27.泳がせた魚
ジョルジオに肩を叩かれて怪訝そうな顔をするが、一応という感じで視線を合わせる。
「フリジットは……」
「ジリタニス侯爵夫人と、わたくしは今の貴方に許可を出していませんのよ。お忘れ?」
「っ……ジリタニス侯爵夫人は、タルルダ王国の王女だ。それは結婚しても変わらない。王族だ」
ジョルジオは認めたくないと本音では思いながらもフリジットの立場を明確にした。侯爵夫人でありながら一度も社交をしないフリジットを下に見ていた若い世代は顔を青ざめさせる。
「王族って、嘘……結婚したら王籍から抜けるんじゃ」
「タルルダ王国だけは、別だ。フリジット……ジリタニス侯爵夫人を招くには、他国の来賓としなければならない。毎回、歓迎式典をしていては国として成り立たなくなる。だから、社交をしないのでなく、できないんだ」
バンプリス公爵の地位を受けた瞬間にジョルジオは王籍から抜けた。今の王太子に子どもができなければ、王籍に戻り子を作った後に、公爵になるという荒業は存在する。だが、すでに王太子には子どもが二人いる。ジョルジオが王族に戻る可能性は限りなく無い。
「それで、今日はビリワナ王国の国王陛下に登城を命じられて、わたくし驚いてしまって、まさか他国の王族を呼びつけるなんて……だから今日は真意を聞こうと思って来たのだけれど、通してくださる?」
城門にまで広がっていた貴族は距離を取った。フリジットは当然だという態度を崩さずに馬車に戻る。ゆっくりと進む馬車を見送ってからジョルジオは城に入ろうとするが、門番に止められる。
「許可の無い方を通すことはできません」
「私は国王の息子だ」
「はい。存じ上げております。ですが、ジリタニス侯爵夫人が城にいる間は、バンプリス公爵夫妻の通行を許可されていません」
今まで発動したことの無い国王からの命令を門番は忠実に守った。ジョルジオは記憶の彼方に忘れていた国王からの言葉を思い出した。ジョルジオがルディミと結婚するときの条件のひとつだ。このまま門番に詰め寄っても通してもらえることはない。さらに、他の貴族たちが成り行きを見ていた。ジョルジオは公爵としての威厳を保つためにルディミの腕を掴んで離れる。
「ジョルジオ、どうして、いつもなら入れるじゃない。実家に帰るだけなのにどうしてよ」
「仕方ないんだ」
「仕方ないって何? ねえ、ジョルジオ」
年齢を重ねて美しさはあっても教養が身に付かなかった妻をジョルジオは痛ましげに見下ろす。離れたところで待機していた馬車に乗ると、公爵家に戻った。
謁見室ではジョルジオたちとのやり取りを報告された国王が渋い顔をして待っていた。なぜフリジットがビリワナ王国で社交もせずに領地に籠っているのか。その理由が明確になってしまったからだ。当時を知る世代は軒並み口を噤み、フリジットも無言を貫いたせいで忘れられていた。
「……ずいぶんと物々しいことですわね。何かありまして?」
「ジリタニス侯爵夫人、陛下からお言葉があるまでお待ちください」
「面白いことを言うのね。わたくし、タルルダ王国の国王の娘なのよ。国王と王女なら確かに国王の方が上だけど、ビリワナ王国とタルルダ王国には当てはまらないのをご存知?」
フリジットは言葉だけ丁寧に話しかけてきた国王の側近に問いかけた。この場で不敬として側近の首を落としてもフリジットには何の咎めもない。
「わたくし、とても寛容な王女だから無礼者にも、つい話しかけてしまったわ。それで、確か、ビリワナ王国国王の言葉があるまで待てば良いのね」
フリジットは謁見室に集まっている貴族を一瞥する。この状況で口を出せる無謀な者はいない。国力に差があっても自国に置いては国王が最大権力者として扱われる。その慣例から外れるのが、この両国の関係だ。
「フリジット、発言をしても良いかな?」
