5.S-12.269 呪われた名前
ここからはしばらくはシャリィ編の現在パートとなります。
本編77話の出来事の翌日、104話あたりの話の裏側のエピソードです。
見比べていただけると、より楽しめるかもしれません。
『ニカンさん』と一線を超えて初めて♡の夜を過ごした翌日。
シャリィは、深く後悔していた。
気持ちが抑えられず、とんでもないことをしでかしてしまったと。
王女としては決して許されない、あまりにもはしたない行為であった。
自分が誰かに嫁ぐ日が来ることは決してないだろうと分かってはいる。
それでもずっと教え込まれていた王族の貞操観念に背いたのだ。
激しい罪悪感に苛まれてしまう。
さらに恐ろしかったのは、昨夜感じた自分が制御できなくなるような肉体の昂りである。
昨日は何とか途中で止めることができた。
けれどもあの快感に身を委ねたままでいたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
けれども何よりシャリィが怖かったのは、『ニカンさん』に嫌われたらどうしよう?という不安であった。
そしてシャリィにとって不幸だったのは、やらかしてしまったタイミングが最悪だったことだ。
あと1日我慢できていれば、もっと別の展開になっていたかもしれないのだから。
何故ならばその日、『ニカンさん』との関係が大きく変化する事態になったからである。
その夜のシャリィは、昨夜の気まずさと嫌われることへの不安で、なかなか『ニカンさん』に触れられずにいた。
さんざん悩みに悩みぬいた挙げ句ようやく『恋人』にタッチできたのは、かなり夜遅くになってからだ。
けれども『ニカンさん』はいつもと変わらず、優しく接してくれた。
一安心するシャリィだったが、そのあと『ニカンさん』は驚きの行動に出る。
『ママスミグル』
なんとシャリィの手のひらに文字を書いてきたのだ。
以前のような意味の分からない異世界人の文字ではない。
ちゃんとこのミグル《内側》の言葉である。
どうやら『ニカンさん』の本体側が、こちらの言葉を覚えたようだ。
突然のことでビックリしたが、それはシャリィにとっても嬉しくてしょうがないことである。
真っ先に今までの感謝を伝えてくれた『ニカンさん』の言葉に、目頭が熱くなる。
魔眼を通して『ニカンさん』の感謝の気持ちは、今までも伝わっていた。
だけど改めて言葉で告げられたことで感じる熱い想いは、自分でも想像できなかったほどに大きかった。
自分の人生が報われたような気がして、後から後から涙が込み上げてくる。
だから『ニカンさん』からもう『ウースルシュクア《長持続治癒》』の魔法が要らないと伝えられたときは、思わず取り乱してしまった。
けれども感情的に言い返したにも関わらず、『ニカンさん』はどこまでも優しくて、シャリィの気持ちを受け入れてくれた。
心の底から『好きっ!』て気持ちが湧き上がってくる。
そんな『ニカンさん』の本名は、『マミヤシンイチ』と言うらしい。
異世界人の発音は耳に馴染みが無いが、『シン』と呼べばいいらしい。
「シン、、、」
実際に口に出してみると、とても胸が熱く、苦しくなって、愛おしさがとめどなくあふれてくる。
「シンっ!シンっ!シ〜ンっ♡」
相手には聞こえないのをいいことに、何度も何度も名前を呼んでしまう。
その度に愛おしさが込み上げてきて、胸がキュンキュンと苦しくなる。
『シャルラリィ』という名前を褒めてくれたときは、天にも昇るような気持ちになった。
手のひらに『シャリィ』と書いてくれたときは、嬉しさでどうにかなっちゃいそうで、、、
ピジャン(※風呂ベッド)の上で思わず足をバタバタさせてしまった。
けれどもそんな恋する乙女の心は、一瞬にして現実に引き戻されてしまう。
『しゃりぃ は いえの なまえ ないの?』
シンのその言葉で、シャリィは自分が決して認められない存在だという事実を突きつけられる。
シャルラリィ・ベドベダル。
住民を焼き尽くした、呪われた『ベドベダルの魔女』。
その名前をシンに知られたら、今までの関係も全部壊れてしまうだろう。
今さらながらにシャリィは、舞い上がって名前を教えてしまった自分の浅はかさを後悔せずにはいられなかった。
『ベドベダル』という家名は伝えてないので一発アウトではない。
それでも『シャルラリィ』という名前もかなり珍しいものだ。
『ベドベダルの魔女』だと気づかれてしまうのも、時間の問題かもしれない。
初めての恋人を失う危機を認識した瞬間、、、
恋に浮ついていた気持ちは吹き飛び、冷静を通り越して冷めきった心境となるシャリィ。
その天才的な頭脳がフル回転を始め、悪賢く計算を始める。
まずは危険な会話の方向性をコントロールすることにした。
異世界勇者なのか?と尋ねて話を逸らして。
うまく誘導してシンのことを聞き出して。
信じてくれているシンを裏切っていることに、ズキズキと心が痛み出す。
会話を続けながらも、自分の心が凍えきっていくのを感じていた。
だからシンの本体がバンリャガの街にいると聞いて、、、
完全に夢から冷めた気持ちだった。
頭の中では分かっていた。
『ニカンさん』の本体がどこかにあることを。
だけどいつの間にかシャリィは、目の前の『右手』だけを恋人として見つめていたのだ。
その理由も、今なら分かる。
『ニカンさん』の本体と顔を合わせるのが怖かったからだ。
冷静になったことで、今では自分の心理を客観的に見つめることができるようになっていた。
目の前で『ニカンさん』と顔を合わせることになれば、自分が『ベドベダルと魔女』だと気づかれてしまう。
それはこの愛しい関係が終わることを意味していた。
異世界からやって来た相手なら『ベドベダルの魔女』のことを知らないかもしれないが、だとしても関係ない。
この魔眼を目にした瞬間、怖がられ、拒絶されるに決まっている。
今まで出会った全ての人間がそうだったのだから。
『いつか しゃりぃに あいに いっても いいかな?』
シンからのその言葉に、シャリィは自分の心が凍てついていくのを感じる。
恋人を騙してまでしがみついてはいるものの、、、
シャリィは自分の初恋が終わりを迎えつつあることを悟っていた。