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短編まとめ

カクカクの棒読みで『シンジツのアイ』と言われても・・・

作者: みのみさ

短編書けるかな?、で書いてみました。

婚約破棄を題材にしたものですが、ハッピーエンドです。少しでもお気に召していただけたら幸いです。


予約投稿ミスしてました。気づいた時点で投稿しましたが、宣伝ミスで申し訳ありません。

「マルティーナ様、お久しぶりね。お加減はよろしいの?」

 エスコートもなく、一人で卒業記念パーティー会場にやってきたマルティーナ・ベイエルに声をかけてくれたのは友人のヘンリエッテだった。彼女の周りのご令嬢たちも心配そうにマルティーナを見つめている。

 マルティーナはにこりと淑女の笑みを浮かべた。

「ええ、ご心配をおかけしました。ゆっくりと養生に専念したおかげで何とか。卒業式には間に合わなかったのが、残念ですけれど」

「しかたありませんわ。ベイエル領は王都から一番遠いのですもの」

「パーティーでお目にかかれただけでも嬉しいですわ」

「ええ、本当に。ご挨拶ができないのでは、と案じておりました」

 ヘンリエッテを筆頭に友人たちが次々に慰めてくれた。


 もともと身体の弱かったマルティーナはこの一年間領地で療養中で学園には通っていなかった。卒業資格を得られたのは二年時までの優秀な成績と療養中の課題だった研究論文が認められたおかげである。

 卒業式に余裕で間に合うように領地を出立したものの、旅程半ばで橋が流された地域を迂回したり、車輪の脱輪事故があったりとアクシデントが重なり、王都に到着したのは昨夜の深夜だ。

 マルティーナの体力では午前中の卒業式に参加は厳しかった。貧血を起こして倒れるなんて醜態を晒すよりはと、夕方からの卒業パーティーにだけ出席したほうがよかった。

 マルティーナの婚約者は同学年のランベルト・フランセンだ。公爵家の次男で伯爵家のベイエル家に婿入りの予定だったのだがーー


「あら、やだ。皆様、あちらに参りましょう」

 ヘンリエッテが嫌悪に顔を歪めて学友を促した。ちょうど、会場にランベルトが入場したところだ。右腕にあるご令嬢をぶら下げて。

 婚約者がいるのにエスコートしないで、別の相手を伴うなんてマナー違反どころではなかった。立派な不貞行為で浮気だ。

 マルティーナは一年ぶりの婚約者の姿に顔を曇らせた。

 療養中の手紙のやりとりが段々と減っていき、何の連絡も来なくなっていたが、幼い頃からの習慣で滋養強壮の薬やレアな食品の贈り物だけは届いていた。王都の屋敷にはパーティー用のドレスとアクセサリーが届けられたから、何の連絡もなくてもパーティー会場に行けばエスコートしてくれると思っていたのに。

 もともとフランセン家から申し込まれた婚約だった。跡取りのマルティーナは病弱で子供を望めないかもしれないのだが、ランベルトはそれでも構わないと婚約成立した。婿入りするからにはランベルトに愛人など認められない。子供ができない場合はベイエル家の親戚から養子を迎えることになる。それも込みで了承していたはずなのに、すでに愛人候補がいるとか、いくら何でも常識外れだ。


 マルティーナはヘンリエッタたち友人と文通して学園の様子を教えてもらっていた。ショックかもしれないが、何も知らずにいきなり出くわすよりはと、ランベルトの所業を知らされていたものの、実際に目にするのは話だけ聞くのとは大違いだった。

 せっかく、ヘンリエッテが気遣ってくれたというのに、ランベルトは会場をぐるっと見渡してマルティーナを見つけると浮気相手を連れてわざわざ近づいてきた。

 ランベルトは金髪に深い青の瞳の美男子だが、無表情がデフォルトだった。貴族らしく感情を制御しているというよりも、もともと感情の起伏の少ない子供がそのまま大きくなったのだ。

 10歳から婚約していたマルティーナと従姉妹のヘンリエッテにはかろうじて見せていた表情の変化もなく、今は本当に彫刻のように無の顔をしている。

 そのランベルトが温度のない声で淡々と告げた。


「マルティーナ・ベイエル。君との婚約を破棄する」


 会場では楽団が奏る軽快な曲が響いているはずなのに、マルティーナの周囲だけしんと静まり返っていた。

 マルティーナは諦めの表情でやるせない笑みを浮かべた。身体の弱かった彼女よりも、ランベルトはやはり健康なお相手なほうがよかったのか。

「・・・承りま」

「お待ちになって。いかなる理由で瑕疵のない婚約者との婚約を破棄なさるの? 浮気した貴方の有責での解消の間違いではありませんこと?」

 マルティーナの返事を横取りしたのは冷笑を浮かべたヘンリエッテだ。

「婚約者が療養中で学園にいない間の貴方の振る舞いはここにいる全員が承知していてよ? よくもまあ、恥知らずにも婚約破棄だなどと言えたこと。

 貴方と血の繋がりがあるなんて、我がアーレンツ王家最大最低な恥辱ですわ」

「ひどいですわ! ヘンリエッテ様」

 ランベルトの腕に絡みついていた令嬢がうるうると紫の瞳を潤ませていた。

 ローザンネ・ダンメルス男爵令嬢だ。

 父親が大手の商会を経営していたが、数年前に金鉱脈を発見してそれを王家への手土産にして男爵位を得た。成り上がりと見下す貴族が多い中で、ヘンリエッテ周囲の令嬢たちは遠巻きに様子をみていた。貴族として生きていく覚悟があるならば受け入れようと思っていたのだが、学園での三年間、ローザンネの成績は最下位をとり続け、淑女の教養や礼儀作法を少しも身につけることなく今日に至っていた。

 ローザンネが得意なのはダンスや語学だけだった。幼少期は父の仕事にくっついて他国で過ごしたこともあり、数カ国語が話せるのがローザンネの数少ない特技だ。

 そして、金の髪に紫の瞳と見目麗しい容姿で男性の関心を引くのが何よりもうまかった。三年時にランベルトにべったりとなるまでに、ローザンネのせいで婚約解消した学生が年に数組はでたほどだ。

 ローザンネはこの一年間はランベルトの恋人のように振る舞い、常にべったりと張り付いている状態だった。


「わたくしたち、真実の愛を育んでまいりましたの。家同士の契約で愛のない無味乾燥な関係なんて、ランベルト様がお可哀想です。

 マルティーナ様、病弱を理由に彼を縛りつけるのはおやめください。パーティーに出られるのですから、本当は元気なのでしょう?」

 まるで、マルティーナの病弱さを仮病と断定しているかの物言いだ。ヘンリエッテがひくりと口角をあげるのと同時に凄まじい冷気が周囲に満ちた。

 無どころか凍てつく視線を隣に投げかけたランベルトが発生源だ。ひっと、ローザンネが青褪めて後退った。

「マルティーナ様」

 身を震わせてふらついたマルティーナを両隣の令嬢が支えた。健康になってきたとはいえ、まだ体力のないマルティーナにこの冷気は余波でも耐えがたかった。

 ふっと冷気が止んで、ランベルトの深い青ーー藍色の瞳に初めて表情が浮かんだ。マルティーナとヘンリエッテにだけわかる、心配している色だ。

 はっ、今さら? と、ヘンリエッテのこめかみに青筋が浮かぶ。


「わたくし、貴女には聞いていなくてよ? ねえ、ランベル」

「ひどいですう。またそうやって、わたくしを無視なさるんですね。いくら、王女様でも意地悪ばかりしているとモテませんよ! 学園は身分は問わず、平等な場なんですから!」

