4.ヤーナの処分
グルベンキアン公爵家を出発できたのは、一週間後だった。もし、あのままマクガレー公爵家に居たら、ローベルトに物理的に追い出されていただろう。精神的に不安定になっているヤーナは、突然、泣き出すこともあった。
事情を知っているグルベンキアン家の使用人たちは見ないふりをしてくれるし、一人でヤーナがいたのならエルザかシュリナを呼んでくれる。気づいたミアナが泣き止むまで何も言わずに側についていたこともあった。こんな状態のヤーナがローベルトと顔を合わせれば、謂れのない罵倒を受けたことは想像にかたくない。
「……ヤーナ、元気でね」
「ミアナ、ありがとうございました」
「わたくしのお友達だもの。当然よ」
「でも、これは……」
「受け取ってちょうだい。わたくしの娘時代の物だから古いけど品は良いのよ。きっと役に立つから……」
宝石箱をミアナは、ヤーナに贈った。それは、ミアナが自分に当てられた品格維持費で購入した物で、厳密に言えば夫からの贈り物ではない。今の帝国の流行りとも違うため、ミアナはヤーナのために贈った。
「ありがとうございます」
「では、出発します」
グルベンキアン公爵家の紋章を付けた馬車を先頭に、ヤーナの荷物を積んだ馬車が追随する。検問の審査は、事前に通してあるから、このままビリワナ王国まで走ることになる。護衛にグルベンキアン家の私兵がついていて、道中の安全は保障された。
「ヤーナ、貴女は自由になりなさい」
馬車が公爵家から見えなくなった頃に呟いた言葉は、誰にも聞かれずに消えた。ミアナは、ヤーナが来る前の日常に戻った。
公爵家が手配した宿は、どこも高級宿で旅慣れていないヤーナでも、そこまで疲れを残さずに進めた。五年前に帝国に来たときは強行軍だったことで、馬車酔いや腰を痛めたり、睡眠不足になったりと散々な目に遭ったのを覚えている。
一刻も早く帝国に連れて帰りたかったローベルトがヤーナの体調を気にせずに進んだ結果だ。
「ヤーナ様」
「……この宝石箱、預かっていてくれる?」
無言でヤーナはシュリナに宝石箱を差し出した。ヤーナの意図が分からずにシュリナは困った顔をする。
「ヤーナ様、どうされたのですか?」
「きっと、お父様に見つかれば、全部取り上げられてしまうわ。初めてお友達からもらった贈り物なの」
「分かりました。大切に預からせていただきます」
「ありがとう。シュリナ」
ナイドンたち三人はファルコ男爵領の宿に止まることにした。獣人族は珍しいが、外交で見る機会が比較的多い領地のため簡単な身元照会で泊まれた。
ヤーナは独りで五年ぶりに屋敷に戻る。その間、一度も戻っていないから知らない使用人も多い。それは、向こうも同じで、怪訝そうな表情でヤーナを見ていた。連絡を受けていた執事がヤーナに声をかけたが、確信を持っていたわけではない。
「ヤーナお嬢様ですか?」
「はい」
「旦那様がお待ちです」
「・・・はい」
外交部に勤めるヤーナの父は、自分の後釜を息子たちに継がせたかった。なのに、長男が生まれて以降、三人が女だった。女では外交官の妻になれても、外交官そのものにはなれない。
「こんのぉ、役立たずがぁ!」
「っ!」
「番だと言って、帝国に行ったと思えば、嘘だったとは、何てことをしてくれたんだ! この、詐欺師めっ! 今すぐ出ていけっ。何をおめおめと帰って来た! 死んでから来い!」
「申し訳ございません」
挨拶をする暇もなく、ヤーナは父親に頬を打たれた。唇を切って倒れてもヤーナを助ける者はいない。先代の時より仕えている執事と侍女頭は、何度もヤーナを庇って来たが、一度それで侍女頭が階段から落ちてしまった。怪我の程度は打撲だったが、騒ぎになり王宮からの調査が入り減俸処分を受けてしまったことがある。
