5.S-11.262 初恋
「ママスミグル、ニカンさん」
シャルラリィはピジャン(※風呂ベッド)の上にある『右手』に語りかける。
もちろんこちらの声は届かないので、相手からの返事はない。
それでもこうやって見つめているだけで、これまでの人生でいちばんの幸せを感じていた。
あれからシャルラリィは、『右手』を寝室のピジャンの上に移動させていた。
シャルラリィの閉じ込められた『牢獄』には部屋がいくつもあるが、この寝室にはメイドたちも入ってくることはない。
最初に『右手』が現れた応接室は、外への扉に直結していて、教師たちも入ってくる。
『ニカンさん』が見つかるのは嫌だったので、安全な寝室へと移動させたのだ。
手で触るのはまだ怖いので、力魔法(※念動力の魔法)で浮かせて持ち運んだ。
『ニカンさん』というのは、シャルラリィが『右手』につけた名前である。
『ニク《右》リャー《手》さん』だと長いし、『ニク《右》さん』だと可愛くない。
なので『ニク《右》』に愛称を示す『アン』を付けて、『ニカンさん』にした。
あの日からシャルラリィの毎日は変わった。
朝目が覚めたら、こうやって『ニカンさん』を眺めながら挨拶をする。
日中は授業と習い事の時間がビッシリなので、さすがに相手をする時間はない。
学ぶことなどもうほとんど無くなっているので無駄な時間なのだが、放棄するわけにもいかないのだ。
これはシャルラリィを監視する時間でもあるので、嫌だなどと言えば父ランドットに睨まれて面倒なことになるのが分かりきっている。
夕刻には『ニカンさん』に、『ウースルシュクア《長持続治癒》』の治癒魔法をかけ直す。
試してみたところ回復効果は十分だったので、これがいちばん適切な魔法であった。
『ニカンさん』はしばらくするとそれに気づいてくれて、『感謝』の感情を示してくれる。
シャルラリィにとってそれは、天にも昇るような気持ちで、何物にも代えがたい幸福感であった。
何より自分が誰かを支えてあげているんだという事実が嬉しくてたまらなかった。
本格的に『ニカンさん』と向き合う時間が取れるのは、夕食のあとの夜遅い時間だけだ。
最初の日は授業をサボったのでたっぷり時間はあったが、触れるのが怖くてずっと眺めていただけだ。
初めて勇気を出して触ってみたのは、2日目の夜。
恐る恐るちょんちょんとつついてみただけだが、『ニカンさん』からは『喜び』と『感謝』の感情が返ってきた。
その日は『ニカンさん』も本体側がたいへんだったみたいで、その後はほとんど相手をしてもらえなかった。
『本体』は何回もトラブルに巻き込まれ続けているみたいなので、致し方ないところである。
けれどもこの人なら心を開いても大丈夫かもしれないと、シャルラリィが予感するには十分だった。
3日目の夜には少しだけ進展があった。
ゆっくりと『ニカンさん』に触れてみると、今日も『感謝』を伝えてくれる。
しかもこちらを驚かせないようにと、気を使ってくれるほどの優しさを見せてくれた。
安心したシャルラリィは、恐る恐るではなく、しっかりと触れ合えるようになっていた。
さらには『ニカンさん』が会話をしようと考えてくれているのが、魔眼によって伝わってきた。
ハンドサインを送ったり、シャルラリィの手のひらに文字を書いたりと試してくれた。
けれども異世界人のサインや文字の意味は全く分からない。
さすがのシャルラリィの魔眼でも、感情は読み取れても言葉までは読み取れないのだ。
それでも『ニカンさん』との触れ合いは、シャルラリィにとって何よりの楽しみになっていた。
言葉による会話は何日経っても上手くいかず、すぐに諦めてしまった。
だけどその分2人の触れ合いはどんどん親密になっていく。
初めてお互いの指を絡めて手を繋いだときは、すっごくドキドキした。
『ニカンさん』も同じ気持ちなのが、魔眼を通して伝わってくる。
とても大事に思ってくれていることが、はっきりと分かった。
シャルラリィの中で『ニカンさん』の存在がどんどん大きくなってくる。