 再び、しんと場は静まり返った。

 確かに学園は建前では平等の場だが、礼儀作法を無視してよいということではない。単に身分を気にして勉学に支障がでないようにと配慮されているだけだ。下位だから高位に遠慮して好成績を逃すなど、優秀な人材発掘の妨げでしかない。

 そして、卒業式を終えた今、もう学生ではないのだ。この場は社交界の縮図で、学園内の建前は最早通用しないとローザンネ以外の誰もが理解していた。

 ヘンリエッテは王弟の娘で、両親が早世して伯父である国王一家に迎えられた。王位継承権を保持しているが、王女ではない。臣籍降下した王妹を母に持つランベルトとは従姉妹同士だが、ランベルトは公爵家でこの場で一番身分が高いのはヘンリエッテだった。

 身分の高い者からの挨拶がなければ、面識のない下位の者は話しかけられないと学園で学んでいればわかっているはずなのに、ローザンネはお構いなしだ。言葉を遮られたヘンリエッテがゆるりと口角をあげる。


「あら、やだ。礼儀作法で何をお学びになったのかしら? ねえ、ランベルト、貴方、本当にこの方とお付きあいなさるの?」

「そうする予定だ」

「予定ですって? それで、婚約破棄するというの?」

「ああ、シンジツのアイが芽生えたから」

 ランベルトは死んだ魚の目で棒読みした。常の無表情のほうがまだマシと思える虚な顔をしている。

「マルティーナ・ベイエルは病弱で子供ができないかもしれない。跡継ぎを得られない相手ではいずれ愛人なり、第二夫人が必要になるだろうから、そうなる前に婚約を破棄したほうが相手のためになる」

「それで、後釜の婚約者に礼儀作法も何もご存じないこの方を望むのかしら?」

 皮肉たっぷりな従姉妹の言葉にランベルトは首を傾げた。胸ポケットから取りだしたメモに目を通す。

 その謎行動にローザンネが慌ててランベルトの腕にすがった。

「ランベルト様! わたくしを愛してると言ってやってください」

「アア。ソウダナ。ローザンネ・ダンメルス、ヲ、アイシテル」

 カクカクの棒読みだ。全く何の感情もこもってない。誰もがこれがランベルトの本心だとは思わないだろう。


「もう、とにかく、婚約破棄するんですから! 手続きはちゃんとしてくださいよ!」

 ローザンネがマルティーナを睨みつけてランベルトを引きずって行こうとした。ランベルトの藍色の瞳がマルティーナを捕らえる。

 彼女の好きなレモンイエローのドレスを身につけ、幸運の石と呼ばれるラピスラズリのイヤリングとネックレスに髪飾りをつけたマルティーナ。藍の瞳がふと和んで愛おしそうに見つめるが、その身体はローザンネにひっぱられるままだ。

 マルティーナは思わず手を伸ばしかけた。

 寝たり起きたりと体調不良が続き、手紙のやり取りが滞ると、ランベルトは必ず滋養強壮の薬草や食べ物を持参してお見舞いに来てくれた。王都から一週間もかけて来たのに、すぐに日帰りするような忙しさでも、藍色の瞳は慈しみが溢れていた。表情筋が仕事しない代わりに藍の瞳は雄弁に語るのだ。今でもまだランベルトは愛情豊かな眼差しを注ぐくせに、マルティーナから離れようとしている。


 マルティーナが纏うドレスも装飾品もランベルトから贈られたものだ。彼の色を思わせるレモンイエローに藍の瞳のラピスラズリ。


 婚約破棄する相手に自分の色を贈るなんて、一体何を考えているのか・・・。

 どうして? と問いかけたかったが、ランベルトが微かに首を横に振った。問うてくれるな、と告げられて、マルティーナはぎゅっと両手を握りしめた。

 無言で通じあう二人を視界に収めて、誰もが本当に婚約破棄するつもりかと訝る中、揶揄を含んだ声がした。

「手続きしたいなら、今すぐにでも叶えてあげるけど?」


「あら、エルヴィンお義兄様」

 ヘンリエッテのパートナーで従兄弟、つまり本物の王子様である。第一王子のエルヴィンは淑女同士の語らいに割り入るなど無粋な真似はしたくないと、令嬢たちのエスコート勢と交流を深めていたはずだった。

「何だか、おもし・・・、いや大変なことが起きていると言われて来てみれば・・・」

 エルヴィンは従姉妹と従兄弟を見比べて、ランベルトの腕をひくローザンネに目をとめた。

 ローザンネは頬を赤く染めてエルヴィンの前にでた。

「王太子殿下、初めてお目にかかりますう。ダンメルス男爵が長女・ローザンネと申します。以後、お見知り置きを」

 エルヴィンは目をすがめた。

 談笑していた令息たちも引き連れてきた彼の前では従兄弟でも表を伏せて礼をとっている。顔をあげて愛らしく小首を傾げているのはローザンネだけだ。ヘンリエッテはパートナーらしくエルヴィンの側に寄ったが、一歩控えてこの場は彼に譲るつもりらしい。

 格上からの許しもなく話しかけ、あまつさえ淑女の礼もとらないとか。ローザンネの態度は礼儀知らずなことこの上なく、不敬になりかねないのだが、本人は全く気づいていなかった。


「・・・皆、そう畏まらないで楽にして。今日は主役の君たちを祝いに来たんだ。この場は無礼講とするよ」

 全員が顔をあげると、エルヴィンはマルティーナに目を向けた。

「ベイエル嬢、元気になられたようで重畳。貴女の論文を拝見した。なかなか画期的な魔道技術だ。改善点があるが、充分実用できるレベルだろう。城の魔道士たちが大興奮していたよ。今度、試作品を」

「その人、学園をサボって研究してたんですよお? 誉められるものではないですう」

 ローザンネが割り込んできた。王子の言葉を遮る無礼さに誰もが唖然としている中、一人だけが素早く動いた。

「黙れ」

 ランベルトがいつの間にか剥きだしの万年筆をローザンネの首に押しつけている。ペン軸は鋭く尖った金属製で少しでも力を込めたら、細い首に食いこみそうだ。たかが万年筆とは言えなかった。十分殺傷力のある武器になる。

