5.S-10.261 初めての色
メイドと教師が立ち去ったのを確認して、シャルラリィは再び『右手』の観察を再開する。
面白いことに、『右手』が放つ『力の流れ』は目まぐるしくその色を変えていた。
『怒り』の『赤』。
誰かに対して、すごく怒っているようだ。
ただしその相手はシャルラリィではない。
続けて現れたのは、『恐怖』の『エンジ色』、『焦り』の『黃色』、そして『絶望』の『灰色』。
何か恐ろしい出来事が起きて慌てふためき、最後は死を覚悟せざるを得ない状況に追い詰められたようだ。
やはりこの『右手』にはどこかに『本体』があって、それがモンスターにでも襲われているのかもしれない。
どうにかして助けてあげたいと考えるシャルラリィ。
見も知らぬ異世界勇者相手だというのに、自分でも驚く感情の動きである。
だが何もせずとも危機は去ったのか、『安堵』の『水色』が浮かび上がる。
けれども今度は『驚愕』の『黄緑』が現れ、再び『焦り』の『黃色』へと変化する。
どうやら外敵とは別の生命の危機に見舞われているみたいだ。
事実『右手』の抱える新たな問題が何か、シャルラリィの魔眼にははっきりと映っていた。
シャルラリィの魔眼で見えるのは、感情だけではない。
相手の魔力や体調なども確認できるのだ。
そんな魔眼に『右手』の生命力がみるみるうちに減少していくのが映る。
何か大きな怪我を負って、体力が奪われていっているみたいだ。
これは回復してあげた方がいいかと考えたところで、『右手』の生命力が一気に復活した。
その理由も魔眼には見えている。
『右手』が自ら治癒魔法を発動したのだ。
魔法の術式自体は『右手』の上に展開されたわけではない。
どこか別の場所で発動された治癒魔法によって、『右手』も回復したみたいである。
ただしシャルラリィには術式は直接見えていなくても、その残滓らしきものは感じ取れる。
以前に魔法の教師が見せてくれたことのある魔法と間違いなく同じものだ。
『シュクア《治癒》』という、リューイン《創世神》によって用意されたテンプレートの治癒魔法だ。
とはいえこれで疑問に思っていたことの答えが確定した。
やはりこの『右手』はあくまで、どこかに存在している異世界勇者の一部なのである。
つまりどこか別の場所に本体があって、その本人が治癒魔法を唱えたのだ。
それによる本体側への治癒効果が、『右手』に波及したと考えられる。
確かによくよく見てみれば、手首の断面からどこかに向けて、『力の流れ』が繋がっているようだ。
その『つながり』はすぐに空気に溶け出して消えてしまっているが、天山の方角へ向かっているようだ。
力魔法で『右手』の向きを変えてみても、力の流れて行く方向は変わらない。
つまりここべドベダルから天山へ向かう直線上のどこかに、『本体』がいると予想できた。
そうして観察を続けていると、すぐにまた『右手』の生命力がみるみる失われていく。
そして再び『シュクア《治癒》』の魔法が使われる。
とはいえそれはいつまでも続けられるものではない。
シャルラリィの魔眼に映る『右手』の残り魔力がどんどんと減っていくのだ。
この異世界勇者が保有する魔力はかなり少ない。
このままではミック日(※2時間弱)も保たないだろう。
魔力が尽きる前にシャルラリィが助けてあげるべきだろうか?
けれども下手にアクションを起こせば、こちらの存在に気づかれてしまう。
そのときこの異世界勇者がどんな反応をするか?
