36.番の反撃
ローベルトが大人しく拘束されたことを確認したリュシアレーデはヤーナを抱き上げた。剣はマルガレータが抜き身のまま預かる。運ばれる振動でヤーナは気づき、真っ直ぐ見ているローベルトを認識した。
「リュシア様」
「どうした? 大丈夫か?」
「はい。下ろしてくださいますか? このままでは何も変わらないでしょうから」
ヤーナはリュシアレーデの手を借りて自分の足で立つ。アンダルト帝国が強国であるかぎりヤーナの前に何度でもローベルトは現れる。ビリワナ王国と違い、タルルダ王国のフリジットを始めナディックも帝国に抗議はしてくれるが、それをローベルトが受け止めなければ何も終わらない。
「ヤーナ。帝国に帰ろう」
「帰って、どうするのですか?」
「結婚しよう。番婚としてきっと皆に祝福される」
「そうでしょうか。わたくしは番ではないと帝国から追い出され、ビリワナ王国では番を騙った罪人として追い出され、そのような者を番だと、一体どなたがお認めになるのでしょうか」
「俺がヤーナを番だと認める」
「ですが、間違いだった、ともおっしゃっていましたね」
ヤーナは淡々と事実を述べるが、ローベルトは押し問答を煩わしく感じていて、一刻も早く終わらせたかった。だが、両手首を後ろ手で縛られていてヤーナに触れることすらままならない。
「だから、間違いだったと言っているだろう。ヤーナ、どうして分かってくれないんだ」
「わたくしからすれば、なぜ番の相手が何度も替わるのか、不思議なのですが、どうして分かってくださらないの?」
「ヤーナ、番というのは匂いで分かる。ヤーナが俺の番なんだ」
「では、番であることを教えてくださいませ。長くなりそうですから座って、リュシア様、エスコートをお願いできますか?」
「もちろんだ」
「ヤーナ! そんな男の手を取るな。おい! ヤーナから離れろ」
「私に言っているのか? 帝国貴族の子息程度に命令されるとは思わなかった。一応、名乗っておくか。国王が孫のリュシアレーデだ。騎士団団長を務めている」
体型が分かりにくい服のためリュシアレーデを知らなければ先入観で男性だと判断してしまう。それでも王族に剣を向けたことに違いはなく、ローベルトが圧倒的に不利になる。
「それは、知らぬこととは言え、済まなかった」
「そんなことはどうでもいい。ただ、タルルダ王国からアンダルト帝国に正式に抗議が送られるだけだ。この茶会の主催者はヤーナだ。ヤーナを差し置いて外野で話すのは失礼に当たるな」
「リュシア様がよろしければ続けていただいてもかまいませんよ。ですが、譲っていただきましたので、わたくしからお聞きしようと思います」
「どんなことでも聞いてくれ」
ヤーナが話をすると分かるとローベルトは椅子に座り、足を組んだ。立会人としてナディックも同席した。わざと少しヤーナに近い場所に椅子を置く。文句を言うために口を開くがナディックに睨まれ、相手が王弟であることで言葉を飲み込んだ。
「番であることを証明して欲しいのです」
「ヤーナは番だ。間違いない」
「では、わたくしとキリア様、どちらも番ということで間違いはございませんか?」
「番は一人だけだ」
「では、なぜ、わたくしは番でなくなったのでしょう」
「何を言っている。ヤーナが番なのは変わらない。キリアが間違っていたのだ」
「言い方を変えます。わたくしが番ではない期間が、なぜあったのですか?」
ヤーナは穏やかにローベルトへ質問を投げ掛ける。今までヤーナを番だと言い続けていたのは、ローベルトが間違っていたことを気づかせないためだった。ヤーナがローベルトの判断を狂わせたのだと思わせたかった。
「ローベルト様!」
「キリア、なぜ、ここに」
「番に会いに来てはいけないのですか?」
「いや、番は……ああ、やっぱり、君が――」
ローベルトが何と言って誤魔化そうかと考えていると、帝国騎士団の制服を着た女性が駆けて来た。ナディックとリュシアレーデが制止する前にローベルトが立ち上がり、キリアの肩に手を置く。ヤーナを前にして見せていた異常なまでの執着が鳴りを潜め、乱入した女性に愛おしげな眼を向ける。
「やはり、番はキリアだった。ヤーナはよく似た偽物だったんだ。危うく騙されるところ……っぐ」
「……嘘つき」
「ローベルト様に何をしてるの! このっ」
「ヤーナに触れるな! いや、番はキリア……いや、ヤーナ」