 あっという間に急所を抑えられたローザンネが蒼白な顔になった。抗議の声をだそうと喉を震わせるのも躊躇う力加減だった。

 冷ややかな目で無礼者を見下ろすランベルトにエルヴィンがため息をつく。


「おーい、ランベルト。皆、引いてるから、ちょっと落ちつこうか。確かに不敬だったが、まあ無礼講宣言をしたのは私だし、そう殺気立つな。

 仮にも、君のパートナーだろう? あんなにも望んだ婚約者を捨ててまで選んだお相手じゃないのかい」

「・・・ソウデスネ」

 ランベルトは見事なまでの棒読みで万年筆を収めた。

 温度がないなどではなく、虚無に支配された虚な目をするランベルトに誰もがおかしいと感じていた。マルティーナが通っていた間は模範的な婚約者として接していたランベルトが、この一年まとわりつくローザンネになされるがままで心変わりしたのだと思われていた。 

 

 しかし、本当に真実の愛で結ばれた相手なら、この態度は絶対にない。


「そういえば、ランベルトは卒業と同時に公爵家の籍を抜いていたね。やはり、彼女にあわせたのかな。到底、貴族の奥方になれそうな令嬢ではないし」

「なんですってえ!」

 ローザンネが仰天して叫んだ。

 貴族籍を抜くなんて、貴族として生まれたことさえ否定することだ。問題を起こして家に不利益をもたらす人間にしか適用されない、刑罰と同意義だった。

「何考えてるのよ! そんなこと、聞いてないわよ⁉︎」

「聞かれてないから話してないな」

 食ってかかるローザンネにランベルトは淡々と返す。

「なんで黙ってたのよ! 公爵夫人になれないじゃない!」

「公爵家は兄が継ぐ。君が公爵夫人になれるわけないだろ」

「公爵家じゃなくても、貴方、どこかの爵位を受け継ぐでしょ? 公爵家の次男なんだから。なんでわざわざ籍を抜くのよ」

「必要ないからだ。君の望みは私との婚姻だろう。貴族夫人になりたいとは言ってなかった。何もおかしいことはない」

「はああああっ?」

 ローザンネが淑女にあるまじき叫び声をあげて目を吊りあげた。普段の愛らしさの欠片もない。周りの者ーー特に令息たちが思いきりドン引きしているが、彼女は一向に気づかなかった。


「ランベルトは婿入りの予定だから、爵位の譲渡は断っていたな。ベイエル家に完全に骨を埋める気だったのを覆したのだから、爵位なしはしかたがあるまい。

 真実の愛で結ばれた君たちなら、身分なんて関係ないだろう」

「殿下、あんまりですう! わたくしはそんなこと知らされてませんでした、騙されたわ!」

「へー、どちらかというと、君のほうが我が従兄弟を騙したのでは? ランベルトは君との婚姻に全然乗り気じゃないよ?」

 嘲笑するエルヴィンにローザンネは怖いもの知らずにも食ってかかった。

「いくら、王子様でもひどいわ! ランベルト様、言ってやってください、わたくしたちは相思相愛なんだって!」


「ローザンネ・ダンメルス ト シンジツ ノ アイ ヲ ハグクンダ ノデ コンヤク シマス」


 ランベルトは胸ポケットからだしたメモを目にして無感動に読みあげた。下手な大根役者よりもひどい。周りの者は不出来な劇を見せられている気分になってきた。

「ランベルト、それが君の望みなのかい? 昔、聞いたのとは随分と変化してるけど」

「・・・私の、望み、は・・・」

 ポツリとこぼしたランベルトの視線がメモに落とされた。

 いきなり、ローザンネがランベルトから乱暴にメモをひったくった。

「もう、ランベルト様ったら、照れなくてもいいんですよお? 貴方の本当の想いはわたくしだけが知っていればいいのよ」

「・・・ソウデスネ」

 虚な目になる従兄弟にヘンリエッテが片眉を跳ねあげた。

 昔から、マルティーナと共に生き、一緒に逝くのが望みだと真面目な顔でのたまうほど婚約者を溺愛していた重い男なのに、浮気なんておかしいと思っていたのだ。

 ローザンネがマルティーナに嘲りの言葉をかけると過剰反応して殺気立つくせに『シンジツのアイ』とか笑わせてくれる。先ほどだってエルヴィンへの無礼を咎めようとしたというよりも、マルティーナへの侮辱が許せずに動いたはずた。

 ヘンリエッテがさり気なく令息に紛れていた護衛に視線をやると、心得たとローザンネに近付いた護衛がメモをとりあげた。ローザンネが青くなって手を伸ばしてくる。


「返してください! 人の物をとるなんて!」

「いや、君、ランベルトからとったよね?」

 護衛からメモを受けとったエルヴィンが目を通し始めた。護衛は優秀でローザンネ(不審人物)を第一王子からしっかりと遠ざけている。

「へえええ、いやはや、これはまた・・・」

 一人で何やら納得している従兄弟にヘンリエッテが唇を尖らせた。

「お義兄様、何が書かれているのです? それがこの婚約破棄に関係するものなのはわかりますから、わたくしたちにも見せてくださいな」

「ああ、ごめん、ごめん。私から説明するよ。これは婚姻に関する契約書なんだが、ご丁寧にも契約魔法で縛っている。入念というか、執念深いというか・・・。

『婚姻するまでは甲は乙の望み通りにすること』と条件づけられてるよ」

 エルヴィンは呆れたように頭を振った。

 誰もが、甲はランベルトで、乙はローザンネだと察しがついた。

 魔法で縛って相手を思い通りに動かすなんて洗脳と同じだ。一斉にローザンネに批難や蔑みの視線が集中する。

 家同士の繋がりの婚姻で利益のみを追求する場合によくあるのは契約結婚だ。契約なので妻または夫は仕事上のパートナー、共同経営者となる。家庭を築くのは情を交わした本当の想い人で、跡取りもその相手との子供のみとするなど、跡目争いなど起こさぬように交わされる契約だ。大概は両者とも納得のいく条件で手打ちとする契約なのだがーー

 契約魔法は重要な取引の場で双方共に同意した場合に使用される。いくら、契約結婚でも魔法を使って結ばせるなど横暴なことはしない。真実の愛が芽生えたとほざくわりに、契約魔法で縛りつけるなどあり得なかった。


「返してください! いくら、王太子様でも横暴だわ!」

 邪魔しかけたローザンネはエルヴィンの一睨みで護衛に取り押さえられた。ご丁寧に口にはハンカチをつっこまれて猿轡で強制的に大人しくさせられる。

 エルヴィンは邪魔者排除で悠々とメモを周囲に見せびらかすように広げた。

「しかも、この婚約破棄に関する問答の想定集もある。どうやら、男爵令嬢の手書きらしいね。あちこちにハートマークとか無駄に書かれているし。

 婚約破棄の理由を聞かれたら、『真実の愛が芽生えたから』と言ってね(ハート)に、もっと詳しい内容は『マルティーナ・ベイエルは病弱で子供ができないかもしれない。跡継ぎを得られない相手ではいずれ愛人なり、第二夫人が必要になるだろうから、そうなる前に婚約を破棄したほうが相手のためになる』のよ(ダブルハート)とか。

