33.責務の強要
庭を散歩してから朝食を摂ることを日課にしたヤーナは少しずつ筋肉が増えて健康的な体つきになった。頬の血色も良くなり精神面に不安を残すものの立ち直りつつある。リュシアレーデは一週間に一度、クラナスト領に来てはヤーナと買い物をしたり、お茶を飲んだりと女同士の友情を深めていた。
「ヤーナ嬢は、冒険ものに心惹かれているんだって?」
「はい。とても面白くて、でも、いつも面白いところで止められてしまうんです」
「それは辛いな。私も訓練の合間に読んでいて、いつも歯痒い思いをしたな」
ヤーナが読んだ本の感想を伝えると、リュシアレーデが似たような本を紹介するという図式で話が弾む。いくつかはタルルダ王国でも絶版になっている本があり、それはリュシアレーデが王城の図書館から借りてくるという約束ができた。
「リュシア様」
「まだ時間じゃないぞ」
「こちらが辺境伯閣下より火急の知らせであると伝言を受けました」
「大叔父様がそう言うなら火急なんだな」
小さな紙に書かれた内容を読むと、リュシアレーデは眉を顰めた。内容としては普段ならわざわざ火急というものではない。しかし、そこにヤーナが絡めば重要な案件に変わる。
「ヤーナ嬢にも伝えておいた方が良いな」
「わたくしにも、でございますか?」
「あまり楽しい話ではないが、心構えが必要なことだ。帝国貴族のマクガレー公爵家ローベルトがタルルダ王国に入国した」
「っ」
「ビリワナ王国からの入国を制限しているから、そちらからではなく、アンダルト帝国の属国であるミシャルペ領国からだ。あの国は自治を認められていないから帝国貴族から申し出があれば受け入れるしかない」
タルルダ王国なら会わなくても済むと考えていたヤーナだが、向こうは何としても帝国に連れ帰るために手段を考えたようだ。それでもリュシアレーデは焦る様子を見せない。
「入国を許可しても貴族としての矜持があれば、クラナスト領に来るはずがない。だが、無いというなら盛大に持て成さなければタルルダ王国の名折れだ。ヤーナ嬢にも辛いことが起きると思うが、向こうから喧嘩を売ってくれなくては動きようがない。少し我慢して欲しい。国王の孫である私たちはアンダルト帝国に足元を見られる訳にはいかない」
「・・・」
「それに、帝国がどれほど大国であっても自国の法を他国に求めるのは越権行為だ。そんな無頼者のためにヤーナ嬢が逃げ続けるのは間違っている」
「リュシア様、そんな難しい言葉を使わずに、ただヤーナを守りたいと言えば簡単ですよ」
「何を、私はだな」
「はいはい」
リュシアは顔を赤くしてマルガレータに反論するが、適当に躱される。ヤーナは気づいていないが、辺境伯が直々に鍛え上げた騎士が屋敷の周りを巡回している。ローベルトが近づけばすぐに気づけるが、すぐに武力で押さえることはできない。ただ、越えてはいけない一線を破った場合は即座に対応できる布陣だ。
「それに、入国を許したのは、お祖父様──国王も直接ローベルトに物申したかったからだろう。自分の娘を害されたことに、ずいぶんとお怒りだったからな」
「そうなのですね」
「ビリワナ王国もアンダルト帝国もタルルダ王国を舐めすぎだ。宣戦布告されないだけ良いだろう」
ヤーナは気分良く話しているリュシアレーデをお茶を飲みながら相槌を返す。リュシアレーデは普段、令嬢相手ではできない軍事について熱く考えを展開する。時折、マルガレータが話の方向性をやんわりと修正するが、ヤーナが相槌しかしないため、難しい。
「なに? 大叔父様が? そうか、仕方ないな。楽しい時間だが、呼ばれてしまっては仕方ない。ヤーナ嬢、楽しかったよ」
「こちらこそ、ありがとうございました」
マルガレータがヤーナに対して小さく頭を下げた。リュシアレーデは良くも悪くも王族だ。さらに、家族関係も良好であることで、ヤーナのいた環境については頭から抜け落ちてしまう。家族から省みられなかったヤーナに対して、フリジットは父親から離れていても気にかけてもらえていることを自慢したような形になった。すぐにエルザがナディックの側近に伝えたことで、引き離すことに成功はしたが、もうヤーナはリュシアレーデの言葉を理解したあとだった。
「ヤーナ様、お部屋に戻りましょう」
「……そうね。いつまでも居られないもの」
ヤーナは帝国に居たときに会う人間は限られていたが、その全員が厳選されていたわけではない。ビリワナ王国の男爵家出身ということで、教育係が直接嫌味を言っていたこともある。分かりやすいのは、ナイドンがクビにできたが、表面上は穏やかに話しながら裏に真意を隠している場合は、ローベルトから待ったがかかり継続するということが何度もあった。
ナディックに呼ばれたリュシアレーデは、緊急の連絡についての対応策を協議するのだと信じていた。
「大叔父様、お呼びだと聞きました」
