14.拾う神はいない
サブルに気づいたファルコ男爵は、たじろいだが気合いを入れてヤーナに向かい合う。一歩でも近づこうとすれば、エルザに間に入られ、シュリナがヤーナを抱えるように守る。
「何を偉そうなことを言っている! お前が署名しなければファルコ男爵家の品位が疑われる。少しは家のために役に立とうとは思わんのか! お前の姉たちは、格式ある家に嫁いだというのに」
「結局お金じゃない……」
「なに?」
「私が帝国に行って貰ってた報奨金で、お姉様たちを格上に嫁がせただけでしょ! マクガレー公爵家からの贈り物も全部、全部、全部、自分たちの物にしたじゃない!」
ヤーナが知らないと高を括っていた男爵は、言葉に詰まった。それだけ聞けば、金欲しさに三女を売り飛ばしたように聞こえる。実際、ファルコ男爵が気にしているのはジリタニス侯爵の表情だ。
チラチラと視線を向けて顔色を伺う。視線には気づいているが、サブルは敢えて声をかけるようなことはしない。
「な、何を言っている」
「私が帝国に行く前日に、嬉しそうにお金数えてたじゃない。私宛のブローチをお姉様たちの嫁入り道具にしたじゃない」
ファルコ男爵を知る他の貴族は、長女と次女が夜会などで着けていた装飾品の価値を見て怪しんでいた。いくら王家から報奨金が出たところで、公爵家が着けるような質の物を普段使いにしているのだ。口にはしないだけで、出所を探ろうとしていた貴族は多い。
王国内での購入履歴が無いのは当然だ。帝国でマクガレー公爵家が購入していたのだから。
「話に入らせてもらうが、王家からの報奨金をどう使おうと男爵の自由だが、マクガレー公爵家からの贈り物は問題だな。ヤーナ嬢が贈り物を持っていない時点で心象は最悪になるからな」
「それは、む、娘は未成年でした。親が管理していただけです」
「それも一理あるな。なら、成人したヤーナ嬢に渡すといい。家令にでも持って来させる手筈をしてはどうだ?」
サブルは装飾品がすでに男爵の手元に無いことを知った上での発言だ。五年間もの長い時間、金庫に仕舞っておくだけなど、この男ができるはずがないと確信してのことだ。
「それと、今は陛下に許可をいただいて話をしている。それを邪魔するのか?」
「いえ、滅相もありません」
ヤーナに署名をさせて帝国公爵家の夫人の生家としての権威を欲したファルコ男爵だが、侯爵家に逆らってまで居座ることはしない。良くも悪くも権力主義だ。
「図らずも五年前の君の置かれた状況を知ってしまったわけだが、私は君が帝国に嫁ぐことで得られる利益など求めていない。他の家なら喜んで君を差し出すだろう。自分の娘を利用せずに利益だけ得られる。こんな美味しい話はない」
「……」
「ヤーナ嬢がこんなことがあっても公爵家に嫁ぎたいと思うなら賛成するよ。だが、もう十分だろう。国や大人の事情だけに振り回されて、普通の王国貴族としての生き方を捨てさせられたのだ。今から取り戻すのも遅くはない」
「できるでしょうか」
「迂闊なことは言えないな。この国は番に夢を見すぎている。だが、ジリタニス侯爵家はヤーナ嬢の味方となろう」
絶対的な味方だと思っていたローベルトは、簡単にヤーナを捨てた。番という価値が無くなったからだ。そして、番としての価値が復活したから手を差し出している。
ジリタニス侯爵家も本当にヤーナの味方をするならもっと前からできた。それをしなかったというのは、あの時のヤーナには助ける価値が無かったからだ。貴族は打算で動く。夫人教育を受けたヤーナは良く分かる。同時に、サブルが本心から手を差し出していることも。
「脅すようになって申し訳ないが、あまり拒否し続けると、最悪、王命で王家の誰かの養子となるだろう。王族は国のためになることを法で定められているから、ヤーナ嬢の意思は関係なく嫁がされる。それが嫌なら王籍を返上して臣下に下ることもできる。だが、養子になった君には許されない」