「良いわ。許可します。サブルには、なぜビリワナ王国国王が言葉を授けないのか理解できて?」
「ああ。今のビリワナ王国では一番偉いのはフリジットだ。だから、ビリワナ王国国王はフリジットの許可なく発言をして不興を買いたく無いんだよ」
「なんとまあ! わたくしが一番偉いのは、三十年前のあの時から変わって無いと言うのに……それで、今日は登城を命じた理由は分かるかしら?」
「それは、一番偉いフリジットに命令をしたこと。それとも命令をしようと思い至った理由。どちらかな?」
「そうね。わたくしに命令をした理由も気になるけど、それを聞いていては、いつまでも立ったままにされそうよね」
わざとらしい茶番劇だと分かっていても今のフリジットを止められる者はいない。フリジットに発言を許可されているサブルは、ビリワナ王国の侯爵家であるから命令できるが、それがフリジットの不興を買うことに繋がるのは想像に難くない。
「要件を聞こうかしら。わたくし、どこかの誰かと違って下の者の話にもきちんと耳を傾けることができる王女だから」
「だそうですよ。宰相」
「なせ、私に……国王陛下に直接……」
「いや、私は、たかが侯爵ですから。国王陛下に直などできませんよ。根が小心者なんです」
フリジットの言葉を遮った側近は宰相だった。完全に嫌がらせでフリジットは返した。その意味を正しく理解してサブルは宰相に話の主導権を譲った。発言の許可をフリジットから与えられたが、ここでの発言は注意しなければならない。
宰相が国王の言葉を代弁したのなら、それは国の総意となる。個人的な発言をしたのなら公の場で私情を挟む者が宰相に就いているとして国王の資質が疑われてしまう。
「この度、フリジット様よりタルルダ王国に手紙を出された件で、内容につき虚偽がありましたので、確認のため登城いただいた次第です」
「あら、わたくしは宰相に名を呼ぶ権利を与えていなくってよ」
「失礼しました」
「それで? 虚偽とは?」
「タルルダ王国より、取り決めを違えたことによる損害賠償請求を求められましたが、何一つ違えていないことを、ジリタニス侯爵夫人よりお伝えいただきたくお呼びしたというわけです」
「宰相。面白いことを言うのね。それともビリワナ王国の貴族は面白いことを言うのが決まりなのかしら?」
フリジットは宰相の言う通りにすれば戦争になってもおかしくないくらいのことだと気づいて笑った。大真面目に言っていることは分かっているが、発言する前に気づかないようでは底が知れる。
「ジリタニス侯爵夫人が、他国の、それも国王に手紙を出すのは不敬ではないの?」
「ジリタニス侯爵夫人は、タルルダ王国の王女殿下でいらっしゃる。ご自分で言われたのをお忘れか?」
「忘れてないわよ。確かにわたくしは王女だけど、侯爵夫人が国王に手紙を送るのは不敬ではないのか? と聞いているのよ。王女が国王に手紙を出すのとは訳が違うのよ」
特に深い繋がりがなければ、外交問題に発展する事案だ。宰相は王女に命令できないなら自国の侯爵夫人の身分を盾にすれば叶うと安直に考えていた。本来なら、それもできないのだが宰相の頭の中の優先順位は低いため中々、思い至らない。
「それに、お忘れ? わたくしがジリタニス侯爵家に嫁ぐ条件のひとつに、どんなことがあっても国は、王家は、ジリタニス侯爵家に命令してはならない」
「そう言えば……で、ですから命令ではなく、お願いというわけです」
「条件のひとつに、ビリワナ王国の内政に関わらせないこと。今回のタルルダ王国からの抗議は、内政に当たるのだと思うけど、どうかしら?」
フリジットが嫁ぐための条件が決められる前は一触即発というほどに緊張感が張り詰めていた。宰相は当時を思い出したのか眉を顰めて無言を選んだ。ここまで成り行きに任せていた国王がようやく口を開いた。