 さっき、ランベルトがそのまま口にしてたことだな。本当に真実の愛が芽生えたなら、こんな想定集いらないだろう。

 ねえ、ランベルト。君、そこの男爵令嬢に何か弱みでも握られて脅されたの?」

 ふぐふぐふぐぅ! とローザンネが激しく抗議するが、誰も相手にしなかった。

 ランベルトは口を開いたものの、言葉は何もでない。無言でうなだれるだけだ。エルヴィンとヘンリエッテの目と唇が綺麗に弧を描いた。

「契約魔法で封じられているようだね。さすがにこの場で解除するワケにはいかない。別室を用意させるから、そちらで話し合ったほうがいいな」

 第一王子の言葉にその場の全員がローザンネに侮蔑の眼差しを注いだ。一体、何の弱みを握ったのかは知らないが、想いあう婚約者同士を引き裂き、高位貴族令息を契約魔法で縛りつけてまで『真実の愛』だなどと語らせるなんて、稀代の悪女だ。 


 ローザンネ・ダンメルス男爵令嬢の評価はこの僅かな間で最低ラインからさらに奈落の底まで一気に転落した。


 エルヴィンが用意させた別室にはローザンネの父・ダンメルス男爵が待機していた。この用意周到さをみるに、最初からこうなるように事を運んだと察せられる。だが、ローザンネは残念なことにそこまで頭が働かなかったようだ。

「お父様! 聞いてください。王太子殿下が・・・」

 ローザンネは護衛から解放されるとハンカチを吐きだして涙ながらに父親に駆けよった。

 きっと、父は娘の扱いを憤って抗議してくれる。王族の横暴さを商会の財力をフルに使って糾弾してくれると思っていたのに、男爵は顔を強張らせたままエルヴィンに最高礼を尽くした。


「ああ、男爵。時間がもったいないから礼儀は略して構わない。晴れの卒業パーティーなんだ。さっさと終わらせて残りの時間を楽しませてくれ」

「殿下の寛大な御心には感謝しかございません。このような恥知らずな娘は牢獄行きで構いませんのに、我が商会にまでお心を砕いてくださり、誠に有り難く、我が家と我が商会より最大最高の忠誠を尽くすと誓います。この命ある限り、如何様にもお使いください」

「お父様? 何を仰るの!」

「黙れ、この恥知らずが! 貴様など、娘と呼ぶにも悍ましいわ。契約魔法で婚姻を強いるとは何様のつもりだ!」

 仰天して叫ぶ娘を男爵が怒鳴りつけた。

 男爵は娘から跡継ぎを望むランベルトが病弱な婚約者に見切りをつけて、婚約を申し込んできたと言われていたのだ。王太子からの使いからランベルトの本意ではなく、どうやら無理矢理強いた婚約らしいと知らされて、ヤキモキして待機していた。卒業パーティーのやり取りをご丁寧にも王宮魔道士の遠見魔法で見せられて、怒るなというほうが無理だ。

 親子が怒鳴り合っている間に、エルヴィンは部屋の隅に待機していた王宮魔道士を手招きした。ランベルトにかけられた契約魔法を解除するのだ。

 それを心配そうに見守るマルティーナにヘンリエッテが付き添う。

 エルヴィンが徴収した契約書を解除の魔法陣に置き、魔道士が術を唱えると、ぼっと金色の炎があがって契約書が一瞬で燃え落ちた。金色の炎からあがった煙がランベルトを包み込んでから、ふっとかき消えた。

 ほおっと息を吐いたランベルトは口元を押さえてその場にうずくまった。


「気持ち悪かった。・・・自分が自分でなくなった気がして。狂ったほうがマシだと思った」

「ベルト様、そのようなこと仰らないで」

 マルティーナが跪いてランベルトの背をさすった。青い顔をしたランベルトが申し訳なさそうに目を伏せた。

「すまない、ティーナ。私が至らないばかりに、君を傷つけてしまった」

「いいえ、わたくしがこのように元気になれたのは、ベルト様のおかげです。

 貴重な薬草や滋養強壮食品を届けてくださったでしょう。竜の肝なんて、どこで手に入れたのかと、うちの主治医が呆れておりました。滋養効果が高く、万病予防効果があるから、そう簡単には手に入らない高価な品だと。他にも、いろいろと」

「そうよ! わざわざダンメルス商会(うち)が融通してあげたのよ、ランベルト様がどうしてもと言うから! それなのに、こんな仕打ちなんてあんまりだわ!」

 ローザンネが割り込んできた。それを聞いて男爵の顔色が変わった。


「まさか、お前はそれらの商品と引き換えに婚約を迫ったのか?」

「ふん! お高い品ばかりだもの。お代の代わりにしてあげたら、喜んでOKしてくれたわよ」

「天文学的な数値をふっかけられた。借財してでも払うと言ったら、婚姻すると約束しない限り支払いには応じないと言われたのだが?」

 ランベルトが温度のない目でダンメルス親子を見やった。父親は蒼白になって震えあがり、娘は険悪に顔を歪めた。

「商人だもの。何をどう売ろうと文句を言われる筋合いはないわ。イヤなら買わなきゃいいのよ」

「注文した後で、値段を爆上げした挙句に婚姻の条件をつけられた。解約にも応じず、契約魔法に応じないと契約不履行で訴えると言われたのだが?」

「悪徳商人だわ。十分、取り締まりの対象になるのではなくて?」

 悪びれないローザンネに嫌悪の眼差しを注いだヘンリエッテが参戦してきた。エルヴィンも深々と頷く。

「ランベルト、注文の依頼票はあるかい? 脅迫された立派な証拠になるよ」

「婚姻の契約魔法で引き換えにされた。すでに証拠隠滅されてるだろう」

「なんて、悪辣な・・・」


 ローザンネはふんと鼻を鳴らしてふんぞり返った。

「証拠がなければわたくしが一方的に迫ったなんて批難される覚えはないわ。

 高価な品と引き換えの婚姻を申し込んだくせに、強制されたと訴えるなんて卑怯じゃない。しかも、男爵令嬢であるわたくしを平民落ちさせようなんて企んでおいて。世論はどちらに味方するかしら?」

「ランベルトに決まってるだろう。これがあるからな」

 エルヴィンがひらひらとメモをはためかせた。ローザンネ直筆の想定集メモだ。

「それは口下手なランベルト様のために用意し」

「いい加減にしろ。お前は修道院行きだ。いや、娼館に売り払ってやる」

 昏い目をした男爵が娘を遮った。父親からのあんまりな言葉にローザンネが目を剥く。

「お父様、何を仰るの? わたくしは被害者よ」

「黙れ、公の場で契約魔法で縛った婚約を宣言しておいて何を言う。うちの商会はもう終わりだ。

 注文品に後から法外な値をふっかけ、契約魔法で強制した婚姻を迫るなんて商人の風上にも置けない。信用第一の商人が詐欺紛いを働いて、誰が信じてくれるのだ? 