シャルラリィには、相手が喜んでくれるなどという『馬鹿げた期待』など、出来るはずもなかった。
生まれてからずっと、他人から悪意を向けられ続けたシャルラリィである。
きっとこちらの存在に気づいた瞬間、この人もシャルラリィのことを忌み嫌うに違いない。
そうすればすぐにこの部屋から転移して、逃げ出してしまうかもしれない。
せっかく現れてくれた『中立』な人を、みすみす逃すようなことは避けたかった。
それにこの異世界勇者も魔力ポーションなどによる魔力回復手段は持ち合わせているはずだ。
とりあえずは見守るだけにして、静観を続けるシャルラリィ。
だがそうこうするうちに、『右手』の魔力がついに尽きてしまう。
ポーションなどを使って回復する気配も全くない。
生命力が弱まっていき、肌色が青くなっていくのが肉眼でも見えるほどだ。
命が尽きるのも時間の問題である。
もはや躊躇っている場合ではなかった。
「シュクア《治癒》」
シャルラリィは『右手』が使っていたのと同じテンプレートの治癒魔法を使ってみる。
『原初の魔法』を使わなかったのは、異質な魔法により警戒されるリスクを少しでも減らしたかったからだ。
緑色のキラキラした光の粒子が『右手』に降り注ぐが、このエフェクトには何の意味もない。
回復効果自体はエフェクトに関係なく作用しているのだ。
体力が一気に回復した『右手』がまず示した感情は『困惑』の『緑』であった。
とはいえシャルラリィを怖がる様子も嫌う様子も、今のところはない。
それどころかこちらの存在にまだ気づいてすらいないみたいだ。
たとえ相手が『右手』だけであっても、シャルラリィは『本体』の感情を魔眼で読み取ることができる。
どうやら『右手』の持ち主は、何が起きたのかまだ分かっていないのだろう。
しばらくしてようやく誰かが助けてくれたのではと思い至ったみたいだが、『本体』の周囲を探っているような気配だ。
ここにある右手のことなど、全く想定外の様子である。
そうこうするうちに、再び生命力が尽きそうになる。
もう1度治癒魔法を発動するシャルラリィ。
今度は右手も何者かが治癒魔法を使ったことにはっきり気づいてくれたようだ。
とはいえその相手がどこにいるか分からないのだろう。
自分の身体がどうなっているのか、いろいろ探っているみたいである。
それよりも、とシャルラリィは考える。
2回ほど治癒魔法を使ってみたが、どうやらこの異世界勇者はシャルラリィの助けがないと生きていけないみたいだ。
けれどもシャルラリィとしても、休みなくずっと魔法をかけ続けることなんて不可能だ。
なので次は別の種類の治癒魔法を使ってみることにする。
リューイン《創世神》の用意したテンプレート魔法の中に丁度いいものがあるのだ。
「スルシュクア《持続治癒》」
これは回復効果がミック日(※2時間弱)持続するタイプの治癒魔法である。
試してみると、どうやら回復速度も十分のようだ。
というか過剰回復なくらいである。
これなら『ウースルシュクア《長持続治癒》』の魔法の方が適切かもしれない。
そちらだと回復速度は1/16になるが、その代わりに回復効果が丸一日続く。
そんなことを考えていると、『右手』の方に動きがあった。
ニギニギと指先を曲げ伸ばしして、激しく動いている。
どうやらこちらに反応してほしくてアピールしているらしい。
回復してくれた相手を探しているみたいである。
そしてシャルラリィにとっては信じられないことに、こちらに対して一切『敵意』がない様子なのだ。
それならリアクションをしてあげてもいいかと考える。
とはいえ他人に触れるのはまだ怖くて仕方のないシャルラリィ。
きっとこの『右手』さんもシャルラリィと接触すれば、その異質さに気づいて嫌悪するに違いないのだ。
そこでシャルラリィは、直接触れずに魔法だけでコンタクトすることにする。
『加熱』の魔法を弱めにかけて、『右手』を軽く温めたのだ。
すると『本体』がシャルラリィの存在に気づいたことが、魔眼によって伝わってくる。
治癒魔法を使った相手が、『右手』の側にいるんだと理解してくれた様子だ。
ただし相手の反応は、シャルラリィの予想外のものであった。
魔眼に映る『力の流れ』。
その『色』は、もはや忘却の彼方にあったもの。
シャルラリィに向けられることなど、決してないと諦めてしまっていた『感情』。
『親愛』の『青』。
そして、『感謝』の『深緑』。
それを目にした瞬間、凍り付いていたシャルラリィの感情が動き出した。
ずっと求め続けていて、けれども手に入ることのなかったものが目の前にあった。
気づけば、、、
シャルラリィの魔眼から、温かいものが溢れ出していた。
後から後から、いつまでも、とめどなく。
真一サイドでは、本編6~12話あたりの話です。
邪神を罵り、巨大トラに襲われ、スリップダメージで死にそうになっていたところを、ヒーラーさんの『サステナヒール』で救われたエピソードの裏話でした。




