15.義理の親子の絆
ジリタニス侯爵家の本邸に一度、身を寄せたヤーナは熱を出してしまった。エルザとシュリナが交代で看病をする。その間に、アティカスの葬儀が終わっていた。
ちゃんと列席できなくても離れたところからでも祈りを捧げたいとヤーナは思っていた。その思いを汲んでサブルはヤーナの分の花を密かに供えている。
「ヤーナ様、ジリタニス侯爵夫人からお花をいただきました」
「きれいね」
ヤーナが侯爵家に滞在してから毎日、一輪ずつ届けられている。統一性の無い花が花瓶を埋めていく。最初は挨拶もなく熱を出したヤーナを遠回しに批判しているのかと疑ったが、今では純粋な見舞いの品だと理解している。
熱が上がったり下がったりを繰り返して、ヤーナは体調を取り戻した。すぐにでも挨拶をしなければと焦るヤーナは、手紙で空いている時間を訊ねる。返答は、翌日の午後に四阿で待つと書かれていた。
「侯爵夫人は、お怒りでは無かった?」
「はい。ヤーナ様のお体を気遣われていました」
四阿では侯爵夫人がお茶と一緒に読書をしていた。ヤーナは声をかけるのを躊躇ったが、先に気づいた夫人が本を閉じて、微笑む。
「どうぞ。座って」
「失礼します」
「緊張するわ。娘と会話って何を話せば良いのかしら。ごめんなさい、自己紹介というのもおかしいけれど、名乗らせてちょうだい」
「は、はい」
「フリジット。母です。フリジットでも、母上でも好きに呼んでね」
「わたくしは、ヤーナ・・・です。えっと」
「困らせてしまったわね。まだ体調が戻ったばかりで無理をさせられないわね。おしゃべりは今度にしましょう。これだけは覚えていて、ジリタニス侯爵家は、ヤーナ、貴女を歓迎するわ」
ただ名乗っただけで終わった顔合わせだが、ヤーナは安心していた。熱が出ないことで医師から安静解除を言い渡されると、待っていたようにフリジットから誘いの手紙が届く。次は四阿ではなく、フリジットのお茶を飲むためだけの部屋に招待される。
「待ってたわ。ヤーナ」
「フリジット様、お招きありがとうございます」
「堅苦しいことは無しにしましょう。いろいろ話したいことがあるの。貴女を養子に迎えた理由、とかね」
貴族の嗜みとして音楽を奏でることがある。そのための防音室を持っている家は多い。そのうちのひとつをフリジットは秘密の話をする部屋として利用していた。
「話は長いわね。本当に」
「フリジット様?」
「箝口令が敷かれているから他言無用よ。うっかりでも話してしまえば、処刑されてしまうから気をつけてね」
ポットからお茶を注ぐと、フリジットは隣に座るヤーナの手を握る。声は聞こえるところにエルザとシュリナが控えた。
「三十年前のことよ。ジリタニス侯爵家の長女のミアナ様がアンダルト帝国のグルベンキアン公爵家のザービス様に見初められたの。番だって」
「っ」
「ミアナ様は、婚約者がいらしたのだけど、別れることになったの。婚約者の死を以て」
誰も教えてくれないのは当然だ。王国としてだけでなく、帝国としても醜聞で国際問題だ。帝国を離れるときにミアナは、夫の話もしていた。だけど、一緒にいるところは見たことが無かった。
「ザービス様は、番に触れていたという理由で殺し、ミアナ様を、帝国に連れて行ったの。当時の国王は、結婚式を来月に控えていた令嬢が、今から次の相手など見つかるはずが無いからと、帝国の使節団が帰国するときに同行させてしまったの」
「そんなっ」
「ジリタニス侯爵家は、いくらなんでも横暴過ぎると抗議したわ。でも、番として見初められるなんて喜ばしいことだとして、多くの貴族が賛成してしまったの」
番に夢を見ている貴族も多いが、大多数は婚約者を目の前で殺されるような、守ることもできないような令嬢を家に入れたくないというのが本音だ。凶刃が国王に向けられたときに身を呈して守る王妃の役割を、貴族の妻にも求めている。声に出していないだけで、ミアナを責める声は多かった。
「帝国からはお詫びとして、王国から輸出するものには関税をかけない。逆は、関税分を上乗せして販売しないというあり得ない協定が結ばれた。最初は皆、喜んでいたわ。でも、それが十代の少女の犠牲で成り立っていると認識すれば、後ろめたさを感じる。だから、ジリタニス侯爵家に強く出られないのよ。いつまで恩着せがましいのだと言いたくても、恩恵を受けていない家は、ひとつも無いもの」
帝国でミアナは優しかった。何も考えずに、番として幸せな生活をしているのだろうと勝手に思っていた。何を思って笑って送り出してくれたのだろう。
ヤーナは、今すぐにミアナに謝りたい気分だった。帝国に行くのは簡単だ。でも、次に王国に帰れるかは分からない。
「フリジット様は、箝口令を破って大丈夫なのですか?」
「心配してくれてありがとう。大丈夫よ。ビリワナ王国は、私に命じることはできないの。これでも、タルルダ王国の王女なのよ。籍も抜かれていないから、身分としては王女のまま。国力もタルルダの方が圧倒的に上だから大丈夫よ」
ヤーナは番だからと言う理由で、目の前で大切な人を殺されたのが自分だけではないと知った。そして、その話は、ナイドンたちも知っていたのだと表情から理解する。フリジットは、当時のことを現場で見ていた。だから、ビリワナ王国の対応には思うところがある。
それを口にはしないが、何かジリタニス侯爵家に不利なことをさせようとすれば、いつでもタルルダ王国の権力を動かすつもりだ。
「ヤーナ。わたくしたちはヤーナが娘になってくれたら、と思ってたのよ。わたくしたちに子がいないからアティカスが養子に入る話があったの。あの子は、全然女の子と会話が弾まない堅物で、ジリタニス侯爵家は代々養子を迎えるのかもねって、サブルとも話してたわ」
「アティカス様が堅物だなんて信じられません」
「ふふ、それはヤーナだからよ。あの子は義妹夫婦とあまり上手く行っていなくてね。それもあって、相談相手はいつもサブルだった。アティカスが半年前くらいから一人の女の子の話をするようになって、わたくしもサブルも、その子がアティカスのお嫁さんになってくれたら何て言ってたわ。だから、ヤーナのことは勝手に娘みたいに勝手に思って・・・・・・養子縁組のこと貴女の意思を無視してごめんなさいね」
「いいえ。驚きましたし、また帝国に嫁がせるためなんだなと諦めてました。でも、帝国に嫁がせるつもりは無いと言っていただいて、安心したんです」
「ヤーナ、環境が変わって辛いでしょうけど、いつかわたくしたちのことをお義父様お義母様と呼んでくれたら嬉しいわ」
ヤーナは瞬きと共に涙を溢した。誰も彼もがヤーナを言うことの聞く人形のように扱う中、ジリタニス侯爵夫妻だけが、ヤーナのことを人として見てくれた。何のための涙なのかヤーナも整理がつかず、ただ、泣き疲れるまで泣いた。




