30.鍔迫り合い
ひっそりと出国したヤーナは、クラナスト辺境伯領の外れの屋敷に案内された。夜半に到着したが、クラナスト辺境伯直々に出迎える。クラナスト家に仕える使用人たちも何人かは控えており、荷物を運んだりと静かに動く。
「よくぞタルルダ王国に参られた」
「ヤーナ・ジリタニスと申します。フリジット様の勧めによりタルルダ王国に参りました」
「詳しい話は明日にして、まずは休もう」
ヤーナは客間のひとつに案内されて旅装を解くことになった。シュリナとエルザが手伝い、ヤーナはソファに座る。クラナスト家に勤める侍女が無駄な動きを一切見せずにお茶を用意した。気を使わないようにと給仕はシュリナとエルザに任せる。
「お茶の用意ができました。明日は昼頃にお伺いします」
「ありがとうございます」
「ゆっくりお休みください」
侍女は優しい笑顔を見せてから部屋を出て行った。お茶を一口飲んだヤーナは、ようやく緊張を解いた。シュリナはベッドメイキングを確認し、ヤーナの夜着を準備する。エルザは自分たちに与えられた部屋の場所の確認で外に出ている。
「ヤーナ様、お茶は、それで最後ですよ」
「何だか眠くなくて」
「ベッドに入りましたら眠れますよ」
「そうかしら?」
「そうですよ」
ヤーナからカップを奪うと、シュリナは服を無理やり脱がす。文句が出る前に夜着に着替えさせるとベッドに寝かせて布団をかけた。このままでは子守唄まで歌われてしまうと危惧したヤーナは大人しく目を閉じる。寝られそうにないと思っていたヤーナも深く眠りに落ちた。
「あら?」
「おはようございます。ヤーナ様」
「エルザ、今何時かしら?」
「お昼を過ぎたくらいです」
「大変。ずいぶんと眠ってしまったわ」
「辺境伯閣下からは、ゆっくりと休ませて欲しいと仰せつかっておりますから大丈夫ですよ。お食事が済みましたら少しお話をしたいとのことでした」
顔を洗ってタオルで水気を取ると、ヤーナは体を締め付けないドレスに着替えた。胃に負担をかけない食事が運ばれてきて、時間をかけて完食した。アンダルト帝国から帰って来た日から惰性で食べていたヤーナは、久しぶりにスープの味を感じる。
「とうもろこしの味がするわ」
「それは、良かったです」
「辺境伯領は、とうもろこしが名産とのことですから甘いと思いますよ」
シュリナとエルザは嬉しそうに給仕をする。ヤーナの緊張が解れてきたことで穏やかな空気が流れた。食後のお茶を飲んでいると、窓から庭が見えた。ゆっくりと花を眺める余裕も無く五年間を過ごしたヤーナは、窓際に立って花を見つめる。
「可愛らしいお嬢さん、良ければ、お茶でもいかがかな?」
「リュシアレーデ様、挨拶もせずに失礼ですよ」
長い髪をひとつに束ねて男性の軍服を着た令嬢が手を差し伸べていた。戸惑うヤーナを余所にリュシアレーデの付き人が真っ当な指摘をしている。
「タルルダ王国王太子が娘のリュシアレーデだ。騎士団第二部隊隊長をしている」
「王女殿下に挨拶もせずに失礼いたしました。ビリワナ王国ジリタニス侯爵が、娘のヤーナにございます」
「堅苦しい挨拶はこれくらいにしよう。私は叔父の家に遊びに来ただけで、そこに可愛らしいお嬢さんがいた。改めてお茶でもいかがかな? 庭の花も見頃だ」
リュシアレーデの付き人は、諦めたように小さく頷いた。それを受けてシュリナとエルザがヤーナを誘導する。部屋着の上にレースのショールをかける。リュシアレーデの思いつきだが、辺境伯の使用人たちは無駄無く準備を整えた。
「紹介しておこう。付き人兼副隊長のマルガレーテだ」
「マルガレーテと申します。家名は副隊長以下は名乗らない軍規ですので、ご理解ください」
「第二部隊は全員が女性で、国教で家族以外の男性との接触を禁じられている要人の警護を請け負っている」