キリアの肩を抱いて立ち去りながらヤーナを改めて番ではなかったと否定したローベルトは、わき腹をヤーナに刺された。果物を剥くための小さなナイフを手に取ったヤーナは倒れ込むように刺した。殺す意志があればローベルトも気づいただろうが、ヤーナに殺気は微塵も感じない。
「ヤーナ、そんなことをしてやる程の気概がある男ではないだろ。この期に及んでまだヤーナ以外を番だったと言うのだから。さあ、手を離して」
「ヤーナ、そんなにも俺のことを愛してくれていたんだな」
「ローベルト様、しっかりしてください。この女は、ローベルト様を害した極悪人……っ」
「うっ……」
「黙れ。ヤーナを侮辱することは、タルルダ王家に弓引くことと同義だと心得ろ。その程度の傷なら止血すれば帝国に帰るのも問題なかろう。それとも正式に罪人として護送してやろうか?」
ヤーナが握るナイフから手を離させたリュシアレーデは騒ぐキリアに向けてナイフの切っ先を向けた。ローベルトのわき腹に刺さったナイフを抜き、二人を同時に動けなくした。痛みに動けなくなりローベルトはわき腹を押さえて踞る。
「ざ、罪人?」
「当然だろう。王族が住まう場所に、帯刀して強引に入ったのだから。さらにここは辺境伯領だ。国防を担う場所に攻め行った。それとも帝国はタルルダ王国と戦争がしたいのか?」
「戦争だなんて」
「その剣を少しでも抜いてみろ。王族に剣を向けたとして首を落とされても文句は言えないぞ」
「王族?」
「そこの男には名乗ったが、国王が孫のリュシアレーデだ。父は王太子だから直系だが、身分が足りないなら……」
「も、申し訳ございません」
リュシアレーデはナイフを捨てるとヤーナを抱き上げた。側に待機をしていたナディックが手を上げて合図を送ると、第一騎士団がローベルトとキリアを縛り上げて運ぶ。ローベルトはわき腹を強く押されて血が垂れないようにされただけで手当てはされていない。
「ヤーナ、行くな」
「身辺整理をしてから言え」
リュシアレーデの言葉にローベルトは思い当たる節が無いようで、驚いた様子を見せる。気を失いかけているヤーナを休ませたいリュシアレーデは詳しく説明するつもりもないとばかりに背を向けた。騎士がローベルトを警戒しながらリュシアレーデの背後に追随する。
「丁重にお送りしろ」
「はっ」
傷の痛みからローベルトは反論することができず、キリアは出血が酷くならないように押さえることしかできない。報せを受けたタルルダ王国国王は忌々しげに手当てが終わったローベルトを呼びつけた。入国を許可したことで弟と孫が危険に曝された。
「即刻、ミシャルペ領国経由で帝国に戻られよ」
「私は番を取り戻すために」
「そのために、タルルダ王国王族が死んでも良い。それが帝国の総意ということだな」
「番のためなら全てが許される。それが番というものだ」
「番なら横にいるではないか。わざわざタルルダ王国まで追ってきた……なんともいやはや」
ローベルトはキリアを見ると、手を取りしっかりと見つめ直す。あれほど執着していたヤーナよりもキリアが側にいるときの方が高揚することにローベルトは気づいた。タルルダ王国からは傷の療養を理由にミシャルペ領国経由で帝国に帰った。騒動だけを引き起こしたローベルトとキリアに対して、タルルダ王国は正式にアンダルト帝国へ抗議を送った。ローベルトを帝国からの貴賓として受け入れたタルルダ王国の面目が潰される。他国からの評判が下がる前に国王の独断であり、判断が誤りであったと声明を出し退任することを宣言した。
それに驚いたのは、アンダルト帝国であり、タルルダ王国側の落ち度のように見せているが、帝国の責を代わりに被ったのが真実だ。これを許せば、アンダルト帝国が何をしても周りが代わりに後始末をつける構図が定着してしまう。大国であることで、すぐに影響はでないが緩やかな衰退は免れない。
「アンダルト帝国の出方次第では戦争は必定。準備をするように伝えよ」
「ビリワナ王国は、どちらにつくだろうな」
「そなたの見立ては?」
「帝国につくだろう。そして、あの時のように旨味だけを吸うだろうな」
「相も変わらず姑息なことよ」
ローベルトを帝国に返したのは、ヤーナのためだった。あの場で切り殺していればヤーナは否応なしにアティカスのことを思い出し、また塞ぎ込んでしまう。それを避けるために二人を帝国に引き渡した。




