35.過去の再演
お茶会が途中解散となり、ヤーナは庭を歩くことにした。シュリナは邪魔にならないように日傘を差す。手入れのされた薔薇を見てヤーナは、ポツリと呟いた。
「国王陛下は、家族を大切にされる方なのね」
「ヤーナ様」
「ちょっとだけ、良いなって思っただけなの。好きなことをやらせてもらえて、誰かが代わりに怒って、良いなって」
「ヤーナ様、思って良いんですよ。たくさん羨ましいって思って良いんですよ」
「小さい頃、薔薇の花束が羨ましかった。お姉様たちは何でもない日に庭で咲いた薔薇を貰っていたわ。私も欲しいって、家の役に立たない三女が贅沢言うなって」
全て姉のお下がりがヤーナの物になった。流行遅れやそのままでは着られないようなものまで様々だった。食事は与えられたが、姉たちが甘いものなどを望めば作られるが、ヤーナには一切ない。
「帝国に行っても同じだった。欲しいと思った物は、公爵夫人に相応しく無いから駄目だって、全部、公爵夫人に相応しい物はローベルト様は用意するけど、私に合わせてはくれなかった」
「ヤーナ様、好きなもの。一緒に選びましょう」
「旅先では好きなものを選ぶものですよ」
シュリナとエルザはヤーナのために商人の手配をナディックにお願いした。ヤーナのためになるならナディックは二人に直接話す許可を与えている。
「せっかくですから、タルルダ王国の流行りのドレスを仕立てましょう」
「レースをたくさん使ったドレスも作りましょう」
「そんなに作って怒られないかしら?」
「誰にも怒られませんよ。ヤーナ様は、タルルダ王国王女の娘ですもの」
今まで制限をかけられた生活を強いられたヤーナは無意識にお金を使うことを躊躇ってしまう。少しずつヤーナの精神的負担がかからないような意識改革をシュリナとエルザは進めた。
「私たちも楽しみです」
「きっと見るだけでも楽しいですよ。」
ヤーナは不安は残るものの二人の薦めに従うことにした。ナディックが手配した商人は様々なドレスや布を運んで来た。王族からの要請ということで意気揚々と商品を準備し、ヤーナに対しては一歩引いた姿勢で商品の説明をする。
「こちらは、深い藍色から色の変化をお楽しみ頂けるお品になっております」
「綺麗ね」
「珍しい布ですね」
「ドレスの裾に使われていることが多いですね。光の加減で違って見えるのですよ。どうぞ、当ててみてください」
シュリナが布をヤーナの腰に巻き付ける。姿見の前にエルザが誘導し、全体像を見せた。着せ替え人形のように次々と新しい布を巻かれていく。何が良いか分からなくなりながらヤーナは選ぼうと真剣に考える。
「どれが良いか分からなくなってしまったわ」
「本当ですね。どれも良いお品ですもの」
「ドレスも少し詰める手直しだけで着ていただけそうですし、どれでも良いと思いますよ」
迷った末にヤーナは手触りの良い生地と緻密なレースが同色の糸であしらわれたドレスを手に取った。若草色のドレスはヤーナが今まで袖を通したことの無い色で、シュリナとエルザはヤーナが自分の意思を見せたことをひっそりと喜んでいた。
「とてもお似合いですよ」
「ありがとう」
「また、ご入り用のときは、お声がけください」
初めてヤーナは自分の意思でドレスを買ったことに興奮していて、他を選ぶどころでは無かった。多くの顧客を見てきた商人は、引き際を弁えていて静かに退席する。ヤーナに合わせて手直しは必要だったが、ずっと側に居たシュリナとエルザが受け持つことで話はついた。商会付きの針子が王族に関わる仕事欲しさに、やや粘る姿勢を見せたが、シュリナがやんわりと断ったことで流れた。
「ヤーナ様、良いお品が手に入りましたね」
「ドレスを着る日が楽しみですね」
「そうね。早く着たいわ」
「それでしたら、王女殿下にお茶会のお誘いをしてはいかがですか? リュシアレーデ殿下がお誘いくださっているお返しにどうでしょう?」
エルザの提案にシュリナも賛成をしたことで、ヤーナは手紙を書くことになった。招待状の書き方を学んだことはあっても実際に送ったことは無い。何度も書き直して招待状を完成させた。
「招待状をありがとう。こちらを飾ってくれ」
「きれいなお花ですね。シュリナ、差し替えてくれるかしら?」
「かしこまりました」
