4.A-14.174 光の脱出
「ぅぎゃあぁぁぁっ!!」
身の毛もよだつような絶叫を上げたのは、朝霞ではなくドブフだった。
続いて朝霞の腹の上から、この世の悪意と絶望を体現していたかのような重圧が消え失せる。
身を起こした朝霞は、何が起きたのかと左右を見渡す。
するとドブフがベッドから転げ落ちて、床の上で血だらけでのたうち回っていた。
「腕がぁぁぁっ!!!痛でぇぇっ!!!死ぬぅぅ!!」
豚のような情けない悲鳴を上げるドブフ。
さらにベッドの上も、はだけさせられた朝霞の肌も血まみれであった。
とはいえ朝霞自身はどこも怪我をしていないので、この大量の血は朝霞のものではない。
何かが起きてドブフが重傷を負ったとみて間違いないようだ。
もしかしてヒカるんが、、、!?
だが朝霞にはそれ以上考える暇はなかった。
けたたましい音を立てて、ドアが乱暴に押し開けられる。
近くで警備していたドブフの付き人の2人が、悲鳴を聞いて部屋の中に駆け込んできたのだ。
「何事だぁっ!」
「キサマぁっ、閣下に何をしたぁっ!?」
入って来て室内の惨状を目にした2人は、すぐさま朝霞に襲いかかってきた。
もちろん呆然としている朝霞には、抗う術などあるはずもない。
胸をはだけさせ、白い光を放ったままの朝霞を、2人同時に組み伏せてくる。
だが男たちが体重をかけて朝霞をベッドに押し倒した瞬間、、、
「ぐぅあぁぁっ!」
「うがぁっ!!」
2人の男も痛みに絶叫し、ベッドの左右に分かれるように崩れ落ちた。
何がなんだか分からないままの朝霞だが、ようやく頭が働き始めたのか、ぎこちなく立ち上がる。
まずは惨劇の現場となったベッドの上から転がり出る。
今なら逃げられるかもっ!?
そうして次に部屋から逃げ出そうと考えたのだが、意に反してその足が止まってしまう。
奴隷契約の命令により、逃げようという思考が浮かんだ瞬間に動けなくなってしまったのだ。
どうしてっ!?
急がないとダメなのにっ!!
早く逃げなきゃ!と思うほどに、余計に身体の自由が効かなくなる。
パニックに陥れば陥るほど、ますます混乱して頭がゴチャゴチャになるばかりだ。
後ろの男たちの泣き叫ぶ声が、朝霞の焦りを加速させる。
そこへ今度はナグリャが駆け込んできてしまった。
ナグリャは朝霞と違って冷静そのものであった。
床に転がる血だらけの男たち。
何故かはだけた胸を光らせている朝霞。
何か勇者の特殊能力を使ったに違いないと見抜き、すぐさま朝霞の動きを止めに出た。
手にしていた石板を朝霞に突きつけ、命令を発したのである。
「アサカぁっ!止まれぇぇっ!!」
それは朝霞にとって絶望的な命令だった。
わずかに見えてきた脱出の可能性が閉ざされてしまったのだ。
完全に身動きを封じられる瞬間を、泣きそうになりながら待つしかない朝霞。
だがいつまで経っても朝霞の身体の動きが止められる様子がない。
それどころか、変化が生じたのは忌々しい石板の方である。
「なんだっ!?契約板がっ!!?」
ナグリャの持つ石板が赤く眩く光り出したのだ。
「ぎゃ熱っ!!?」
突然ナグリャが手にしていた石板を放り出す。
ナグリャの手からは肉の焦げる匂いと、黒い煙が立ち昇っていた。
そして床に落ちた石板はより一層明るく輝き出し、、、
次の瞬間、粉々に爆散した。
これっ!??
そして同時に朝霞は、自分の魂に刻み込まれていた『呪いの契約』が消し飛んだことを悟った。
衝動的に部屋の出口へと動き出す。
今度はその足が止まることはなかった。
これなら逃げられるっ!?
希望を胸に走り出す朝霞。
「逃がすかぁアサカぁぁっ!!」
だがそこにナグリャが立ちはだかる。
手のひらの火傷に顔をしかめながらも、朝霞に掴みかかってきたのだ。
胸を光らせた朝霞に正面から組み付き、覆い被さるように床へと押し倒す。
「ぐぎゃぁっ!!」
だがそれと同時に再び部屋に鮮血が舞い散り、ナグリャが断末魔の悲鳴を上げる。
床に叩きつけられた朝霞だったが、すぐさま身を起こしてみると、ナグリャも血だらけで床に倒れ伏していた。
あまりの惨状に吐き気を催しながらも、フラフラと立ち上がる朝霞。
そのまま壁に手をつきながら部屋の外へと逃げ出す。
「ま、、待でぇっ、、、」
後ろから死に瀕したナグリャの怨念に満ちた声が聞こえてくる。
だがもはや朝霞の道を阻む障害は残っていなかった。
全ての恐怖と悪意を閉じ込めるかのように、部屋の扉を固く閉じる朝霞だった。
ーーーーー
部屋の外に出た朝霞は、急いで、だが慎重に、店からの脱出にかかる。
幸いなことに廊下には人がいなかった。
防音がしっかりしているのか、他の部屋にいた人間は騒動に気づかなかったみたいである。
血だらけの服で胸を隠してヒカるんを消した朝霞は、息を潜めて店内の様子を探ってみる。
廊下の奥は店の表側となっており、何人かの従業員と客、そして商売女たちの声が聞こえてくる。
反対に手前側の方には最初に連れ込まれた事務所があり、今は誰も人がいないようだ。
朝霞は静かに事務所に忍び込み、まずはナグリャが服を出してきたロッカーを探ってみる。
新しい制服を見つけると、血だらけの服を着替えることにした。
さすがの朝霞もこれ程の目に遭わされれば、服を盗むことに良心の呵責などこれっぽっちも感じない。
ついでに男物のコートも見つけたので拝借しておく。
最初に入ってきた裏道のドアを開けると、外はすっかり真っ暗になっていた。
そのまま外に出ようとした朝霞だったが、ふと思いついて引き返す。
目指すのは事務所の隣りにある、牢屋の部屋だ。
そこには牢に繋がれた中学生くらいの少女が1人いるだけだった。
朝霞は壁にかけられていた鍵を取ると、少女の目の前の床に置く。
さっき閉じ込められていたときに、鍵の場所は把握済みだった。
「逃げたいなら逃げて」
虚ろな表情で朝霞をポカンと見つめる少女にそれだけを伝えると、朝霞はすぐさまその場を立ち去る。
そうして事務所の奥の裏口から、夜の街へと逃げ出すのであった。




