18.砕けた繋がり
気分の良かったヤーナは、外出着を着て化粧をした。その心境の変化に気づいたフリジットは、ヤーナを四阿に誘う。
複雑な立場のフリジットを思ってサブルは、邸でも楽しく過ごせるようにと庭には特に力をいれていた。
「フリジット様」
「何かを決めたのね」
「はい。わたしはローベルト様を愛しています。でも、今は婚約できません」
「そう。決めたのなら、何も言わないわ。思うようにしなさい」
揺れる花を見ながらヤーナは、声を上げずに静かに涙を流した。フリジットは何も気づかないふりをしてお茶を飲む。
幼い少女の延長線のような恋だったが、ヤーナなりに真摯に向き合っていた。感覚的に理解しにくい番のことも受け入れようと努力もしていた。
「……わたくしたち貴族は、国のために政略結婚を強いられることもあるわ。わたくしとて、そう。でも、蔑ろにされて良いわけじゃない。ヤーナ、貴女もよ」
「はい……」
ハンカチで涙を拭いたヤーナは、少しぎこちなく笑った。フリジットは、優しくヤーナの頭を撫でる。
穏やかなお茶会が始まろうとしていたとき、俄に玄関付近が騒がしくなった。フリジットの護衛としてついている騎士が剣をいつでも抜けるように構える。
「お待ちください!」
「入らないでください」
「ローベルト様!」
ヤーナは、聞くはずのない名を叫ぶナイドンの声を聞いて身を固くする。フリジットも柔らかい雰囲気を消して、声のする方に視線を向けた。
ジリタニス侯爵家の侍従たちに腕を掴まれながらも、振りほどいては前進するローベルトは、鬼気迫るものがあった。
「ヤーナ!」
「っ」
「……先触れもなく押し入るとは、ここで切って捨てられても文句は言えませんよ」
「侯爵夫人、失礼」
ローベルトは、正式な挨拶もなくフリジットの言葉を無視した。少し目を細めたフリジットは、静かに怒りを増やす。
「ヤーナ、てい――」
「……先触れもなく押し入るとは、ここで切って捨てられても文句は言えませんよ」
「非礼は詫びます。ですが、ヤーナは私の番です。共にあるべき形になるだけです。侯爵夫人、護衛に剣を収めるように命じてください」
ヤーナに近づこうとしたローベルトは、フリジットにも必然的に近づくことになる。護衛は帯刀しているローベルトを剣の間合いに近づけまいと、抜き身の剣で前進を阻んだ。一歩でも進めば躊躇いなく首に剣が刺さることが分かる力の入れ方だった。
「彼らに命じる権限は、わたくしにありませんの。ごめんあそばせ」
「なら、侯爵当主にお伝えください」
フリジットは、駄々を捏ねる子どもに言い聞かせるように笑顔で答えた。ローベルトは、フリジットの笑顔に気圧されたが、気を持ち直して要望を伝える。
「申し訳ないのだけど、夫は不在にしてますのよ。わたくしの叔父の家に行ってますの」
「当主が不在なら夫人に権限があるはずだ。私は害するつもりなど微塵もない。番と、ヤーナと話をさせて欲しいだけだ」
「ふふふ、話ならそこからでもできましてよ。それとも親に聞かせられないことでもするつもりかしら?」
「そのようなことはしない」
「どうかしら。あいにく信じておりませんのよ。信じるに値しないと、ご自分で証明しているのだもの。ここは、マクガレー公爵家かしら?」
フリジットの護衛は少しずつ剣の先の向きを変えて、ローベルトを後ろに歩かせる。先触れもなく、さらに訪問を正式に断られているのに、押し入ったのだ。ローベルトは悔しそうに顔を背けて引き下がる。
最後に、ヤーナに声をかけようとするものの下を向いたまま、視線も合わない。
「ヤーナ、今日の午後に出立する。荷物をまとめていてくれ。迎えに来る」
「荷物を? わたくしは、身一つで王国に戻りました。ローベルト様は、何一つ持たせるつもりは無かったと聞いております」
「だが、部屋から全て持ち出されていた。ヤーナが持って行ったのだろう?」
「わたくしは持っておりませんわ」
ヤーナの部屋にあるものを全て出して処分するように命じたのは、ローベルトだ。新しい番となるキリアが前の番であるヤーナの影を感じないようにとのローベルトの配慮だった。その手段として、ヤーナの旅費にするために売り飛ばしただけで、ヤーナの持ち物として検疫ひとつ通していない。
「そうね。ヤーナがジリタニス侯爵家に来たときは、公爵夫人となるはずの令嬢が着るには質が下の物だったわ。それでも良いものだったけどね」
「侯爵夫人、それは何かの間違いです。ヤーナには公爵家に相応しい物を用意するように家人に命じていました。そうだな。ナイドン」
「その問いにお答えすることはできません。わたくしめは、暇をいただきました故に」
売り言葉に買い言葉の様相だったが、ローベルトの許可のもとマクガレー公爵家を辞していた。そのことを思い出したローベルトは、同意してくれる人を探して周りを見るが、同じく辞しているエルザとシュリナしかいなかった。
「それと、ヤーナを帝国に連れて行くことを決めているようだけど、ジリタニス侯爵家は同意していないわ。それとも拐っていくのかしら?」
「ヤーナは番です。拐っていくなどと人聞きの悪いことを言わないでいただきたい」
「申し訳ないのだけど、番であると何を以て言っているのか分からないの。どのようにして分かるのか教えてくださる?」
「番は匂いで分かります。ヤーナは間違いなく番だ」
ヤーナと直接、話をしたくともフリジットに話しかけられれば、答えるしかない。無礼なおこないをしているのがローベルトであると自身も自覚しているから強く断ることができない。
「匂いで? 似たような匂いを感じたらどうやって区別なさるの?」
「区別など必要ない。番だと分かるのだから」
「ふふふ、面白い話ね。わたくしの娘が最近、番じゃなかったと、帝国から戻されたの。そのお相手の方に伝えてくださる? 匂いで分かる、と」
フリジットの遠回しの問いかけは、ローベルトのことを非難していた。ようやく今までのことをゆっくりと考えられるようになったところだ。強く言われれば、ヤーナは信念を曲げてしまう。
「そう言えば、今日の午後に帝国に向けて出立されるのでしたね。帰って、その方にお伝えくださいな。番とは匂いで分かるもの。間違うことなどない。さあ、お客様のお帰りよ。きちんとお見送りしてちょうだい。いくら招かれざる方でも適当な対応をしたとなれば、ジリタニス侯爵の名折れ」
ローベルトは、ゆっくりと下がった。フリジットの反論を許す様子のない視線に、何かを言う勇気はなく、馬車に大人しく乗った。窓からヤーナのいる方向を名残惜しげに見るが、引き返させることはできない。もう一度、押し入れば問答無用で切られる。
「馬車が見えなくなるまで、確認いたしました」
「ありがとう」
「あの若造は、フリジット様に無礼過ぎます。切って捨てても良かったのでは?」
「だめよ。死んだら終わりなの。死んでしまっては何も知らないまま、不幸せだと思って逝ってしまう。それではだめなのよ」
護衛は納刀すると、静かに頭を下げた。フリジットは言葉では切って捨てるようなことを言っていたが、本当に殺すつもりは無かった。ヤーナの前で人死にを見せるつもりはない。