 もう、うちと取引しようとする相手なんかいないだろう。せっかく、王太子殿下が商会だけでも助けて下さろうとしてくださったのに、お前がダメにした。お前なぞ、娘ではないわ。勘当だ、娼館で稼いで損失補填しろ、従業員にせめてもの補償を払え」

「そんな、お父様!」

 男爵が騒ぐ娘をひっつかんで、王太子一同に深く頭を下げた。早速、財産処分で従業員の退職金に充てる手続きをとると、娘を引きずる。本当に娘を娼館に売り払って少しでも従業員への支払いの糧にするつもりらしい。

 近いうちに爵位返上手続きもすると言い残して男爵は去って行った。


「潰す手間が省けたな。自主的に廃業してくれるとか。従業員には気の毒と思っていたから、男爵自ら補償してくれるとはこちらの仕事が減って助かる」

「お義兄様、何を怠惰なことを! 模倣犯がでては困りますわ。しっかりと裁かなくては。

 この想定集のメモだけでも、立証の証拠には十分でございましょう? あの方、全くさっぱり全然気づいてませんでしたけど、契約魔法の余波で魔力を帯びてますもの。調査すればすぐに明らかになりますわ」

「ええ、めんど・・・、いや、うん。社会秩序を守るのも王太子の務めだな」

 エルヴィンは従姉妹の殺人光線を受けて、慌てて言い直した。


 最下位の成績保持者のローザンネは気づいていなかったが、ヘンリエッテのいう通り、魔力を帯びたこのメモ類から十分に捜査は可能だ。男爵自らケジメをつけてくれて、証拠固めの手配やら裁判の準備とか面倒事から逃れられるかと思ったが、従姉妹はうやむやにするつもりはない。友人を案じるヘンリエッテから正義の鉄槌をくだされるよりはマシだ。重い腰をあげるか、とエルヴィンはようやく落ちついたらしい従兄弟へ視線を向けた。

「ランベルト、大丈夫かい? 洗脳よりは強くないとはいえ、契約魔法で縛られて意にそわぬ行動をとらされるとか、精神にだいぶ負担になるようだけど」

「なんとか・・・。契約違反スレスレの意趣返しはしていたからな」

「あー、それが貴族籍の除籍?」

 ランベルトが頷いて、ふっとほの昏い笑みを浮かべた。

「婚姻届を出した後に私が出奔すれば、男爵令嬢はただの平民の妻だ。しかも、婚姻直後に夫に逃げられたと笑い者になるだろう。我が公爵家は無関係だし、ダンメルス商会だって醜聞になった娘を受け入れはしない。商売に差し支えるからな。

 平民落ちし、夫に逃げられて離縁もできず、再婚も無理。そんな女性が生きる道なんて、ごく限られてくる。私との婚姻で不幸になっても契約違反ではない。望みの婚姻さえ叶えれば、契約通りなのだから」

 ヘンリエッテとエルヴィンは顔をひきつらせた。

 捨て身の嫌がらせとか、意趣返しにしては自暴自棄すぎるだろう。この従兄弟はエルヴィンが勘づいてこの場の根回しをしなければ本当にやりかねなかった。


「ティーナと共にいられない人生なんて、なんの価値もないから」

 ふとこぼされた呟きに顔を曇らせていたマルティーナが泣きそうになる。

「ベルト様はわたくしのために無理をしてくださったのですね。でも、わたくしは健康になれなくても、ベルト様がいてくだされば・・・」

「すまない、ティーナにはいつでも笑っていて欲しかった。婚姻(支払い)せねば、君の家に取り立てに行くと脅されて。ならず者どもが君のところに押しかけると思ったら許せなかった。

 後腐れのないように破滅させてやろうと。

 ・・・ティーナがいない人生なんかどうなっても構わなかったが、さすがにこの世が滅べばティーナに迷惑がかかるから。ターゲットだけ破滅させることにした」

 何気に世界の破滅宣言とか魔王発言がでて、従兄弟たちはドン引きだ。

 

 この男、やろうと思えば本気でやる。それくらいは長年の付き合いでよく理解できていた。


「・・・ちなみに、どうやって滅ぼすつもりだったのよ?」

「ダンメルス家の家紋入りの金鉱脈の譲渡書状をヤブロコフ王国とバウムガルド帝国にばら撒くつもりだった」

「ちょっおおおおっと、待てい!」

 エルヴィンが慌ててストップをかけ、ヘンリエッテは絶句して固まった。


 ダンメルス男爵が見つけた金鉱脈はアーレンツ国とヤブロコフ王国とバウムガルド帝国、3カ国が有する中央山脈にあった。アーレンツ国内の麓から流れる小川で金砂が見つかり、そこを休憩場所にしていたダンメルス家の隊商が王宮に届けでた。

 中央山脈を領地に持つ地主はいない。大陸法によると、発見者に権利があるのだ。アーレンツ出身のダンメルスは聡い商人だった。面倒ごとに巻き込まれるのを懸念して、王家に譲渡して爵位を得る代わりに金鉱脈の全てから手を引いた。


 他の2国が気づいた時にはアーレンツ国が手続きを全て終えて所有権を主張した後だ。


 金鉱脈がどこまで続いているのかは今後の採掘次第だが、もし万が一にでも掘り進めた坑道が国外へ伸びることがあれば、確実に揉め事となりそうな事案だった。慎重に採掘は行われている。

 それなのに、わざわざ譲渡書状をばら撒かれたりしたら、他の2国が黙っているはずがない。火種が派手に燃えあがるのは必然で、3カ国で大陸中を巻き込んだ大戦争が起きかねなかった。


「おい、我が国どころか、この大陸中を滅ぼすつもりか、魔王」

「ティーナが巻き込まれるから、この案はやめたんだ」

「そもそも構想自体おやめなさいな。物騒すぎるわ」

「ベルト様はそんなにも思いつめていらしたのですね・・・」

 三者三様の感想の後に、マルティーナが痛ましげな顔をする。

「申し訳ありません。わたくしが婚約者だったばかりに」

「いや、謝らないでくれ。私はティーナが婚約者で嬉しかった。ただ、私はもう平民だ。君にふさわしくない。君を守り、幸せにしてくれる相手と・・・」

「それはお前しかいないだろう」

「そうよ、マルティーナ様に何かあれば世界を滅ぼしかねない貴方が何を言っているの?」

 一斉に従兄弟たちにつっこまれて、ランベルトが目を伏せた。


「除籍はすでに受理された。今更、取り消しはできない」

「いや、差し止めてるから。まだ、受理されてないから」

 エルヴィンがポンと従兄弟の肩を叩いた。こくこくとヘンリエッテも頷いている。

「お前の様子がおかしいと叔母上に相談されてたところに、除籍の手続きとか何かの間違いではないかと連絡がきたんだ。そこで、私が預かってしばらく様子をみることにした。

 今日の卒業パーティーで何か起こりそうだとヘンリエッテが言うから、男爵を呼びつけて色々と準備しておいた。安心しろ、お前はまだ公爵家の次男で、ベイエル嬢の婚約者だ」

「しかし、私はティーナがいない間、彼女を貶めるような真似をしてしまった。その報いは受けなければ」

「それを決めるのはマルティーナ様ではなくて? マルティーナ様の意見を尊重しましょう」

 ヘンリエッテの言葉に全員の視線がマルティーナに集まる。彼女はぎゅっと両手を握りしめてランベルトを見つめた。


「わたくしはベルト様の婚約者でいられて幸せでした。ベルト様が他に想われる方がいるのなら、身を引くべきだと思っておりました。身体の弱いわたくしよりもベルト様にふさわしい方がおられるとずっと」