「別に口調まで男らしくする必要はないと思いますよ。お陰で令嬢方から釣書まで届く始末。お茶会の招待状を送っても令嬢の婚約者からお断りの返事が来るとかありえませんよ」
「どの令嬢も魅力的だから婚約者も気が気で無いんだろ」
「リュシアレーデ様が勘違いさせるように口説くからでしょ。そこのご令嬢のように!」
目の前で始まった言い合いの内容で、フリジットが自国で友人がいないという意味を理解した。王女という立場だけでなく軍人ということになれば、友人を作るのは難しそうだ。
「すっかり私だけが話してしまった。ヤーナ嬢とお呼びしてもいいかな? 私のことは、リュシアと呼んでくれ。リュシアレーデだと王女だと知られてしまうからな」
「申し訳ありませんが、リュシア様の言うとおりにお願いします。普段、私も隊長もしくは、リュシア様と呼んでいますので。それに第二部隊隊長が王女だと知らない貴族もいます。タルルダ王国の事情に巻き込み、お手数をおかけしますが、ご協力ください」
「分かりました。そのような事情でしたら協力させていただきます」
ヤーナも相手が女性のリュシアレーデならと緊張気味ではあるが話を続けることができた。ときおりマルガレーテがリュシアレーデの言動に振り回されていると小言を述べるが、和気あいあいとお茶会は進む。
「あまり長く引き留めても叔父様に叱られてしまう。部屋までお送りしよう。とても楽しかった。また、お誘いしても良いだろうか」
「わたくしも楽しくお話ができました。ぜひ、お茶をしたいと存じます」
「次は、きちんとお知らせを出すよ」
「分かりました」
何も考えずに会話ができたヤーナは、少しの間、悩み事から解放された。それでも部屋に一人になると、番を一方的に破棄されたことやアティカスを目の前で殺されたことを思い出してしまう。思い出しても沸き上がる感情の出し方が分からず、ただ物思いに更けるだけで終わる。
「ヤーナ様」
「ごめんなさい。先生をお待たせしてるわよね」
「ヤーナ様、大丈夫ですよ。ここはタルルダ王国ですから」
「そうね。そうだったわ」
常に生活を管理されて時間に厳しい環境にいたヤーナは、何もしないということが苦手だ。アンダルト帝国での五年間はローベルトが細かく管理していた。番が自分以外の誰かと雑談することすら許さず、全てのことを把握したがり、ヤーナには拒否する権利も無かった。
「あ、違うの。これは」
「泣きたいときは泣いても良いんですよ」
「うううっ」
シュリナとエルザは顔を見合わせて頷いた。今まで命令でヤーナの側にはどちらかがついていたが、タルルダ王国に来たことで二人はヤーナを完全に一人にすることを選んだ。
「何かご入り用でしたらお呼びください」
部屋を出るとシュリナとエルザは、廊下で待機しようと扉の横に移動する。先ほど別れたばかりのリュシアレーデが見えて、挨拶をしようと腰を屈めたときだった。リュシアレーデが腰の剣を鞘から抜いて、シュリナに斬りかかった。
「っ」
「やはり、な」
「リュシア様、ですから、その役は私が引き受けると言ったじゃないですか」
「そう言うな。マルガレーテでは容赦なく反撃されてしまうだろ。そうだろ?」
「いつ、お気づきでしたか? わたくしとエルザが武の心得がある、と」
リュシアレーデは剣を引くと、シュリナとエルザに向かって顎を引いた。音もなく繰り広げられた襲撃は場所を変えて続けられることになった。
「ここは、私が泊まっている客間だ。人払いはしてある」
「もし、ご不安でしたら扉は開けたままにいたしますが、どうされますか?」
「どちらでも構いません」
「座ってくれ。ああ、敵意は無いぞ」
リュシアレーデは剣をテーブルの上に置いた。向かい合うようにシュリナとエルザは腰を下ろす。通常、使用人が向かい合うように座ることは無いが、座ることを拒否しても命令されると踏んで大人しく従った。マルガレーテは扉を閉めると、静かに壁際に立った。