何をしていても考えるのは『ニカンさん』のことばかりだ。
それはシャルラリィにとって初めての感情だったが、その気持ちが何なのかはすぐに思い当たった。
暇つぶしに読んでいた物語の中で何度も目にしたことがあったからだ。
「これが、、恋なのかな、、、」
自分が誰かから愛されることも、誰かを愛することも、完全に諦めきっていたシャルラリィ。
そんなシャルラリィは、物語の中の人物の恋する気持ちを冷めた感情で読み流すだけだった。
けれどもいま自分が感じている、心がフワフワ、ソワソワして、舞い上がってしまう感情。
それは恋物語の中の描写にあったものとそっくりであった。
それを確かめるようにシャルラリィは、日に日に『ニカンさん』との触れ合いを深めていく。
『ニカンさん』を持ち上げて顔に触れてもらう。
すると『ニカンさん』はものすごく優しく丁寧に、愛情を持って撫でてくれた。
魔眼を通して伝わってくる気持ちが、『可愛い』と褒めてくれているように感じて、とびあがるほどに嬉しくなる。
思わず感極まって胸に強くギュッと抱きしめてしまうシャルラリィ。
心の奥底から愛おしさが込み上げてきて、我慢できなくなったのだ。
すると『ニカンさん』の戸惑う感情が伝わってきた。
嫌われたのかと怖くなるシャルラリィだったが、そうではなかった。
『ニカンさん』の浮かべた『色』は、『紫』。
シャルラリィが人生で初めて目にする色だったが、その『意味』は自然と理解できてしまった。
『欲情』の色である。
その瞬間、シャルラリィの全身がカアッと熱くなる。
自分がどれほどはしたない行為をしでかしたのか、そこで初めて気がついたからだ。
男の人の手を自分の胸に押し当てるなんてっ!!
それがどういう意味を持つかくらいは、シャルラリィも知っている。
『ニカンさん』のもっと激しく触りたい!という感情が魔眼を通して伝わってきた。
それでも『ニカンさん』はとても紳士的だった。
温かく触れ合うだけにとどめ、こちらのことをとても気遣ってくれている。
そのことに安心と、僅かな残念さを感じながらも、シャルラリィは自分の中の感情が止められなくなってきていることに気づく。
わたし、、ニカンさんのことが本当に大好きなんだ、、、
そうしてシャルラリィはどんどんと『初恋』にのめり込んでいくこととなった。
自分の心の奥底から湧き上がってくる新しい感情が、抑えきれなくなっていく。
もっと深く触れ合いたい、次へと進みたいという気持ちが増すばかりだ。
言葉での会話ができないもどかしさが拍車をかけたのか、それはボディタッチへの欲求として膨らんでいった。
そして数日後、シャルラリィはついに昂る気持ちが抑えきれなくなってしまう。
直接顔を合わせて会話していたら、恥ずかしくてそんな大胆な行動はできなかっただろう。
だけど顔の見えない右手だけの相手であることが、心理的なハードルを下げていたのだ。
シャルラリィは『ニカンさん』を自分の左胸の上に移動させると、自ら押し当てるように上から包み込んだのだ。
魔眼を通して『ニカンさん』の戸惑いとともに、燃え上がるような欲情が伝わってくる。
それを肯定するように、『ニカンさん』を強く胸に押し付ける。
我慢していた『ニカンさん』の『紫色』が一層濃くなり、理性が吹き飛んでいくのを感じる。
衝動的に動き出した『ニカンさん』の指先が、シャルラリィの敏感なところを激しくもてあそぶ。
感じたことのない快感に、シャルラリィの若い身体がどこまでも燃え上がっていく。
その日、、、シャルラリィと『ニカンさん』の関係は、新たな局面へと突入したのであった。
シャリィ編の過去パートはここまでで、現在パートはまた後日。
これにて5章パート5は完結となります。
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明日からのパート6は本編に戻り、魔王軍との最終決戦が始まります。
自分の正体を知らないまま育ったシャリィは、新一との出会いでどうなるのか?
いよいよ決着が迫る魔王軍編をぜひお楽しみに。