「そんなのはいない。私にはティーナしかいない」

「ならば、ずっとおそばにいてくださいますか? お子に恵まれず、愛人をも」

「そんなものはいらない。私が欲しいのはティーナだけだ」

「・・・ねえ、これ、わたくしたちが聞く意味あるのかしら?」

 ヘンリエッテがゲンナリとした顔を取り繕いもせずに従兄弟を見あげた。エルヴィンは『さあ?』とばかりに肩をすくめる。

 マルティーナの告白に食い気味につっこむランベルトは絶対に彼女以外はあり得ないのだ。マルティーナの幸せのためなら身をひくような発言をしているが、この男が完全に彼女を無条件で手放すとは思えない。新しい婚約者が少しでも彼女にふさわしくないと判断したら、排除するのは確実だ。こんな物騒な重い男が見守っているマルティーナに新たな縁組が整うとは二人とも絶対完全まるっきり信じられなかった。


 ヘンリエッテは優雅に扇を仰いで淑女の笑みを浮かべた。

「ああ、もうお熱いこと。顔をあわせるのは二人ともお久しぶりなのでしょう? わたくしたちはお暇いたしますから、存分に心ゆくまで語らいになって。ただし、ランベルト。侍女と侍従はつけるから、節度はお守りなさいな」

「当たり前だ。ティーナの名誉を貶める真似は二度とごめんだ」

 きっぱりと言いきるランベルトにマルティーナが真っ赤になって俯く。エルヴィンがやれやれとため息をついた。

「私たちはパーティー会場に戻るが、君たちも早めに戻って仲睦まじい姿をお披露目したほうがいいよ? 学友たちは心配しているだろうからね。せっかくの晴れ舞台なんだ。婚約者とダンスすれば誤解や偏見や妙な憶測も皆一纏めで片付く。下手に説明して回るより早いだろう。それでは、後でね」

 エルヴィンがエスコートの手を差し伸べて、ヘンリエッテと共に退出した。


「よかったのかい? あの二人がよりを戻して」

「ちょっと、マルティーナ様には重荷かもしれないけど、お幸せそうならいいわ。世界を滅ぼされては敵わないもの」

「あー、そっちじゃなくて・・・」

 ヘンリエッテは珍しく歯切れの悪い従兄弟に首を傾げた。何が言いたいのかと目線で問えば、エルヴィンは視線を彷徨わせる。

「もともと、ランベルトとの婚約は君との間にあっただろう? この際、君とランベルトの話が再浮上してもおかしくはないから」

「え、イヤですわ」

 即答したヘンリエッテがジト目でパートナーを睨めつけた。


「ひどいわ、お義兄様。あんな重い執着男に可愛い義妹をくれてやるつもりでしたの? 愛称呼びは婚約者以外認めないと、従姉妹であるわたくしたちにさえ禁じてきたような、狭量な男でしてよ。

 わたくしだって、ティーナ様とお呼びしたかったのに」

 ヘンリエッテは恨みがましく義兄を睨んだ。

 幼い頃のランベルトは愛称呼びのベルトとヘンリエッテやエルヴィンに呼ばれていた。それが婚約した途端に、婚約者にだけしか許さないから、と愛称呼びを断ってきた。さらに、マルティーナのことも、愛称呼びするのは身内だけだから、とドヤ顔で宣言しやがったのだ。

「・・・えーと、そこは愛情深いというかなんというか。他に言いようがあるだろう」

 エルヴィンは困ったように微笑んだ。

 ヘンリエッテを引きとって家族に迎え入れた父・国王は養女にはしなかった。王女にしてしまえば、国益のための婚姻で駒に使われる可能性がでてくるからだ。

 ヘンリエッテの両親は急に体調を崩した国王の代理で他国へ弔問に出向いた帰りに事故に遭って亡くなった。残されたのは8歳になったばかりの娘が一人。

 国王は弟夫婦の忘れ形見に申し訳なくてしかたがなかった。罪悪感からヘンリエッテの幸せを第一に考えて嫁ぎ先を整えようとした。

 候補にあがったのは婿入り可能な公爵家次男のランベルトだ。従兄弟で幼い頃から交流があり、それなりに気心もしれている。ヘンリエッテには亡き父の大公家を継がせるつもりで彼女を支え守ってくれる相手を婿に望んでいた。

 しかし、病気療養に保養地に出向いた母に付き添ってベイエル領を訪れたランベルトはそこの一人娘に恋をした。病弱で寝たり起きたりと辛い生活を送っているのに、周囲に心配させないようにいつも微笑んでいるマルティーナに惹かれたのだ。

 あまり表情筋が仕事しないランベルトの強い希望に両親が折れ、国王も無理強いができなかった。


 はあ、とヘンリエッテがため息をこぼしてこめかみを押さえる。

「ランベルトが公爵家の権力も使わず、悪徳商法だと司法にも訴えなかったのは、完膚なきまでに男爵令嬢を叩きのめすためでしょう? そんな執念深い男はお断りですわ」

「・・・婚約者を自分の力で守りたかったのだと、善意の解釈はできないのかな?」

「無理です」

 ヘンリエッテはキッパリと言い切った。

 犯罪を裁くには未遂より実行後のほうが罪は重い。

 ランベルトはわざと男爵令嬢の言いなりになって、契約魔法に縛られた。貴族籍除籍というサインでエルヴィンが動くならよし、動かぬなら明言したように婚姻後すぐに姿をくらまし、ローザンネを平民落ちさせた挙句に恥をかかせ、不幸のドン底に落とすという報復手段を用意していた。

 それもこれも全部マルティーナのためだ。未遂では罪が軽く、今後の憂いとなってしまう。完全にマルティーナの視界にさえ入らぬようにするために、ランベルトは手段を選ばなかったのだ。

 そこまで誰かを一途に想えるのはヘンリエッテには呪いのようで、少しばかり、いやかなりドン引きだ。


「それに、わたくしよりお義兄様のほうが先でしてよ? まだ、失恋を引きずってますの? 早くお相手を見つけられたほうがよろしいわ。今日だって、狩人の目をしたご令嬢に群がられる寸前でしたでしょう」

