21.戦いの始まり
ミアナのくれた宝石箱を抱えてヤーナは、自室のソファに座って考える。姉二人は誕生日にドレスや装飾品を貰っていた。ヤーナのために贈られた物は、ミアナから貰った宝石箱とブローチだ。
「まともに会話したことないのよね」
ヤーナにも淑女教育をされ始めたときに、番として見初められたため、家族としての情や繋がりは、ほとんどない。ただ、帝国に行く前日に、ヤーナに贈られた宝石類を当然のように受け取っていたことだけは記憶に残っている。
「よし」
隠されていたブローチではなく、グルベンキアン公爵家を示す鷲のブローチを持ってフリジットの部屋に向かう。親子でも成人したのなら先触れを出すのだが、フリジットは廃止していた。
「ヤーナ、どうしたの?」
「お茶会、受けようと思います。何を話したら良いのか分からないけど、話をしてみます」
「そう。では、そうお返事をしておくわね」
フリジットが参加の返事を出してから日程が組まれた。ネリー夫人は、多くの高位貴族のマナー講師を務めた王宮講師の一人だ。そんな彼女からの招待は栄誉なこととして喜ばれていた。
招待状に書かれた通りの時間に到着するようにヤーナは、準備をした。フリジットも付き添いとして馬車に乗り込む。
「ようこそ、ヤーナ嬢。お茶会に参加してくれて嬉しいわ」
「お招きいただきありがとうございます」
「堅苦しいことは抜きにして、ネリーと呼んでちょうだい」
「はい。ネリー夫人」
先に本邸で挨拶をしてからヤーナとフリジットは、会場である庭に向かう。招待客はネリーが見繕った者たちだけだ。
テーブルには、フリジットと同じくらいの歳の女性が座っていた。ヤーナは静かにお辞儀をする。
「素晴らしいわ」
「ええ。とても。きちんと学んで来られたのね」
「自然に身につけるまで大変だったでしょう。さあ、座って」
「はい」
「フリジット、紹介してくださる?」
ヤーナの左隣に座ったフリジットは、向かいの夫人二人に微笑む。少し不安そうなヤーナの肩に手を触れて紹介した。
「わたくしの娘のヤーナでございます。ヤーナ、この方たちは、ハイケ夫人とザミーラ夫人よ。ネリー夫人と共にマナー講師をされて、三女傑と恐れられたものよ」
「おほほほ、そのように言われた時代もありましたね」
「懐かしいわね。気概のある令嬢もめっきり減ってしまって、張り合いが無くなってしまったわ」
ヤーナの右隣がネリーの席だ。そして、ネリーの席の向かい側に二つ空席があり、そこにヤーナの姉たちが呼ばれていた。主催者の席だけ違う色のカップが伏せて置かれている。見れば分かるため無視をすることは不敬とされていた。
「あら、皆様お揃いでしたのね」
「ヤーナ、何をぼさっとしているの? 椅子を引きなさい」
「……お姉様」
「なかなかに気骨のある方々ですわね。ねぇ、ハイケ」
「本当に、まったくだわ。ザミーラ」
茶会への参加となれば相応しい服装というものがある。椅子に一人で座れるようにドレスの裾は捌きやすいものを選ぶ。首もとが必要以上に晒されない意匠にするなど決まりごとはあった。
姉たちは、裾が大きく広がり座るだけでも一苦労な上に、大きく胸元が強調された服を着ている。それだけでも場違いであるのに、ネリーの席に当然のように座ろうとしているのだからヤーナが戸惑うのも仕方ない。
「お待たせしてしまったわね。お茶会を始めましょう」
「ヤーナ、早くしなさい」
「いえ、その席はネリー夫人の席です」
「何を言って」
茶会の決まりごとは下位と上位貴族の間では異なることが多い。割りと好きな席を選べる下位貴族と違い、上位貴族主催の茶会は席次が決まっている。それは、家格を表していて、力関係を明確にする方法だった。
