19.迫る悪夢
ヤーナを連れて帰れなかったローベルトは、与えられた客間で力なく項垂れた。出発のために準備をしなければならないが、動く気になれないローベルトはソファに沈み混む。
城に戻って来たことを聞いたローベルトの両親は急いで部屋に入る。ヤーナからというよりも、ジリタニス侯爵家から訪問の断りがあってから大人しくしていると思っていたが、朝から姿が見えないと聞いて焦っていた。
「ローベルト!」
「ははうっ、つぅっ!」
「何を考えているのっ! 断られたというのに、性懲りもなく行って、あまつさえ暗殺を企てただなんて……何を考えているのっ!」
「いきなり、叩かなくとも」
「シンディアの言うとおりだ。むしろ、今すぐにお前の首を送って許しを乞わねばならない」
国としても下の侯爵家に多少の無礼を働いても不問にできると思っていたローベルトは、両親の態度に不信感を覚える。小言のひとつかふたつで済むようなことだと構えていたからだ。
「首とは、大袈裟な。マクガレー公爵家を継ぐ者がいなくなりますよ」
「私はお前が悠長にしていられることに恐怖を覚えるぞ。ジリタニス侯爵夫人は、タルルダ王国の王女だ。お前は、王女が住まう所に帯刀したまま押し入ったのだ! この意味がわからんとは言わさんぞ!」
タルルダ王国の王族は、他国に嫁いだりしても王族のままだ。普段は、嫁ぎ先等の立場で生活するが、有事の際はタルルダ王族としての権威を出す。
ローベルトが帯刀したままというのは、タルルダ王国に宣戦布告をするも等しい行為だった。さらに、その場所がビリワナ王国であることから、ローベルトはタルルダ王国の王族を警備の薄いビリワナ王国で暗殺しようとしたと見倣される。
「そんなつもりは、ただヤーナを迎えに行っただけで」
「番だからか? その主張が通るのは、帝国内だけだ。そして、ビリワナ王国が許しているから一度、番の破棄をして送り返しておきながら、再び番として連れて行くことが可能なのだ」
「そのヤーナは、純粋なビリワナ王国の貴族では無くなりました。義理とは言え、タルルダ王国の王女の娘です。連れて行くなら両方の国の許可が必要です」
知らなかったこととは言え、ローベルトはタルルダ王国の王女に武力を向けたのだ。むしろ、知らなかったという無知は言い訳にならない。そもそもの話で他家に押し入ることが問題だった。
ビリワナ王国は、帝国の権力の前に沈黙を選んでいるが、タルルダ王国は、そうはいかない。国力に差はあっても、王女が危険に曝されたのだ。国の威信にかけても泣き寝入りはしない。
「お前の考え無しな、向こう見ずな行動でヤーナを番として連れて帰る処か、帝国が諸外国から非難されかねない状況を作ったのだ。そのことを良く考えろ」
「た、確かに、そうだったかもしれません。ですが、謝罪すれば問題無いでしょう。頭を下げろというならいくらでも」
「そんな簡単な話では無い。国の象徴のひとりである王女が害された。それをたかだか公爵子息の詫びひとつで水に流せ、と? そんなもの誰が受け入れる。タルルダ王国は負けると分かっていて戦争を仕掛けるだろう」
「負けると分かっていて戦争をするなど、あり得ないでしょう」
「あり得ない? そうだな。そして、帝国はタルルダ王国を圧倒的な武力を以て制圧するだろう。そのあとに残る物は何だ? 帝国に残るのは、先に喧嘩を売って国を潰したという汚名だけだ」
負けることも勝つことも許されない戦争は、国を疲弊させるだけで何の意味もない。帝国は大国だが、すべての諸外国から批判されれば、弱体化する。覇権を握りたい国は率先してタルルダ王国を支援するだろう。
「それとも戦場で戦うのは軍人だから関係ないとでも思ってるか? ローベルト、お前が前線に立たずして誰が納得する? なぜ他の貴族がお前の尻拭いをせねばならない? よく考えろ」