事実がどうあれ国の要職に就いている者は、使用人を傷つけると処分を受ける。その苛立ちがヤーナに向かってしまい、悪循環となるため助けられないでいた。ヤーナが帝国に十二歳で行ったことは心配だったが、番なら大切にしてもらえると考えて送り出していた。
「イドゥーヤ! こいつを今すぐに屋敷から出しておけ」
「…………」
「…………」
ヤーナは立ち上がると、ドレスの裾を直した。命令されたイドゥーヤは、ヤーナを離れへと案内する。誰も住んでいないから空気は淀んでいるが、掃除はされていた。
帝国でヤーナら遊び暮らしていたと考えているイドゥーヤは面倒を持ち帰ってきたと、うんざりした表情を隠そうとしない。
「ヤーナお嬢様、なぜお戻りになったのですか? ファルコ男爵家は王国と帝国の架け橋になっていたのです。それなのに汚名を持って出戻りでは、当家の信用は地に落ちてしまいます」
「…………」
「旦那様のお怒りは全うなものです。明日にでも領地を出て、別の場所で終えてください。くれぐれも男爵領に迷惑をかけないように。それくらいは貴族令嬢なのだからできますでしょう。上のお嬢様方の結婚がようやく、まとまったというのに」
執事は言いたいことを言って離れを出た。ヤーナはゆっくりとソファに座ると、涙を流す。五年ぶりに帰ると、実家は実家で無くなってしまっている。ヤーナが番だと偽ったわけではない。だが、番が何かを知らない王国では、運命の相手という認識だ。運命の相手だと偽ったヤーナは、強欲な詐欺師という認識をされる。
「番だと、言った覚えは無いわ。一度も、言ってない!」
番だと言われて帝国に旅立つ前夜に、どうしても嫌だと父親に言おうと執務室に行った時に漏れ聞こえた話が脳裏に甦る。ヤーナ以外の家族が全員集まって談笑していたのだ。文字通り談笑だった。
ヤーナが扉を叩こうと腕を持ち上げたときに、姉二人の笑い声が聞こえた。普段は、長男しか入れることのない執務室に、姉がいた。
『すっごーい』
『これ全部、公爵様から?』
『そうだ。ヤーナにということだったが、あいつは向こうで買って貰えるだろう。お前たちが嫁ぐ時に分けなさい』
首飾りや耳飾りを着けて見せあいをしているようだ。それ以外にも金貨を数える音が続く。それは兄が袋に入っているのをせっせと数えていた。
『これなら新しい狩猟服を作れるな』
『えっ、私もドレスを作りたいわ』
『私も私も』
『こらこら喧嘩をするな。まだまだ王家から報奨金を貰えるのだから焦るな』
十二歳のヤーナを帝国に送り出すことへの報奨金が毎年、貰える。それは、男爵領の税収とほぼ同じ額のため、他の男爵家よりは裕福な暮らしができる。
『持参金も無くて良かったわ』
『番を産んでおいてくれたお前のお陰だ。これで愛する娘に良いところへ嫁がせられる』
『では、……伯爵家はどう? 親戚に公爵家がたくさんいらっしゃるから』
『そうだな。持参金だけじゃなく、毎年、支援をすれば十分だろう』
ヤーナは、黙って部屋に戻り翌日には何も言わずに馬車に乗った。王宮からの護衛と大使がいるから体裁のために泣く泣く娘を送り出しているように見せていたが、口許は隠せていなかった。
流れていた涙が乾いて頬が痛くなってヤーナは意識を持ち直した。離れにいることは執事しか知らないため誰も食事を運んだりしない。
ヤーナは、離れを出て微かな記憶を頼りに、ナイドンたちが泊まる宿に向かって歩き出した。五年もあれば町は様変わりしていて、何度か袋小路に迷い込む。それでも何とかたどり着いた。




