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1.番の破棄

 菫色のドレスを着た少女は、四阿でアフタヌーンティーを楽しんでいた。侍女が二人、控えていて空になったカップに紅茶を注いだり、新しいケーキを切り分けたりと甲斐甲斐しく給仕する。旬の果物の乗ったタルトを一口食べて少女は笑みを浮かべる。


「ヤーナ様、次は何を召し上がりますか?」


「迷ってしまうわ」


「木苺のムースは如何ですか? 本日はご褒美ですもの何を食べても大丈夫ですよ」


「そうね。ムースをいただくわ」


 小さなガラスの容器に入ったムースを食べ切ったところに、青年がやって来た。侍女が椅子を引いて少女が立ち上がるのを手助けする。カーテシーをして声がかかるのを待つ。


「楽にしてくれ」


「はい」


「ヤーナ嬢、婚約を破棄させて欲しい」


「はい? どう言うことでしょうか?」


 ビリワナ王国の男爵家の三女であるヤーナは、五年前に婚約者となったアンダルト帝国の公爵家の嫡男のローベルトの言葉を聞き返した。控えていた侍女たちも口には出さないものの驚いている。ローベルトの後ろには、申し訳なさそうに執事が書類を持って立っていた。視界の端に見えたヤーナは、冗談でも何でもなく、真実なのだと確信する。


「番だからと婚約者になってもらったが、間違いだったと判明した。ついては、こちらの書類に署名をして一週間以内に帰国してもらいたい」


「ローベルト様、わたくしが番ではなかったというのは、本当なのでしょうか」


「疑うのか? 私がそう言っているのだ。間違いなどない」


「・・・さようでございますか」


 ヤーナが重ねて確認すると、ローベルトは鬱陶しそうに眉を顰めた。身分が下の者に対して、わざわざ足を運んでやったのに、これ以上、手間をかけさせるなと言わんばかりの態度だ。確かにヤーナは、男爵家だが、そんなことは五年前から分かっていることだった。


 執事が持つ書類をローベルトは受け取ろうと手を差し出す。事情を知っている彼は書類を手渡すのを躊躇う。ローベルトの機嫌がさらに低下した。


「ナイドン、その書類を渡せ」


「ローベルト様、今少しお待ちいただく訳には参りませんか? せめて当主がお戻りになるまで」


「くどい! その話は終わった。本来の番が見つかったのだ。すぐにでも屋敷に迎え入れたいと言うのに、一応、他国の令嬢であるから一週間も猶予を与えたんだ」


 詳しい説明をされなくともヤーナは、背景が読めてきた。それはヤーナが五年前に身一つでアンダルト帝国に来た理由だからだ。番ーーつがいーーアンダルト帝国の九割以上を占める獣人族にとっては、本能で求める相手。妊娠率が極めて低い獣人族は、子どもができなければ簡単に相手を変える。それは結婚と離婚を繰り返す者もいれば、愛人という立場で複数を渡り歩く者もいる。

 番と言うのは子どもができやすい組み合わせのことを示す。獣人族同士なら匂いで分かるようで、すぐに発情状態になり、我を忘れて相手を求める。だが、人族には匂いを感じる力が無く、番だと言われても困惑することが多かった。


「しかし、いくら匂いが変わることがあっても、それは成長期の話です。大人になってから変わるなど、あり得ません。やはり、調べを待つべきでございます」


「キリアに会ったとき、魂が震えるほどの衝撃を受けた。何度も説明したであろう!」


「えぇ、何度も聞きましたとも。しかし、アンダルト帝国の二千年の歴史上、一度足りとも起きていません。詳しく調べてからでも遅くは無いと・・・」


 ローベルトは拳を握って、顔を真っ赤にして怒りを表す。執事のナイドンは、当主の命で動くため嫡男のローベルトに命令する権限は無い。だが、当主もその妻も不在にしていることで一時的に譲渡された状態になっていた。それでも当主代理の権限を付与されていないから効力としては薄い。


「ナイドン、もう一度だけ言う。書類を渡せ」


「考え直してはくださらないのですね。今日を以てして暇を頂戴したいと思います」


「分かった。ご苦労だったな。・・・・・・ここに署名を」


「・・・お世話になりました」


 書類に名前を書いて、ヤーナは、この五年で身に付けた最高のカーテシーをした。ローベルトは書類に不備が無いことを確認すると、ヤーナに一瞥もくれることなく、立ち去る。その後ろ姿が見えなくなった頃に、ヤーナは、顔を上げた。


「わたくしの五年間は何だったのでしょうか」


「ヤーナ様」


「ここには、私どもしかおりません」


「うっ、ううっ、ふっ」


 ヤーナは、淑女の仮面を外して声を上げて泣いた。この五年の間に次期公爵夫人になるための頑張りを見てきたのなら咎めるなどできない。それは辛く、できないということが許されない環境だった。ローベルトが嫡男で他に家を継げる者がいなかったため、ヤーナが頑張る以外に道が無かったということもある。


「番になど選ばれなければ良かった」


「ヤーナ様、私どもがお供します」


「でも・・・」


 ローベルトに番として連れて来られたのは、十二歳のときだ。その時から侍女として側に居てくれた二人を姉のように慕っている。普通の使用人に対する距離感で無いのは分かっていても十二歳のヤーナは甘えた。


「公爵家は広いですからな。二人くらい使用人を見かけなくとも誰も気に止めますまい」


「あり、がと」


 公爵家の使用人で侍女をするくらいなのだから身分はヤーナよりも上だ。でも、次期公爵夫人なのだからと率先してヤーナを主人扱いしたのも二人だ。ナイドンもヤーナを次期奥様と敬った。そのお陰で、男爵家出身だと見下していた使用人たちは態度を改めた。

 来た頃は嫌がらせなどあったが、この五年でヤーナを認めない使用人はいなくなった。それだけヤーナが頑張ってきたという証拠だ。


「・・・書類については、もう王宮に出されているでしょう。荷物に関しましても、荷造りがされているかと」


「そう」


 どれだけ不審に感じても命じられてしまえば従うしかない。ヤーナが婚約者ではなく、結婚していればローベルトとは対等になるため拒否もできた。たらればの話をしても仕方ないと分かっていてもナイドンは

深く溜め息をついた。

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