「いや、失恋ではないのだが・・・」

 エルヴィンは虚な笑いを顔にはりつけた。

 エルヴィンの婚約者は3年前に隣国へ留学中に、海を渡った他国の皇太子と恋に落ちた。己の恋と海外貿易で国益を重視した結果、エルヴィンとの婚約解消で他国へ嫁いだ。

 他国の皇太子は三男で本来なら王位継承権は低かった。兄二人がたちの悪い流行病で急逝したため、急遽皇太子に定められたのだ。

 兄たちの婚約者は健在だったが、どちらかを選べば必ず国が割れる。全く、派閥に関係のない相手を伴侶にしなければと頭を悩ませていたところで、エルヴィンの婚約者の立候補はありがたかった。友好国として絆を深めるためと他国からの王妃を迎え入れたのだ。

 エルヴィンと婚約者はもともと友人というか、戦友のような間柄だった。恋情はなかったから、彼女の申し出を受け入れるのに抵抗はなかった。海外貿易が盛んになって国益はしっかりとでている。だが、18歳と婚姻秒読みでの婚約解消だったから、次の相手を見つけるのは容易ではなかった。

 身分のつりあう高位貴族で年の近い令嬢は皆婚約済みだ。下位貴族では王妃教育をこなすのはとても無理だ。中位貴族だって難しいだろう。他国から娶ろうにも色々と国際情勢や国益を鑑みて検討に時間がかかっていた。

 そのため、3年前から公務で王太子に同伴しているのはヘンリエッテだ。ヘンリエッテは望む相手が犯罪者などではない限り、恋愛結婚を認められていた。お相手が平民でもそれなりの身分を用意するからと国王は激甘な対応だ。

 しかし、王族として教育されたヘンリエッテは国益重視で相手を選ぶつもりで、まだ婚約者はいなかった。


 ヘンリエッテはエスコートする従兄弟を見あげて小首を傾げた。

「お義兄様には、どなたかお心にかける方はいらっしゃらないの? この際ですから、お気に召す方をご指名してもよろしいのではないかしら」

「うーん、気に入っている相手なら、いるけど・・・」

「まあ、いつの間に? どこのどなた?」

 エルヴィンはしげしげと恋バナにワクワクする従姉妹を眺めた。

「そうだな、ヘンリエッテは王妃になる気はないかい?」

「はい? え、何を・・・」

 目をぱちくりさせるヘンリエッテにエルヴィンは苦笑する。

「いや、父は君を手放したくないようだし。母も女の子が欲しかったと君の受け入れには大賛成だったしね。君は王族の教育を受けているから王妃教育の必要がない。

 そして、何より、私と気が合う。家族の情はすでにあるのだから、婚姻に支障はないだろう?」

「恋愛結婚するつもりはありませんでしたけど・・・。お義兄様となんて考えたこともなかったわ」

 ヘンリエッテは困惑して眉をしかめた。エルヴィンの言う通り、家族なのだ。義兄(あに)と思っていた相手を伴侶として捉えろと言われても、戸惑うしかない。


「いきなりだったからね、少し考えてみてくれないか? 

 ランベルトのような唯一無二の関係は私には無理だ。どうしても、国が一番だからね。

 それを理解してくれる君となら、穏やかな家族愛でも十分やっていけると思うのだけど・・・」

「・・・考えてみますから、少し時間をくださいな。急には決められませんわ」

「そうだね、まずは私を義兄(あに)と思わないところから始めておくれ」

 眉根にシワ寄せる従姉妹に微笑みかけて、エルヴィンは額にそっと口づけを贈った。ヘンリエッテは微かに目を見開いた。

 親愛の挨拶でもお年頃になると控えるようになったから、久しぶりに家族とのスキンシップだった。

 ヘンリエッテは家族なのに、義兄とは思うなと言われて戸惑いが先立つが、それを表にだすほど未熟ではない。ツンと顎をあげてとり澄ましてやった。

 ふっと、エルヴィンが微笑ましいものを見る笑みを浮かべる。

「まずは、一曲お相手願えますか、レディ?」

「・・・からかうなら、足を踏んで差しあげてよ?」

「それは勘弁してもらいたいな」

 エルヴィンとヘンリエッテは軽口の応酬を繰り広げながら、パーティー会場に足を踏み入れた。


 お付きはいるが、婚約者と二人きりにされたマルティーナは困惑していた。

 ランベルトは土下座せんかの勢いで頭を下げていた。頼むから捨てないでくれ、と涙声なのがものすごくレアだった。

「あの、わたくしはベルト様と婚約破棄するつもりはありませんわ。ただ、ベルト様がお望みならば・・・」

「そんなもの、望んでいない。私の望みは変わらず、君と共に生き、一緒に逝くことだ」

「ベルト様・・・」

 マルティーナは赤くなって俯いた。

 ヘンリエッテに言わせると重い執着男になるが、マルティーナには嬉しい言葉だ。

 マルティーナは婚約時の初顔合わせも熱をだして延期になり、最初からこの婚約は考え直したほうがいいのでは? という雰囲気だった。しかし、見舞いの花と共に贈られたカードにランベルトはこの言葉を記してくれた。

 病弱なマルティーナは共に生きようと人生に寄り添ってくれるメッセージをもらったのは初めてだった。

 病弱だから、跡取りに恵まれないかもしれないから、とマイナス評価ばかりだった彼女自身を初めて望んでくれたのだ。ランベルトに恋するには十分だった。


 学園に入学するまではマルティーナは領地暮らしで王都に住むランベルトとは遠距離恋愛だったが、寂しさは感じなかった。ランベルトは筆まめでよく手紙をくれた。『君の好きそうな花を庭に植えた』とか、『王都で流行りの恋愛小説が手に入った。読んでみるかい?』など、大した内容ではないが、寝込むことの多いマルティーナを元気づけてくれていた。

 寝込む期間が長引けば、わざわざ見舞いの品を大量に持って来てくれたのだ。ランベルトは公爵家次男だが、母が王妹でたまに公務のお手伝いにかりだされるというのに、マルティーナのために日帰り日程になろうとも見舞いを取りやめることはなかった。

 学園に入って慣れない集団生活に馴染めたのだって、ランベルトが従姉妹を頼ってさり気なくフォローしてくれたおかげだ。慣れない都市生活に学園での授業や人づきあいなどで疲弊したマルティーナを心配して、最終学年は領地で療養しながらも卒業できるように手配してくれた。

 本当にランベルトはマルティーナのために細心の気配りと心遣いを示してくれていたのだ。もし、心変わりが本当だとしても、恨むつもりはなかった。却って、婚約者でいられたのがありがたいくらいだ。


「ティーナ、もし君が許してくれるなら、もう一度、私の手をとってもらえるだろうか?」

 恐る恐るというようにランベルトが顔をあげた。へにゃりと眉を下げた情けなさそうな顔とか激レアモノで、マルティーナは心のキャンパスにしっかりと永久保存しようと決めた。