「伯爵夫人だからご存知かと思ったのだけど、案内をつければ良かったわね。ごめんなさいね」
「いえ」
ヤーナに強気に出ている姉たちだが、格上の夫人に歯向かうほどの無鉄砲さは持っていない。自分より下だと見た相手にだけ横柄な態度を取る。今までは男爵だったこともあり、周りのほとんどが格上だった。
金で買ったような身分だが、下位貴族の中では十分に上だ。多少のことは伯爵という身分が無かったことにしてくれた。そんな二人でもネリー夫人のことは知っていて、彼女のお茶会に呼ばれたことを自慢していた。
「揃ったわね。今日は新しい茶葉が手に入ったから開いたのよ」
「楽しみね」
ネリーの合図でカップに紅茶が注がれた。何の変哲もない香りに赤みがかった水色の紅茶にヤーナは少しだけ不思議に思った。希少な茶葉を使ったお茶を出すことはあるが、香りも色も普段のお茶と代わり映えしない。
それでもヤーナはフリジットが何も言わないことで沈黙を選んだ。全員が一口飲んだところでネリーはヤーナにお茶の感想を求めた。
「どうかしら?」
「落ち着く香りで、緊張を解してくれる味でした」
「そう」
「ヤーナ、何を言っているのよ。このお茶はとても希少なの。普段のお茶とは違うのよ」
「一体、何を帝国で学んできたのか。疑うわ」
ヤーナに苦言を呈して、指導できる姉という姿を見せたいのかもしれないが、教育は家でするものだ。まだ気づいていないが、姉たちは挨拶をしていない。
本邸にも寄らずに会場に直接来たことも眉を顰められる行為だ。本当に親しい間柄なら訪問の挨拶を省略することはあるが、今回は、ほとんど初対面だ。褒められたことではない。
「自己紹介がまだだったわね。わたくしは、ネリーよ」
「ネリー夫人に倣って、わたくしは、ザミーラ」
「ネリー夫人もザミーラ夫人もお優しいですわね。ハイケと言います」
お茶会では、初対面の場合は主催者が全員の名前を呼んで紹介していく。今回のように自分で名乗ることはない。
「名乗っては貰えないのかしら?」
「っ、ベーチェでございます」
「家名は?」
「っ」
「サモンシュです!」
「ネモファルナ!」
「お姉様がしっかりなさらないからよ。わたくしは、ネモファルナ・ゼーラリオでございます」
ベーチェは公爵夫人に招かれて挨拶をしていなかったことに気づいて、咄嗟に家名を名乗るのに躊躇した。黙ったところで招待状が送られたことで家名も知られているのだが、そこまでは冷静になれなかった。ネモファルナは挨拶をしていないことがどれだけ問題なのか気づかずに明るく自己紹介している。
「ヤーナ・ジリタニスでございます」
「ジリタニス? 何を言っているのよ。貴女はファルコでしょう。婚約破棄されたのだから」
失態をどう取り繕うかと考えていたベーチェもヤーナの名乗りに意識を向けた。ネモファルナはヤーナが勝手に他家の家名を名乗ったと思い咎める。
「わたくしは、ジリタニス侯爵家の娘です。ファルコ男爵家ではございません」
「なに、畏まって言ってるのよ。婚約破棄されておかしくなったの? 貴女はファルコ男爵家の出来損ないの三女」
「半年ほど前に、除籍いたしました。お疑いならご当主に確認されてはどうでしょう?」
「なに、それ、笑えない冗談でしょ」
誰もヤーナの言葉を否定しないことで事実だと知ったネモファルナは、ヤーナを睨み付ける。出来損ないの三女がいたからネモファルナもベーチェも自分を引き立てられた。出来損ないの妹を持つ苦労する姉として同情を集めることもできた。
ヤーナが自分で告げるためにこの場を用意したネリーは、お茶を飲むふりで口元の笑みを隠した。




