。そこで待て。宰相」
「はい。タルルダ王国よりローベルト・マクガレーに対して王族殺害未遂についての処罰について申し入れがあった」
謁見室の玉座に皇帝が座り、宰相などの貴族院に席を置く者たちがローベルトを苦々しく見下ろしている。同じ高さに座っていることから皇帝と同等の発言権を持つことが分かる。ローベルトたちマクガレー公爵家が呼ばれることになったタルルダ王国の王族もすでに座っていることから、ただの謁見ではない。
「直接、言葉をかけていただけることに感謝せよ」
「改めて名乗っておこう。タルルダ王国、元国王の弟であるナディックだ。タルルダ王国では死ぬまで王族のため基本的に名前で呼ばれるが、アンダルト帝国の者に名を呼ぶ許可を出すつもりは無いため忘れてもらっても構わない。さて、此度、タルルダ王国王族がビリワナ王国及びタルルダ王国で暗殺未遂の危険に晒された。その犯人は、アンダルト帝国のマクガレー公爵子息だ。そこで、問いたい。国際法でも定められている刑罰に照らし合わせれば、各国の皇族及び王族の命を脅かした者は、貴族や平民という立場を問わず死刑に処す。処刑方法は各国に委ねられているが無罪放免となるのはあり得ない。にもかかわらず、何故、公爵子息は生きているのだ?」
色々な思想を持つ国同士が交流するには共通の認識が必要だ。法の制定にはかなり難航を極めたが、国の長の命を狙うことは犯罪だということだけは満場一致で決まった。これを許せば、領土欲しさに暗殺が横行してしまう。ナディックの問いかけに皇帝を含めて帝国側は気づかされた。バルドワも息子に謹慎を言い渡してタルルダ王国からの処遇の申し出があるのを悠長に構えていたが、本来なら選択肢などない案件だった。
「今、ここで首を刎ねても良いが、貴族ということから毒杯にするか。選ばせてやろう。どちらが良い? 私としては刎ねる方がお勧めだが、どうだ?」
「…………」
発言の許可を与えられていないマクガレー公爵側は何一つとして反論できない。また、選択肢を伝えることもできない。まだ軽く考えていたローベルトは死を突きつけられて顔を青くしていた。シンディアもローベルトを大人しくさせるための方便で首を送るなどと言ったが、現実になるとは露ほども考えていなかった。
「ナディック様」
「どうした? ヤーナ」
「答えたくとも答えられないのですわ。発言の許可を与えられていないのですから」
「おお、そうか。下の者は許可を与えられないと声を出すこともできないのだったな」
「ええ。帝国では婚約していても身分差があれば毎回、発言の許可をいただかないといけないのですわ。ですが、許可を与えるという煩わしいことでお手をかけるのも恥ずべきことなので、本当に重要なこと以外では従うのが正しい帝国貴族の在り方ですの。そう、わたくしは帝国の教育係から教わりましたわ」
ヤーナは嫋やかに笑みを浮かべてナディックに帝国の常識を伝える。このやり取りでヤーナがタルルダ王国側から下にも置かない扱いを受けていることが理解できた。発言の許可を求めることなく、名前を呼んで会話ができる時点で帝国の皇帝よりも優遇されている。