「わたくしのほうこそ、お願いしたいですわ。わたくしの幸せは貴方と共にいることなのですもの」

「ティーナ・・・」

 感極まったランベルトがマルティーナを抱きしめようとしたら、部屋の隅から咳払いがして侍従が指示して侍女がさり気なくお茶の支度をテーブルにセットした。エルヴィンお付きの侍従とヘンリエッテお付きの侍女だ。

 婚約者らしい距離を保て、と指示されたことだし、この場は大人しく従うか、とランベルトは婚約者をエスコートしてソファーに導くのだった。








「娘は誰にもやらん、と言ってるのよ。まだ3歳なのに」

 ふふっと幸せそうに微笑む友人にヘンリエッテは呆れた顔だ。

「貴女そっくりのご息女だと思ったら、ランベルトってばすっかり親バカになったわね」

「エルヴィン様も似たようなものだと仰っていたわよ? 護衛騎士に憧れる王女様に膝から崩れ落ちたと聞いたのだけど、本当かしら」

「あら、やだ。口外禁止を強いたのに、どこから漏れたのかしら?」

 王妃になったヘンリエッテが小首を傾げた。


 長女が4歳になった時のことだ。

 ベテランの護衛騎士(エルヴィンより年上)にオマセな長女は『大きくなったらお嫁さんになる』宣言をした。

「そこはお父様の、ではないのか?」

 跪いて涙するエルヴィンを見て、7歳の長男は真面目な顔で妹に忠告した。

「一応でも、その言葉はお父様に言ってあげたほうがいいよ」

「えー、ウソはダメでしょ?」

「世の中はね、本音とタテマエでできているのだって。タテマエだけでも、言ってあげれば、カドが立たないらしいよ」

「一応・・・、嘘なんて・・・。タテマエなのか・・・」

 血の涙を流して、再起不能になったエルヴィンを慰めるのに、ヘンリエッテは一晩苦労したものだ。


 ランベルトとマルティーナは卒業後すぐに婚姻し、ヘンリエッテの婚姻はその翌年だ。エルヴィンを異性と捉えようとしたのだが、やはり家族愛のほうが大きくなかなか返事ができなかったら、エルヴィンに外堀埋められて逃げ場がなくなっていた。

 伯父夫妻は女の子が欲しかったとヘンリエッテを可愛がってくれていたし、国益をだされて理詰めで説得されると反論のしようもなく、ヘンリエッテはエルヴィンと婚姻した。

 一男二女に恵まれて順風満帆な日々だ。昨年、王位を譲られて王妃となったが、エルヴィンは面倒臭いのはうんざりだと愛妾や側妃を断りまくっている。跡取りには十分恵まれているのだから、家庭に余計な波風をたてるなと言明するほど、家庭を大切にしてくれていた。

 王位を継ぐ男児が一人だけの状況に危機感を抱く臣下がいないわけではないが、エルヴィンの弟も男児二人に恵まれたから、継承者は十分にいると強気だ。

 先王夫妻、エルヴィンの両親も息子の主張を後押ししてくれた。先王夫妻は引退した今では良質な温泉を多数有する保養地であるベイエル領に離宮を建ててのんびりと過ごしている。


 一方、ランベルトとマルティーナの間にはなかなか子供が生まれなかったが、出産で妻を失うのを怖がったランベルトが色々と画策したせいだった。

 恵まれないならしかたないが、最初から排除するのはひどいと、マルティーナが激怒してヘンリエッテのところに家出騒ぎを起こしたりと、まあ色々あったが、概ね彼らも幸せに暮らしている。

 今日は久々に王都に出向く用事があるランベルトに妻子も同行してきていた。どうやら、用事が済み次第とっと帰ろうとするランベルトを長く王都にいさせるために、マルティーナと子供も呼ばれたらしい。

 重い執着男は娘もできて、溺愛対象が増えた。マルティーナの負担が減るかと思いきや、ランベルトの暑苦しい愛情は娘が生まれたことで倍増した。

 手紙のやりとりばかりで久々に友人と会えたヘンリエッテはどう苦言してやろうかと思っていたが、幸せオーラを振りまくマルティーナに、ああ、うん、お幸せならいいかも、と方向転換した。


 あの卒業パーティーの後に本当にダンメルス男爵は爵位返上して商会も売却し、全財産でランベルトとマルティーナに賠償金まで支払った。ローザンネのやらかしで監督不行き届きだと罪には問われたが、素早い謝罪と贖罪で軽い刑罰で済んでいた。

 もともと商才に長けている人物なのだ。重罪で裁くよりも、恩をきせて便利な駒と使ったほうが為政者としては使い心地がよかった。服役後は財務関係の仕事につかせて地方財政の管理に才能を発揮してもらっていた。

 元凶のローザンネは今では高級娼館のトップとして君臨している。

 もともと男性に取り入るのがうまかったし、語学に優れていた。他国からの外交官をおもてなしと称し、たらしこんで重要機密をゲットしたりと諜報任務についている。彼女も賠償金を請求されたが払えるはずもなく、王家が立て替える代わりにハニートラップ要員となることを了承したのだ。

 適材適所だろう? と得意げに夫がのたまわっていて、思わずヘンリエッテはジト目になりかけたが、彼自身は顧客には絶対にならないと誓っていたから、まあいいかと見逃している。

 その夫が重い執着男と同類と言われて、なかなか複雑な心境になるヘンリエッテだ。

 相変わらず、エルヴィンに抱くのは家族愛で、恋愛とは違う気がするのだが、最近はその心情に自信がなくなってきていた。


「エルヴィン様に愛妾とか側妃をと言われると、なんだかモヤモヤするのよね。最初は、跡目争いの心配だと思っていたのだけど・・・。これって、ヤキモチなのかしら?」

 友人の相談にマルティーナは目を丸くした。無自覚で惚気るとか高度なテクニックなのに、ヘンリエッテは全く気づいていなかった。

「その答えは旦那様にしていただいたほうがいいと思うわよ」

「そうなの?」

 素直に友人のアドバイスに従ったヘンリエッテはエルヴィンもやはり重い執着男と同じ血筋なのだな、と嫌でも実感させられることになった。


fin

お読みいただきありがとうございます。面白かったら、評価していただけると嬉しいです。


現在、婚約破棄を題材にした別の話を連載中です。水曜と土曜の18時に投稿しています。

『婚約破棄と解消と保留、そしてする予定はありませんけど?』https://ncode.syosetu.com/n3720hj/です。

よろしかったら、ご覧になってくださると嬉しいです。


誤字報告ありがとうございます、訂正しました。

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[良い点] 自分が泥を被ってでも愛する婚約者のために頑張ったランベルトに幸あれ。 マルティーナさんと末永くお幸せに。 [気になる点] 元凶の花畑母はどうなったんでしょうか? なんの償いもなく、のんびり…
[一言] この手の話は婚約者を誘惑する下位貴族令嬢→お花畑→父親もお花畑が多い中、ダンメルス男爵は立派だったねぇー! 娘を娼館に売ってでも補償しようとか… 悪役の鏡ですな! と、妙な所に感じ入って感想…
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