男爵令嬢であっても今は平民だ。いくら便宜上としても王家の誰かの養子にするのは他の貴族との軋轢を生みかねない。それでも帝国から得られる利益の前には吹き飛ぶと予想していた。
「本当に、帝国に嫁がなくて良いのですか?」
「ヤーナ嬢が嫁ぎたいと思わないうちは、と言っておく。ただ、事が事なだけに書面で誓約できないのは申し訳ないね」
「まだ、信じることはできません。でも、帝国に行かなくていいなら、養子のお話をお受けします」
養子縁組の書類にヤーナは、名前だけを書いた。サブルも親となる欄に名前を書き込む。確認をしたあと、サブルは使用人を呼ぶベルを鳴らす。
廊下に控えていたのか文官はすぐに入って来て書類を受け取る。双方の名前があることを確認して恭しくサブルにだけお辞儀をして退出した。
「ヤーナ嬢の世話をする使用人を雇わなければならないね。気心の知れた者が良いと思うのだけど、誰かいるかい?」
「よろしい、のですか?」
「構わないよ。娘の願いを叶えるのも親の務めだ。私には子がいないから、ごっこのようになってしまうがね」
エルザとシュリナの手を握ってヤーナは、少し目を潤ませた。確認に行っていた文官が戻って来た。報告のために再び謁見室に戻る。
ヤーナはサブルに手を引かれて国王の前に立つ。宰相経由で署名したことを聞かされている国王は、笑みを隠しきれていない。
「めでたく思う。宰相」
「はい」
「では、こちらの書類に署名を」
「陛下。私は義娘を帝国に嫁がせるつもりはありません」
サブルの一言に国王は笑みを浮かべたまま固まった。署名をしたあとにヤーナを連れて行こうとしていたローベルトも固まる。先に話をされていたヤーナだけが静かに周りを見ていた。
「どういうつもりだ? ジリタニス侯爵」
「そのままの意味です。我が家は帝国との縁を望んでおりませんので」
「……王命だとしてもか?」
「ええ。拒否します。不敬として処罰していただいても構いません。ただ、そのときは……」
国王は苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。宰相もサブルの言わなかった最後の発言に気づいて苦虫を噛み潰した。今度こそヤーナを連れて帰れると思っていたローベルトは、サブルを睨み付けるが、行動に移すことは理性で押し止める。
なぜ国王が侯爵家に命令をしないのかローベルトには理解できないが、原因がサブルだと言うことは、はっきりしていた。
「マクガレー公爵、失礼を承知で言わせて欲しい。ヤーナ嬢を番ではないと、王国に帰国させたのは、公爵家の総意か?」
「……総意ではない。ただ、私も妻も息子を止められなかったのは事実だ」
「番として帝国に行くかは、ヤーナ嬢に一任するつもりだ。無理やり連れて行かないことを願う」
ヤーナが一度もローベルトを見ていないことに公爵夫妻は気づいている。そして帝国に居たときのようなローベルトへの好意も消えているのも分かっている。サブルの願いに静かに同意を示した。
「分かった」
「父上!」
「お前に決定権はない。ヤーナ嬢、今更となってしまうが、息子のことを謝罪させて欲しい。すまなかった」
公爵家の一行の方に視線を向けなかったヤーナがゆっくりとマクガレー公爵を見た。ようやくこちらを向いたとローベルトは、ヤーナに近づく。だが、視線は一向に交わらない。
「ヤーナ、君が番なんだ」
「それをどうやって信じれば良いのでしょうか。わたくしが番であることを証明してください」
ヤーナは義父となったサブルの後ろに隠れて、ローベルトと対話を拒んだ。反論をするので精一杯のヤーナをサブルは、ローベルトの視界から隠す。サブルとヤーナは、そのまま謁見室を出た。ローベルトは追いかけようとするが、父親に腕を掴まれた。