「ああ。勝手なことをした、と叱責するためにな」
「叱責ですか? 何をしたのでしょうか」
「私は、ローベルトが入国したこと。その手段、および王家は適切な対応をするつもりだと、それ以外は話すな、と書いたな。しかも勝手に国王の心情を騙って、何様のつもりだ?」
ナディックは冷ややかな目をリュシアレーデに向ける。ローベルトの所在がはっきりしている方がヤーナの心構えができると判断し、ナディックは伝えることにした。リュシアレーデにもヤーナの側にいるときは騎士として振る舞うようにと命令している。
「国王がお怒りなのは間違いない。だが、娘が危険にあったことにお怒りだったか? 思い出してみろ」
「それは、王女が帝国貴族に暗殺されそうになった、と」
「よく覚えているじゃないか。国王は私情でローベルトに物申すわけではない。国の象徴の一人が殺されそうになった。帝国貴族が王国王女を切って捨てる・・・生きる価値無しと、殺しても問題ない存在だと判断したことにお怒りなのだ。勘違いするな」
「は、い」
「本当に分かっているのか? お前は、ヤーナにタルルダ王国国王は私情で権力を振るうと宣言したも同然なのだということを本当に分かっているのか? 私情で人を殺し、私情で婚約破棄し、私情で入国するローベルトと同じだ、と王の孫が認めたこの状況に!」
ナディックの剣幕にリュシアレーデは一歩後ろに下がった。訓練で叱られることはあっても仕事で叱られたことはない。それは全て段取りを決めてマルガレータが補佐していたから失敗というものが無かったからだ。王女という立場から失敗することが許されなかったからお膳立てしていたということは大きい。
「も、申し訳、……そんなつもりじゃ」
「しかも、王の孫として、我慢しろと言ったそうだな。ヤーナが我慢? なぜタルルダ王国の事情にヤーナが従わなければならない! ヤーナはフリジットの娘であり、クラナスト辺境伯の来賓だ。ヤーナが心置きなく過ごせるように気を配るならともかく、我慢しろ? 誰が決めた?」
「それは、ヤーナは、フリジット叔母様の娘に、望んでなったのだから、タルルダ王国のために尽くすのは当然で・・・」
「もう良い。たかがビリワナ王国の男爵家の三女を、本人が望んだから娘にした? タルルダ王国に何の益がある?」
「さ、三十年前、ビリワナ王国から令嬢が番として嫁いだ結果、帝国からの恩恵を受けています。ヤーナがタルルダ王国の王女として嫁げば、帝国からの恩恵を同じように受けられます」
ヤーナが番であることを思い出し、リュシアレーデはタルルダ王国の益になることを考え付いた。王族同士の結婚は互いに利益になるから結ばれるのだが、ヤーナが純粋なタルルダ王国の王族で無いことから帝国が何か便宜を図ることは考えにくい。タルルダ王国に優位な契約を結べば、ビリワナ王国も生家であることを理由に言い出しかねない。アンダルト帝国は旨味のないビリワナ王国に、これ以上便宜を図ることは避けたいはずだった。
「つまりタルルダ王国はビリワナ王国の男爵令嬢を使わなければならないほど無能だと言いたいのだな」
「違います! 私たちのように生まれながらにして逃れられない王族の責務を果たしているのだから、自ら望んだ以上は覚悟を持って……」
「あの状況で自ら望んだ? 生家の男爵家では除籍され、嫁ぎ先となるはずの公爵家からは放逐され、母国からは反逆者として追放され、そんな令嬢が生き残るには何をすればいい? 平民となって生きるか? 帝国に拐われて監禁されて終わるぞ。他国に亡命しても同じだ。最終的にはアンダルト帝国への手土産に売られるだけだ。これ以上、無駄話をさせるな。私は言ったな。ただ、ひたすらにヤーナ嬢を護衛しろ、と。そして、貴族令嬢として扱え、と。貴族令嬢は王族か?」
ナディックの問いにリュシアレーデは答えることができない。王族だと言えば、タルルダ王国の貴族全員が王族となってしまう。王家の血筋を持っていない貴族を王族にするわけにはいかない。他国と違い結婚しても王族であることには変わりないからだ。
「もう一度、命じる。ヤーナ嬢を護衛し、貴族令嬢として扱え。失敗は許さん。第二騎士団団長に厳命する」
「クラナスト辺境伯閣下、拝命いたしました」
「忘れるな。お前はクラナスト辺境伯の管理下にある騎士団だ。私情で動けば国が揺らぐ。政治に首を差し入れるな」
騎士としてリュシアレーデが動く以上は指揮下に入るしかない。リュシアレーデの上司がナディックなのは、自分が納得できない命令のときには王女の権限で撤回させるという行為を繰り返すため他の辺境伯では押さえられないからだ。
リュシアレーデは静かに頭を下げて退出した。ヤーナの元に行こうとしたが、遅れてタルルダ王国に帰国したフリジットが扇でリュシアレーデを呼びつける。大人しく後ろをついて行った。