「まずは、帝国に戻り、謹慎することね。タルルダ王国の出方次第では、その首を差し出します。いいわね?」
この状況でヤーナを番として連れて帰るとは言えず、ローベルトは大人しく馬車に乗る。危険だからと剣も取り上げられた。ヤーナを連れて帰るためとは言っても王女に歯向かうのは得策では無いことは冷静になると理解できた。
フリジットとの会話を思い出して、ローベルトは忠告を受けていたことに気づいた。そのときは、帝国公爵家の子息である自分に侯爵夫人が逆らうとは、考えもしていなかった。反対に、小国の侯爵夫人を立てた対応をしていたとさえ思っている。
「待ってください。謝罪のために、王国に残りたいと思います」
「それで? どうやって王国に残るというの? 今回はローベルトが王国侯爵令息を殺めたことへの謝罪で来ているの。その用が終わっても王国に残るというなら不法滞在になるけど、それでも良いなら残りなさい」
「いえ。帝国に戻ります」
「そう。では、馬車に乗りなさい。出立を早めます」
王国を出るまでローベルトは、宿に泊まる以外で馬車を降りることを禁じられた。出発してすぐは、何とか抜け出してヤーナを連れて帰る方法を思案していたが、三人の護衛に囲まれての移動が続いて諦める。
検問を抜けて帝国に入ってからバルドワは息子を呼んだ。ローベルトには、出国禁止命令が出されている。帝国としても、これ以上、問題を起こして欲しくないための措置だ。
「ローベルト」
「父上」
「これは、何だ?」
「どうして、それがここに」
「当然だ。今のお前の行動は全て報告させている」
ローベルトは宿に泊まる度にヤーナへの手紙を書き、出すようにと使用人に命じている。監視をするよう命を受けていた使用人は、ヤーナに手紙を出そうとしていることをバルドワに報告し、バルドワは頭を抱えて、息子の安直さを嘆く。
いくら口で番だと言ってもヤーナは、婚約者でもない他国の令嬢だ。かつて婚約者だったことなど理由にはならない。
「なぜだ? なぜ、私たちの調査を待たなかった? 何度も言ったな? 成人してから匂いが変わることは無い、と。だから何故、匂いが変わったのか調査をしてから手続きをしろ、と。お前も私たちが調査をする一ヶ月は様子を見ると答えた。なのに、一週間しか待たなかったな」
「それは、キリアのことを番だと思って、手放してはいけないと」
「番は偽ることができない。お互いに匂いで分かるからだ。だが、お前は番が絶対の存在ではないことを身を以て証明した。本物の番を追い出し、偽者を婚約者にする。帝国でもお前の行動は問題視されている」
他国にいる番を見つけられたローベルトを幸運の男として持ち上げていた。そんなローベルトが突然、番の破棄をして、新しい番との婚約を宣言した。一体、何が起きたのか分からないうちに、新しい番との婚約を解消し、ヤーナを追いかけて王国に行ってしまう。
「これで他国に番がいた場合、やはり違っていたと婚約を破棄されるのではないかと二の足を踏むようになるだろう。そうさせたのは、間違いなくお前だ」
「それは……」
「偽者に踊らされながらも最後に選んだのが本物なら美談にもできたのだがな」
偽者が本物に成り代わることが可能だと、ローベルトが証明してしまった。お互いに匂いで分かる獣人同士は難しいが、片方が人族ならば可能になる。今回は露見してしまったが、本来の番を殺してしまえば問題無い。
「処遇が決まるまで謹慎だ。誰とも連絡を取るな。分かったな」
納得できなくとも、これ以上の問題行動は進退に関わることは理解した。帝国に入ってからローベルトは、ヤーナへ手紙を書くことは止めなくとも出すことは止めた。




