38.複製の未来
ローベルトは部屋で何もすることなく時間を無為に過ごす。ヤーナを連れ戻したくとも帝国から出られないことで苛立ちだけが募っていく。そんなときにマクガレー公爵家に手紙が届いた。当主宛ではなく、ローベルト宛で差出人はミアナだ。受け取ったローベルトは眉間に皺を寄せる。グルベンキアン公爵当主の名ではなく、夫人の名前だったからだ。
「ノーダス、これは間違っているのではないか? なぜ、公爵夫人が俺に?」
「理由は存じ上げませんが、公爵夫人からのお招きで間違いございません。その手紙は、旦那様の手紙の中に同封されていましたので」
「よく分からないが、伺うと返事を出す」
「かしこまりました」
特に深い付き合いのある家では無いため、呼ばれた理由が分からず、ローベルトは悩ましい日々を過ごす。普通は理由をそれとなく書いたりするのだが、グルベンキアン公爵家に来るように、とだけだ。手紙が同封されていたのなら父親の方の手紙には書かれていたのかと、食事の席で聞くも、ご子息を招きたいとしか書かれていなかったと返される。
「グルベンキアン公爵家は、王家とも繋がりが深い。失礼の無いように」
「はい」
公爵家は皇族の血を引いていることが絶対条件で、皇族が家に入ったときを初代とし、五代目までに皇族が入らなければ、六代目より侯爵家となる。マクガレー公爵家は、ローベルトで五代目となるため、次からは侯爵家となるのは確定だった。
ヤーナが番だと分かる前に皇女の嫁入りの話は内々に始まっていたが、それも流れた。嫁入り予定だった皇女は別の公爵家の嫡男と結婚している。
「母上、グルベンキアン公爵夫人に手土産を用意したいのですが、何か……っ」
「お前はっ! マクガレー公爵家を潰したいのですかっ!」
「母上、何もワインをかけずとも」
「ローベルト、お前は公爵夫人の愛人になりたいのか? それなら今すぐに我が家から籍を抜こう。それに公爵夫人は番として嫁いでいる。この意味がお前なら分かるな?」
番として嫁いだのならローベルトの気持ちを理解してくれると期待して誘いを受けた。手土産は公爵当主に合わせて年代物のワインを用意した。馬車の振動が傷に響くが、ローベルトは目を閉じて耐える。
「お待ちしておりました。ローベルト公爵令息」
「こちらを」
「当主に伝えさせていただきます。奥方様は、応接室でお待ちです」
「いや、まず当主に挨拶をさせていただきたい」
「当主への挨拶は奥方様との話が終わってからお願いします」
勝手に進むわけにいかず仕方なく応接室までの案内を受ける。中ではミアナが優雅にお茶を飲んで待っていた。ローベルトは向かいのソファに座る。
「失礼いたします」
「楽にしてちょうだい。ああ、扉はしっかりと閉めてね」
「扉は、半分開けてくれ」
「奥方様の指示が何よりも優先されますので、扉は閉めさせていただきます」
家族でもない男女が密室に二人きりになれば不貞を疑われる。ローベルトは相手が番婚をしていることを思い出し、扉を開けようと腰を浮かした。
「座ってくださる?」
「しかし……」
「ふふふ、番に触れたと疑われて、殺されるとでも思ってるのかしら?」
「それは……」
「それは、それで面白そうね。番のために死ねるのだから誉れとして受け取っては、いかがかしら」
「なぜ、他人の番のために死ぬことが誉れなのだ」
「あら、わたくしの夫が言っていたから、それが番を持つ者の常識だと思っていたのだけど、違ったのかしら?」
ミアナは控えめに笑いながらローベルトに質問する。ローベルトはミアナの質問の意図が分からず、ソファに座り向かい合う。
「わたくしには、母国で婚約者が居たのだけど、亡くなったの。夫と籍を入れる一週間前に、ね。悲しむわたくしに夫は言ってくれたの。番のために死ぬという誉れを与えてもらったことに感謝されこそ、恨まれる覚えはない。今でも覚えてるわ」
「公爵夫人」
「ミアナと呼び捨てにしてくださる?」
「それはできません」
「どうして? 番が望んでいるのに叶えてはもらえないの?」
「・・・私を呼んだ理由を教えていただけないでしょうか」
ミアナはカップを持ち上げると床に落とした。応接室の床は絨毯が敷かれていて落としても割れないが、一部だけ大理石が見えていた。
「何をされて?」
「奥方様、何かございましたか?」
「お客様のお帰りよ」
「かしこまりました。旦那様に声をかけて参ります」
「お願いするわ。セルドル」
グルベンキアン家の執事はローベルトに退席を促した。侍女は割れたカップを片付けると、ミアナの前に新しいティーセットを用意する。ローベルトはミアナの行動の意味が分からずに眉を顰めた。
「そうそう。貴方を呼んだ理由だったわね。見てみたかったのよ。本物の番を追い出して偽物の番に現を抜かした男の顔を。わたくしは屋敷から出ることを禁じられているから呼ぶしかないの。分かってちょうだいね」
「私は、現を抜かしたことなどない」
「あら、そうなの。セルドル、連れて行って良いわ」
セルドルに背中を押されてローベルトは玄関に促された。待っていたのはグルベンキアン公爵当主で、ローベルトは背筋が伸びた。
「私は君が羨ましい。番からどんな形でも返してもらえたのだからな」
「それは、どういったことでしょうか」
「番のため……番のために名を呼ばないで欲しい。番のために死んで欲しい。番のために死んだ婚約者の未来を見せて欲しい」
「それは、番のためという言葉を都合の良いように使っているだけではないですか」
「そうだ。だが、番のためという理由を最初に押し付けたのは我々だ。私の番も君の番も人族だ。そこを私たちは理解しなければならなかった。私から言えるのは、番を諦めろと言うことだけだ。過去の私と同じことをしているお前が番を得ても幸せにはなれない。むしろ、私以上の苦しみを感じることになる」
「番を得ることができた貴方に言われたくない。番が側にいるだけで幸せになれる」
「本当に過去の私を見ているようだ。恐らく何を言っても聞く耳を持たないだろう。願わくは同じ轍を踏まぬことを」
ローベルトは憤慨しながら馬車に乗り込んだ。窓からミアナが見ていて馬車が遠ざかったことを確認すると、お茶が入ったカップとは別のカップを持ち上げると床に落とした。
「奥方様、何かございましたか?」
「旦那様を呼んでくださる?」
「かしこまりました」
応接室に入ってきたザービスはミアナの向かいのソファに座る。侍女が割れたカップを黙々と片付けた。
「…………奥様は、ヤーナ様に手紙を出したいと仰せです」
「分かった。侍従に運ばせるから渡してくれ」
「…………奥様は、ご主人様が直接、運ぶことを望んでいらっしゃいます」
「それは、できない。私は帝国を出ることを許されていない」
「…………奥様は、番のためにと言えば全てが許されると仰せです」
ミアナはザービスに直接、話しかけることはない。全て、侍女が耳打ちされたことを繰り返しているだけだ。ザービスは番のためにと言えば全てが通ると言ってミアナを無理やり帝国に連れてきた。ミアナはザービスの真似をしているだけで、さらにここは法が適応される帝国だ。
「陛下に、一度話してみる」
「…………奥様は、手紙を届けたら報告を、とのことです」
ミアナは立ち上がり応接室を出る。残されたザービスはミアナの願いを叶えるために皇帝への謁見を申し込む手続きを進めた。