フリジットとナディックから叱責されたことはリュシアレーデの記憶に残っている。ヤーナを貴族令嬢であり、来賓として扱うことにリュシアレーデは納得していないが、お茶会の誘いの手紙にフリジットからの厳命を忘れるなと忠告が同封されていた。マルガレータの薦めで花束を用意したが、あまりにも大きいためヤーナが持ってしまうと歩くことが難しくなる。一部を装飾にすることで感謝の気持ちを示すことにしたが、リュシアレーデには伝わっていなかった。
「いつもお誘いいただいていましたので、お返しになればと思いました。お楽しみいただければ嬉しいのですが、何分初めてのことで不調法がございましたら申し訳ございません」
「気にしないでくれ。マルガレータにはドレスを着た方が良いと言われたが、こちらの方がしっくりくる。どうぞ、お手を」
「ありがとうございます」
ヤーナの歩みに合わせてリュシアレーデは足を運ぶ。花が飾られるまでの間は庭の花を見て時間を潰す。毎日のように見ているためわざわざ花の説明など不要だが、リュシアレーデは覚えたての知識で花の名前を並べる。
「これは、ジニアか?」
「ふふふ、よく似ておりますけど、こちらはマムですのよ」
「難しいな。付け焼き刃では太刀打ちできないな」
「ふふふ」
ヤーナが二つの花の違いを説明しようとリュシアレーデの手を取ると、騒がしい声が届いた。笑っていたリュシアレーデだが警戒を強め、すぐに剣を抜ける体勢を取る。マルガレータは声が聞こえた方に駆け足で向かう。ヤーナの肩を抱き、リュシアレーデは屋敷に戻ろうとした。
「……一度、屋敷に入ろう」
「はい……」
シュリナも作業の手を止めてヤーナの側に付き添う。屋敷に入るには声のする方に行かなければならないためマルガレータが安全を確認するまで警戒を続ける。何か言い争う声が大きくなり騒動の原因の姿が視認できた。
「待ちなさい! そちらに向かうことは許されません!」
「ヤーナ! お前! ヤーナを離せ」
マルガレータが追いかけるが、侵入者が帝国貴族だということで強硬手段が取れなかった。リュシアレーデは男性と同じ騎士団の服を着て長い髪を一つに束ねている。ヤーナを強く抱き締めて、リュシアレーデは剣を鞘から抜き、真っ直ぐ斬りかかってくるローベルトの剣を受け流すと右手の甲を切った。
「あ、い、いやああああああ!」
「ヤーナ!」
「あ、てぃかす、さま」
「大丈夫だ。ヤーナ嬢。落ち着いて」
「離せ! ヤーナに触れるな! ヤーナに触れて良いのは俺だけだ。男が番に触れるな」
「何の騒ぎだ」
ナディックが報せを受けてお茶会の会場に到着した。リュシアレーデは前後不覚になっているヤーナを抱き上げて屋敷に戻ろうとする。番を連れ去られることに逆上したローベルトは、うつ伏せの拘束を振りほどこうとする。
「ここが、クラナスト辺境伯の屋敷だと分かっているのか?」
「ヤーナ! ヤーナ!」
「マルガレータ」
「はい」
「水を」
マルガレータは花を抜いて、花瓶をナディックの元に運んだ。ローベルトの頭の上でひっくり返し水を落とす。冷たい水と葉っぱを被り、ローベルトは自分を見下ろす存在に気づいた。
「正気づいたか? 若造。ここがクラナスト辺境伯であり、私はクラナスト辺境伯であり、王弟であるが。若造、タルルダ王国の王族を弑するつもりだったのか?」
「番のためだ」
「番のためなら、他国の王族を他国で殺しても帝国は罪に問わない・・・いや、帝国は番のためなら自国の法を強制すると言った方が良いな。タルルダ王国は、アンダルト帝国の属国になり自治権も認められていない・・・いつ、我々は配下に下った?」
「番への最大の愛情表現がなぜ理解できない!」
「人族には番という本能がない。こちらからも問おう。なぜ理解できない? ここで貴族子息に聞いたところで無駄だな。皇帝に問うのが一番だ。丁重に国王陛下の元に案内して差し上げろ。国王の来賓という立場を利用して王族殺害を企てた罪人として」
ローベルトは自分がしたことが国際情勢に大きな影響を与えることをようやく理解した。ヤーナを取り戻すことだけを一番にしていたが、ローベルトがタルルダ王国に入国できたのは、ミシャルペ領国の後ろにいるアンダルト帝国との関係を重く見たタルルダ王国国王が来賓であることを保証してくれたからだ。問題を起こせば、それは責任はタルルダ王国国王が負うことになる。




